■ 幼馴染(6)


アルバイトを終えた室井は、自宅に向かってまっすぐ歩いていた。
歩きながら溜め息が出る。
なんとなく心が重かった。
家に帰れば青島がいる。
そのことにはもう慣れたが、それが嫌なのかといえばそうではなく、嬉しいのかといえばこれまたそうではない。
正直に言えば、嬉しいのだ。
だからこそ困っていて、困っているから嬉しいとは言い難かった。
気持ちが重たいわりに、足取りは随分軽い。
室井が嫌がっていない証拠である。
心でどんなに青島を遠ざけようとしたところで、青島に対して好意がある以上それも難しかった。
気が重くても足取りが軽ければ、目的地にはすぐにつく。
室井は自宅アパートの前まで来て一度足を止めたが、ここまで来て躊躇っても仕方がない。
再び足を動かすと、自分の部屋に向かった。


「ただいま……?」
ドアを開けてすぐに、異変に気付く。
部屋が焦げくさい。
「青島?」
「あ、室井さん、すいませ〜ん」
玄関からは壁で死角になっている台所から、青島がひょっこり顔を出した。
靴を脱ぎ部屋にあがる。
「すいません、鍋焦がしちゃって…」
青島は台所で鍋を洗っていたらしい。
手元を覗き込むと、鍋の底が真っ黒だった。
青島の顔を見ると、申し訳なさそうに眉を寄せている。
「すいません、あのー」
「怪我は?火傷しなかったか?」
「え?あ、はい、大丈夫です」
「なら良かった」
ホッとして室井は青島の手から鍋を取り上げた。
真っ黒な鍋底を見て、苦笑する。
これはもう再起不能である。
一生懸命洗うだけ無駄だ。
「室井さん帰ってくるまでに、飯くらい作ろうと思ったんだけど…」
青島は気まずそうに頭を掻いていた。
見れば、流し台の上に、カレールーの箱が置いてある。
室井は不思議そうに首を傾げた。
「カレーを作ろうとしたのか?」
「ええ、まぁ」
「それでどうやって焦がしたんだ?」
「……どうやってでしょ?」
一緒に首を傾げた青島に、室井はとうとう吹き出した。
普通に考えれば、カレーを作る過程で鍋を焦がすなんて有り得ない。
ましてや、ルーをいれる前に鍋を焦がしている。
「…器用だな」
堪えきれない笑みを溢しながら言うと、青島は情けない顔をしたが文句は言わなかった。
申し訳ないことをしたと思っているのだろう。
室井は笑いを引っ込めると、青島の頭を乱暴に撫ぜた。
「気にするな、どうせ安物の鍋だ」
「でも…」
「君が怪我してないなら、いい」
言ってから、思い出してもう一つ付け足す。
「俺に気を使わなくていいから、くれぐれも怪我をしないように気を付けてくれ」
青島の気持ちは嬉しいし、青島がしたいなら料理くらいしたって構わないが、怪我をされたら堪らない。
それだけ気を付けてくれたら鍋くらい、多少焦がされても気にはしなかった。
「今度、料理教えてくださいよ」
青島は大きな目で室井は見ていたが、やがて屈託なく笑った。
「居候の身だし、何か手伝いたいし…いや、それで鍋ダメにしちゃったけど」
自分で自分に突っ込みをいれる青島に、室井は苦笑した。
「気にしないでいいって」
室井のために食事を作ろうとしてくれたのだから、室井に青島を責められるわけもない。
―自分のため。
改めて考えると、少し照れ臭く、大分嬉しい気がした。
今更、じんと感動していると、青島が上目使いで見てくる。
「本当ですよ?」
「なにが…」
「室井さんのために、何かしたいんです」
大きな瞳に見つめられて、否が応にも心拍数があがる。
顔が赤くなっているかもしれないと思ったが、緊張のせいかむしろ幾分白くなっていた。
とつとつと語る青島の声を、室井は少し遠くから聞いていた。
「俺ね、室井さんが家を出てから、色々考えちゃって」
室井は家を出る前から随分考え、悩んでいた。
「離れてみて、室井さんに世話になりっぱなしだったなぁって思ったんです」
好きで世話をしていたのだ。
室井こそ青島のおかげで幸せな時間を得ていたのだから、お互い様である。
「だから、今度は俺が……って、室井さん?」
聞いてる?と小首を傾げた青島に、室井は思い出したように頷いた。
「だからね、室井さん」
「なんだ?」
「俺にして欲しいことない?」
聞かれた瞬間の室井の脳内は、大変素直だった。
触りたい、抱きしめたい、キスをしたい、それ以上のことも―。
およそ、煩悩と呼ばれるものしか浮かばず、室井は今度こそ赤面した。
「…室井さん?」
目を丸くした青島の視線から逃れるように、室井は顔を背ける。
「なんでもない」
「なんでもないって……顔、真っ赤ですよ?」
「今日は外食にしよう」
「は?」
露骨に話を変えた室井に、青島はついていけずに戸惑っている。
室井が動揺している理由が分からないのだろう。
もちろん、分かってもらっては室井が困る。
室井は入ってきたばかりの玄関に向かう。
その後を青島が慌ててついてきた。
「ね、室井さん」
「別に何もしなくていい」
靴を履きながら言う。
「君は…」
いてくれるだけで、だなんて死んでも言えない。
ましてや、ずっと側にいられても困る身だ。
幸せな拷問である。
「…なんでもない」
室井はそれだけ言って、先に玄関を出た。
「ちょっと、室井さーんっ?」
困った青島の声が追って来た。


***


高校から帰宅する途中、室井は自宅近くで足を止めた。
数メートル先に、人影が見えた。
隣の家の前に、青島の姿が見える。
中学校の制服を着ているから、青島も帰宅したばかりなのだろう。
いつもならすぐに話しかけるが、今日は躊躇われた。
青島が一人じゃなかったからだ。
同じ学校の制服を着た女の子が一緒だった。
女の子は恥ずかしそうに俯いていて、青島は困ったように頭を掻いている。
ただの友達、という雰囲気ではなかった。
室井がなんとなく動けずにいると、女の子は青島に手を振り、室井の方に歩いてくる。
女の子とすれ違う瞬間、室井は一瞬息苦しさを感じた。
「…?」
理由が分からず首を傾げる。
ふと気付くと、青島が室井を見て目を丸くした。
視線がぶつかって、思い出したように足を動かす。
傍まで行くと、青島は笑った。
「おかえんなさい」
「…ただいま」
同じ家に帰るわけではないが、夕方顔を合わせると、なんとなくこの挨拶になる。
挨拶したきり、次の言葉がどちらからも出てこない。
それは珍しいことだった。
「えーと…」
室井と向かいあったまま、青島は首筋を撫ぜた。
「見てました?」
女の子と話し込んでいた姿なら見た。
室井は頷いた。
「彼女か?」
自分の口から出た質問に、自分で驚く。
そんなことを聞くつもりは全く無かった。
それでも、口から溢れ落ちるくらいだから、気になっていたということだろうか。
言った室井自身驚いたが、言われた青島の方が更に驚いたようだった。
軽く赤面して首をぶんぶんと振る。
「いや、そんなんじゃないよっ、そんなのいないし」
照れている青島をみれば、確かにまだ早い気もした。
青島はまだ中学生になったばかりだった。
女の子と付き合うより、したいことも多いだろう。
「そうか…」
「クラスの子です」
言いながら、青島は学生服のポケットに何かを押し込んだ。
手紙らしきものだったように思う。
だとしたら、先程の彼女にもらったものだろう。
女の子がわざわざ自宅までやってきて渡す手紙など、その内容は鈍い室井でも理解できた。
室井はまた息苦しくなった気がした。
「室井さん?どうかした?」
急にぼんやりとしてしまった室井に、青島は小首を傾げた。
室井は慌て首を振る。
「いや、何でもない」
「そう?」
「ああ……久しぶりに、家で飯食ってくか?」
ちょっと唐突なお誘いだったが、青島は嬉しそうに目を輝かせた。
室井が高校に進学してからは、一緒に過ごす時間が少し減っていた。
室井も青島も、成長すれば自分の世界が出来る。
多少距離ができるのも仕方のないことだが、急にそれが寂しく感じた。
「行ってもいいの?」
嬉しそうに聞き返す青島を見たら、寂しさも吹き飛ぶ。
室井は微笑した。
「ああ…母さんも喜ぶ」
「じゃあ、着替えて行きますねっ」
また後でと家に入る青島を見送って、室井も自分の家に入る。
母親に青島が来ることを告げると、幼少の頃と変わらず青島を猫可愛がりしている母親は、予想通りに喜んだ。
そんな母親に苦笑して、室井は自分の部屋に向かと、ブレザーを脱ぎ私服に着替える。
ネクタイを外して、ワイシャツのボタンをはずしながら、手を止める。
―あの子と、付き合うのだろうか。
ふと思った。
思ったら、今度は酷く息苦しくなる。
誰と交際しようと青島の自由で、室井には関係がない。
兄弟のように過ごしてきたから、室井にとって青島は弟のような存在だった。
青島に好きな女の子ができ、より良い関係を築けるのなら、祝福してやればいいだけのことである。
単純で簡単なことだ。
室井が悩むことなど、何一つない。
なのに、何かがひっかかる。
青島の隣にあの女の子が並ぶ。
その様を思い浮かべると、急激に胃の辺りが重たくなった。
―見たくもない。
一瞬頭に浮かんだ感情に、室井は自分で驚いた。
―何故、どうして、そんなことを。
青島を妬んでいるのだろうかと考える。
だが、室井は今のところ恋人が欲しいと思ってもいなかった。
ならば、青島を妬む理由がない。
やはり、喜んでやるべきなのだ。
青島が好きな人と結ばれるなら―。
―そんな姿、見たくもない。
室井は硬直した。
「俊君来たわよー」
下から母親が呼ぶ声がすると、室井の体がビクリと跳ねた。
「…すぐ行くっ」
考える隙など無いとばかりに慌しく着替え、室井は部屋を出た。


その日の晩、室井は青島の夢を見る。
顔も分からない女の子が、青島の隣にいた。
その女の子に、青島が楽しそうに笑いかける。
ただそれだけの夢。
それだけの夢なのに絶望的な気分で目覚めて、室井は初めて知った。
自分の気持ちを―。


***


酷く懐かしい夢を見て、室井は目を覚ました。
あれは室井が高校2年生の時のことで、実際にあったことだ。
今でもはっきりと覚えている。
自分の気持ちを自覚した時のことは、忘れようにも忘れられない。
「…はぁ」
暗い部屋の中で溜息を吐くと、すぐ傍で人が動く気配がした。
もちろん青島だ。
寝袋の上で半身を起こしこちらを見ているのが、シルエットで分かる。
「眠れないの?室井さん」
「あ、いや…起こしたか?」
「いえ…」
小さく呟いた青島が、また動いた。
寝袋から出ると、床に手をついたまま室井の傍に近付いてくる。
何を期待しているのか、室井は飛び跳ねた自分の心臓を嫌悪した。
なるべく平常心を保って、声を出す。
「青島?どうかしたのか?」
「そっち、行ってもいい?」
言いながら、青島が布団の上に乗り上げてくる。
さすがに自制する間もなく、心臓がドラムロールのように激しく鳴った。
平常心など、保てるわけもない。
「あ、青島?」
声が裏返ってしまったが、室井はもちろん青島も気にしていなかった。
暗い部屋なのに、青島の顔が見える。
それだけ近くにいたのだ。
「室井さん…」
青島の手が室井の肩を押した。
青島が室井の身体に圧し掛かってくる。
もう、室井の喉からは、裏返った声すらでなかった。
「ね、室井さん…俺、ずっと室井さんのこと……」
それ以上は聞いていられなかった。
室井は青島の後頭部に手を回し、引き寄せ唇を塞ぐ。
思う様口付けて、そのまま身体を入れ替え、青島を押し倒し―。


飛び起きた。
「っ!」
狭い寝袋の上で、慌てて上半身を起こす。
部屋の中は薄明るく、もうじき朝になるといった時間帯だ。
室井は荒い呼吸を落ち着けるように、深呼吸を繰り返した。
忙しない呼吸とは別に、もう一つ健やかな寝息が聞こえる。
恐る恐る振り返ると、青島が布団の上で、布団から少しだけはみ出し眠っていた。
もちろん、寝巻き代わりのTシャツとスエットをちゃんと着用している。
幸せそうな寝顔を見ると、室井は視線を逸らした。
そして、頭を抱える。
とんでもない夢を見てしまった。
自分の浅ましい夢に嫌悪感すら覚える。
青島が自分に迫り、告白めいたことを口にし、あまつさえ―。


青島を好きだ。
それは室井自身認めている。
惚れているからには、欲望がないだなんていわない。
欲望があることを知っていたからこそ、離れようとしていたのだ。
こんな自分を青島に知られたくはなかった。
しかし、隣に寝ている青島の浅ましい夢を見るくらいだから、知られるのも時間の問題かもしれない。
自分の理性に自信も持てなくなってきている。
こんな夢を見るくらいだから当然だろう。
やはり、気持ちを隠したまま、一月も同じ部屋で暮らすことは無理があったのだ。
だからといって、青島を追い出すわけにもいかない。
理由がない。
青島には、室井に部屋を追い出される理由がないのだ。
その理由を室井が告げることができない限り、青島が知る由もない。


―どうすべきなのか。
室井はそれ以上眠ることもできずに、頭を抱えていた。










NEXT

2007.5.30

あとがき


室井さんがどんどん追いつめられていってる…感じが伝わっていると良いのですが;

折角なので、子供の頃の二人をもう一度くらい書きたいなぁ。
どこかで書けたら書きたいです!

カレーを作る過程で鍋を焦がす青島君。
ある意味器用です(笑)
全然関係ないですが、私は肉じゃがをお水を入れないで作ったことがあります。
良く焦がさなかったなぁ(それ以前に、良く火が通ったよ;)


大分終わりが見えてきました。
全9話目指しております。
もう少々お付き合いくださいませ〜っ。



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