―あの男は問題を起こさないと生きていられないのか。
本庁に向かい歩きながら、新城は苦々しく思った。
爽やかな秋晴れの青空には不釣り合いな、渋い顔をしている。
―しかも、女になるなんて……女になる?
有り得るわけがなかった。
青島俊作は男だ。
念のためにこっそりと戸籍まで調べてみたが、男で間違いなかった。
バカバカしい確認だったことは言うまでもない。
―やはり奇病か何かじゃないのか?
赤いライトを視界の片隅に認めて、反射的に足を止める。
横断歩道の信号が赤に変わったらしい。
新城は意味なく信号機を睨み付けた。
本人はただ信号機に視線を向けているだけだったのだが、視線の鋭さが勝手にそう見せただけである。
損をするような目付きの悪さだが、本人は全く気にしていないようだから、それで構わないのだろう。
「ありがとうございましたー」
元気な声が聞こえてきて、新城は何となく背後を振り返った。
花屋の前で若い女性店員が、花を買ったらしい客を見送っている。
客はオレンジ色の花束を抱えていた。
新城にはそれが何の花だったのか分からない。
見た覚えがあるようなないような。
そんな花だったが、何となく視線を反らせない。
じっと見ていると、脳裏に浮かぶ顔があった。
「恋人や奥様にいかがですか?」
新城が花を凝視していたせいか、店員の女性がニコヤカに話し掛けてきた。
新城は思わず店員を睨んだ。
恋人も奥様もいないが、そんなことより脳裏に浮かんだ顔のほうが大問題である。
―何故こんな時にあいつの顔が浮かぶんだ!
だだでさえ悪い目つきが更に悪くなり、軽く犯罪者のまなざしになる。
新城は店員に腹を立てたわけではなかったが、その心中など知らない店員は怯えた顔で頭を下げた。
「す、すみませんっ」
「……出勤途中に花等買えない」
そう言い捨てて、新城はその場を後にした。
脳裏に浮かんだ青島の笑い顔と反比例する勢いで、新城の顔が顰め面になる。
風を切る音が聞こえそうな勢いで歩いていると、いつの間にか最寄の駅を通り過ぎていた。
「…くそっ」
口汚く呟いて、回れ右をする。
―イライラする理由は何か?
花なんかを見て、青島が脳裏に浮かんだからだ。
答えははっきりしているはずだが、新城はあえてそこには気付こうとしない。
新城の心の中は新城だけのもの。
新城がそうと認めない限りは、そうでは絶対にないのだ。
多分、ないのだ。
―青島がわけの分からない問題を起こしたからだ。
あながち間違えでもないが、正しいとはとても言えない回答を、高性能な頭脳で導き出す。
彼の脳は知っているのだ。
そう思い込むことで、心の平穏を取り戻せるということを。
やはり、彼の頭脳は高性能だ。
いつのまにか、新城の表情は無表情に戻っていた。
***
草壁は筋トレをしていた。
SAT足るもの、自身を鍛えることも仕事のうちである。
単調な動作を繰り返すことは苦手ではないしむしろ好きだったので、黙々と腹筋を鍛えていた。
「隊長…あのぅ…」
同じくジムで筋トレをしていた後輩が、恐る恐る声をかけてくる。
草壁は動きを止めることなく、視線だけを向けた。
「なんだ」
「大丈夫ですか?」
「何が」
「さっきから休憩もしませんし」
「休んでいたら、筋トレに、ならない、だろう」
少しだけ息を弾ませて答えると、後輩は困った顔で草壁を見た。
「でも、隊長…変な汗出てませんか?」
言われて、草壁の動きが止まる。
確かに常にないくらい汗を掻いていた。
それだけ身体を苛めたせいもあるのだろうが、それにしても顔ばかりに変な汗を掻いている。
変な汗を掻いている理由は分かっている。
妙な胸騒ぎがするのだ。
ただ、胸騒ぎの理由が分からない。
良くないことが起きるのではないかといった胸騒ぎは、今まで感じたことはあまり無い。
草壁は究極に鈍いのだ。
これまでに、所謂シックスセンスとやらが働いた覚えは、全く無かった。
それでも、何か胸がザワザワする。
この間、室井に頼まれて青島を病院に連れて行って以来、こうである。
ということは、青島に関係があるのだろうかと、草壁は思う。
青島の状況を思えば、青島の身を案じてソワソワしても可笑しくないかもしれない。
草壁と青島はそれほど親しいわけではないが、それでも良くない出来事を心配をするくらいの仲ではあると言える。
あんなナリになってしまっては大変だろうなと、同情もした。
元の青島から見ると、随分小柄になった。
―小柄になって……小さくなったな。
草壁の脳裏にある青島は、とにかく『小さい』だった。
よく考えれば成人女性のサイズなわけで、それほど小さくはない。
が、青島と思って見ているせいか、すっかり小さくなってしまった青島は、草壁の目には頼りなく見えたらしい。
―あれでは、自分の身も守れないのではないか?
差し当たって、青島が自分の身を守らなければいけないようなことは、何も無い。
だが、草壁の脳裏には、一倉が悪人面で笑っていた。
こうなると刷り込みに近い。
草壁は先日の車内での青島に対する一倉のセクハラが、今の青島と一倉の関係に思えてならなかったのだ。
一倉が青島に何かをするわけはないと思ってはいる。
そんな可能性はちょっとくらいしかないと思ってはいるのだ。
頭ではそう思うのに、心のどこかで疑って掛かっている。
…頭のどこかでも、ちょっとくらいはそう疑っているようだったが。
つまり、草壁の胸騒ぎは、青島の身の安全にあったのだ。
「隊長?休まれますか?」
後輩に顔を覗きこまれて、草壁は顔を強張らせた。
元から強張っているから、それほど変わらない。
「…サウナに、いや、シャワーを浴びてくる」
頭を冷そうと思ったので、サウナでは逆効果のような気がしたのだ。
心配そうな後輩を置いて、草壁はシャワー室に向った。
―室井さんに任せておけば大丈夫だろう。
草壁は冷たい水を被りながら、そう思った。
室井が青島を大事にしていることは、先の病院の件でも良く分かる。
青島が困っていれば、室井が助けてくれるだろう。
そう思えば、いくらか安心である。
最悪の場合は、一倉の身柄を確保してしまえば良いなどと、草壁が考えていることを知ったら、
さすがに一倉も「失礼な」と怒ったかもしれない。
「突入はSATの仕事だからな…」
優しさではあるのだが、いささか物騒な草壁の呟きは、シャワーの音に紛れて消えた。
***
青島の部屋に帰宅した室井は、少し疲れていた。
できるだけ顔に出さないように気をつけて、部屋に入る。
「ただいま」
「おかえんなさい……何かあった?」
ニッコリと出迎えてくれた青島の表情が、一瞬曇る。
気をつけても、さして意味はなかったらしい。
青島が聡いのか、室井の誤魔化し方がヘタクソだったのか。
主に後者のような気もするが、室井は苦笑すると肩の力を抜いた。
「別に大したことじゃない」
「そうっすか?」
まだいくらか心配そうな青島の頭を、軽く撫ぜた。
「ただ、変な一日だっただけだ」
「え?」
「新城の機嫌が異常に悪くてな」
「はぁ…」
きょとんとしている青島に、室井は苦笑を深めた。
なにやらご機嫌が斜めな新城にちくりちくりと突かれて、「早く青島をなんとかしろ」と何故か怒られた。
そんなことは誰に言われるまでもなく、室井が一番そうしたい。
なんとかできるものならとっくになんとかしている。
そう怒鳴り返さなかったのは「協力は惜しまないから」という、いささか薄気味悪いが心強い一言だった。
それに、なぜか草壁までが「困ったことがあったらいつでも連絡をください」と言って携帯番号を教えてくれた。
あまり口を聞くこともない草壁の申し出だったので驚いたが、有り難く受け取っておいた。
―二人とも青島の身を案じてくれているのだな。
と感謝する室井だったが、新城の申し出は一概にそうとは言えないので、新城には感謝しなくても良いかもしれない。
「室井さん、大丈夫?」
新城さんにまた苛められた?と心配そうに見上げてくる青島に、室井は苦笑した。
「いや、大丈夫だ」
「…俺のせい?」
今度はいくらか不安そうな顔。
室井は眉間に皺を寄せ、ぎこちなく青島の首筋に手を伸ばした。
どうして青島に触れるのにこんなに躊躇わないといけなんだと内心で思いながら、細い首に触れながら少し身を屈めると、頬にキスをしてすぐに離れる。
きょとんとした青島が自分の頬に手を当てる。
「飯にしよう」
照れ隠しのように短く言うと、青島は目を瞬かせて笑みを零した。
「初めてっすね」
「何が」
「こうなってから、してくれたの」
自分の頬を指差して笑う青島に、室井は頬を強張らせる。
「君は、嫌じゃないか?」
青島は小首を傾げた。
「当たり前でしょ、室井さんだもん」
「そうか…」
青島の髪を少し乱暴に掻き混ぜ、室井は「着替えてくる」と言ってその場を離れた。
安心させたくて青島に触れたかったけれど、今の青島にどこまで触れて良いものか判らなかった。
中身は青島だから、普通に抱きしめて、当たり前にキスをすれば良かったのかもしれない。
だが、室井には、どうしてもそうすることが躊躇われた。
室井は青島と付き合う前には女性と付き合った経験しかなかったので、女性がダメなわけではもちろんない。
彼女が、魅力的に見えないわけでもない。
ただ、室井にとっての青島は、あの青島ただ一人。
―今の青島は青島であって、青島ではない彼女。
室井の心の中には、どこかそういう気持ちもあったのだ。
そう思っていることは、青島には知られてはいけない。
きっと傷つける。
青島だって、好きで女性になったわけではない。
早くなんとかしてやらなければ。
青島のためにも、自分のためにも。
そうは思うのに、現実的になす術はない。
室井はスーツを脱ぎながら溜息を吐いた。
「あ〜、魚焦がしちゃった〜」
台所から聞こえてくる青島の絶叫に、室井は着替える手を止める。
ひょっこりと台所を覗くと、青島が黒焦げのさんまを手に困った顔で室井を見た。
「今夜のメインディッシュが」
「…炭になっちゃったな」
「これも炭火焼って言うんですかね」
「絶対言わない」
「あ、やっぱり」
しょぼんとした青島に、室井は小さく吹き出した。
彼女が青島だと思う瞬間はこういう時だ。
本質は、当たり前だが、何も変わらない。
「やっぱり青島だな」
思わず何も考えずに呟くと、青島は一瞬驚いた顔をしたがすぐに苦笑した。
「女の子になったって料理の腕は上がりませんよ」
「それでいいんだ」
「え?」
「別人になられるより、ずっといい」
出前でも取るかと言って室井が背を向けると、唐突に背中に衝撃があった。
前に回された腕と、暖かい温もり。
もちろん青島だ。
背中にあたる柔らかな感触にドキリとしつつ違和感を覚えるあたり、室井はもう立派な青島バカだった。
「青島?」
そっと青島の手に触れると、青島がその手を握りしめてくる。
「ありがと、室井さん」
嬉しそうな明るい声。
不安で無いはずなどないのに、青島は落ち込んだ姿を見せようとしない。
室井も無理に吐き出させようとは思わなかった。
室井では青島の不安を取り除いてはやれないのだ。
そんなこと、今の青島には誰もしてやれない。
―せめて縋りつけるところでいられれば良い。
室井はそう思いながら、青島の手を握り返した。
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