目の前に座った室井は、眉間に深い皺を寄せていた。
「注意力が無さすぎる」
ぴしゃりと言われれば、青島もカチンとくる。
「仕方ないでしょ」
言い返すと睨まれて、青島も睨み返した。
睨み返すが、右目の辺りが腫れているので良く分からない。
現行犯で捕まえた被疑者に殴られて、腫れているのだ。
念のため病院には行ったが、眼球は無事で、腫れがひけば元通りになるはずだった。
そんな日に限って、室井が泊まりに来る日だったりするからついてない。
もちろん室井には会いたいが、怪我をしたことを知られれば、怒られるのは目に見えている。
室井は青島の部屋にやってきてからずっと、怖い顔をしていた。
スーツのジャケットも脱がず、挨拶もそこそこに何があったんだと問いつめられ、洗い浚い喋ったら、想像通りにお説教が待っていた。
確かに青島も不注意だったかもしれない。
そう思って初めは大人しくお説教を聞いていたが、延々と続くそれに、段々と青島も面白くなくなってくる。
青島だって好きで怪我をしたわけではない。
青島としては、一生懸命働いた結果に過ぎないのだ。
それを誉めてくれとは言わないが、そんなに怒らなくてもいいじゃないかと思う。
そうなると、
―室井さんは分かってくれない。
と、若干いじけ気味にもなる。
「一歩間違えば大怪我に繋がるんだぞ」
険しい顔で注意され、青島は唇を尖らせた。
「仕方ないでしょ」
「仕方ないで済ませるなと言ってるんだ」
「警察官の仕事なんて、危険と隣り合わせなんだ。良くあることですっ」
「だからって、それを当たり前と思うなっ」
室井の言いたいことも分かる。
怪我をすることに慣れてもいいことなど何もない。
怪我をして当たり前と思って仕事をしていれば、いつか大きな怪我をするかもしれない。
室井は気を引き締めてやれと言いたいのだろう。
だが、青島だって、気を抜いているつもりは全くなかった。
「もう少し、状況を見て行動しろ」
室井が溜息まじりに呟く。
室井が言いたかったのは「無茶をするな」ということだったのだろうが、生憎と青島には伝わらない。
状況も読めない男だと言われている気になった。
つい、カッとなる。
「所轄の仕事に口を出さないでくださいよ」
室井の眉がつり上がった。
「俺は無関係だと言いたいのか?」
「そうでしょ、本店に迷惑かけてませんから」
「誰がそんな話をしてるっ」
「所轄には所轄のやり方があるんだっ」
本庁が口を出すなと言外に含めると、室井の額に青筋が浮かんだ。
「俺は本庁としてお前に注意しているわけじゃ…っ」
怒鳴り声を遮るように、室井の電話が鳴った。
二人とも沈黙し、青島は顎で室井の胸元を指した。
「出れば?」
室井は青島を睨み、一瞬悩んでから胸ポケットに手を入れた。
携帯電話を取り出すと、青島に背を向けて話し出す。
内容から、相手が本庁だと青島にも分かった。
「……分かった、すぐ戻る」
そう言って電話を切ると、青島を振り返った。
室井が何を言うより先に、青島が口を開いた。
「本庁からの呼び出しなんでしょ?さっさと行ったら?」
言ってそっぽを向くと、室井がまた溜息をついた。
「今の件については、保留だからな」
後日仕切り直そうと言って、立ち上がる。
「そんなに覚えてられませんけどね、俺馬鹿だから」
べーっと舌を出して見上げると、室井は眉間に皺を寄せたが、すぐに青島に背を向けた。
出て行こうとし、足を止める。
「今日の約束が駄目になったことだけは、謝っておく」
そう言って、そのまま足早に出て行った。
青島は室井が出て行った玄関を睨みつけて見送る。
怒りは収まっていなかった。
「謝ってないじゃん…」
ごめんなさいもすまないもない謝罪なんて認めない!と、青島は閉まったドアに向ってイーダをした。
***
席で仕事をしていた青島は、スーツのポケットから煙草を取り出した。
すると、すぐに目の前に差し出される貯金箱。
青島はしまったと思いながら嫌な顔をしつつ、顔を上げる。
無言で貯金箱を差し出すすみれがいた。
分煙に厳しくなって大分経つが、青島は未だに忘れる時がある。
そのたびに、どこからともなく貯金箱が差し出される。
それは主にすみれや雪乃だが、良く見ているものだと呆れ半分に感心してしまう。
「……」
青島は無言でその貯金箱に小銭を落とした。
すみれがニコリと笑うから、青島は眉を顰めた。
「その中身って、どうすんのさ?」
「もう少し貯まったら、お菓子でも買って皆で食べましょ」
公平になんて言っているが、どうせ誰よりもすみれの口に入るのである。
おそらく刑事課で一番罰金を払わされているであろう身としては、「もう少し貯める」ことには協力すまいと思った。
どこか嬉しそうに貯金箱を振っていたすみれは、青島の顔を見て首を傾げた。
「青島君、なんか機嫌悪い?」
「…そんなことないけど」
「嘘」
とぼけてみたが、あっさりと見破られる。
そのすみれの自身満々な言いぐさに、青島は眉を寄せた。
「なんで分かるのさ」
「青島君、すぐに顔に出るから」
またあっさりと返事が返ってきたが、そう言われると返す言葉もない。
「なんかあった?室井さんと」
これまた決めつけた言い草だが、ここで「なんで分かるのか」と問うのは、愚問だろう。
返ってくるのは、どうせ先の質問と一緒である。
否でも応でもない青島に、すみれは勝手に話を進める。
「ケンカでもした?」
「…別にそんなんじゃないよ」
仕方なくそれだけ返すと、すみれが苦笑した。
「なんでもいいから、さっさと謝ったら?」
白を切ろうとした青島だったが、それには思わず反応してしまう。
「ちょっと」
「何よ」
「何で俺が悪いって決めつけるのさ」
つまり、「室井さんとケンカしています」と認めたわけだが、そんなことには気付かずに青島は不満顔である。
すみれは真顔で聞き返した。
「違うの?」
この質問も失礼ではある。
青島は唇を尖らせて腕を組んだ。
「違うね、俺が悪いんじゃない。室井さんが悪いんだ」
絶対そうだと、青島は胸中で繰り返した。
夕べから何度も同じことを考えている。
悪いのは分からずやな室井であって、青島ではない。
青島は一生懸命に働いているだけである。
それを頭ごなしに「注意力が足りない」「状況が見えていない」と怒る室井が悪いのだ。
「あんな大人げない人だと思わなかった」
腕を組んで憤慨している青島に、すみれは肩を竦めた。
「青島君に言われるなら、室井さんもそうとうね」
「そうなんだよ……いや、ちょっと待って、それどういう意味?」
頷きかけたが、顔を顰めて聞き返した。
すみれはそれには答えず、苦笑した。
「あんまり意地は張らない方がいいわよ」
「そんなことは室井さんに言ってよ」
室井だって大人げなく意地を張り続けている。
だから夕べはケンカ別れしたわけだし、未だにケンカ中なのである。
忙しいからか知らないが、電話の一つも寄こさない。
だから、仲直りもまだなのである。
そう、全ては室井のせいなのだ。
少なくても青島の中ではそういうことになっている。
すみれは一つ溜息を吐いて、青島にビシッと人指し指を突き立てた。
「相手にばっかり期待してると、いつか後悔するわよ」
歩み寄れない青島に忠告めいた助言をくれるが、今の青島が素直に聞けるわけもなかった。
「俺は悪くない」
唇を尖らせた青島が小学生のように見えたせいか、すみれは苦笑してそれ以上何も言わなかった。
「ほどほどにしなさいよー」
と、なだめるように言って、仕事に戻って行った。
「…それも室井さんに言ってよ」
口の中でぶつぶつ溢しながら、青島は椅子を回して机に向き直る。
積んであった書類の束を漁り、下の方から引き抜く。
溜め込んでいた報告書を早く出せと、袴田に言われていたのだ。
腹が立っていたって、室井のことばかり考えているわけにはいかない。
そんな暇はないのだ。
ないのに考えてしまうから余計に腹が立つ。
―室井さんなんか知るもんか。
思いながら、報告書にとりかかる。
今日中に出さなければさすがに怒られる書類だった。
―室井さんに構ってる暇なんかないんだよ、俺だって。
忙しい忙しいと呟きながらペンを握る。
事件を思い出しながら、文章を組み立てる。
元サラリーマンで文章を作るのは苦手ではないが、デスクワーク自体があまり好きではなかった。
集中力を維持するのが難しい。
―謝れば許してやらないことはないけどさ、俺も大人だから。
とても大人とは思えないことを考えて、数行書いては、手が止まる。
―謝ってくれば…。
青島は無意識に胸ポケットを漁り、アメスピの箱に触れ、はたと気付く。
つい今さっき、すみれに罰金を払ったばかりである。
慌てて手をひくと、辺りを見回した。
すみれも雪乃も見当たらない。
青島はホッと息を吐いた。
「青島君、それ今日中だからね」
席から袴田が睨んでくるから、青島はむすっと頷いた。
「分かってますよ」
絶対だよと釘を刺す袴田を一別し、また報告書を眺める。
そして、頬杖をつきペン回しを始める姿は、完全に上の空だった。
帰宅した青島は、普段はあまり作らないパスタを作り、帰りにコンビニで買ってきた安い白ワインを開けていた。
テレビを見ては時々笑い声をあげ、一人でディナーを楽しんでいた。
「あはははは……」
あげた笑い声が微妙に乾いている。
それには気付いていたが、気付かない振りをした。
―気が乗らない。
―楽しくない。
―美味しくない。
そんなことは絶対にないのだ。
室井なんかいなくても、一人で充分楽しく過ごせる。
自分自身にそれを証明するためだけに、料理を作り酒を飲んでいると言っていい。
誰に向けて張った意地でもなく、自分自身に向けてのみ張った意地である。
なんせここで意地を張ったところで、知る人は青島本人しかいないのである。
手酌でワインを注ぎながら、テレビを眺める。
CMに入ると、リモコンを操りチャンネルを変える。
適当なチャンネルを点けるが、CMに入るとまた変える。
それを何度か繰り返し、リモコンを放り出した。
そのまま自身も床にひっくり返る。
頑張ってはみたものの、何を見ても興味が湧かないし、頭に入ってこない。
横になったまま、ちらりとテーブルの上に視線を向ける。
携帯電話が置いてあった。
室井からは、夕べから一切連絡がない。
普段であれば、本庁からの呼び出しで別れたのだから忙しいのだろうと思うが、呼び出しだけではなくケンカした挙句に別れているから、素直にそうとは思えない。
「やっぱり室井さんも怒ってんのかな…」
呟く声が不安そうで、青島は眉を寄せた。
「いや、悪いの室井さんだし!」
もう何度も繰り返したが、俺は悪くない!とまた繰り返す。
―大体あの人、過保護すぎるんだよ。
―俺のことなんだと思ってんだよ。
―子供じゃないんだよ?
―警察官だよ?
―警察官として俺のこと信用してないんじゃないの?
胸中でぶつぶつと溢して、寝返りを打つ。
うつ伏せになり、床の上の埃を見るとはなしに眺める。
―俺を信用してない。
―わけじゃないんだろうけどさ。
―警察官として。
―そりゃあ、信用はされてると思ってるけどさ。
―…心配してるだけ、なんだろうけどさ。
そんなことは青島にも分かっている。
分かっているのに、室井の心配に対して素直に頷けないのは、やはり青島が大人げないのだろうか。
「でも、それなら、もっとこう、優しく言ってくれてもいいんじゃないの?」
むすっと膨れっ面で呟いて、考えて、眉を寄せ、顎を床についたまま溜息を吐いた。
「あー……」
それを望むのであれば、少し自分が甘えすぎている気がしなくない。
心配をかけておいて優しい言葉が欲しいというのは、贅沢な話だ。
優しい言葉が欲しくてしているわけではもちろんないのだが、一生懸命働いて何をやっているんだと怒られるくらいなら、よくやったという優しい言葉が欲しいと思ってしまうのも事実だ。
「……やっぱ、甘えてんのかね、俺も」
ケンカして一日経って、青島もようやく多少冷静になってきたようだった。
むくりと起き上がると、携帯電話に手を伸ばした。
じっとそれを見つめて、しばし悩む。
何を言えばいいのか考える。
ただ謝るのはとても癪だ。
そう思うだけの怒りは、まだ残っていた。
「…俺も悪かったかもしれないけど、ムキになった室井さんも悪いよな」
うんそうだと一人勝手に納得し、伝えるべき言葉を見つけた。
―俺も謝るから、アンタも謝って。
青島の頭の中には、「どうせ室井さんだって仲直りしたいはずだ」という思いもあった。
つまり、やっぱり室井に甘えているのだ。
そのくらいの強気は許されるはず、と無意識に思っていた。
室井の番号を呼び出し、往生際悪く少し躊躇ってから通話ボタンを押した。
呼び出し音が響く。
中々繋がらず、その時間が妙に長く感じられた。
しばらくたってからようやく繋がったかと思ったが、繋がったのは留守番電話だった。
機会的な音声を聞いて脱力するとすぐに電話を切ろうとしたが、思い止まって発信音を聞く。
「むろいさんのばーか」
抑揚のない声でそう言って、今度こそ電話を切る。
仲直りするつもりで電話をしたくせに、口から出たのは可愛くない言葉でしかなかった。
室井の声が聞けなかった。
ホッとする半面、酷く残念に思う。
仲直りができなかった。
それが、心にずしりと響いた。
「…ま、電話くれるかもしれないしな」
曲がりなりにもメッセージを残したのだから、青島が電話をかけたことは室井もいずれ知るだろう。
そしたら、折り返し電話を貰えるかもしれない。
そう思うことで、青島は落ち込んだ気持ちをなんとか掬いあげた。
携帯電話をテーブルに戻し、再び床に横になった。
青島はその夜、数分置きに携帯電話を見つめながら過ごしたが、電話が鳴ることはなかった。
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