■ 記憶(3)


もう一度、青島に好きになってもらう。
腹を括ったのはいいが、そのためには努力しなければならない。
室井はソファーの上に胡座をかいて座り、テーブルの上の携帯電話を睨み付けていた。
好きになってもらうにはアプローチするしかないわけで、そのためにはまず会わないと話にならない。
会うためには、湾岸署に行くか、電話で呼び出すか。
悩みながら、室井はふっと思う。
「前の時は…どうしてたかな」
青島と付き合う前のことを思い返して、小さく微笑んだ。
もう随分前のことだ。
今となっては懐かしい出来事。
あれから青島と過ごした時間は、ちょっとやそっとじゃない。
―それなのに…。
一瞬で忘れられてしまった。
室井の目が暗くなる。
室井が覚えているどんな鮮明な記憶も、青島の中にはないのだ。
それを思うたび、苦しくなる。
室井は携帯電話を握り締めた。
―だけど、無駄にはしない。
例え、青島が全て忘れてしまっても、二人で過ごした時間は確実に室井の中にある。
それは決して無意味なことじゃない。
室井が無駄にさえしなければいいのだ。
「…よし」
意を決して、携帯電話で青島の番号を呼び出す。
数回のコールで、青島の声に切り替わった。
『はい、青島です〜』
のん気な声に、室井は思わず緊張も忘れて、笑みを零した。
聞きたかった声が聞けて、ホッとしたような気もする。
もっとガチガチになるかと思ったが、どういうわけか肩から力が抜けた。
『もしもし?ええと、室井さんですよね〜?』
黙っている室井に、いくらか不安そうな青島の声。
室井は慌てて、口を開いた。
「ああ、夜分にすまない」
『あ、いいえ〜全然』
明るい声が返ってくる。
「今、大丈夫か?」
『はい、飯食い終わったところで』
「またカップラーメンか?」
『ええっ、何でわかんですか?』
焦っている青島の顔が頭に浮かんで、室井はひっそりと笑う。
こうして話していれば、今は青島と付き合っていないだなんて思えなかった。
『それよりどうかしました?』
促されて目的を思い出す。
そしたらまた緊張してきたが、言葉にすることは思っていたよりも難しくなかった。
「もっと、マシなもの食わせてやるから」
『え…?』
「飲みに行かないか」
驚いたのか、少し沈黙する。
初めて誘った時も同じ反応だったことを思い出し、室井は目を伏せた。
「久しぶりに、どうだろうか」
青島と付き合う前にも、一緒に酒を呑んだことはあった。
何度もあったわけではないが、一度はきりたんぽ鍋をご馳走したことだってあった。
それらは、きっと忘れていないだろう。
『…いいっすねっ。いつにします〜?』
ちょっと弾んだ声。
多分室井の誘いを単純に喜んでくれているのだ。
声だけでも、青島の心の機微が分かる気がした。
「明日は、どうだろう」
急だろうかとも思ったが、あまりのんびりしたくはない。
できるなら、今すぐにでも会いたいくらいだった。
幸いなことに、青島は急な誘いに困ったふうではなかった。
『多分大丈夫です。一応、夕方電話しますね』
「了解した、何食いたい?」
『あ〜…う〜ん』
真剣に考えこんでいる気がする。
入院してから、ろくなものを食べていないのかもしれない。
室井が美味いものを食わせてやりたくなるのも無理はないだろう。
「何でもいいぞ、奢ってやるから」
『えっ』
これは確実に喜んでるな、と分かるくらい、声のトーンが上がった。
『あ、いや、でも、悪いっすよ』
慌てて、抑えた声になる。
素直に喜んで、すぐに反省して首を振る青島の顔が頭に浮かんだ。
それだけで、暖かい感情が胸に広がる。
手を伸ばして、傍にはいない青島を抱きしめたくなる。
電話で良かったと、室井は思った。
「全快祝いに、奢ってやる」
『全快って言っても、検査入院してただけっすよ』
「ケガもしてたろ」
『コブだけだし』
「コブも怪我だろ」
『……全快してないし』
室井は堪え切れずに吹き出してしまった。
どうやらまだコブは消えてないらしい。
慌てて口を押さえたが、もちろん携帯電話が室井の吹き出した声を拾っていないわけもなく、電話の向こうからいじけた声がした。
『笑わないでくださいよ〜これ、結構痛いんですよっ』
「す、すまない」
『笑いながら言わないっ』
室井は声を消し、目元だけ和らげた。
こうしてると、本当に今は付き合っていないとは思えなかった。
変わらない青島の声が胸に響く。
「お詫びに、ご馳走させてくれ」

二言三言交わして電話を切ると、室井はほうっと小さく息をついた。
少しだけ、安心した。
恋人だったことを忘れられていても、青島の自分に寄せられている好意は感じられる。
それにホッとしたのだ。
前に始めた時は、もっと不安だった気がする。
「二度目だからか…」
思えば二度同じ人を口説くというのも、おかしな経験だ。
室井はふっと笑みを零した。
それは幸せな笑みではなかったが、どこか嬉しそうだった。


青島をもう一度口説く。
不安がないわけではないが、希望はあると思っている。
室井と付き合っていた記憶が欠けただけで、青島は何も変わってないのだ。
室井が愛したままの青島だ。
室井を愛してくれたままの、青島だ。
それならば、きっと、もう一度、室井を愛してくれる。
そう信じていた。
自信があるわけではない。
愛して貰える人間であると、自信を持っているわけではなかった。
そんなものは、付き合っていた当初からあったわけではない。
ただ青島が自分を想ってくれている気持ちは信じていたし、それだけあれば室井には充分だっただけのこと。
今も信じているのは、変わらない青島のことだけ。
―青島なら、きっと。
―もう一度。
そう強く信じることが、今の室井の全てだ。



青島がもう一度室井を好きになる。
室井に恋をする。
いずれ、室井はその瞬間を目にするはずだ。
室井はそう信じている。
だから、少しだけ思った。
青島に一人想いを寄せながら、切なさと後ろめたさの狭間で。
―二度、青島に愛して貰えるかもしれない。
それは、ほんの少しだけ。
何にも埋められない喪失感の中にありながら、ほんの少しだけ室井に喜びを与えた。










NEXT

2006.1.14

あとがき


ポジティブ室井さん(笑)
何が何でも青島君を信じている室井さんですね。
なんかちょっと可哀想に思えてきましたが…(^^;

自惚れているわけではなくて、溺れるものは藁をも掴む…
みたいな雰囲気なんだと思います。
青島君を信じることで何とか行動に移せているんじゃないかと。
必死は必死なんじゃないかと。
思うのですが、どうだろう?(聞くな)

次は青島君サイドの気持ちなんぞを…。



template : A Moveable Feast