「ご飯食べてくださいよ」
「いらない」
「大丈夫、何も入ってませんから」
「いや、君、普通に考えて怖いでしょ」
「本当に大丈夫ですって。僕も同じもの食べてますし」
「俺、見えないから」
「あ、そっか」
青島は深い溜息を吐いた。
男が青島に食事を用意してくれたらしいのだが、そんなものは怖くて食べられない。
目隠しをされているというのに、毒味したと言われたって分かるわけがない。
が、アホな会話を繰り返しているうちに、この男を疑う理由などどこにも無い気がしてきた。
この男には青島を殺すほどの度胸は絶対にない。
少なくても故意には殺せないはずだ。
青島は口を開いた。
「んじゃ、少しだけ」
腹が減っていることは事実だし、このバカげた誘拐事件にもうんざりしていた。
恐らく今頃湾岸署では大騒ぎになっていることだろう。
申し訳なく思うし、青島自身何かしらの処罰を受けるかもしれない。
それは仕方が無いとして、問題は青島がこれからどうなるのかということと、男が青島の制服を使って何をするのか分からないということだ。
男は本当にただの制服マニアのようで、青島の制服を着られたことをいたく喜んでいるが、悪用されていないとも限らない。
それだけは避けたいが、今の青島にはどうすることもできなかった。
男が青島の口に食べ物を運んでくれる。
おそるおそる噛んだ。
「…チャーハン?」
「当たりです」
嬉しそうな声に、ゲームやってんじゃないんだぞと、青島は心の中で突っ込んだ。
「中々じゃないです?ちょっと前まで中華料理屋で働いてたんで」
ベラベラと喋り出す男に、青島は呆れた。
呆れながらも、話にのる。
今の青島にできることといえば、口と耳を使うことくらいしかないのだ。
であれば、せめて情報収集くらいしておきたい。
「へぇ、どうりで。中々美味いよ」
これは嘘ではなかった。
「そうでしょ。五年間働いてたんで、腕には少し自信があるんです」
「もったいない。なんで辞めちゃったの」
男は青島との会話に夢中になり、あれこれ話し始めた。
元々話し好きなのか、お調子者なのか、単なるバカなのか。
なんだかわからないが、青島と会話するのが楽しいらしい。
親しくなってみるべきかもしれないと、青島は思った。
男に凶暴性がないのであれば、近付いて親しくなってしまった方が、チャンスは生まれやすい気がした。
情が生まれたり、隙ができたりするかもしれない。
青島はできるだけ男の調子に合わせて話をすることにした。
食事が終わると、男はまたブラブラしてくると言って外出した。
その際、手が痛いからと言って、手首の拘束を緩めてくれるように頼んでみた。
ダメ元だったのだが、なんと男は快諾してくれた。
ところがヒモの変わりに、青島の片方の手首に手錠をかけ、どこかに繋いでしまったらしい。
青島が寝かされているのはベッドの上だと教えてくれたので、恐らくベッドの柵にでも繋がれているのだろう。
手錠は青島のモノだった。
状況は悪くなったと言っていい。
ヒモなら抜け出せる可能性もなくはないが、手錠にはない。
良かったことといえば、足も開放してくれたことだ。
尤も青島にできることといえば犯人を蹴ることくらいで、この状況ではあまり効果的ではなかった。
男を蹴り倒したところで、青島は逃げられないのだ。
青島は男のいなくなった部屋で何度目かもわからない溜息をついた。
「室井さん、心配してるだろうなぁ」
思わず呟いた。
湾岸署で騒ぎになれば、当然室井の耳にも入っているだろう。
今現在青島は元気だし怖い目にもあっていない。
そのことだけでも伝えてあげたかったが、その手段すらない。
シャツとトランクスの姿で放り出されているため、携帯電話も手元に無い。
ちなみに可哀想と思ってくれたのか、毛布らしきモノは掛けられていた。
「あぁ…また怒られるんだろうなぁ」
心配をかけて室井に怒られるのはいつものことだが、拉致されるなんていうことはもちろん初めてだ。
怒られるどころじゃすまないかもしれない。
そう思っているくせに、無性に室井に会いたかった。
真っ暗な視界の中に、室井の顰め面が浮かぶ。
こういう時に浮かぶ顔すら笑顔じゃないのが、室井慎次だ。
もう一度深い溜息を吐く。
「胃…大丈夫かなぁ」
室井が聞いていれば、そんなこと考えてる場合か!と怒られたことだろう。
***
「ご協力有難う御座いました」
すみれと緒方は丁寧に頭を下げ、玄関のドアを閉めた。
二人は聞き込みの真っ最中だった。
犯人が乗っていたと思しき車が発見された付近である。
「本当にこんなに近くにいるんですかね」
緒方が半信半疑に呟いた。
「普通ならもっと用心しません?」
「室井さんたちの予想じゃ、あんまり普通の犯人じゃないみたいだけど」
すみれは少し眉を顰めた。
比較的ヒントが沢山残されていて捜査の進めやすそうな事件だが、拉致されているのが青島なのだから落ち着かない。
すみれの顔を見て、緒方が力強く言う。
「大丈夫。青島さんのことだから、きっと無事ですよ」
何の根拠も無い緒方の励ましだったが、すみれはちょっと笑って見せた。
「そうね、青島君だもん。絶対大丈夫だよね」
そう祈ることしかできない。
後は精一杯捜査するだけ。
そう思って頑張っているのはすみれだけじゃないのだ。
「室井さんたちがついてるもん。きっとすぐにみつかる」
できることなら無傷で、心も身体も傷つけることなく、救い出せると良いのだけど。
すみれは青島の無事を心の底から祈っていた。
すみれと緒方がマンションから出ると、すぐ近くを制服を着た警察官が歩いていた。
場所が場所だけに彼も青島の捜査の手伝いをしているのだと、すみれたちは思った。
すみれは緒方を促して警察官に近付くと、手帳をかざして声をかけた。
「ご苦労様」
男は一瞬ぎょっとしたが、すぐに敬礼をしてみせた。
不慣れな感じを受ける。
新人なのかもしれない。
「何か分かったことあった?」
「は……あ、いえ、何もっ」
力一杯否定されて、すみれは少し怪訝そうに眉を寄せる。
「貴方一人で聞き込みしてるの?」
「あ、相棒が腹痛で今トイレに行ってます」
「…そう」
警察官だって人間だからそういうこともあるだろう。
その男の言っていることが特別不自然だったわけではないが、すみれは何か違和感を覚えた。
「では、失礼します」
もう一度ぎこちなく敬礼をして踵を返すと、男はすみれたちから離れて行った。
「新人ですかね?」
緒方も男の不慣れな敬礼に気が付いたらしい。
「何か、変よね」
「え?敬礼は確かに変でしたね」
「じゃなくて」
すみれはあごに指先をあてて、少し考える。
「今の警官、来た道を戻っていったわよね」
指摘すると緒方も気が付いたようで、慌てて頷く。
「確かにそうですね。トイレに行った相棒を迎えに行った、とかですかね」
「どうかしら…逃げるように去って行った気がしなくもないけど」
その警官は少し先の角を曲がったようだ。
特別何があるわけじゃないのかもしれない。
もしかしたら単純にサボっていたところにすみれたちと出くわして、動揺していただけなのかもしれない。
それならそれで構わないが、心に引っかかったままでは落ち着かない。
すみれは携帯を取り出すと、緒方を促した。
「少し後をつけてみましょう。一応室井さんには連絡してみるから」
すみれからの連絡に室井は充分注意するよう促し、尾行を許可した。
もしかしたらすみれの言う通りで、ただの取り越し苦労かもしれない。
それでも現場の捜査員の勘がばかにならないことを室井も知っている。
すみれが何かしら感じたのなら、その警察官が何かを知っている可能性だってなくはないだろう。
室井は捜査員を信じることにしている。
「警察官ね…」
一倉は顎を撫ぜた。
「もし本当に青島拉致に関係しているなら、顔見知りということもありえるな」
「そうだな」
「怪しいなら連行して尋問でもすればいい」
そっちの方が手っ取り早いと主張するのは新城だ。
署内で拳銃を持ち出した経験があるだけあって、言うことが乱暴である。
「恩田君の話を聞く限りあからさまに不自然な点はない。もし本当に何か知っているとしても、今の段階では何も話さないだろう」
室井が冷静に応じると、新城は一応納得したように黙った。
代わりに口を開いたのは真下だ。
「でも、警察官が犯行に関わっているとしたら、やることが随分お粗末じゃありません?」
尤もな意見だった。
曲がりなりにも警察官であれば、こんなにすぐに足の付く方法で犯行に及ぶとは考え難い。
まるで捕まえてくれといわんばかりだ。
「精神状態の普通じゃない人間の犯行だとしたらアリなんじゃないのか?」
一倉の発言に室井の眉が寄る。
そうであるなら、青島の身の心配が増すばかりだ。
新城は無表情に会議室を出て行く。
「どこ行くんだ?」
一倉が呼び止めると、振り返りもせずに言った。
「SATを準備させます」
それだけ言って、出て行ってしまう。
一倉は苦笑した。
「お前がちゃんと判断しないと、あいつ警察官一人の身柄を拘束するのにSAT呼びかねないぞ」
挙句警察官が無関係であれば警察はいい笑いものになるだろう。
「それも良いかもしれない」
室井が呟いたら一倉は呆れた顔をした。
「おい」
「とにかく恩田君からの連絡待ちだ。他の捜査員からの情報も逐一拾ってくれ」
「…了解」
一応室井が冷静と知ると、一倉は頷いた。
本音を言えば、室井だって怪しいと思うなら、SATでもSITでもなんでもいいから投入させたい。
だが、闇雲な捜査が実を結ばないことを良く分かっている。
こういう時に必要なのは、冷静さと決断力。
それは今まで室井が培ってきたものである。
―ここで活かさずに、どこで活かすんだ。
室井が無意識に歯軋りをしていると、机の上に置いてあった携帯が鳴った。
ハッとしてすぐに携帯を手に取る。
「室井だ」
『恩田です』
「どうした」
尾行を始めてそれほど時間が経っていないが、何か動きがあったのかもしれないと思い、室井も緊張する。
『先程の警官がアパートの一室に入ったまま出てきません』
「聞き込みをしてるのか?」
『いえ…自分で鍵を開けて入ったので、自宅じゃないかと思うんですけど』
「自宅?」
勤務中に自宅に行くことは本来不謹慎だが、忘れ物を思い出したとか有り得ないことではないだろう。
すみれもそう思っているようだが、中々出て来ないことが不自然に感じられたようだった。
確かにもう一人の警官と一緒に聞き込みをしていると言ったくせに、本人が自宅から出て来ないというのもおかしい気がする。
すみれが表札を確認し、名前と住所を教えてくれる。
書き留めて真下に渡すと、携帯電話を取り出した。
部下の小池に電話しているのだろう。
警察官の身元を調べるのは簡単である。
『接触してみてもいいですか?』
すみれもじっとしていられないのだろう、室井と一緒で。
「君と緒方君しかいないのか?」
『ええ』
「…応援を出す。少し待ってくれ」
拳銃携帯命令も出していないから、すみれたちは丸腰だ。
もし本当にその警察官が青島拉致に関係しているとしたら、何があるか分からない。
二人だけでは心もとない。
『でも』
「君たちの身に何かあっても困る。少しだけ待ってくれ」
真摯な室井の声に、すみれはそれ以上食い下がらず、了解の旨を伝えて電話を切った。
「室井さん」
電話を切った途端に、携帯電話を手にしたままの真下が声をかけてくる。
「そんな名前の警察官はいないそうです」
「何?」
室井の表情が厳しくなる。
「誰かの家に用事があって行ったとも考えられますが、すみれさんたちがつけている男が警察官かどうか、疑わしいですね」
「青島拉致と関係しているかどうかは別にして、怪しいことは確かだな」
一倉が腕組をして言った。
その男が警察官じゃないとしたら、制服を着ている時点で犯罪の匂いがする。
「現場が現場だし、先輩の制服だったりして」
真下が何気に言った一言に、室井は思わず立ち上がった。
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