■ 深淵(1)


賞状を受け取り敬礼して席に戻ると、室井はちらりと横の席を見やる。
本来ならいるべき男が見当たらない。
授賞式にも出ず今日も現場に出ているらしいと、部下から聞いた。
―あいつらしい。
そう思って一瞬だけ笑みを浮かべた。
すぐに表情を引き締め、真っ直ぐに前を向く。
台場役員連続殺人事件での働きを評価され、二人揃って警視総監賞を受賞した。
二人揃って査問委員会にかけられた時から比べれば大きな進歩だろう。
だがそれでも、室井や青島の目指す場所への第一歩にしか過ぎない。
働きを評価されたことは素直に良かったと思うが、そんなことで満足しているわけにはいかない。
室井には、まだまだやらなければならないことがある。
青島もきっとそう思っているはずだ。
だから、ここには来ないで、今も現場で頑張っているのだ。
青島が現場で頑張って、室井が上に行く。
それが青島との約束だった。
―まだまだ、これからだ。
室井は授賞式の間中、膝に置いた手をしっかりと握り、前を見据えていた。


授賞式が終わると、早々にスーツに着替えて仕事に戻る。
未解決の事件をいくつか抱えている。
のんびりしてはいられなかった。
捜査員がほとんど出払っている捜査一課に戻ると、すぐに携帯電話に着信があった。
部下からかと思いディスプレイを見て、目を剥く。
部下には違いないが、ただの部下ではない。
通話ボタンを押すと、のんきな声が聞こえてきた。
『おめでとーございまーす』
唐突な祝辞に面を食らったが、堪らず苦笑した。
「おめでとうも何も、君も授賞してるんだぞ」
電話の相手は授賞式をさぼった青島だった。
『俺のはいいんすよー別にどうでも…あっ、警視総監賞自体がどうでもいいって言ってんじゃないですけどね。俺のはどうでもいいけど、室井さんのはどうでも良くないから』
青島自身は出世や昇進になんの興味も示さない。
待遇が悪いだの使いっ走りばかりでうんざりだの、愚痴はしょっちゅう溢しているが、だからと言って現場を離れる気は更々ないのだ。
ちゃんとした捜査に加わりたいがために本庁に行きたがっていた時期も無くはなかったようだが、今はそんなことも考えてはいないだろう。
青島がしたいことのほとんどは、本庁に行ったところでままならないことの方が圧倒的に多い。
単純で、当たり前の正義を貫くことですから、警察という組織に阻まれる。
だからこそ、室井が上に行って、警察組織を変えるのだ。
そう、青島と約束した。
だから青島は、室井の仕事が評価されたことを喜んでくれていた。
室井は柔らかい表情で、電話の向こうの青島にお小言を言う。
「電話するくらいなら、授賞式にちゃんと来い」
『あははは…仕事がね、あったもんだから』
「授賞式も仕事のうちだぞ」
『いや、ほら、うち人手足りないですからねー』
「神田署長でも、現場に出せ」
『役に立つとでも思ってんですか?』
「それもそう……いや、失言だった、忘れてくれ」
どうも青島に感化されているのか、発言が乱暴になったと反省する。
管理職がやらなければならないことは現場に出ることではなく、責任を取ることだ。
その点で言えば、神田は押さえていないこともない気がする。
『はは…いいんですよ、素直に言っても』
青島が楽しそうに笑うから、室井も苦笑した。
「君は少し遠慮しろ」
『いいじゃないっすか、俺たちの仲だもん』
そう言われて、何故だか心臓が跳ねた。
馴れ馴れしいと不快に思ったわけではなかった。
それなのに、どうも心臓が落ち着かない。
こういうことは、実は珍しいことではなかった。
青島と話していると、度々感じた。
『一緒に査問委員会にかけられて、一緒に警視総監賞授賞した仲じゃない』
からかうような青島の声に、室井は平常心を取り戻した。
受賞はいいが、査問委員会は自慢できたことではない。
「一体、どんな仲だ」
呆れ気味に呟くと、青島が笑った。
『イイコンビ、でしょ?』
この男は変わらない。
何年経っても、出会った頃のままだ。
それが室井には嬉しかった。
何と返事を返そうか迷っている間に、青島が慌てたように言った。
『うあ、すいません、なんか呼ばれてるみたい。事件かな…』
仕事の合間にかけてくれたはずだから、のんびりしている時間はないのだろう。
室井だって、忙しい。
青島の声を聞いて、それを少し忘れてしまっただけだ。
「いや、構わない。仕事頑張れ」
『ええ、室井さんも。……頑張りましょうね、俺たち』
少し照れ臭そうに続いた言葉に、室井は表情を引き締めた。
―俺たち。
そう言うからには、室井も青島も一人で頑張るわけではない。
「もちろんだ」
『へへ…じゃあ、また』
「あ、青島」
『はい?』
「ありがとう」
少しの間の後、「こちらこそ」とだけ言って、青島は電話を切った。
切れた携帯電話をじっと見つめ、胸ポケットにしまう。
室井もこれから捜査本部に向わなければならない。
必要な資料を手に、慌しく捜査一課を出る。
歩きながら、ふと可笑しなことに気付いた。
授賞式が終わった後より更に、やる気に満ちている。
―青島の声を聞いたからか。
そう思って、内心で苦笑した。
どれだけ自分は青島という男に傾倒しているのか。
出会った頃疎ましくすらあった彼の情熱は、いつの間にか室井にとって憧れであり支えになっていた。
青島の存在が、室井の信じる正義を見失わせない。
だからこそ、彼の声一つでやる気が出るのだ。
室井はそう思い、自分を単純だと笑いながら、それでも高揚した気持ちを維持したまま捜査本部に向った。


声を聞いただけで気分が高揚する。
そんなことが起こる現象が、他にもあることに室井は全く気付いていなかった。



***



「室井さん、なんて?」
席に戻った青島は、すみれに聞かれて苦笑した。
「電話するくらいなら授賞式来いって」
「そりゃあ、そうよね」
ふふっと可愛らしく笑う。
「行かなくて本当に良かったの?」
「んー、忙しいからね」
「ちょっとくらい平気よ。折角だったのに」
湾岸署が忙しいのは事実で人手はいつも足りないが、授賞式くらい行ったらどうだと皆は言ってくれていたのだ。
それを青島が拒んだだけである。
「ま、別に、室井さんが評価されたんなら、俺はそれでいいしね」
青島は肩を竦めて、鞄を担いだ。
聞き込みに行くために、魚住が入り口で青島を待っていた。
「随分献身的ねぇ」
わざとらしく言うすみれに、困った顔をする。
「そんなんじゃないよ」
「じゃあ、どんななのよ」
「室井さんには頑張ってもらわないと困るんだ」
少しだけ青島の目に力が篭る。
「あの人は、俺たちの希望でしょ」
「…ま、それもそうだけどね」
少し考えてすみれが納得したように頷いた。
すみれも室井には期待しているはずだった。
室井を信じているのは、青島ばかりではない。
青島は意識せずにやんわりと笑った。
「青島くーん、聞き込み行くよー」
「はーい」
魚住の催促の声に、すみれに手を振ると、青島は刑事課を出た。


警視総監賞受賞が、嬉しくないわけではない。
本庁から目の仇にされ、問題児扱いばかりされている青島にとって、捜査本部で初めて形となって自分の力を認めてもらえた事件でもあった。
ただ、本当に自分自身のことはどうでも良かった。
二人が正しいと信じた正義が、警察内部でも認められた。
そんな気がして単純に嬉しかった。
それに、今回は室井の足を引っ張らずに済んだ。
そのことも大きい。
自分と関わるたび、それが例え室井の意志であったとしても、査問委員会だ降格人事だと憂き目にばかりあっている室井を見てきている。
共に頑張ろうと約束しているのに、室井に背負わせるばかりではなく、青島自身室井の役に立ちたかった。
―少しは頼れる男になれただろうか。
そう思って、少しだけ自分を誇り、それよりずっと室井を誇りに思った。


青島は新木場の駅からの帰り道の途中でコンビニに寄ると、缶ビールを買い込んで帰宅した。
定時を大幅に過ぎてから湾岸署を出たので、もう料理をするのも面倒だし、ついでにお惣菜の類も買い込んだ。
侘しい夕飯だが、独身の一人暮らし、しかも彼女なしとなれば、これくらい普通だろう。
外で食べてから帰宅しても良かったのだが、今日は一人で飲みたい気分だった。
とりあえず1本だけ抜いて、残りの缶ビールを冷蔵庫にしまい、テーブルの上にお惣菜を並べる。
もちろん面倒くさいので、一々皿にうつしたりはしないし、取り皿も必要ない。
ビニールを適当に剥ぎ、コンビニで貰ってきた割り箸でつつく。
缶ビールを開けると口に運びかけて、意味なく宙に浮かしてみる。
乾杯する相手などいない。
「おめでとうございまーす」
勝手に祝杯をあげる。
乾杯する相手などいなくても、乾杯したい相手はいた。
一人で勝手に室井のお祝いだ。
正確に言えば、室井と青島、二人のお祝いだ。
そんな暗いことをしていないで、室井を誘って普通にお祝いをすればいいのかもしれないが、誘うことは特に考えなかった。
室井と酒を飲むのが嫌なわけではない。
むしろその反対だったが、だからこそ青島には室井を誘うことができなかった。
室井とはだたの上司と部下だなんて言うつもりはない。
充分普通ではない、大袈裟でもなんでもなく、深い信頼関係と強い絆で繋がっていると自負している。
親密であることは確かだが、越えてはならない一線は確実にあった。
それは室井が張っている一線ではなく、青島の目にだけ見える一線。
青島はそれを絶対に越えてはいけなかった。
宙に浮かしたままの缶ビールを見つめ、苦笑すると、缶を口元に運んだ。
ゴクゴクと飲み干すと、一気に缶が軽くなる。
「…うまいっ」
ぷはぁとまるで缶ビールのコマーシャルのごとく一息ついて、口元を手の甲で拭った。
仕事の後のビールは美味い。
特に、今日みたいにいいことがあった日には。
―室井さんも今頃一息ついてるかな。
―それとも、特捜でまたカンヅメになってるかな。
そんなことを考えながら、青島はビールを煽る。
昼間に電話をしたら、いつもより少しだけ明るい声をしていたと思う。
声を聞けてよかったと思うし、聞きたいからお祝いにかこつけて電話をしたのだが、声を聞けば顔を見たくなるから癖が悪い。
それでも会いにはいけない。
会えない代わりに、青島はもう一度見えない相手に缶ビールを掲げてみせた。
それは自己満足にすぎないけれど、青島自身が満足できればそれで良かった。


授賞式に出なかったことに後悔は特にないが、強いていえば一つだけ。
「室井さんに会えなかったことだけは、残念かな…」
小さく呟く声が、部屋の中に響いて消えた。
空になった缶を弄びながら、青島はやんわりと微笑んだ。
その微笑みは、どこか寂しそうだった。










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2007.9.4

あとがき


美月様からの10万HITお礼リク、
「ぐるぐるする室青。周りもじれったくてぐるぐる。婚約者のいる
新城さんが二人のために行動を起こす(実は青島君が好き)」です。

時期はOD2終わってすぐです。
拙宅の馴れ初め話の中では、慣れ染まる(?)時期が遅い方ですよね。
もっと早い段階で慣れ染まってるだろうに〜v…と、
ドラマを観ては妄想してしまいますが、
今回は遅めな二入でいきたいと思います。
ぐるぐるする二人ですからね!
きっとのんびりのはず!
…というか、スタート時点では室井さん無自覚ですけど;

なんだか、青島くんがちょっと暗くなってしまいました〜(泣)
早く幸せにしてあげなよ、室井さん…(それはお前次第だ)

タイトルが堅めになってしまいました…
心の奥底とか、そんなイメージで「深淵」です。
音の響きがなんとなく好きです。

長くなりそうな予感です。
気長に、のんびりとお付き合い頂ければ幸いです!


美月様。
遅くなりまして、大変申し訳ありませんでした!
そして、完結までには更にお待たせしてしまうと思いますが…;
最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
宜しくお願い致しますっ(^^)



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