■ 記憶(5)


本庁に所用で訪れた青島を、食事に誘った。
「ラーメン食いに行かないか?」
最近できたばかりのラーメン屋。
先日仕事の合間に一倉に連れていかれて室井は試食済みだったが、味は中々良かった。
それを思い出して誘った。
「室井さん、ラーメンなんか食うんですね」
室井に誘われたことよりも、そっちの方が意外だったらしい。
実際、青島と付き合う前までは、それほど食べなかった。
嫌いだったわけではないが、特別興味もなかった。
青島に付き合って頻繁に行くようになり、美味いと思うようになった。
そんなことは、今の青島は知らない。
「結構好きなんだ」
「あ、そうっすか!俺もなんですよ〜」
嬉しそうに笑う青島を連れて、ラーメン屋に行った。
前回感じたほど美味さは何故か感じられなかったが、青島には大絶賛されたから、室井はそれだけで大満足だった。


***


『すいません、すみれさんがどうしてもって〜』
酷く言い辛そうに青島から電話が掛かってきたのは、室井が必死に青島を誘う口実を考えている最中だった。
聞けば、すみれがどうしても室井の作ったきりたんぽ鍋を食いたいと言うのだという。
『俺が前に一度、室井さんにご馳走になったことを覚えていたみたいで…』
なんか今更駄々を捏ねるんですよーと、困ったような青島の声に、室井はひっそりと苦笑した。
すみれなりに協力してくれているのだと、すぐに分かる。
室井に相談なく行動する辺りが、彼女らしい。
「分かった。連れて来い」
『ええっ?いいんですか!?断ってくれていいんですよ〜?すみれさんの手前、一応お願いしてみただけなんで…』
「君は食いたくないか?」
『いや、まさか!』
「なら、連れて来い…鍋は人がいないとやらないから、俺も嬉しい」
意外な台詞だったのか、少しの間の後、
『ありがとうございます』
柔らかい声が返ってきて、青島の表情が見えた気がした。
室井は素直にすみれに感謝した。


***


どうしようもなくベタだが、苦肉の策で誘ってみた。
「チケットを貰ってしまったのだが、映画に行かないか?」
さすがに驚いた顔をした青島に、室井もやはり不自然だったかと焦る。
「すまない。映画など誘える相手がいなかったから、つい…忘れてくれ」
慌てて付け足した室井に、青島はポカンとして、それから弾かれたように笑った。
「あはははっ……室井さん、天然?」
そういえば過去にも青島に天然ボケ扱いされた覚えがある。
相手がいくら青島でも心外は心外だ。
眉を寄せた室井に、笑いすぎたのか涙目になりながら、青島は言った。
「いいっすね。俺も映画なんか誘ってくれる人いませんし」
寂しいモノ同士行きますか、と笑ってくれたから、室井はホッとした。
映画は青島の好きなアクション映画。
青島の部屋には同じ監督の映画のDVDがあって、一緒に見たことある。
室井はそれを覚えていたのだ。
映画を見て、軽く食事をして、ほろ酔いになりながら、青島は上機嫌で言った。
「今度見に来てくださいよ」
それを聞いて凄く嬉しかったのに、少しだけ後ろめたかった。


***


「お前、バカじゃないのか?」
一倉が心底呆れた顔で呟くから、室井は眉間に皺を寄せながら、沢庵を噛み砕いた。
移動の途中で寄った定食屋で、一倉と差し向かいで昼食を食べている最中だった。
「青島を騙してるみたいで、落ち着かないだと?」
今度は鼻で笑われる。
「何でお前が後ろめたくなる必要があんだよ」
お前あいつの恋人だろうが、と言いながら、箸を動かす。
室井は努めて冷静に返事を返した。
「今は違う」
「ああ、まぁ、そうだったな…」
「俺はあいつが何を好むか、何をすれば喜ぶか、既に知ってるんだ」
好きな食べ物も、好きな酒も、好きな会話も、好きな映画も。
青島が口に出さなくても、室井はまるで手品をみせるように―不器用なのでそんなに自然にはやれないが、青島に差し出すことができる。
その結果、今の記憶の欠けた青島を喜ばせることに、成功しているわけだ。
喜ぶ顔を見られるので室井も嬉しいのだが、その度に罪悪感にも似た感情が生まれる。
室井が青島のことを知っているのは当然のことなのだ。
「そりゃあ、長い付き合いだからな」
一倉は行儀悪く頬杖をつきながら、お茶を啜る。
そう、長い付き合いだから当然なのだ。
長い間一番近くで見てきたからできることなのだが、それを青島は全く知らない。
室井はそのことが少し気になっていた。
「なんか青島を騙してるみたいで、気持ちが悪いんだ」
小さく呟くと、一倉はもう一度言った。
「お前、バカなんじゃないのか?」
常日頃、こいつの頭は尋常なのかと疑っている友人に、バカバカ言われるのは釈然としないものがある。
眉を寄せた室井に、一倉は少し身を寄せた。
「お前が青島のことを良く知ってるのは、なんでだよ」
「何でって…付き合って、たからだ」
この答えはさっき一倉の口から既に出ている。
訝しげに答えた室井に、一倉は首を振った。
「それはそうだが、付き合ってたって、相手にちゃんと興味を持たない限り、詳しくはならねぇだろ」
「そう、かもしれないな」
「お前が青島を喜ばすツボを押さえてんのは、お前が努力したからじゃねぇのか」
意外な台詞に室井は目を剥く。
「その努力をお前が駆使して、何が悪いんだよ。しかも今は不測の事態だぞ?」
悠長に構えてる場合か、と突っ込まれる。
青島に惚れたから、青島を喜ばせたくて、時間をかけて覚えた術。
それを本人に駆使するのを躊躇う理由がどこにある。
言われてみれば、その通りではある。
青島が忘れてしまっている二人の記憶。
だけど、青島の中から消えてしまった記憶は、決して不要なものではなかったはずだ。
室井にとってはもちろん、当事者の青島にとってもきっと。
―俺がそれを証明すればいい。
青島をもう一度口説き落として、それを証明すればいいのだ。
「そんなことに遠慮してたら、青島は戻って来ないぞ」
からかうように言う一倉を一瞥する。
「遠慮なんかするつもりはない」
罪悪感があったのは事実だが、だからと言ってやり方を変えたり手を引くつもりは毛頭なかった。
「諦められるか…青島だって、絶対望んでない」
別れたいなんて、絶対に。
きっぱり言ったら、一倉は苦笑した。
「あ、そ。何だよ、結局惚気か?」
「どちらかと言えば、ただの愚痴だ。おかげで気が軽くなった」
一倉の無責任な発言にはいつも頭を悩まされているが、今回ばかりは有り難い励ましとして、受け取らせてもらうことにした。
「ありがとう」
室井は真顔で言って、伝票を手に立ち上がった。
らしくもない素直な礼に一瞬顔をしかめたが、一倉は室井の後に続いて立ち上がり苦笑した。


「いっそのこと、ヤッてみるってのはどうだ?」
会計を済ませて外に出た途端、一倉が言った。
察しの悪い室井は、真面目に聞き返してしまう。
「何をだ?」
「セックス」
室井は昼飯を奢ってやったことを、迷わず後悔した。
眉間に皺を寄せたまま、一倉に構わず歩き出す。
「悪い案じゃねーと思うけどなぁ」
時計を見ると、休憩に出て一時間近く経っていた。
「頭が忘れても、身体が覚えてるってこともあるだろ」
のんびりしすぎたかと思い、自然早足になる。
「むしろ忘れられなかったりしてな」
ガハガハと親父丸出しで笑う一倉に、室井はたまらず足を止めて振り返った。
「身体が寂しくて、誰かに慰めてもらってたらどうする?」
「変な想像で勝手に盛り上がるな!」
一倉に怒鳴ったところで効果は無いことくらい分かっているのだが、それとこれは話しが別である。
意味はなくても、黙っていられないのだ。
「変な想像じゃなくて、心配してやってるんだぞ」
「余計なお世話だっ」
「そうか?俺だったら、喜んで慰めてやるんだが…」
「青島がお前になんぞ頼るわけないだろうっ」
「それは心外な。テクニックには自信があるんだが」
「誰がそんな話をしてる!人の話をちゃんと聞けっ」
室井が一倉の首を絞めてやろうかと不穏なことを考えていると、胸ポケットで携帯電話が鳴った。
一倉を一度睨みつけてから、携帯に手を伸ばす。
ディスプレイを見て、すぐに室井の表情が変わった。
室井は一倉を無視して歩きながら、通話ボタンを押した。
「青島?」
『あ、室井さん?お疲れ様です〜』
やはり、電話の相手は青島だった。
噂をすれば、なタイミングでさすがに驚く。
「お疲れ様…どうした?」
『すいません、急に。今晩暇です?』
「あ、ああ、多分大丈夫だと思うが」
『良かった!実は和久さんからカニを貰ったんです〜』
「…カニ?」
『そうなんですよー。和久さんも人から貰ったらしいんですけどね。本当は署の連中でカニ鍋でもしようって言ってたんですけど、すみれさんが「カニは一人で食べるものっ」って言うもんで、何となく流れちゃって…』
「そう、か。彼女らしいな」
『でしょ?そんで、今、手元にカニが二匹いるんで、室井さんもどうかなぁと』
この間の映画のお礼に、と言ってくれる。
室井は顔が緩むのを感じ、とりあえず口元を手で覆った。
―恩田君はこうなることを予想していたんだろうか…。
なるといいなーくらいには思っていたのかもしれない。
そうでなければ、いくら食いしん坊な彼女でも、あの仲の良い湾岸署員だ。
皆で鍋をすることを拒んだりはしない気がする。
『あ、すいません、急だし、無理だったらいいんです』
ちょっと慌てた青島の声に、室井も慌てて返事をする。
「いや、大丈夫だ。ご馳走になりに行ってもいいか?」
『もちろんっ』
仕事が終わり次第自宅に行く約束をして、室井は電話を切った。


「順調みたいで、何よりだな」
隣に並んだ一倉が、横目で室井を見ながら口角を上げて見せた。
室井は無理やり表情を引き締めたが、意味はなかった。
「しかも、チャンスじゃないか?家なら押し倒し放題…」
「一度、死んで来い」










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2006.1.22

あとがき


室井さんの努力と葛藤(?)でした。
ちょっと室井さんの気持ちが、分かり辛かったかな(汗)
本当だったら時間をかけて覚えていく知識を
室井さんはスタート地点から持っているわけで、
それを青島君に差し出して「嬉しい」「楽しい」という気持ちを引き出していることが
少しだけ後ろめたかった…ようです。
だからって諦める気はサラサラなくて、
「申し訳ないなぁ」という思いを一倉さんにちょっとだけ零しただけなのです。
…という話を後書きで説明するなって、感じですが(滝汗)
も、申し訳ないです;

一倉さんが出ると、ギャグになるなー(笑)
いや、一倉さんがシリアスになると、どうしても青島君狙いになるので(私が書くと、ですが)
ギャグでいいんですが…;
でも、最後の方は書いてて楽しかった♪(笑)
やっぱり一倉さんはエロオヤジでないとーv(どんな認識だ)



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