■ 記憶(9)


「久しぶりに、飲みに行かねぇか?」
帰り支度をしていた室井に、一倉が聞いてくる。
たまには一倉と酒を飲むのも悪くはないが、生憎と今の室井には一倉に割くだけの余計な時間はなかった。
「今日は用事がある」
「用事ったって、デートする相手も、今はいねぇだろ」
「……」
無言でコートを羽織る室井に、一倉は目を丸くした。
室井と違って察しの良い男である。
沈黙で全てを悟ったらしい。
「何だ?とうとう口説き落としたのか?」
室井は一倉と視線を合わせるだけで、返事とした。
「ほぉ〜〜〜そうかいそうかい。そりゃあ、良かったな」
「ああ」
「これからデートなわけか」
「青島の家に行くことになってる」
「俺も交ぜてくれよ」
遠慮のかけらもない一倉の言いっぷりに、室井は露骨に顔をしかめた。
一倉は肩を竦める。
「いいじゃねぇか、別に。頃合いを見て適当に帰るから、邪魔はしないって」
遠慮はしないくせに、何故やり手ババみたいな気の回し方だけはするのか、不思議である。
それで室井が頷くわけもないが。
「ダメだ」
「ケチだな。そんなに溜まってるのか?」
室井は眉間に皺を寄せたが、精一杯抑えた声で言った。
「俺にセクハラして楽しいのか?」
一倉をかわす方法はただ一つ。
まともに取り合わないことだ。
尤もそれを気にする一倉でもない。
「いや、あんまり。お前にするくらいなら、青島にしたいね」
一倉がこんなだから、室井は唯一の方法もまともに使えたためしがない。
「お前は、金輪際、青島に、近付くな」
わざわざ区切って力いっぱい言い放ったら、一倉は喉の奥で笑った。
これ以上一倉と無意味な会話を続けることは、時間の無駄以外の何物でもない。
「お先に失礼する」
一倉に背を向けて歩きだすと、その背中に声が掛かる。
「早めに済ませた方がいいぜ?さっさと自分のモンにしちゃえよ」
それは多分からかうばかりの声ではなかったが、室井は根性で振り返らなかった。


振り返ったら、きっとバレただろう。
室井が既に今の青島とそういう関係であることを。
さすがの一倉も、まさか室井が本当に身体から―正確に言えば同時に、取り戻したとは思っていまい。
室井だって、性急すぎたのは自覚している。
だけど、青島が自分を意識しているうちに、青島が無かったことにしてしまう前に、どうしても捕まえたかった。
ただ止まれなかったというのもあったが、今しかないと思ったことも間違いじゃなかった。
後悔はしていない。
青島に無理強いはしなかったと、そこだけは自負している。
青島が望んでくれたから、室井は青島をもう一度手にいれられたのだ。
後悔はないが、一倉にからかわれるのはごめんだし、邪魔をされるのはもっとごめんだ。
今は言うなれば、二度目の蜜月である。
室井にしてみれば二度同じ人間と付き合い始めたわけで、知ることの感動や関心が薄れるかと思っていた。
だが、気持ちだけが本人たちの意思とは無関係に切り離された別れは、室井に想像以上の喪失感を与えていたらしく、今は激しく幸せだった。
寂しさがないといえば、嘘になる。
青島の消えた記憶は戻らない。
だけど、青島を永遠に失う恐怖に比べたらどんなにマシか。
―無くなった思い出は、もう一度作れば良い。
室井はなるべくそう思おうとしていた。
そう思えれば、今はこれ以上にないくらい幸せな時。
そんな時間を一倉如きに邪魔をされてたまるかという思いが、室井にはあった。


***


「…んで、結局すみれさんに奢らされましたよ〜」
ぼやく青島に室井は苦笑した。
青島の部屋で夕飯を食べた後、二人はソファーの上で寛いでいた。
「彼女らしいな」
「次は室井さんにも奢らせてやるーっなんて、息巻いてました」
その様が簡単に想像できて、苦笑しながらもう一度「彼女らしい」と呟いた。
頷きながらも、青島は少し困った顔をする。
「あの、室井さん」
「うん?」
「すみれさん……なんか気付いてるっぽいです」
室井は軽く目を見張った。
なんか、とはもちろん二人が再び―青島にしてみれば初めてだが、付き合いだしたことだ。
―まだ言って無かったのか…。
とっくにすみれには打ち明けているものだと、室井は勝手に思っていたのだ。
だから、まだ打ち明けていないことに驚いた。
良く考えれば、今の青島がわざわざすみれに報告する義務はない。
青島はすみれがヤキモキしていたことなど、微塵も知らないのだ。
室井こそ、すみれに報告するべきだった。
これは本格的にご馳走しないといけないかもしれないと、室井は眉を寄せた。
すみれが青島に匂わせたのなら、間違いなく二人が再び付き合い出したことに気付いているはずだ。
それなのになんの報告もないなんて!と、すみれが怒っているような気がした。
「あ、の…やっぱ、まずいですよね?」
苦笑した青島が、頭を掻く。
「いや、俺はすみれさんにバレても、まぁいっかなぁと思ってたんですけど」
室井さんキャリアだし、と少しだけ悲しそうに微笑まれてハッとした。
室井の沈黙がいらぬ誤解になったらしい。
「青…」
「大丈夫大丈夫!ちゃんとごまかしますから。任せてくださいっ」
そういうことは得意なんだと胸を張る青島の手を、室井はそっと握った。
「構わない。俺は一倉に話した」
手を握ったことにも驚いたようだったが、室井の発言の方がもっと驚いたらしい。
目を剥いた青島に、室井は苦笑する。
「相談も無しに悪かった」
「へ?あ、いやいや、俺はいいっすけどー……大丈夫っすか?」
不安そうな顔だったが、どこかに隠し切れていない喜びが見てとれる。
青島の素直な反応が愛しい。
「一倉は、…不本意だが、信頼できる。あいつの口からリークされることはない」
「そう、ですか」
「俺も君も立場的に公にできる関係ではないが、俺は恥ずべき関係とは思っていないんだ」
恥じてはいないが、ヤケクソに公にするつもりもない。
現実問題として、二人の交際にリスクがあることは事実なのだ。
愛があれば何もいらないだなんて、間違えても言えない。
室井にも青島にも警察官としてやらねばならないことが、まだまだある。
青島も職も絶対に失えない。
ならば、秘密を貫き通すしかないのだ。
室井も青島も、その道を選んだ。
短くはないが長くもない人生の中で、二度も。
ならば、きっと、守り通すだけの価値があるのだ。
「俺も恥じてはないです」
青島が握った手を握り返してくれる。
「恥じるくらいなら、室井さんとこうなったりはしないよ」
小さくはにかむような笑顔。
誘われるように唇を寄せると、青島は目を閉じた。
軽く唇を合わせると、青島は目を三日月にした。
「恥じてはないけど…」
「ん?」
「なんか恥ずかしいっすね」
照れ臭そうな笑みに、室井もつられて笑みを零す。
「恩田君にバレるのがか?それとも、こうしてるのが…?」
もう一度唇を重ねると、青島は声を漏らして笑った。
「どっちも」
青島の腕が室井の背中を抱くから、室井はそのままソファーに青島を押し倒した。
「あ」
青島の襟首を開いて首筋にキスをしていた室井は、青島の色気とは無縁の声に、動きをとめる。
顔をあげると、青島がテレビを指差した。
「映画、見なくていいんですか?」
一瞬なんの話だか分からなかったが、すぐに思い出す。
すっかり忘れていたが、今日は前に青島が「見に来い」と言っていた映画のDVDを見に来たのだった。
「室井さん、見たかったんですよね?」
いいんですか?と首を傾げている青島に、室井は苦笑した。
このDVDは既に見ているのだ。
青島と一緒に、この部屋で。
―この部屋で一緒に見たら、思い出したりしないだろうか。
ちょっと思ったが、不可能だろう。
同じ場所で同じことをしたからって思い出すなら、青島はきっともう思い出している。
室井はゆっくりと唇を重ねて、ゆっくりと離れる。
この場所で、何度も繰り返した行為だ。
それだけで、思い出すはずもない。
意味のない確認をして、少し寂しくなる。
常より少しだけ力の抜けた眼差しが、室井を見上げていた。
ジッと見つめていると、青島の頬がじんわりと赤く染まる。
「室井さん?」
どうかしたのかと目で尋ねてくる青島に苦笑を返した。
「何でもない」
今度は明確な意図をもってキスを仕掛ける。
一瞬だけ遅れて、すぐに青島は応じてくれた。


その晩、青島の口からそれ以上映画の話が出ることはなかった。










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2006.2.5

あとがき


嬉しいんだけど、寂しい。
室井さんはちょっと複雑な感じでしょうか。
全体的には多分嬉しくて幸せなんだと思います。
青島君とまたお付き合いできるんですからね。
嬉しくないとか言ったら殴り飛ばしてやります(おいおい)
そのことは嬉しくて、多分本人比では浮かれまくっているんじゃないかなーと。
でも、昔のことを思い出す瞬間には、寂しくなるんじゃないかなーと。

そして、一倉さんはここでもせくはらを…(笑)
青島君にしたいだなんて、もー、エッチなんだからー(お前がな)

ええと、すみません。
こんなペースで書いていると、多分後三話はあります(汗)
気長にお付き合いくださいませ(^^;
長くなってしまいまして、本当申し訳ないです…。



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