そろそろ寝ようかとベッドに潜り込んで、5分と経たずに物音に気が付いた。
物音は玄関から聞こえてくる。
泥棒か?と思うより先に、合い鍵の持ち主が頭に浮かび、ベッドから這い出た。
電気が消えていたから、インターホンを鳴らさずに合い鍵で入って来たのだろう。
青島が寝室のドアを開けると、目を丸くした室井が立っていた。
今まさに、ドアを開けようとしていたところらしい。
暗がりだが、カーテンの隙間から差し込む月明かりのせいで、室井の驚いた表情が見て取れる。
それが笑いを誘い、青島は笑みを零した。
「いらっしゃい、室井さん」
「…夜分にすまない」
「いいっすよ、別に」
気ままな一人暮し。
仕事はそれなりに忙しくとも順調で、中々会えないことだけがネックな恋人との仲も至って良好である。
となると、夜中に突然室井が訪ねてくることを疎ましく思う理由は、特に無かった。
とりあえず電気をつけようと壁に伸ばした青島の手を、室井が掴んで引き止める。
「電気はつけなくていい」
「え?でも…」
「寝るところだったんだろ?」
「そうですけど」
「実は俺も寝に来ただけなんだ…と言ったら怒るか?」
バカ正直な室井の言葉に、青島は苦笑した。
時刻はもうすぐ2時になる。
寝に来たという室井の言葉は本音だろう。
この時間に青島の部屋を訪ねて来ても、出来ることは限られている。
ならば自宅に帰ればよかっただろうに、室井は青島の部屋に寄ることを選んだ。
青島の隣で眠ることを選んだのだ。
―何かあったかな。
そう思いながら、身体をずらして、室井を寝室に招き入れた。
クローゼットから室井のパジャマを取り出し手渡す。
「ありがとう」
すぐに着替え始めた室井の動作を見る限り、大分疲れているように見えた。
スーツを脱ぐために腕を動かすのも億劫そうだった。
顔色まではさすがに伺えないが、少なくても機嫌が良さそうには見えない。
室井は中々愚痴を零せない男だ。
もちろん八つ当たりをしに来たわけでもないだろう。
―すると、ただ本当に寝に来ただけ?
正確には、青島と一緒に寝に来たのだろう。
何があったのか心配にはなるが、疲れた顔で会いに来てくれたことは嬉しかった。
「飯や酒もいらない?」
室井のスーツをハンガーにかけてクローゼットにしまいながら尋ねた。
「ああ、大丈夫だ」
もう一度ありがとうと言った室井に首を振って、青島はベッドに戻る。
室井もすぐについてきた。
シングルベッドに二人で横になる。
狭いからという理由ではなくて、青島は室井に寄り添った。
当たり前のように、室井の手が青島の身体を抱く。
少しキツク抱きしめられて、そのまま室井が動きを止めたから、青島もそれに倣う。
黙ってただ室井の呼吸を聞いていると、しばらくしてから室井の身体の力が抜けた。
「…夜分にすまない」
青島は小さく吹き出した。
「さっきも聞きましたよ、それ」
「そうだな」
「寝れそう?」
上目使いで室井の顔を伺うと、唇が額に押し付けられた。
「君のおかげで、眠くなってきた」
理屈も何もない言い草だったが、欠伸を噛み殺した室井を見る限り、本音だろうと思えた。
それなら何よりだと思う。
「おやすみ」
今度は唇に軽くキスをして、室井は目を閉じた。
お返しとばかりに室井の唇に触れて、その顔を覗き込む。
何があったかは分からない。
だけど、疲れた時、しんどい時に求められることは、嬉しかった。
何がしてやれるわけでもないのだ。
ただ傍にいて、寄り添って眠るくらいしかできない。
今、室井に差し出せるモノは、それくらいしかない。
穏やかな表情で眠りにつく室井を見ていると、なんだか笑えてくる。
自分を抱えて眠ることが、室井の救いになっているのかもしれない。
そう思うと、なんだか可笑しかった。
―俺なんかより、女の子抱いてる方がよっぽど気持ち良いだろうに。
今更卑屈になっているわけではない。
男として室井と出会ったからこそ今があるのだと、青島は思っている。
男で、警察官だったからこそ、室井と深く繋がれたのだ。
そのことは、自身の誇りでもあった。
男であることを、悔やんだりはしない。
だが、こんな夜は、少しだけ思う。
室井を癒してあげられたらと思うからこそ、ほんの少しだけ。
柔らかくて優しい身体。
受け入れるように、包み込むようにできている心と身体。
それに少しだけ、ほんの少しだけ憧れた。
「ま、こればっかりはね」
青島は一人苦笑した。
室井の唇から規則正しい寝息が聞こえる。
―硬い身体で我慢してもらいましょ。
室井を抱きしめて、青島も目を閉じた。
「おやすみ、室井さん」
「おいおい、あんまり室井を甘やかすなよ」
突然、目が覚めた。
目を開けたら目の前に一倉がいて、青島は跳び起きる。
「い、一倉さん?」
「見て分かんないのか?」
「室井さんは?」
寝る前に抱きしめていたのは、間違いなく室井だった。
なのに、目が覚めてみたら、何故か室井の代わりに一倉がいる。
辺りを見回してみるが、室井の姿はない。
それどころか何もなかった。
ベッドもカーペットもカーテンも、窓すらない。
真っ白い空間。
「え?ここどこ?室井さんは??」
「室井室井、うるさいな」
一倉が苦笑している。
ムッと唇を尖らせた青島に、宥めるように一倉は言った。
「その辺にいるから安心しろ」
「その辺って言われても」
辺りをキョロキョロと見渡すが、一面真っ白で何も見えやしない。
「ここ、どこっすか?」
「不思議の国だ」
「は?」
真顔で言われて、青島は引き攣った。
一倉がアリスだとでも言うのだろうか。
「一倉さん?」
「ネバーランドだ」
「いや、それピーター・パンでしょ」
「ディズニーランドだ」
「こんな真っ白なディズニーランドがあってたまるか」
「エレクトリカルパレードだ」
「ああ、なるほど……って、意味分かんないんですけど!」
「願いごと、叶えてやるぞ」
青島の疑問も突っ込みもキレイに無視して、一倉は言った。
―願いごと?叶えてくれるって?一倉さんが?なんで?どうして?いや、どうやって?
ぐるんぐるんする青島に、一倉は勝手に、一方的に話しを進める。
「よし、女になりたいか!よく言った!」
「ええっ!?俺、一言も言ってないしっ」
絶叫する青島に、一倉はにこやかに笑った。
「なぁに、心配いらないって」
キャッチセールスだってここまで怪しくない、というほど一倉の満面の笑みは怪しい。
「お前が女になれば、室井といつでもどこでもいちゃいちゃし放題だぞ」
「いや、あの人のキャラからいって、どこでもってことはないでしょ」
思わず、冷静に突っ込む。
「何より、結婚できるぜ」
それは確かに魅力的だけど…と、一瞬思った。
口には出していない。
いなかったのだが、一倉は何故か鷹揚に頷いた。
「そうだろそうだろ」
「な、なにがっ」
「よし、じゃあ、行ってこい!」
「どこに!」
わけが分からない一倉の命令に目を剥くが、次第に一倉の姿がぼやけてくる。
ただ白かっただけの周囲が、眩しく発光し始めていた。
一倉の姿が徐々に薄れていく。
「一倉さん!?」
「そうだ、一つ言い忘れた」
聞きたいことは一つどころじゃなかったが、青島はもう何も言えなかった。
何故か意識が遠退いていくのだ。
遠くから、一倉の声がする。
「俺はシンデレラより、白雪姫が好きなんだ」
「知るかー!」
やけにメルヘンな一倉に怒鳴ったのが最後。
意識が飛んだ。
***
青島は突然目が覚めた。
ムクリと起き上がって、辺りを見回す。
もちろん寝たとき同様自分の部屋で、狭いベッドの隣では室井が眠っている。
「……」
青島は小さく溜息を吐いた。
内容は良く覚えていないが、あまり良くない夢を見ていた気がする。
あからさまに気分が良くない。
―どんな夢を見てたんだっけ?
思い出そうとすると、不意に脳裏に一倉の姿が浮かぶ。
―そうだ、一倉さんが出て来て、何か分けのわかんないことを…。
眉を寄せて胸元を掻き毟り、青島はピタリと手を止めた。
有り得ない感触に、硬直する。
―いや、まさか。
―そんなはずはない。
―ありえない。
―そんなことがあってたまるか。
立て付けの悪いドアがゆっくり開くように、青島は首を落とした。
自分の胸元を見て、絶叫する。
「あーーーっ」
「ど、どうした、青島っ」
隣で眠っていた室井が、青島の絶叫で飛び起きた。
青島が呆然と室井を見ると、室井も唖然とした顔で青島を見返してくる。
落っこちそうな瞳に、青島は自分の姿の異常さを再認識する。
落とした視線の先には、有り得ない膨らみ。
思わず自分の胸を鷲掴みにしてみて、青島はもう一度絶叫した。
「マジでーーーっ」
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