■ 記憶(8)


「下着ドロ捕まえたんだって?」
青島はそう尋ねて、煙草をくわえた。
喫煙所にすみれと二人、休憩に来ていた。
煙草を吸わないすみれは、コーヒーカップを両手で抱えている。
何やら憤慨しながら、青島の隣に腰を降ろした。
「そうなのよ」
「よかったじゃない」
「そうなんだけどさ〜」
顰めっ面で、すみれはコーヒーを啜る。
犯人を逮捕したのに、どこか不機嫌なすみれ。
理由が分からず、青島は首を捻った。
「そいつ、常習犯だったんだけど」
「あ、素直に自白してるんだ?」
だから余罪が簡単に判明したのかと思いきや、すみれはふるふると首を振る。
「ていうか、一目瞭然」
「え?」
「ワンルームの部屋中に、盗んだ下着を並べて飾ってたの」
青島は「うげ」と呟いた。
すみれが不機嫌な理由が何となく分かった。
それはすみれでなくたって不愉快だ。
何より、気持ちが悪い。
顔をしかめた青島に、すみれは真顔で聞いてくる。
「女モノの下着眺めて、何楽しいの?」
青島はもちろん真顔で返した。
「俺に聞かないで」
下着ドロの気持ちなど、青島には知る由もないし、知りたくもない。
が、すみれは、無茶を言う。
「同じ男でしょ」
「男だからって、一緒くたにしないでよ」
「青島君だって、本当は下着に興味あるんじゃないの〜?」
「無いとは言わないけど、やっぱり中身込みじゃないと」
冗談混じりに答えると、すみれは漸く笑みを零した。
「何、バカ言ってんの」
「すみれさんがバカなこと聞くからでしょ〜」
不謹慎だったかしらね、と呟いて、両手で抱えたカップに口をつける。
すみれは特に女性が狙われた犯行には敏感だ。
彼女自身の手で過去を乗り越えたとはいえ、恐怖や痛みは消えてなくならない。
だからこそ、女性被害者のために力を注ぐ傾向にある。
それが公平を欠いてはいけないが、男の青島たちではちゃんと分かってあげられない、被害にあった女性たちの立場に立てるすみれのような存在はきっと大事である。
すみれの気持ちは青島なりに理解しているつもりだし、青島はいつだってすみれの味方だ。
すみれ自身が抱えている痛みが、疼かないことを祈るばかりである。
いくらか元気のないすみれを横目で見ながら、青島は煙りを吐き出した。
「よかったじゃない。これで被害が食い止められる」
すみれも視線を寄越すから、青島はニコリと笑ってみせた。
少しの間の後、笑顔が返ってくる。
「そーね」
「えらいよ、すみれさん」
「まーね」
わざとらしく胸を反らしながら、「ご褒美に何か奢ってくれてもいいのよ」と言う。
すみれらしい元気の出し方に苦笑しながら、青島は煙草を消した。
「よしっ、たまにはいいか」
「え?本当に?」
素直に輝くすみれの瞳に、一応釘を刺す。
「給料日前だから、あんまり高いとこはダメだよ」
「わぁい」
それはそれは嬉しそうに、すみれは笑った。
可愛いなぁと思いながら眺め、急な出費は痛いが、すみれの喜ぶ顔が見れたからよしとすることにした。
「お店なんだけどさー…」
ウキウキと言いかけたすみれだが、ふと言葉を飲み込む。
不思議に思ってすみれを見ると、前を向いていた。
その視線の先を追って、青島は目を丸くする。
出入口に室井が立っていたからだ。
二人の大きな瞳に気まずくなったのか、室井は眉間に皺を寄せた。
「すまない、話の邪魔をして」
「あ、いや、全然全然」
青島は慌てて立ち上がる。
―顔、赤くなってないといいけど。
動揺が外に出ていないことを祈った。
「それより、どうかしたんですか?」
青島が促すと、更に眉間に皺が寄る。
「いや……今夜暇だろうか?」
「え?」
「時間があったら飯でもどうかと思ったんだが…」
どうやら食事の、デートのお誘いだったようだ。
青島は今度こそ赤面したな、と自覚しながら、困った顔になる。
「あ、と…今日、は、ですね」
今、すみれと約束したばかりである。
タイミングが悪すぎた。
本当は断りたくないという思いもあったが、青島にはすみれを蔑ろにするつもりもなかった。
「あの…」
「大丈夫ですよ。青島君、暇よね?」
言いかけた青島を遮るように、すみれが割り込んだ。
「すみれさん?」
ぎょっとしている青島に近付くと、ニコリと笑う。
「私はまた今度、給料日後に連れてって」
「え?」
目を白黒させている青島を余所に、すみれは室井にもニコリと笑って喫煙所を出て行った。
青島はその後ろ姿を見送って、呆然と呟く。
「どうしちゃったんだろ……食いしん坊のすみれさんが」
聞かれたら殴られそうな呟きに、室井は少し戸惑った視線を寄越した。
「もしかして、恩田君と約束があったのか?」
「あ、はい、今、丁度」
「そうか…それは、悪いことをしたな」
また眉間に皺が寄る。
だが青島は、対照的に笑みを零した。
―何だかなぁ。
じゃあ今日はよそうと言わない室井も、そういうわけですからまた今度とも言わない青島も、何だか可笑しかった。
「すみれさんにはご馳走する約束なんです。だから給料日後の方が、都合いいんです。俺も、もちろんすみれさんも」
だから気にしないで良いと、言外に伝える。
室井は少し難しい顔をしていたが、やがて力を抜くと頷いた。
「ありがとう」
礼が返ってきて、照れ臭くなる。
青島は鼻の頭を指先で掻きながら、先を促した。
「で、飯でしたよね?」
「ああ」
「どこ行きます?」
場所を決めないと、待ち合わせ場所も決まらない。
「どこでもいいが……外で食べたいか?」
青島は一瞬変な質問だなと首を傾げた。
食事をするとなれば、外で食べずにどこで食べるというのだ。
独身一人暮しらしい思考が過ぎったが、室井の気まずそうな顔を見て、言いたいことにすぐに気が付く。
部屋じゃダメかと聞かれているのだ。
青島の頬がまた熱くなる。
思わず押し黙った青島に、室井は緩く首を振った。
「忘れてくれ。君の食べたいものを食べに行こう」
何がいい?と精一杯柔らかく問われる。
室井の優しさが、くすぐったくて照れ臭い。
青島は少し俯きがちになり、首筋を撫ぜた。
「いいです」
「ん?」
「部屋でいいっす、室井さんの」
そう言ったら、室井が目を剥いた。
凝視されては益々照れ臭くなる。
―間違えてはいない。
口から出たのは素直な気持ちに他ならない。
じっと青島を見つめていた室井だが、やがて微笑んだ。
そして一言呟く。
「そっか」
それは酷く柔らかい笑顔で、青島はやっぱり自分の選択は間違えていないのだと思った。
―あの朝の選択は、間違えてなかったんだ。


***


目が覚めた青島は、自分の身体が自由にならないことを悟って、一気に覚醒した。
―な、何事!?
背後から胸元に回された手が、青島をがっちり抱きしめてしている。
浅黒い、しっかりとした力強い腕。
男の腕だ。
それを見て、青島は徐々に赤面する。
背後にいるのは、間違いなく室井だ。
夕べのことは忘れてない。
最中のことは情けない話だが大分あやふやだった。
それでも、何がどうしてそうなったのかということだけは、ちゃんと覚えている。
―自分で、選んだんだ。
流されなかったかといえば、はっきりと否定はできない。
だけど、最終的に室井を選んだのは、青島だ。
室井の手や唇から逃れようとしなかった、青島だ。
後悔はない。
―でも…。
青島は自分を抱きしめている男の腕を見下ろした。
―これは恥ずかしいかもしれない。
青島もいい年だし、こんなことは言いたくないが、紛れも無く「初体験」の翌朝である。
あげく抱きしめられて目が覚めるなんて、恥ずかしいことこの上ない。
室井がまだ眠っているのは、幸いだった。
今のうちに逃れようと思い身を捩る。
と、どういうわけか、室井の腕の力が強くなった。
青島はハッとして、首だけで振り返る。
室井は青島の背中にピタリとくっついて眠っている。
ように見えたが、
「室井さん…?」
青島がおっかなびっくり声をかけると、眉間がピクリと反応した。
―本当に嘘のつけない人だなぁ。
青島は思いながら苦笑した。
「室井さん」
「……」
「起きてんでしょ?」
「……おはよう」
気まずそうな挨拶が「寝たふりをしてました」と証言している。
青島は肩を震わせながら、挨拶を返した。
「おはようございます……もしかして、結構前から起きてた?」
「少しだげ、だ」
鵜呑みにはしなかったがそれ以上は突っ込まなかった。
そんなに!?という時間、こうして抱きしめられていたりしたら、いたたまれないのは青島の方である。
青島は室井に向けていた顔を戻すと、軽く室井の腕を叩いた。
「室井さん、さすがに苦しいです」
暗に離してくれと言っているのだが、室井は応じてはくれない。
青島の首筋辺りに額を押し付けて、より強く抱きしめられる。
青島の頬がじんわりと熱くなった。
昨日知ったばかりの抱擁には、まだ慣れない。
だけど、やっぱりイヤじゃないのだ。
青島は室井の腕をそっと撫ぜた。
「室井さん?」
少し困った声で呼びかけながら、また首を捻った。
室井の表情は見えない。
「おーい」
「…くな」
掠れた小さな声が聞き取れ無い。
「室井さん?」
もう一度名を呼ぶと、室井は顔を上げた。
どこまでも真っすぐな眼差しが、青島を見つめる。
「行かないでくれ」
思わぬ台詞に、青島は呆けた。
強い口調なはずなのに、何故か縋るような響きにすら聞こえた。
「帰るな…」
青島は何となく思った。
―この人、いつから俺を好きだったんだろうか。
事に及ぶまで気が付かなかったが、室井はかなり切羽詰まっていたように思う。
今だってそうだ。
青島を離すまいとする姿を見る限り、昨日今日の思いつきで青島を押し倒したわけじゃなさそうだった。
尤も思いつきで誰かを押し倒せるような性格はしていないだろうが。
もしかしたら、青島が想像するよりずっと長く、室井は青島を思っていてくれたのかもしれない。
青島はそんなことを考えながら、呟いた。
「そうは言われても……仕事、行かないと」
少しの間の後、
「そう、だったな」
些か間の抜けた返事が返ってきた。
どうやら、失念していたらしい。
青島は声を出さずに笑った。
「室井さん」
「…なんだ?」
「ちょっと離してください」
「……」
返ってくる沈黙は、容易に室井の感情を教えてくれる。
無口な男だが、意外と雄弁なのかもしれない。
表情や態度、それから沈黙が教えてくれることが、いっぱいある。
それだけ青島が室井を理解しているということだろう。
―ホント…いつの間にこんなことになっちゃったんだろうなぁ。俺も室井さんも。
不愉快ではないが不思議に思いながら、もう一度お願いした。
「少しだけ、離してください」
そっち向きたいからと告げると、少しの間の後、室井の腕が緩んだ。
もぞもぞと動くと、身体の向きを変えて、室井と正面から向き合う。
じっと見つめてくる視線に、どうしたって頬が熱くなる。
それでも青島は根性で視線を逸らさなかった。
逸らしちゃいけない気がしたのだ。
今逃げたら、多分もう二度と室井には近づけない。
―今、ここで、答えをださないと。
そう思ったが、答えなどとっくに出ている。
でなければ、夕べ室井を殴り倒して、この部屋を出て行った。
青島は一度深呼吸をした。
「室井さ、」
「君が好きだ」
遮られて、青島は赤面しながら、眉を寄せた。
それなりに決心を固めて口を開いたというのに、室井が真顔で邪魔をするのだ。
しかも、そんな言葉で。
文句をつけようかと思い再び口を開こうとすると、また室井に先を越される。
「ずっと、好きだった」
至近距離で見つめ合ったまま、静かに繰り返される告白。
「……夕べも、聞きましたよ」
最中のことはあやふやでも、室井が自分を抱きながら繰り返した台詞は忘れていない。
忘れられるわけもない。
「まだ言い足りないんだ」
「意外と情熱的だったんですね」
「君にだけ、な」
「…意外と、タラシっぽい」
思わず呟くと、室井の眉が寄る。
それを見て、青島は声を漏らして笑った。
笑ったら、ようやく力が抜けた。
気持ちのまま室井に手を伸ばし、その背中を抱きしめる。
一瞬固まった室井だったが、しっかりと抱き返してくれた。
「仕方ないっすよね?」
こうなってしまったものは、きっと仕方が無い。
青島のせいでも、ましてや室井のせいでもない。
ただ「そうなるようになっていた」としか言いようがないことだってあるのだ。
「惚れちゃったモンは、仕方ないっすよね?」
耳元で囁くと、室井の腕が強くなる。
「……ちゃんと言え」
可愛い要求が返ってきて、青島は笑いながら室井の肩にキスをした。
「俺も好きですよ、室井さん」










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2006.1.31

あとがき


ラブラブですねぇ(笑)
ぎこちなくラブラブな二人が書きたかったのですが…
また薄ら寒いですか?(^^;

私はよっぽどすみれさんを好きなのか、また登場です。
そして、まだ出てくる予定です(笑)
青島君とすみれさんは仲良しであればあるほどいいです(^^)

そして、一体どこまで続くのか、この話…(汗)
もう少しだとは思うのですが、ちょっと余計な場面まで書いて
長く長くなっていっている気がします;
少なくても、後二話はあります。
二話で収めたいです!



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