「室井さん、顔を貸してください」
言葉だけみればお願いであるように聞こえなくもないが、言葉を発しているのは新城である。
お願いではなく、半ば命令だ。
室井は捜査会議を終えたばかりだった。
会議室を出てきたところを新城と、室井と同じ捜査会議に出ていた一倉に捕まったのだ。
新城だけでも充分だが、その背後でニヤニヤしている一倉を見れば、良くないことが起きていると思って間違いない。
室井は眉間に皺を寄せた。
「…何故だ」
「話しがあるからに決まっているでしょう」
馬鹿にしたような言い草も、今は気にならない。
そんなことよりも、どうやってこの二人から逃れようか考えるのに忙しかったのだ。
もちろん答えなど出ないのだが。
苦悶する室井の肩を、一倉が抱いた。
「真下から聞いたぞ」
どうしてあの男の口はこんなに軽いのか。
室井が苦々しく思うのも、無理はなかった。
真下とすみれを青島の自宅に連れて行った翌日である。
いくらなんでも早すぎる。
「本庁でおかしな調べ物をしていたところを見つけましてね」
新城や一倉に問い詰められれば、確かに真下なら口を割るだろう。
ネゴシエーターになった今でも押しに弱いところは相変わらずだ。
これでどうやって、電話でとはいえ、犯人と渡り合っているのか不思議である。
本人曰く「顔が見えなきゃ恐くはないです」だそうだ。
図太いのかそうではないのか、微妙な所だ。
真下の性格を考えたら、真下に相談したのは間違いだったのかもしれないが、こんな異常な相談を持ちかけられる数少ない相手であったことは確かだ。
好むと好まざるとに関わらず、「青島が女になってしまった」などと打ち明けられる相手など、そうはいない。
実際のところ、一倉には相談しようかどうしようか悩んでいたところだったのだ。
考える頭と情報源は多ければ多い方が良い。
かと言って、誰彼構わず相談できる内容ではない。
上層部に知られたら厄介だし、マスコミに売られでもしたら堪らない。
何より青島を傷付ける人間には、関わらせたくなかった。
一倉は青島をマスコミに売ったりはしないだろう。
そのくらいの信頼はしているが、それでも相談することに抵抗を覚えていたのは、あからさまに面白がっている今の一倉の顔を見ていれば致し方ないとも言えた。
こうなることがわかっていたから、中々相談に至らなかったのある。
新城に至っては元々相談するつもりは無かった。
室井にしろ青島にしろ、それほど親しい付き合いがあるわけではないからだ。
それに新城はリアリストである。
青島の身に起こったことを説明しても、信じてもらえる気が全くしなかった。
今だって、半信半疑なのかもしれない。
不機嫌そうな顔で、腕を組んでいる。
「室井さんのことだから、あのバカにのめり込み過ぎて幻覚でも見てるんじゃないんですか?」
聞き捨てならない言葉がいくつかあったが、室井が異義を申し立てる前に一倉が突っ込む。
「真下も恩田君も見てるんだぞ」
「室井さんと青島…青島似の女に騙されているのかもしれない」
二人揃って室井に詰め寄ってきたわりには、二人の足並みも揃ってはいないようだ。
永遠に揃わない方が、平和で良い気もするが。
「なんのために?いや、それ以前に、誰が室井なんぞに騙されるんだ」
「それもそうですね」
あまりの言われように、室井は顔を顰めた。
「おい…」
「とにかく、この目で確かめさせて貰います」
室井の苦情は遮られた揚句、なぜお前にと突っ込むより先に、
「事実だとしたら充分な事件でしょう。放ってはおけません」
と、尤もらしく言われる。
「助けになれるかもしれないだろ?」
一倉に至近距離でにこやかに微笑まれて、室井は肩を抱かれたままだったことを思い出した。
欝陶しそうにその手を払うと、一倉は肩を竦めた。
「別にお前が青島のところに連れて行ってくれなくても、勝手に行くことはできるんだぞ?」
目を剥いた室井に、一倉は至極楽しそうに続ける。
「青島の、刑事の家を調べるのなんか、朝飯前だろ」
「警察手帳があれば、鍵くらい管理会社が開けてくれますしね」
親切めいた忠告は腹立たしいが、二人の言う通りではあった。
室井がわざわざ連れて行かなくたって、この二人なら簡単に青島の自宅に押しかけていける。
ならば、室井に話しを通そうとするだけ、まだ人道的なのだろうか。
感謝の気持ちは全く湧いてこないが、代わりに諦めの気持ちだけは湧いてきた。
それでも、室井は二人を睨み付ける。
「協力する気は、あるんだろうな?」
冷やかしだけなら、どうあったって、青島には会わせたくない。
二人が同意の意味をこめて頷くのを確認し、室井は深い溜め息をついた。
青島が小さくなっていた。
いや、女性になって小柄にはなったが、そういう意味ではなく。
一倉と新城の無躾な視線に曝されて、うなだれた犬のように小さくなっているのだ。
「じろじろ見るな」
思わず青島を背に隠す。
青島の姿が見えなくなって、漸く二人は瞬きをした。
瞬きを忘れるほど青島を凝視していたのである。
立ち直ったのはやはり一倉の方が早かった。
「随分と可愛くなっちゃって」
室井の肩越しに青島を覗き込んでくる。
「な、なんすか」
少し上擦った声をあげた青島が、室井のスーツの裾を引いた。
おそらく無意識であろう青島の行動に、室井は表情が緩まないように意識した。
「お前、本当に青島なのか?」
「そうですよ」
なんでこんな嘘つかないとなんないの、といじけたように唇を尖らせる。
一倉は顎を撫ぜて唸った。
「う〜ん…まぁ、よかったじゃないか」
「何が」
思わず室井が睨むと、一倉はニヤリと笑った。
「これで心置きなく嫁に貰えるだろ」
どこかで聞いた台詞だと思ったら、青島が呆れたように呟いた。
「すみれさんとおんなじこと言ってる…」
なるほど、と室井も思い出した。
すみれと一倉は思考回路が近いのかもしれない。
それは恐ろしいことである。
「とりあえず」
新城が一つ咳払いをした。
今の今まで、硬直していたらしい。
「病院に連れて行くべきでは?」
新城が珍しくも常識的な提案をした。
新城は常識がないわけではないが、青島が絡むと無茶を言う傾向にある。
それが出てこないのだから、余程驚いたということか。
「病院に連れて行ったら、お前が入院させられる気もするがな」
一倉が室井を見ながら言う。
室井も病院は考えてみなかったわけではない。
だが一倉の言う通り、青島と二人揃って入院させられる可能性が高かった。
室井はもちろん、青島も精神状態はいたって良好である。
入院させられては困るのだ。
そもそも青島の変化は、病院に連れて行って治るものとも思えない。
一夜にして男が女になる病気など、聞いたこともない。
念のために青島の体調は気にかけてはいるが、本人は至って健康体だと言う。
そうなると、精神状態を疑われるためにわざわざ病院に行くことになる。
「意味があるとは思えない」
室井が言うと、新城も少し考えて頷いた。
無表情の下でかなり動揺していたのが、落ち着いてきたのかもしれない。
「本当に問題児だな、こいつは」
フンっと鼻で笑って、嫌みを言う。
冷静になった証拠だ。
「悪かったですねっ。俺だって好き好んでこんな恰好になったわけじゃないですよっ」
室井の背後から飛び出して、新城に噛み付く青島。
新城は言い返そうとして、いーだをする青島に言葉を飲み込む。
しばらく青島を睨み付けていたが、やがて視線を逸らした。
勘の良い方ではない室井も、新城が視線を逸らした理由には何となく思い至る。
今の青島を青島と思って見るのは難しい。
だけど間違いなく彼女は青島で、その青島がどう見ても、室井の贔屓目から見なくても、可愛らしいのだ。
新城はおそらく青島が魅力的に見えて困っているのだ。
室井は眉を寄せた。
青島を見下されるのも嫌だが、変に好かれるのも嫌である。
恋する人は我が儘になると言うが、室井も例外ではないらしい。
「…青島、落ち着け」
宥めるように肩に触れ、さりげなく新城から離れさせる。
「まぁまぁ、仲良くやろうぜ」
場違いな仲裁は一倉である。
仲裁どころか楽しんでいるだけだから、場違いであるのも無理はない。
「…一倉さんとは、仲良くしません」
「お、反抗的じゃないか」
「日頃の行いが悪いんですよ」
一倉は以前から良く青島をからかっていた。
つまり青島のことを気に入っているということなのだが、そのからかい方がセクハラじみていたせいか、いくら青島でも一倉くらいは警戒するらしい。
「つまり、俺のことだけは意識してんだな?」
どこをどうとるとそうなるのか分からない一倉の発言に、室井は頭痛を覚えた。
青島はというと、呆れた顔で一倉を見上げている。
「拒否反応が出る程度にはね」
随分好かれてるなぁと笑う一倉に、室井は青島と視線を合わせて溜め息をついた。
「一倉さん…俺に呪いとかかけませんでした?」
青島が恐る恐る尋ねると、一倉もさすがに顔をしかめる。
「本気で言ってるんだったら、呆れるぞ」
「なら、こう、なにか黒魔術的な」
「…お前が、俺をどう思ってるのか、一度じっくり話し合いたいな」
笑いながら剣呑な表情を浮かべる一倉に、青島の顔が強張る。
仕返しに何を言われるかされるのか、分かったものではないからだ。
また室井が間に入ろうかと口を挟む前に、青島が慌てて付け足した。
「いや、だって、夢を見たもんだから」
「夢?」
青島があの日に見ていた夢の説明をすると、初めは「馬鹿馬鹿しい」といった顔で聞いていた一倉だったが、やがてニヤリと笑った。
ろくなことを考えていない顔である。
「つまり、俺のことを夢に見るほど思ってくれてるわけだな?」
「は?」
目を瞬かせる青島の代わりに、室井が突っ込む。
「それだけお前といると青島が精神的に追い詰められるということだ」
「夢に見てもらえないからって、妬くなよ室井」
「だれがお前になんぞに妬くか」
それ以前に、あんな夢を見てもらったって嬉しくない。
一倉が勘違いした発言をすることに腹を立てているだけである。
青島が一倉のことを夢に見るほど考えているなんてことは有り得ない。
―あってたまるか。
憮然としている室井と、ニヤニヤしている一倉を見比べて、青島は溜息を吐いた。
「バカバカしい」
切って捨てたのは、もちろん新城である。
「夢がなんだって言うんだ。もっと現実的な話をしてください」
「お?お前も羨ましいのか?」
「だから、現実的な話をしてくださいと言ってるんです」
新城が睨みつけるが、一倉にはどこ吹く風といった感じである。
「これも現実だぞ?青島が俺の夢を見たっていう」
「それがどうしたっていうんですか。解決の糸口にでもなりますか」
「さぁてな。俺が関係あるのかもな、もしかしたら」
「お前、やっぱり青島になんかしたのか?」
「冗談だよ、室井」
「…胡散臭い」
「室井さんの言う通りだ。貴方の言うことは信じられない」
「珍しく気が合ってるなぁ。仲良しにでもなったのか?おい、青島、室井が浮気してるぞ」
「一倉!」
「一倉さん!」
「…どうでもいいっすけど、アンタたち、何しに来たの」
青島が心底呆れた顔で言った。
結局この日は混乱したまま、有意義な話し合いは全くされないまま、解散することになった。
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