室井は呆然としていた。
目の前には青島がいる。
―なんでここにいるんだ?
目下のところ、頭の中にはそんな疑問しか浮かばない。
軽くパニックに陥っている室井には、現状が全く理解できなかった。
そのくせ気付けば青島を部屋に上げ、小さなテーブルを前に座らせ、冷たいウーロン茶を出してやっていた。
ほぼ無意識だったと言っていい。
「久しぶりっすね」
青島が朗らかに言った。
「そう、だな」
室井はぼんやりと頷いた。
青島と最後に会ったのは、正月に実家に帰った時だった。
それ以来だから、半年以上会っていない。
室井の予定では、今後当分会わない予定でもあった。
「元気でした?」
聞かれて、機械的に頷く。
「変わりない」
「そりゃ、良かった」
「…君は?」
成り行き上というだけではなく聞き返したら、青島は嬉しそうに笑った。
「見ての通り、元気元気」
その顔を見たら、思い出したように胸が苦しくなる。
―青島がいる。
そのことがようやく理解できた気がした。
「青島、」
「意外だなぁ」
何故ここに来たのか尋ねようとしたが、青島に言葉を遮られる。
仕方がないから、室井は返事を返した。
「なにがだ?」
「意外と部屋が散らかってる」
青島の指摘に、室井はハッとした。
動転していてすっかり忘れていたが、辺りを見渡せば、一倉と空けた日本酒の瓶やら空き缶やらが転がっている。
初めて室井の一人暮らししている部屋に来た青島には、室井がだらしなく生活しているように見えたかもしれない。
―言い訳しようか、どうしようか。
室井がどちらでも良いようなことを考えていると、青島は吹き出した。
「眉間、寄ってますよ」
青島が自分の眉間を指差し笑うから、室井は仏頂面で眉間を押さえる。
いつもの室井の癖だが、青島には時々からかわれた。
昔から、そうだった。
「冗談っすよ」
「…何が」
「室井さんの部屋、いつもこうじゃないんでしょ?」
一人暮らしだからって室井さんがだらしなく過ごしているとは思えないと言われる。
実家の室井の部屋には何度となく遊びに来ていた青島だったから、そう思ったのかもしれない。
事実、夕べの名残を除けば、室井の部屋はキレイになるはずだった。
「誰か、来てたんですか?」
室井が酒に強いことも青島は知っているが、一人で飲み散らかしたわけではないと判断したのだろう。
「朝方まで友人と飲んでたんだ」
「そうですか……あ、じゃあ、起こしちゃいましたね」
すみませんと謝られても困る。
起こされたことに怒れるような時間ではないし、そんなことなど気にも止めていなかった。
「気にしないで良い…それよりも」
なんでここにいるのかが知りたかったのだが、青島は室井の胸中など気にしたふうもなく、部屋の中をきょろきょろと見回している。
「ワンルームかー、狭くないですか?」
「…いや、一人で住むぶんには、特に」
「ああ、まぁ、そうかー、室井さんの部屋、余計な荷物もないっすもんね」
荷物と言われて、青島が持ってきていた荷物に何となく目がいく。
大きなスポーツバックである。
どこかに出かけるのだろうかと思った室井は、まだ脳みそが働いていなかったようだ。
「もう一人くらい増えても、大丈夫ですよね」
不意に青島が言った。
その意味が室井には分からない。
きょとんとしている室井に、青島はニコリと笑った。
「俺、今日から夏休みなんです」
室井の大学と一緒で、青島の通う高校も今日から夏休みらしい。
「…そうか、奇遇だな」
室井にはそれしか言える言葉がなかった。
それがどうかしたのだろうかと思う程度に、室井は察しが悪かった。
「だからですねー」
青島は自分で持ってきたスポーツバックをポンポンと叩いて見せた。
「夏休みの間、ここに泊めてもらおうと思って」
これ以上ないくらいはっきりと青島は自分の意思を言葉にしていたが、それでも室井は言われた言葉をとっさに理解できなかった。
察しが悪いせいではなく、驚き過ぎたせいだ。
「と、泊まる?」
「ええ」
「どこに」
「ここ、室井さんちに」
「誰が」
「俺がですってば」
呆然と確認する室井に、青島は苦笑してゆっくりと繰り返した。
「夏休みの間だけ、室井さんち泊めてください」
室井は目を剥くと、首を振った。
「いや、それは…っ」
困ると言おうとしたが、
「迷惑、すか?」
不安そうに尋ねてくる青島に、ぐっと言葉を飲み込む。
迷惑かと聞かれれば迷惑ではないが、青島が室井の部屋に夏休み中泊まるのはすこぶる困る。
ワンルームに一人暮らし。
そこに青島を泊める。
確かに一人増えたら狭くなるが、室井にとって問題なのはそんなことではなかった。
泊まる人間が青島であること、それが大問題なのだ。
だが、青島にそう告げるわけにはいかなかった。
だからといって、迷惑だなんて嘘もつけない。
室井は尤もらしい言葉を選んだ。
「さすがに二人で住むには狭いだろ」
「あ、大丈夫大丈夫、邪魔にならないように隅っこにいますから」
「俺はバイトがあるから昼中はいないことも多いし」
「適当にしてますから、大丈夫ですよー」
「布団もないし」
「それも平気です」
そう言って、青島は大きなスポーツバックの中から、なんと寝袋を取り出した。
「これで寝ますから」
呆気に取られた室井は、思わず尋ねた。
「まさか、家出して来たんじゃないだろうな」
「まさか!ちゃんと室井さんのとこ行ってくるって言ってきましたよ」
迷惑かかるからやめなさいとは止められましたけど、とバツが悪そうに頭を掻いている。
「おばさんに、室井さんも今日から夏休みだって聞いたから…」
室井の母から聞いたらしい。
「夏休みは暇だったんで…来ちゃいました」
悪びれて笑う青島に、室井は一瞬思った。
―可愛い。
そして、慌てて首を振る。
そんなことを考えている場合ではなかった。
「やっぱり、迷惑でした?」
また不安そうに問われて、返事に困る。
「…会いにきたら、まずかったですか?」
俯きがちになった青島に、室井は思わず即答した。
「そんなことはない」
その言葉に、青島の表情が輝く。
更に断り辛くなりしまったとは思ったが、嬉しそうな青島を見ていれば何も言えなくなる。
「室井さんと久しぶりに話したくて」
はにかんだ青島に、室井は密かに拳を握りしめた。
絶対後悔する。
しんどい思いをする。
分かってはいても、室井に青島を追い返すことなど、できるわけもなかった。
「…狭いけど、我慢してくれ」
了承の意を伝えると、青島は大きな目を三日月にして、嬉しそうに笑った。
それは、室井が大好きな笑顔だった。
青島は、室井の実家の隣に住んでいた。
所謂幼馴染というヤツである。
その付き合いは、青島の家族が青島が幼稚園の頃に引っ越して来て以来だから、10年以上の付き合いになる。
人見知りをしないどころか、大層人懐っこい青島は、四つ年上の室井に臆することもなく、すぐに懐いてくれた。
社交的な性格は、幼児期から変わりない。
それとは対称的に、昔から決して社交的とは言えない室井だったが、懐いてくる青島には好意を持ち素直に可愛がった。
妹しかいなかった室井にとっては弟のような存在だったのかもしれない。
室井が小学校を卒業するまで一緒に登校をし、卒業した後も家が隣同士ということもあって、良く遊んでいたし仲はすこぶる良かった。
思春期の頃の四つの年齢差というのは大きなもので、いくら自宅が隣同士でも互いに距離ができてもおかしくはなかったが、室井が高校生になり青島が中学生になっても、関係は変わらずに続いていた。
それは、室井が大学に進学し実家を出で、物理的な距離があくまで変わらなかった。
表面的には変わらなかった。
実際は、室井が実家に帰りたくない理由は、この青島にあった。
―嫌いで顔も見たくない。
そんな理由ではなかった。
むしろその逆である。
室井は青島が好きだったのだ。
それは友人として、幼馴染みとしては、到底行き過ぎた愛情。
そのことに気付いたから、室井は青島から離れたかったのだが―。
―まさか青島の方から来るとは。
室井は目の前で興味深そうに部屋を眺めている青島を見ながら、内心では引き続き困惑していた。
青島が押し掛けてくることなど、室井は想像もしていなかった。
追い返すことはできない。
傷付けなくないし、嫌われたくもない。
いくら自分から距離をおいたって、嫌われるのはごめんである。
そんな勝手な室井の胸中など、青島は知る由もない。
だから、室井の一人暮らしする部屋までやってきたのだ。
一月も泊まると、言っているのだ。
室井が無表情の下で心底困っていると、青島が室井を見てニコリと笑った。
「久しぶりっすね」
何度目かの台詞だった。
久しぶりに室井さんに会えて嬉しい。
ただそれだけを伝えてくる笑顔にまた胸が苦しくなる。
「…元気そうで良かった」
小さく伝えると、青島は大きく頷きやっぱり笑った。
「室井さんもっ」
これから、一ヶ月。青島は室井の部屋に泊まるという。
狭い部屋に二人きりで一ヶ月。
室井は気が遠くなりそうなほど長い一ヶ月になるだろうと思った。
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