■ 幼馴染(8)


のどかな昼下がり。
青島は床に寝転がり、テレビを見ていた。
その青島を見ながら、室井は小さなテーブルの前で正座をしていた。
「青島、話がある」
改まってそんなことを言われたから驚いたのだろう。
大きな目を瞬かせて、何事かと室井を見ている。
室井は真面目な顔で、青島が起き上がるのを待った。
「な、なんすか、改まって…」
のろのろと起き上がり、つられたのか青島も正座をする。
テーブルを挟んで向かい合わせに座った青島に、室井は意を決して切り出した。
「悪いが、そろそろ自宅に戻ってくれないか」
もう限界だと悟ったのだ。
不埒な夢を見て危険を感じ一倉まで呼んだのに、寝ている青島にキスしてしまった。
これ以上一緒にいれば、青島に嫌われるどころか確実に傷つける。
それだけはどうしても避けたかった。
それだけ、青島が大事だった。
大事だから守り通したかったのだ。
だからと言って、これ以上自分の理性を信じることもできない。
そうしたら、青島には帰ってもらうより仕方がなかった。
あまりにも突然切り出したせいか、青島は呆然としていた。
「…俺、やっぱり邪魔でした?」
「そうじゃない」
嘘を吐くために力が入りすぎて軽い頭痛を覚えながら、室井は言った。
「恋人がいるんだ」
力一杯真剣な顔で告げる。
悩んだ末に、青島に出て行ってもらうためには、これが一番良い理由だと判断したのだ。
青島に嘘を吐くことには抵抗がある。
だが、今の室井には、どうしても必要な嘘だった。
青島は短く絶句したが、すぐに睨むような強い眼差しを寄こす。
「嘘だ」
事実嘘なわけだが、きっぱりと断言されると面食らってしまう。
だが、いつまでも呆けているわけにもいかない。
どうしても信じてもらわなければならないのだ。
室井は真顔で首を振った。
「本当だ」
「嘘だ」
「本当だと言ってる」
「嘘だ」
あまりにも頑なな青島に、室井は眉間に皺を寄せたが、青島も顔を顰めていた。
膨れっ面に近い表情で呟く。
「室井さんの嘘くらい、俺にも分かるよ」
室井はすぐに言葉が出なかった。
それでも白を切るべきなのだ。
青島にはどうしても出て行ってもらわなくてはいけない。
そのためには、この嘘を信じてもらうより他にない。
その他にうまい手が見つけられなかったのだから、青島にどれだけ疑われても「本当だ」と言い続けなければならない。
だけど、青島の顔を見ていたら、それも難しくなってきた。
膨れっ面の下で、青島が悲しんでいるのが分かったからだ。
室井が青島に嘘を吐こうとしたことが、青島を傷つけた。
それが室井の心にも痛い。
嘘を重ねることが躊躇われるが、このまま一緒にいることもできない。
「青島…」
「室井さんさ、」
言いかけた室井の言葉を遮って、青島は呟いた。
「実家に帰ってこなくなったのって、俺のせい?」
ドキリとした。
―気持ちがバレたのだろうか。
そう思って室井の表情が変わったが、それを見て青島の表情も変わる。
「室井さん、俺のこと嫌いになった?」
「…は?」
眉が八の字になり、口角がすっかり下がっている。
「ここからそんなに遠くないのに、滅多に実家に帰って来ないし」
どうやら気持ちがバレたわけではないと知り、室井は内心でホッとした。
そんな室井に気付くこともなく、青島は言い辛そうに続ける。
「…それに、室井さん、なんかよそよそしくなった」
室井が青島と距離を取ろうとしていたことは、青島も肌で感じていたのかもしれない。
青島に気付かれないようにさりげなく、などということは、室井にできるはずもなかったのだ。
嘘すらすぐばれるのだから、上手に誤魔化せるわけもない。
ただ、青島が勘違いしていることもある。
室井が青島と距離を取りたかったのは、青島を嫌いになったからではない。
「青島を嫌いになる理由が、俺にはない」
これだけは自信を持って言えた。
「…本当に?」
「当たり前だ」
青島はホッとしたように少しだけ表情を緩めたが、どこか半信半疑の眼差しを寄越す。
「でも、なんか、ちょっと…違う気がする」
「大人になれば、多少距離ができても仕方がないだろう」
「それはそうだけど…」
二人が小学生だった10年前とは、どうしたって一緒にならない。
室井の気持ちが何よりの証拠だ。
青島を好きな気持ちは変わらなくても、好きの意味合いは大きく変わってしまった。
それを、大人になったからという言葉で片付けてしまうのは卑怯だが、青島に説明するわけにはいかない。
青島に説明できる時は一生こない。
それでいいのだと、室井は思った。
「中々実家に帰れなかったのは大学が忙しいからだし、君のことは昔と変わらず…」
一旦区切って、室井は眉を寄せた。
「変わらない」
変な日本語になってしまったが、面と向かって好意を口にするだけの度胸がなかった。
それでも室井の言いたいことは理解したのか、青島は小さく笑みを溢した。
「俺のこと、嫌いじゃない?」
もう一度聞かれて、室井は深く頷いた。
「当たり前だろ」
嬉しそうに笑った青島に、室井はもしかしたらと思った。
青島はそれを確認したくて、夏休みを潰してまで室井に会いに来たのではないだろうか。
そうだとしたら、青島に悲しく寂しい思いをさせていたことになる。
「青…」
「じゃあ、俺、帰りませんからねっ」
また言葉を遮られて、室井は目を剥いた。
「あ、青島、それとこれとは…」
「嘘吐いてまで、俺を帰したい理由があんの?」
じろりと睨まれ、室井は顔を強張らせた。
力を入れ背筋をまっすぐに伸ばし膝の上で拳を握る姿は、ほとんど武士のようだった。
「だから、恋人が」
「絶対、嘘です」
「…本当だ」
「信じません」
にべもないとはこのことである。
青島はぴしゃりと言い切って、そっぽを向いた。
何度言おうと信じてはくれないらしい。
「大体、何で今更?この間は恋人なんていないって言ったじゃない」
「あれは…」
君に気を遣って、と言うにはあまりに恩きせがましい。
つい最近できたんだ、と言うには信憑性が無さすぎる。
返答につまり、悩んで、結局諦めて話題を変えた。
「君だって暇だろう」
学生にとって貴重な夏休みの一月を室井の部屋で過ごしたところで、友だちはいないしテレビゲームもない。
貧乏学生だからバカンスにも連れて行ってやることももちろんできない。
精々近所にでかけるくらいで、青島はほとんど室井の部屋から出ることはなかった。
青島にとって、ここにいるメリットがあるとは思えなかった。
「ずっと俺んちにいたってつまらないだろ、俺しかいないし」
「…それで、充分ですけど」
ぼそりと呟いた青島の言葉に、室井は首を傾げた。
どういう意味か飲み込めなかったのだ。
突然、青島がテーブルを叩いた。
「とにかく、まだ帰りませんからねっ」
そう言うとまた床に寝転がり、室井に背を向けた。
「おい、青島…」
声をかけても、もう返事もしない。
家の主としてはさすがに怒っても良い気がしたが、青島が遠慮なくわがままを通そうとする姿に、怒るよりも困っていた。
青島に嘘は通じない。
説得することもできない。
迷惑だと言って、強引に追い出すこともできない。
夏休みが終わるまで、青島から離れられない―。
室井にとっては一大事だった。
永遠にこの苦しみを味わう。
その気持ちは絶望に近い。
酷く大袈裟だが、室井はいたって真剣だった。
なんとかしなければならない。
それが何よりも青島のためである。
振り返らない背中を見ながら、室井は真剣に思った。
どうすべきか悩みに悩んでも、答えは得られはい。
答えは得られないが、やらなければならないことは分かっている。
この部屋で青島と二人きりで一日中過ごすこと。
これだけは避けなければならなかった。




「それで、これが何かの解決になんのか」
ええ?と聞かれて、室井は眉間に皺を寄せた。
今回ばかりは一倉の言う通りで、返す言葉もない。
室井は「用事がある」と言って、青島を残し家を出てきたのだ。
向かった先は一倉の家で、一晩泊めてくれとお願いしたところだった。
青島が出て行かない以上、室井が出るしかない。
もちろん、部屋に帰れば青島がいる。
なんの解決にもなっていなかった。
悩みに悩んだわりに、冷静であるとは言い難かった。
悩みすぎて、脳みそが沸騰してしまったのかもしれない。
「もう、我慢してないで、押し倒してみろよ」
一倉が溜め息まじりに言うから、室井の表情が更に曇る。
「それをしたくないから、ここにいるんだ」
「押し倒してみればはっきりするだろ。嫌がられたら、止めたらいい」
拒まれたら土下座して謝れと言われて、一倉がどういう交際の仕方をしているのか多少気になった。
「できるか、バカ…」
室井は一倉の母が用意してくれた布団を敷きながら、呟いた。
「恋愛ごとなんか、どっちかが動かないと、なんにも始まらないだろ」
呆れた一倉の声に、室井は緩く首を振った。
「始める気なんかない。始まらなくていいんだ」
そもそも始まるわけがないと、室井は思っている。
青島にとって、室井は「兄」なのだ。
血の繋がりはないし、小学生の頃ほど近しいわけではないが、この先も青島にとって室井は「兄」のような存在のはずだった。
「お前さ、どうなりたいわけ?青島と」
自身のベッドの上であぐらを掻いた一倉に見下ろされる。
「呼び捨てにするなよ」
「青島君て呼べってか?少年Aって呼ぶぞ」
いかがわしいから止めてよ!と青島が怒りそうだ。
「……別に、何も望んでない」
「惚れてんのにか」
「俺はアイツの兄でいれたら、それでいい」
「この偽善者」
敷布団にシーツをかけていた手をとめ、一倉を睨む。
「良くないから、ここに逃げてきたんだろ。兄なんかじゃ満足してないくせに、告白する勇気がないのを誤魔化すなよ」
ぴしゃりと言われれば、一倉の言う通りだ。
だが、誤魔化しているわけではない。
兄でいたいというのは本心だった。
「告白してなんになる」
「告白しないで逃げてるよりは有意義だろうよ」
告白は始まりか終りかのどちらかに繋がっているが、告白しなければその道はどこにも繋がらない。
確かに有意義とは言えないだろう。
告白をしてうまくいく、いかなくても気持ちに整理がつく、相手に気持ちを知ってもらうことで楽になれるかもしれない。
「…俺はそれでもいい」
「あん?」
「その後の青島は?一方的に気持ちを押し付けられて、受け入れられない青島はどうするんだ」
告白をすれば今まで通りの関係には戻れない。
青島に嫌われたくないという自衛の気持ちはもちろんあるが、それだけではなかった。
その後の青島がどんな思いを抱えることになるか。
それを考えたら、怖くて告白などできなかった。
室井は青島の兄でいられなくなることが怖かったのだ。
告白をすれば、青島を悩ませることになるだろう。
室井を嫌わないまでも、信じていた室井に裏切られてショックを受けるかもしれない。
室井にとって長い間青島が弟であったように、青島にとっても室井は兄であるはずだった。
青島は兄を失うことになる。
関係を絶ってしまえば、青島に何もしてやれなくなる。
室井はそれが嫌だった。
青島が困った時に頼れる人でありたい、いつだって青島の味方でいたかったのだ。
この先もずっと。
時間をかけて気持ちを整理したら、また昔のように可愛い弟として青島を想える。
室井が望んでいたのは、それだけだった。
「…お前がどんだけ青島を好きかは良くわかった」
一倉が呆れ気味に、だけど感心したように言った。
「だからってお前、聖人君子でも、出家した坊さんでもあるまいし」
「当たり前だ。こんなに煩悩にまみれた聖人君子なんかいるか」
自嘲気味に呟いた室井に、一倉は溜め息をついた。
「そこまで我慢する意味あんのか」
一倉には室井の気持ちが理解できても、共感することはできないのだろう。
自分の気持ちを押し殺して、我慢して、下手な嘘までついて、そうまでしても室井には守りたいものがあった。
青島との関係を守れるなら、室井には意地を張り続ける意味が十分あった。
「俺には意味がある」
これ以上言っても無駄と悟ったのか、一倉は分かったと頷いた。
そして、一つだけ忠告をくれた。
「言っておくが、今現在、お前の大事な青島は傷付いていると思うぞ」
室井は眉間に皺を寄せ、分かっていると頷いた。
帰らないと言い張る青島を部屋に残し、室井は一倉の部屋に泊まるのだ。
青島がそのことをどう受け止めるにせよ、嬉しく感じているわけがない。
少なからず傷付けただろう。
それも今だけのことだと、室井は自分に言い聞かせた。
少なくても、室井が青島に告白して付ける傷よりも、今の青島の傷の方が後をひかないはずだ。
青島はもちろん室井ももっと大人になり、ほどよい距離感を保ちながらつかず離れず付き合っていけるようになれば、お互いに痛みを感じることもなく共に過ごせる時がくる。
それまでの我慢だと、思いたかった。










NEXT

2007.6.5

あとがき


冷静なのかテンパってるのか、分からない室井さんになってしまいました;
でも、とにかく青島君が大事で大事で仕方が無い室井さんに
なっていると良いなーと思います。
…なってますかね?(^^;

なんだか室井さんの思考回路がぐちゃぐちゃしたお話になってしまったな(汗)
もうちょっとスッキリ書けたら良かったのですが…申し訳ありません;

でも、一人にされた青島君を思ったら、
やっぱりダメかもしれない、この室井さん(自分で書いておいてアンタ;)


次で終わります!
今週中に完結できたらいいな!



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