自宅で青島と二人きり。
先日青島の部屋でも二人きりになったが、それとはまた違う空気があった。
もう何度となく経験した状況なのに、今は無性に緊張する。
久しぶりだからというだけじゃない。
恋人じゃない青島を部屋に上げるのだから、それなりに覚悟もあった。
間違えても、無体なことはしてはならない。
一倉じゃあるまいし、そんなことにだけはならないように室井は気を張っていた。
―今回も恩田君にも来てもらえばよかっただろうか…。
室井は冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら、ぼんやりと思った。
今の状況なら、すみれは間違いなく協力してくれるだろう。
だが、いつまでも第三者がいては、青島を口説け無い。
仲良しこよしになることが、室井の目標ではないのだ。
―ヨシ。頑張ろう。
室井は力強く思う。
また一歩青島に近付くために、青島に好きになってもらえるように。
「あの…」
室井が台所で缶ビールを握りしめていると、青島がひょっこりと顔を出した。
「何か手伝いましょうか?」
台所に入ったまま中々戻らない室井に、青島も気を使ってくれたのだろう。
室井はすぐに台所を出る。
「いや、もうすることはないから」
「そうっすか〜…なんかすいません」
またご馳走になっちゃって、と青島は頭を掻いた。
「気にしないでくれ。俺が好きで呼んだんだから」
素直に伝えると一瞬だけ顔が強張った気がしたが、室井が疑問に思う間もなく青島はニコリと笑って見せた。
「ありがとうございます〜。おかげでまた美味いモンが食えます」
料理好きでよかったと思った。
室井がそう強く思ったのは、人生で二回目だ。
一度目は、青島に初めてきりたんぽ鍋をご馳走した時。
また食わせてくださいと言われて、それが社交辞令と知りながらも、料理をやっていてよかったと心底思ったものだった。
何となく昔を思い出し、室井は表情を柔らかくする。
「…飯にしよう」
そのまま青島を促すと、それは嬉しそうに頷いた。
「青島、調子悪いのか?」
室井はグラスを置くと、青島の顔を覗き込むようにした。
常日頃食のいい青島だが、今は食べるのも飲むのもあまり進んでいないようで、気になったのだ。
「いや、大丈夫っすよ」
そう言って笑うが、表情が硬いように見えるのは、気のせいか。
室井はざっとテーブルの上を見渡したが、青島の嫌いなものは上がっていない。
全て室井が用意するのだから、当然出来るだけ青島の好みに合わせた料理を用意していた。
別に食べ物でつれると思っているわけではなくて、単純に青島を喜ばせたかっただけだ。
味の方も、青島の好みから大きくは離れていないだろう。
食事に問題が無いとしたら、後は青島自身の問題か。
食が進まないようなことでもあったのかもしれない。
「何かあったのか?」
そっと尋ねると青島は笑顔を作った。
「なんもないですよ〜」
青島の小さな表情の変化なら、室井も見落とさない。
きっと何かあったのだ。
「悩み事でもあるんじゃないか?」
曖昧に笑って首を振る。
「別に…何も」
「俺で良ければ、相談に乗るが」
思わず言ってしまって後悔した。
青島があからさまに困った顔をしたからだ。
今の室井は青島と突っ込んだ話ができる間柄じゃない。
その室井に問い質されては、青島も困るだろう。
「すまない…余計なお世話だったな」
室井が退くと、青島は慌てて首を振った。
「いや、そんなことは、全然っ」
返ってきた思わぬ強い否定が嬉しい。
室井は少し笑って頷いた。
「…俺に話せることなら、いつでも聞くから」
心配だが無理強いしても仕方が無い。
だけど、室井の方はいつだって、青島に対して気持ちが向いているのだということは、知っていて欲しかった。
そう思って口にしたのだが、青島はその言葉を聞いて、また表情を曇らせた。
青島に踏み込むようで図々しい発言だっただろうかと思い、ちょっと焦る。
「室井さん…」
「何だ?」
困ったような、戸惑ったような視線を寄越す。
「何で俺にそんなに親切なんですか?」
ある意味確信をついた青島の質問に、室井は目を剥いた。
―君が好きだから、なんて言っても良いんだろうか。
良くはないだろう。
だが室井の頭には、青島の質問に対しての解答がそれしか浮かばない。
室井は思わず沈黙した。
すると、何故か青島が薄っすらと赤面する。
その表情の変化に、室井はまた驚いた。
「青島…?」
「す、すいません、お、おれ、帰ります」
「えっ?」
失礼しますと言って立ち上がり、脱いであったスーツの上着を掴んだ。
室井も慌てて立ち上がる。
訳が分からなかったが、このまま帰したくはない。
「何か気に触ることでも言っただろうか?」
青島は上着を着込みながら、首をブンブンと振る。
「ち、違います、そんなんじゃない」
「なら…」
「室井さんが悪いんじゃない」
室井さんじゃない、と俯きがちに繰り返す声が心細く聞こえて、室井も不安になる。
「青島?」
上着のボタンを閉めようとしていた青島の手首を、思わず掴んだ。
掴んだ途端、青島の動きが止まる。
そして、室井も硬直した。
俯きがちではあったが、青島の耳や頬が赤く染まっていくのが見えた。
「あ…おしま…?」
呆然と声を掛けたら、青島は弾かれたように顔をあげた。
やはり赤い顔をしていたが、笑っている。
「あはは、なんか酔っ払ったみたいで、調子悪くて」
申し訳なさそうに笑いながら、室井の手からそっと逃れる。
「迷惑かけることになりそうだから、今日はもう帰ります」
―違う。
そんなんじゃないことは、室井にもすぐに分かった。
耳障りなほど、心臓が激しく存在を主張する。
何かを確信しそうだった。
室井はもう一度青島の腕を掴む。
その瞬間、ビクリと反応を示した身体は、怯えているようにすら見えた。
本人に自覚があるのかないのか分からないが、酷く不安そうな視線を向けられて、室井の背中がゾクリと震える。
嗜虐心を煽られたわけじゃない。
青島を虐めたいわけじゃ、もちろんない。
青島が怯えて見えるのは、室井を怖がっているわけじゃないはずだ。
―青島が俺を意識している。
室井は鳥肌が立った気がした。
「室井さん、離し」
「青島」
青島の言葉を遮る。
腕を掴む手に力を込めると、青島が身を引いた。
その分だけ、室井も近付く。
青島はそのままでしばらく視線をさ迷わせていたが、やがて空いた手で額を押さえて俯いた。
「おかしいですよね?」
「…何がだ?」
なるべく静かに聞き返す。
青島を追い詰めたいわけじゃない。
「今の俺、俺達、なんか、おかしいです、上手く言えないけど、なんか……不自然だ」
青島の困惑が手に取るように伝わってくる。
室井は額を押さえている青島の手に触れた。
その手を掴むと、また小さくピクリと反応する。
「不自然だなんて、言わないでくれ」
少し掠れた室井の声に、青島はゆっくり顔を上げた。
「室井さん?」
「不自然なのは…」
離れたままでいることだ。
だけど、今の青島はそんなことは夢にも思っていない。
青島の知らないことだ。
それが、今更ながら悲しい。
室井は青島の手を握ったまま、顔を近付けた。
目を見開いている青島を認めたまま、そっと唇を重ねる。
触れるだけのキスだったが、久しぶりに触れた青島の感触にまたゾクリとした。
「イヤだったか?」
呆然としている青島に尋ねる。
それでようやく何があったか悟ったらしく、青島は幾分遅れて赤面した。
「な、なん、何、どう、え?ああ?」
全く意味のなさない言葉を口にする青島に、室井は苦笑した。
「落ち着け」
「…………て、言われても」
平然としている室井に、戸惑った視線を寄越す。
―当然だろうな。
いきなりキスされて戸惑わない人間はいないだろう。
思いながら、室井はもう一度尋ねた。
「イヤだったか?」
青島は赤い顔で室井を見ていたが、やがて視線を反らした。
「青島」
「やっぱり、不自然だ」
「え?」
「……なんて、不自然だ」
それは聞き漏らしそうな小さな声だったが、室井の耳にはちゃんと届いた。
『イヤじゃないなんて、不自然だ』
室井は青島の手を解放すると、頬に添えて自分の方に向かせた。
意図を悟ったのか、青島は少しだけ顎をひいたが、抵抗らしい抵抗ではない。
構わずに唇を重ねた。
そのまま抱きしめると、青島の身体がやけに硬いことに気付く。
緊張させているのは、他ならぬ室井だ。
申し訳なくも思うが、イヤじゃないと言ったのは青島で、青島がイヤじゃないのなら、室井には止まれない。
動揺しているのか困惑しているのか、無反応な青島の唇に、何度も自分の唇を重ねる。
やがて、青島が動いた。
室井のシャツの背中を掴み、室井の唇に応じるように唇が動く。
「ン…っ……ふっ…」
唇の隙間から青島の声が漏れた。
それが室井の心と身体に、ダイレクトに響く。
室井は舌を差し入れキスを深くしながら、青島の身体を押した。
青島の背中を壁に押し付けて、唇を貧る。
いつの間にか青島の両腕が室井の背中に回り、絡めた舌は室井に応じるように蠢いた。
ガチガチだったはずの身体からは既に力が抜けている。
室井は抱いた腰を、強く引き寄せた。
そのまま青島の身体に圧し掛かると、壁に背中を預けたまま青島は膝を折った。
それに合わせて室井も座り込み、なおも唇を求める。
キスをしたまま、頬をなぜ、首筋に触れ、襟首を開く。
室井が何を求めているのか悟ったのか、夢中でキスに応じていた青島が、室井の胸を叩いた。
素直に唇を離す。
青島は肩で息をしながら、唇を手の甲で拭った。
「こ、これは、まずいですよ…」
散々キスした時点で既にまずいことになっていることに、気付いているのかいないのか。
室井は少し乱れた青島の髪を梳いた。
「…イヤか?」
三度目の質問。
青島は顔をしかめた。
「なんか…ずるいよ、室井さん…」
何がずるいのか良く分からなかった。
もしかしたら室井が無意識に、青島に選択肢を与えているフリをしてしまっていることかもしれない。
イヤだと言われれば、すぐにでも離した。
だけど言われるような気は、全くしていない。
だから、「イヤか?」と聞けたのかもしれない。
だとしたら、室井はやはりずるいのだろう。
「すまない」
謝ったが、離れようとはしない。
離れられない。
離れられるわけがなかった。
青島はじっと室井を見つめて、少し俯く。
「…酔っ払ってる?」
「君も俺も酔うほど飲んでない」
「正気?」
「少なくても、俺は」
「…俺は?」
「正気だと嬉しい」
俯いたまま、青島は吹き出した。
クスクスと笑うから、肩が揺れる。
その肩を掴んで顔を上げさせたくなったが、室井はじっと待った。
多分、今、一生懸命答えを出そうとしてくれているんだろうと思う。
記憶の欠けた青島が、目の前にいる室井との答えを。
―フライングしてなければいい。
―タイミングを間違えていなければいい。
室井は青島を待ちながら、切実に思った。
室井にとっては永遠とも思えるような長さだったが、実際はほんの一瞬だったと思う。
「困ったな…」
小さな声で青島が呟いた。
「青島…」
思わず呼ぶと、青島は顔を上げた。
想像以上に、真剣な顔で見つめられる。
そこには困惑も動揺も無い。
ただ、真っ直ぐに見つめる眼差しに、室井は言葉を飲んだ。
「イヤだと言ったら、離してくれますか」
離してくれと言っているのではなくて、単なる確認のような気がした。
だから、青島に触れたまま、室井は頷いた。
「……困ったな」
もう一度呟くと、青島は笑みを零した。
笑みに続いて零れ落ちたのは。
「イヤじゃないなんて、困るよ」
室井が待ち望んだ青島の答え。
室井は何も言わずに青島を抱きしめた。
キツク抱きしめて、肩に顔を埋める。
青島の手がしっかりと室井の背中を抱きしめた。
「室井さん…?」
少し心配そうな青島の声。
申し訳ないと思いながら、室井はその唇を塞いだ。
本当は、もっとちゃんと、言葉にしたかった。
だけど口を開けば、零れるのはきっと言葉だけじゃない。
今はとてもじゃないけど、何も言えそうになかった。
言わなくても、伝わるものはあったのだろう。
青島も何も言わず、室井の唇を受け入れてくれた。
そして、室井の全てを―。
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