駅前で室井の姿を見つけて、青島は駆け寄る。
「すいませ〜ん、大分待ちました?」
頭を掻きながら尋ねると、室井は緩く首を振った。
「いや、たいしたことはない」
時計を確認すると、約束の時間を少し過ぎている。
これでも仕事が終わってから大急ぎで来たのだが、ちょっとだけ遅刻してしまったようだ。
室井も暇なわけがないから申し訳なく思ったが、室井の方は全く気にしていないようだった。
「急に誘って、悪かったな」
逆に謝られて、今度は青島が首を振る。
「いや、全然。嬉しかったし」
素直な感想を述べると、室井は少し目を細めた。
―ん?なんだろう?
一瞬青島の胸にひっかかるが、
「本当か?」
室井に聞き返されて、すぐに忘れてしまう。
「もちろん」
笑顔で応じると、室井はホッとしたように「そうか」と呟いた。
突然のお誘いに驚きこそしたものの、単純に嬉しかった。
室井が他のキャリアと違うことは良く知っているが、気さくな態度はやっぱり嬉しい。
室井にとって青島がただの所轄刑事ではないことは、自惚れでもなく青島自身実感している。
二人の間には他にはない約束があったからだ。
言葉で説明すると、青島と室井は部下と上司に過ぎない。
それでも、確かに二人の間にはそれだけではない繋がりがあった。
青島は室井を信頼していたし、室井の信頼もちゃんと感じていた。
キャリアがノンキャリの所轄刑事を信頼するなど、普通に考えればありえない。
脱サラ刑事の青島でも、何年か所轄で働けばそれくらい分かる。
口さえ聞いてもらえないことがほとんどなのだ。
だが、室井だけは違った。
もちろんどうしようもない壁はあって、そのたびに室井とでさえぶつかる時がある。
それでも、室井が目指しているのは、その壁の無い世界だ。
だから青島は現場で頑張ると室井と約束した。
室井が警察を変えてくれると信じているから、約束したのだ。
それを室井も大事に受け止めてくれている。
室井が青島に約束してくれたのは、青島が室井に約束した理由と同じはずだ。
信頼しているから、約束してくれたのだ。
だから青島にとっても、室井は特別だった。
「何食べたい?」
聞かれて、「んー」と考え込む。
「焼鳥とか、どうだろう?」
室井の提案に、青島は目を輝かせた。
「いいっすね」
好き嫌いはほとんど無い青島だから何でも喜んで食べるが、一人で飲みに行く時は焼鳥屋が多かった。
手軽だというのもあるが、好物なのである。
喜色ばんだ青島を見て、室井がふっと微笑んだ。
その顔を見て、まただと思う。
この間署で会った時にも、見せた表情。
柔らか過ぎるそれに、小さな違和感を覚える。
不快なわけではない。
むしろ、暖かみを感じるソレは、嬉しいとさえ感じた。
だけどどうしてか、酷く落ち着かない気持ちにさせられる。
青島の心中など気付くこともなく、室井は青島を促すように歩き出した。
「俺の知っているところで、いいか?」
「あ、もちろん」
青島は慌てて室井の後を追った。
「あれ?ここ…」
室井に続いて店の中に入った青島は首を傾げる。
「どうかしたか?」
「やー…なんか見覚えがあるような気が」
しなくもないような、と呟くと、室井は少し驚いたようだった。
来た覚えは無いが、見覚えがあるような気がするというのも、おかしな話である。
青島は苦笑した。
「まぁ、居酒屋なんて、見た目はみんな一緒っすからね」
どこかで似たような店を見ているんだろうと、一人納得した。
「…そうだな」
そう呟いた室井が、少しだけ寂しそうに見えて、青島は慌てて付け足した。
「いや、室井さんが連れて来てくれた店に文句があるわけじゃないっすよ?」
不服そうに聞こえたのかと思い弁解するが、室井は苦笑すると首を振った。
「分かってる」
気分を害していないと知ると、青島はホッとした。
病み上がりのせいか、いつもよりも酒の回りが良かった。
自分でもフワフワと浮かれているのが分かる。
分からないほど酔っ払っていないだけ、幸いか。
青島は締まりの無い顔で酒を嘗めていた。
「大丈夫か?青島」
少し心配そうに尋ねてくる室井は、さすがにしっかりしている。
「だーいじょーぶですよー」
間延びした返事を返すと、室井は苦笑した。
「楽しくなってるだけならいいが」
「あれ?俺、楽しそうです?」
「ああ…違うか?」
「いや、楽しいです〜」
そんなにあからさまかなと思うとちょっと照れ臭いが、楽しいのは事実なのだから仕方が無い。
へへーと笑いながら、青島は室井のグラスに酒を注いだ。
「室井さん、何かありました?」
室井はグラスを支えながら首を傾げた。
「何かとは?」
「んーーー、いや、また雰囲気変わったなぁと思ったから」
思ったことを素直に口にしてみたら、室井は軽く目を瞠った。
初めて会った頃と比べると、室井は別人のように変わった。
いや、本質的なところはきっと変わっていない。
警察という特殊な環境の中で隠れてしまっていた部分が、剥き出しになっただけだろう。
青島と出会ったことが、室井に変化をもたらしたのだ。
青島が室井に出会って、なすべきことを見つけたように―。
だが、今青島が指摘したのは、そういう話ではない。
酔いに任せて、青島は素直に言った。
「なんか、凄く表情が柔らかくなった」
不器用だが優しい人だということは、既に知っていた。
だが、それを表情や態度に出すことが苦手な男だったはずだ。
もちろん今だって表情が豊かになったわけではない。
だけど、ふとした瞬間にみせる柔らかい眼差しは、今までには無かったものだ。
「…特に、何もない」
少し考え込んでいたように見えたが、室井は気まずそうにそう呟いた。
「間が怪しいっすよ?」
意地悪く尋ねると、室井は眉を寄せた。
その顔が可笑しくて、青島は思わず笑みを零す。
「なーんか、いいことでもあったんじゃないかなって、思っただけですよ〜」
「いいこと、か」
室井の視線がふっと落ちる。
手元のグラスを玩びながら、薄く笑った。
力ない笑みの意味など考える余裕は、すっかり酔っ払ってしまった青島にはない。
「あ、彼女でも、できました?」
好奇心丸だしで身を乗り出す。
慌てて顔を上げた室井が目を剥いた。
その反応に、やっぱり笑ってしまう。
―可愛い人だなぁ。
今まで、室井に対して感じたことのない感情だった。
酒が入ると人との距離が一気に縮まることがある―恐ろしく遠くなる時もあるが。
青島は今、本来なら一定の礼儀を持って接するべき室井に対して働くべき壁が、異常に薄くなっている気がした。
「そんなんじゃない」
室井は顔を強張らせたまま言った。
「本当ですか〜?」
「ああ」
「じゃあ、じゃあ、好きな人ができたとか?」
思わず室井をからかってしまう。
反応が可笑しくて可愛いのだ。
露骨に顔をしかめた室井に、青島はニコリと微笑んだ。
「いいじゃないですか、男同士だもん。隠さずいきましょうよ」
すみれさんにバラしたりしませんから、と言うと室井は眉間の皺を深めた。
「隠すような事がない」
「本当に〜?」
「全く、ない」
「それも寂しいですねぇ」
「……」
「あ、すいません、冗談っすよ。怒りました?」
さすがに失礼だったかと慌てたが、室井は怖い顔のまま首を振った。
「怒ってない。事実だ」
潔い言いっぷりが、室井らしくて可笑しい。
青島は笑みを零すと、「俺もっすよ」と言った。
ちらりと視線を寄こす室井が、なんとも複雑な表情をしている。
「…君も?」
青島は無意味に胸を張った。
「ええっ、隠したくても隠すことが一つもありませんっ」
言いながら、室井のグラスを満たして、銚子に少しだけ残っていたお酒を手酌で自分のグラスに注いだ。
「寂しいモノ同士、飲みましょうっ」
開き直っているような、やけっぱちのような発言だが、別に卑屈になっているわけではない。
口ではそう言いながら、寂しいと思っているわけではなかった。
寂しいと思う暇が無いような、毎日を過ごしているからだ。
それに恋人とデートしなくたって、楽しいことは他にもいっぱいある。
例えば、今みたいに。
「寂しいモノ同士…か」
「ね?一人じゃないんだから、寂しくなくていいでしょ」
朗らかに笑ったら、室井は少し目じりを下げた。
「そうだな。それもいいな」
意外な同意も酒の席だと自然に聞こえる。
青島は素直に喜んだ。
「室井さんと一緒なら、寂しくなさそうだ」
その一言を、室井がどんな思いで聞いていたかなど、青島は知らない。
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