「よぉ」
ドアを開けたら、一倉が立っていた。
ニヤニヤ笑っている一倉に腹立たしい気分になりながらも、今日は追い返せない。
室井は無言で身体をずらし、一倉を部屋にあげる。
床にひっくり返ってテレビを見ていた青島は、身体を起こした。
「あれ?この間の…」
「一倉だ。この前はアイスどうもな」
「いや、あれ、室井さんの金だし…」
首を振る青島に、一倉はビニールの袋を差し出した。
「土産だ」
「あ、ありがとうございます……って、酒ばっかですけど」
それがどうかしたのかというふうに見下ろしてくる一倉に、青島は苦笑して室井を見た。
「冷蔵庫、入れておきますね」
冷蔵庫に缶ビールやら缶チューハイやらをしまう青島を一別し、室井は溜め息をついた。
「酒盛の予定はないぞ」
「じゃあ、男三人が雁首揃えて夜通し何する気だよ」
呆れたように聞き返されて、室井は返事に困る。
確かに、室井だって一倉と夜通し遊ぼうと思えば、酒を飲むくらいしか浮かばなかった。
素面で語り明かせるほど語りたいこともありはしないし、それ以前に一倉とそんなことをするのは気色が悪い。
一倉の言葉を否定できないと悟ると、室井は諦めつつも釘を刺した。
「…青島もいるんだから、はめを外すなよ」
「それはお前の方じゃないのか?」
意味深に聞き返されて一倉を睨んだが、一倉は肩を竦めただけだった。
室井を無視し、青島に話しかける。
「悪いな、急に邪魔して」
冷蔵庫のドアをしめると、青島はニコリと笑った。
「いえ、俺こそ、ずっといてすいません」
「いやいや、室井の貴重な幼馴染みなんだから、遠慮するなよ」
その通りではあるが、「あいつ友達少ないから貴重なんだ」と言われると、室井の眉間に皺も寄る。
青島は困ったように笑いながら、室井と一倉を見ていた。
先日は無碍に追い返した一倉を、改めて呼んだのは室井自身だった。
夕べ青島が風呂に入っている間に電話をして呼び付けたのである。
青島と会わせたくないという、保護欲なのか独占欲なのか分からない感情で追い返したくせに、今度は自ら泊まりに来いと呼び付けたのである。
理由は簡単。
二人きりの夜に、息がつまりそうだったからだ。
青島と話すことがないとか、沈黙が耐えられないとか、そういう理由ではなかった。
ただ単に、理性と戦いながら青島と普通に接する行為がしんどくなっただけである。
この際、一倉でもいいからいてくれた方が、気が紛れていいと思ったのだ。
気休めにしかすぎないとはわかっている。
青島が帰るまで、一倉にずっといてもらうわけにもいかない。
だが、一時でも気を緩められる時間が欲しかった。
それだけ、常に力を入れて生活しているということだ。
そうしていないと、どこかに綻びができる。
過ちを犯す。
それが怖かった。
本来なら一倉なんかに微塵も頼りたくはないが、こんな時に呼べる友人は一倉くらいしかいなかった。
根掘り葉掘り聞かれるかと思ったが、一倉は何も聞かずに素直にやってきた。
もしかしたら、既にある程度、室井の状況を理解しているのかもしれない。
「ビデオでも借りてくるか」
言ったのは一倉だった。
夕飯の弁当やら酒のつまみやらを買いに外に出たから、そのついでにレンタルして行こうと言い出したのだ。
一倉を呼び付けたはいいが、特に何をして過ごすとも決めていない。
酒を飲みながら映画でも見るのも悪くはないだろうと思った。
「いいっすねー、何見ます?」
「んー、やっぱりAVか?」
一倉の提案に、室井は顔を顰め、青島は呆れた顔をした。
「却下だ」
「なんでだ」
「いや、普通に考えて、ないでしょ」
「普通に考えれば、男なら興味あるだろ。ん?」
どうだとばかりに青島に問うから、青島は困った顔をした。
「そりゃあ、ありますけど…」
素直に肯定するから、室井は何もない道で躓きそうになった。
青島だって男だから当然だが、青島の口から聞くと妙にドキドキする。
思えば、青島と下ネタと呼ばれるような会話をしたことがない。
室井がその手の話題が得意ではないからだ。
「俺、18歳未満だし」
「見たことないわけじゃないんだろ?」
「…でも、このメンツで見るっておかしいでしょ」
「どうせなら一人で見たいってか、このスケベ」
「いや、そうじゃなくて!」
青島も見たりするんだろうかと一瞬想像し、室井は本当に躓いた。
横から青島の手が伸びてくる。
「わっ…室井さん、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ、ありがとう」
青島の手からやんわりと逃れる室井に、一倉は声を出さずに笑った。
室井はムッてきて、一倉の背中に拳をいれる。
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと行くぞ」
「ハイハイ…AVはまた今度な、青島」
保護者がうるさいからと言った一倉に、青島は苦笑した。
「遠慮しますって」
もちろんだと、室井は内心で思った。
そんなものの鑑賞会を青島とするなんて、理性がいくらあっても足りない。
室井と一倉はビールを、青島はチューハイを飲みながら、青島を挟み三人仲良く並んでビデオを見ていた。
結局は各自見たいビデオを一本ずつ選んだので、一晩で三本の映画を見なくてはならなくなった。
一本目は余裕だが、二本目辺りから少ししんどくなってくる。
三本目にもなると目と頭が疲れて、話も中々頭に入ってこない。
「…誰だ、こんな頭使う映画借りたの」
一倉がぼやいた。
最後の映画は、室井が選んだサスペンス映画だった。
ストーリーが難解で、登場人物も多く、一倉がぼやきたくなる気持ちも分かるが、素直に認めるのも癪である。
「お前も見たかったと言ったじゃないか」
「そうだが、夜中に三本立てで見るような映画じゃなかったなぁ」
やれやれと呟いてビールを飲む。
「順番、間違えましたかね」
ピーナッツをつまみながら青島が言うと、一倉は反論した。
「最後がアクション映画ってのも、どうかと思うぞ」
「それを言うなら、メロドラマみたいな恋愛映画の方が最悪だと思うが」
青島が選んだのがアクション映画で、一倉が選んだのが恋愛映画である。
ちなみに一倉の選択は室井に対する嫌がらせだっただけだ。
尤もあまりにベタベタな恋愛映画だったため、一倉自身「ムネヤケしそうだ」と溢し、自爆していたが。
「面白いには面白いんすけどね…」
青島が欠伸まじりに呟いて、また三人とも映画に集中する。
頭は大分重たかったが、確かに話は面白い。
集中力の維持に苦労はするのが難点だ。
しばらく三人とも黙って映画を見ていたが、不意に青島の身体が傾いだ。
「おっと」
傾いできた身体を一倉が支えると、青島は寝惚けた顔で一倉を見た。
「…あ?俺、寝てました?」
一倉は苦笑した。
「そうみたいだな」
ちらりと室井を見て吹き出すと、わざとらしく青島の肩を抱く。
「膝枕してやろうか?」
青島は笑いながら首を振った。
「いりませんよ、寝心地悪そうだもん」
「失礼なヤツだな、なら腕枕してやろうか」
俺の彼女は喜ぶぞと言うと、青島は薄っすら赤面した。
酔っているせいではなくて、一倉が彼女に腕枕をしている状況を想像し、照れたのだろう。
室井は無意識に青島の腕を掴んで、一倉の腕の中から引っ張り出した。
力一杯引っ張り出したため、青島の身体が今度は室井と密着する。
「わっ……室井さん?」
青島は目を丸くして室井を見ていた。
「な、何で、そんな怖い顔してんの」
驚いて凝視してくる青島を見て、室井はようやく自身の顔が強張っていることに気が付いた。
不可抗力なのだろうが、一倉が青島に触れているのが我慢ならなかったのだ。
青島の向こうでは一倉が爆笑しているから、室井の心中などお見通しなのだろう。
爆笑する一倉と鬼のような形相の室井に挟まれ、青島は困惑していた。
笑っている一倉は放っておいて、室井はなるべく普通に話すよう心掛ける。
「元々、こういう顔なんだ」
「いや、いくら室井さんでも、こんな怖い顔、中々しないよ」
「…それはどういう意味だ」
また一倉が笑っている。
青島は真顔で、少し不安そうに室井を見上げた。
「俺、なんかしました…?」
「…っ」
室井は唐突に青島の両肩を掴み、身体を離した。
今更、青島と身体が密着していることに、すぐ目の前に青島がいることに気が付いたのだ。
今までは嫉妬心で気付かなかったのである。
今度は赤面した室井に、青島がまた困惑した。
「室井さん?」
「なんでもない」
「…でも」
「室井も酔っ払ったんだろうよ」
笑いながらではあったが、一倉が助け船を出してくれる。
「ほら、続きを見よう」
さすがに室井が不憫に思えたのかもしれない。
感謝する気にはならなかったが、助かったのは事実だった。
青島が首を傾げながらテレビを見ると、室井も形だけそれに倣った。
映画の内容は、それ以上頭に入ってこなかった。
背中が寒い。
室井は寝惚けた頭で思った。
次いで、胸元に温もりを感じる。
布団をちゃんと被っていないせいかと思い、胸元の温もりを手繰り寄せるように抱き締める。
「……?」
それが布団ではない感触だと理解するのに、いくらか時間がかかった。
室井はゆっくり目を開けて、目を剥いた。
目の前には青島がいた。
室井の胸に寄り添うように眠っている。
その身体を室井は抱き締めていたのだ。
―なぜ。
―どうして。
困惑した室井の視界に、同じように横になって眠っている一倉の姿が見える。
明け方まで三人で映画を見て、結局そのまま雑魚寝した。
もちろん寝た時は、青島は腕の中にいたりはしなかった。
青島が寄り添ってきたのか、室井が引き寄せたのか、いつの間にか青島を腕に抱き込み眠っていたらしい。
室井は赤くなるより、青くなる勢いで、青島から離れようとした。
青島の肩を掴み、離そうとした瞬間、青島の腕が室井の背中に回った。
「…ぅん…」
小さく漏れた寝息に硬直する。
見下ろせば、室井の胸に寄せられた穏やかな寝顔が見えた。
前髪から覗く額や、微かに震える長い睫、薄く開いた厚みのある唇。
どうしても視線を逸らせなくなる。
室井の心臓がやけに存在を主張していたが、室井自身は全く気が付かなかった。
そっと片手を伸ばし、青島の前髪を梳く。
剥き出しになった額を撫ぜ、頬に触れた。
暖かく、滑らかな肌に触れ、親指の先で唇に触れた。
―触りたい。もっと、いっぱい。
室井の頭にあるのは、それだけだった。
触れた指先で唇をなぞると、青島の吐息が触れた。
それにすら、もっと触れたい。
室井は顔を覗き込むように首を曲げた。
すぐ目の前にある唇を、触れる直前まで見つめて、目を閉じた。
本当に一瞬触れるだけのキス。
次の瞬間には、室井は目を剥き、仰け反るようにして青島から離れた。
背中に回されていた青島の腕さえもふりほどいて壁際まで後退する。
「俺は……今何を……」
自分自身でも、それが理解できない。
理解したくなかった。
―何をしたのか?
そう自分に問えば、答えは一つしか出てこないのに。
―青島にキスをした。
室井は口許を手で覆った。
「なんてことを…」
眠っている青島に、勝手に触れた。
いくら青島を好いていても、絶対にしてはならないことだった。
好きになってしまったことは仕方が無いことだった。
傍にいれば好きにならずにいられなかった。
室井にとって、青島はそういう人間だったのだ。
だからといって、無断で青島に触れることなど、問題外である。
今度こそ青島に申し訳が無かったし、自分自身恥ずかしくて情けない。
こんなことが起こらないように、一倉を頼ってまで、ずっと我慢していたのに。
大事にしたい一心で、ずっと耐えてきたのに。
それなのに―。
あっさりと触れてしまった。
悩む隙もなく、罪悪感を抱くこともなく、緊張する間もなく。
当たり前のように、青島に触れた。
理性が働かなくなった証拠である。
それをようやく、はっきりと悟った。
「…もう限界だな」
室井は握り締めた拳を額に押し当てて俯いた。
そのまま、眠ることなく朝を迎えた。
NEXT