■ 誘拐(5)
なにやら興奮気味に男が帰宅した。
バタバタと部屋に入ってくるから、青島は目を開ける。
といっても寝ていたわけではないし、目を開けたところで何が見えるわけでもないが。
「いやぁ、ビックリしたぁ!」
男が力の抜けた声を出すから、青島は意味は無いがそちらに顔を向けた。
「どうかしたの」
「今、外で、本物の警察官にあっちゃって」
「!」
青島が短く絶句したことに気付かずに、男は続ける。
「一応警察官のフリしてみたんだけど、大丈夫でしたかねぇ」
そんなことを青島に聞いてどうしようというのか。
呆れながらも、心に希望がわく。
捜査はここ付近で―どこだか分からないが、行われているのかもしれない。
「何か言ってた?刑事さん」
「え?ええと……一人で聴き込みしてるのかって聞かれましたね」
ということは、この付近で聴き込み捜査をしていることは確かだ。
青島の捜査をしているかどうかまでは分からないが、可能性は高い気がした。
「なんか、キレイな刑事さんでした」
男ののん気な声に、青島は詰めていた息をそっと吐き出した。
「女の人だったの?」
「ええ、片方は男の人だったんですけど、小柄で華奢な猫っぽい女の人でした」
一瞬すみれさんかな?と思った。
湾岸署で捜査が行われているはずだから、それがすみれであってもおかしくはない。
近くまで来ていてくれていると思うと、心強かった。
「あ」
ふいに男が呟いた。
「ここにいたら、まずいでしょうかね」
だから、何故それを青島に聞くのか。
青島は溜息を吐いた。
「あのさ、前にも聞いたけど、俺をどうする気?このままじゃいられないでしょ?」
拉致された男の言う台詞じゃないが、拉致した男が何も考えていないようなので、言わずにはいられなかった。
「そうですよねぇ。近くに刑事さんがいるってことは、ここにいたらヤバイですよね」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「心配しないでください。お兄さんのことはちゃんと無事に解放しますから」
「は…?あ、それは有り難いんだけど…」
有り難いが予想外の返事が帰ってきた。
何も考えていないのかと思ったら、一応考えてはみたらしい。
男が動く音がする。
「要するに、お兄さんが僕が誰だか分からないまま、開放すれば良いんですよね」
ですよね、じゃない。
誰だか分かるようにするのが警察のお仕事である。
今は無理でも後から必ず逮捕してやると、青島は思っていた。
「目隠ししたまま、お兄さんをどこか遠くで解放しましょう」
何かを準備しているらしくゴソゴソしている男が、いい考えだとばかりに話す。
青島は頭痛を覚えた。
「山ん中に置き去りとか、やめてくれる?死んじゃうでしょ」
「やだな、そんなことしませんよ。それにちゃんと警察の人が発見してくれるようにしますから」
「…君、本当に制服が欲しかっただけなの?」
「あ、制服は返しませんからね!」
少し強く言われて、青島は引いた。
マニアというのは良く分からない。
「もしかして、パンツ一丁で捨てられるわけ?」
正確に言えば、パンツとシャツだが、どっちにしろごめん被りたい。
寒いし恥ずかしい。
拉致されていてそんなことを言っている場合じゃないのだが、この状況ならこのくらいの主張は通される気がした。
「大丈夫大丈夫。今、着る物用意してますから」
有り難いことに服は着せてもらえるらしい。
「僕も制服は脱がないと…目立ちますからね」
ゴソゴソしていたのは、そのせいだったようだ。
「えっと、じゃあ、ちょっと着せますよ」
拘束されているし見えないから、青島は男の成すがままである。
失礼しますと言って圧し掛かってくる男に、さすがにちょっと気分が悪かった。
手錠の掛かっていない腕を袖に通される。
「今更逃げないから、外してくれない?」
一応言ってみたが、
「すいませんけど、ダメです」
と、申し訳なさそうに返事が帰ってくる。
他のことにはビックリするくらい頓着しないのに、どうしてかここだけは用心深かった。
袖を通した手首にヒモを巻きつけベッドの柵に括りつけると手錠が外され、そちらの腕にも袖を通すとまた両手を括られる。
脱がされたとき同様、やっぱり気分の良いものではなかった。
男がシャツのボタンを留め始めると、インターホンが鳴った。
「…誰だろう」
まさか警察じゃないよな…と、ブツブツ言いながら、男が青島の上から退いた。
警察ならチャンスと思ったのも一瞬で、男が青島の口に何かを入れた。
「すいません、ちょっと静かにしててくださいね」
「んーーー」
静かにも何も、声の出しようがない。
男がそっと歩く足音を聞きながら、耳をすました。
「警察です。あけてください」
玄関から聞こえてくる声は、気のせいじゃなければすみれの声。
「んーーーーーっ」
出ない声で精一杯唸ると、男が慌てて戻ってきた。
口に何かを入れられたまま、上から手で口を塞がれる。
「ダメですよ、バレちゃいます」
何がダメなんだバレないと困るんだよ俺は、と青島は心の中で叫びながらもがいた。
「もう少し我慢してください。警察が帰った後に外に出してあげますから」
男はすみれたちが留守と思って引き下がるのを待つ気らしい。
冗談ではない。
怖い思いはしていなくても、いつまでも拉致されたままではいたくない。
心配もかけているだろうと思う。
すみれにも、もちろん室井にも。
「んーーっ」
「暴力には慣れてないんでいやなんですけど」
暴れる青島を押さえつけて、男は小声で囁く。
「また頭殴って気絶させちゃいますよ」
さすがに青島の動きが止まった。
そう何度も頭をどつかれるのは遠慮願いたい。
バカになったらどうしてくれる。
大人しくなった青島の上で、男もじっとしている。
「……行ったかな?」
男がホッとしたように呟いた。
すみれが行ってしまったようだ。
青島が脱力した途端、大きな音がした。
ガラスの割れる音。
その直ぐ後に、不愉快な耳鳴り。
青島は目隠しの下で顔を顰めたが、それが閃光音響手榴弾であることに気が付いた。
ということは、警察が突入してきたということだ。
―助かった。
何にも聞こえないし見えないからどうなっているのか分からないが、それだけは分かった。
耳鳴りの下で、何となく慌しい足音が聞こえる。
自分の上で男が蹲っていたようだが、すぐにその重みは消えた。
「…しまっ」
耳鳴りのせいで聞き取り難くはあったが、名前を呼ばれたのがちゃんと聞こえる。
愛しい人の声。
管理官がなんで現場に?と一瞬思ったが、それは青島がここにいるせいだろう。
「むろ…っ」
言いかけた途端、視界が開けた。
突然の眩しさに目を細めたが、閃光音響手榴弾のせいで白い靄の向こうに、室井の顔を見つけた。
「青島!大丈夫かっ?」
室井の手が目隠しを取り去って、しっかりとその手で顔に触れてくれる。
「あ、は…」
「もう大丈夫だから、大丈夫だから」
そう繰り返しながら、驚いたことにそのままキツク抱きしめられる。
青島は思わず目を剥いた。
いや、嬉しい。
嬉しいが、そういうことは是非とも二人っきりの時にして欲しい。
そもそも室井はこんなキャラじゃない。
そりゃあ、青島が拉致監禁だなんて普通じゃない状況だったとはいえ。
「ちょ、ちょっと、室井さん」
青島は室井に抱きしめられたまま、首を捻って周囲を見渡した。
そして、また目を剥く。
SATの姿が数名あった。
その中に草壁がいて、その足元には、既にロープでグルグル巻きにされた犯人と思しき男の姿があった。
SATが犯人を簀巻きにしている姿はあまり見た覚えがない。
「く、草壁さん?」
仁王立ちして犯人を見下ろしていた草壁は、青島をちらりと見てまた男を見下ろした。
「卑劣な犯罪だ。許せん」
「は…あ、そうですね…」
一応暴力による拉致監禁。
卑劣な犯罪に間違いないだろう。
正義感の強そうな草壁なら、特に許せないに違いない。
あまり働かない頭でそう思いながら、青島は室井に視線を戻した。
「室井さん、あの、ちょっと苦しい…」
苦しいというか、恥ずかしいというか。
なぜか誰も室井の熱烈っぷりを気に止めていない、むしろ同情的な視線であったようだが、まだ混乱の中にいる青島には良く分からなかった。
「…すまない」
青島の身体を離すと、青島の拘束を解いてくれる。
「ありがとうございます」
「いや…」
「あの、心配かけてすいません」
上目使いで言いながら、室井の様子を伺う。
怒られるのは覚悟の上だが、それでもやっぱりあまり怒られたくはない。
好きな人に怒られたいと思うほど、マゾじゃないのだ。
室井を伺い見る青島に、酷く悲しそうな視線を寄こし、室井は青島の頭を撫ぜた。
「君が…無事ならそれでいい」
おや?と思う。
嬉しい言葉だが、いつもの室井と少し違う気がした。
「むろいさ…?」
言いかけたところに、すみれが玄関から入ってきた。
「この外道!」
怒鳴り込んで来たから、ビックリだ。
もちろん犯人に向って言っているのである。
「す、すみれさん」
青島は慌てて立ち上がろうとしたが、ずっと寝ていた身体がふらつく。
すぐに室井が支えてくれた。
「無理に動くな」
「いや、ちょっとフラつくだけでなんとも…」
「無理するな」
繰り返される。
青島は首を傾げながら「有難う御座います…」と呟いた。
妙に過保護だが、拉致されていたのだから当然なのかもしれない。
そう納得した。
が、納得している場合じゃない。
「アンタ自分が何したか分かってんの!?」
簀巻きになっている男を、すみれが蹴飛ばした。
「ちょ!すみれさん!」
驚愕したのは青島一人で、なぜか誰もすみれを止めようとしない。
そのことにも驚きつつ、青島は室井の手を振り払って、すみれの腕を掴んだ。
「す、すみれさん、やりすぎ」
「やりすぎじゃないわよ、この男のしたことを考えたら」
「いや、もちろん悪いのはこの人だけど…」
「このまま東京湾に沈めてやりましょうっ」
「ヤクザじゃあるまいし」
「青島君も、もっと怒りなさいよ!」
そうすみれに怒られて、青島は困った顔をした。
「いや、怒ってはいるけど、この人、俺に乱暴なことしなかったし」
ちょっと頭が悪いだけでそんなに悪い男じゃないんじゃないかと、それはそれで失礼なことを考えていたら、すみれがあんぐりと口をあけて青島を見た。
「無理してるの?」
「何が?」
「乱暴…されてないって」
「ああ、最初に一発殴られたけど、それ以外は何にもされてないよ」
元気元気と答えると、すみれからいきなり怒気が消えた。
見ると、室井は眉間の皺が消えて脱力しており、草壁はいくらか申し訳なさそうな顔をして足元に転がる犯人を見下ろしていた。
「…え?」
わけが分からず青島が呟くと、室井は咳払いを一つした。
「草壁君、犯人を連行してくれ」
「了解」
草壁はSATに指示を出し、犯人を連れて出て行った。
それを見送って、室井は青島を見ると眉間に皺を寄せた。
「君は、俺と来い」
「あ、はい」
すみれに一つ、背中を叩かれた。
「心配したんだからねっ」
「…ごめん、ありがとう」
怒られたけど少し嬉しそうに笑う青島に、すみれはむーっとしながら、もう一度背中を叩いた。
「あ、はっはっはっは」
病室で思わず乾いた笑い声を漏らすと、室井に頭を軽く叩かれた。
「いて」
「笑い事か」
「すんません…」
確かに心配を掛けたのだから、笑い事じゃなかった。
だけど、笑わずにいられなかった。
―俺がレイプされたと思われていたなんて。
青島は半笑いのまま頭を掻いた。
それはあの状況の中で一度自分が危惧したことではあったが、室井や草壁たちにそう思われたと思うと、なんとも気恥ずかしい。
突入の際に窓から、半裸で拘束されて男に圧し掛かられていた青島が見えたらしく、室井も草壁も青島が犯人にそういう目に合わされていたと誤解したのだという。
あの後、湾岸署で犯人の取調べや、青島の事情聴取などを行って、青島はそのまま病院に連行。
検査で異常は見つからなかったが、念のために今夜は入院することになっていた。
夜中になって室井が会いに来てくれて、話を聞かせてくれたのだ。
「全く…お前はいつもいつもいつもいつも…」
眉間に深い皺を刻み、目を閉じて念仏のように唱える室井に、青島は頭を掻いた。
「でも、今回は不可抗力っすよ?」
今回は青島が好きで首を突っ込んだわけではないし、無茶をしたわけでもない。
油断があったのではないかと言われれば返す言葉もないが、青島の言う通り不可抗力だったことは確かだった。
「…分かってる」
むっつりと応じる室井に、青島は苦笑した。
また心配を掛けてしまったことは反省しているし、申し訳ないと思う。
それに、助け出してもらったことには礼を言わねばならない。
「室井さん」
声をかけて、ちゃんとこっちに視線を貰うと、青島は頭を下げた。
「有難う御座いました」
少しの間のあと、下げた頭に軽く手を乗せられる。
「新城や真下君、恩田君に言ってやれ」
そっと顔を上げると、室井の手が頬にうつった。
「あ、はい、そうっすね。皆にも感謝してます」
頑張ってくれたのは、室井だけじゃない。
手を貸してくれた人がいっぱいいたと聞いた。
青島が湾岸署に戻った時には、既に新城の姿はなかった。
聞けば随分心配してくれていたらしい。
本人は絶対に認めないだろうから、今度会った時に言われる嫌味ぐらい笑顔で聞いてやろうと思う。
真下は「先輩はどこまでもトラブルメーカーなんだから」と文句を言いつつ、青島の無事な姿を嬉しそうに眺めて帰っていった。
一倉は「貞操は無事だったらしいな」と言って、室井に叩かれていた。
刑事課では、袴田に「いてもいなくても騒々しいヤツだね」とホッとしながら苦笑され、雪乃に半泣きで「お帰りなさい」と言われた。
和久は「年寄りを大切にしろ」と言って、やっぱり青島と入れ違いに帰って行った。
どうやら寿命が縮む思いをさせたらしい。
「…皆に、お礼言わないとなぁ」
しみじみ呟くと、室井に頬を撫ぜられる。
「俺には、いらないから」
優しい手。
青島はその手を取って握った。
「どうして?受け取ってくださいよ」
一番に、沢山、お礼を伝えたい人なのに。
そう思っていた青島に、室井は静かに言った。
「礼を言われる筋合いじゃない」
握っていなかった手が、青島の身体を引き寄せる。
座っていたため室井の腹の辺りにしがみ付く形になったが、逆らわずに抱きついた。
室井の手が、そっと青島の髪を梳いた。
「君がいないと、俺が困るんだ」
だからいなくならないでくれ。
言外にそう言われた気がした。
「俺も、困ります」
視線を持ち上げて、室井と目を合わせる。
「室井さんに会えなくなったら、俺も困る」
「なら、どこにもいくな」
「もちろん」
「本当だな?」
「ええ」
「絶対だぞ?」
「…くどいよ、室井さん」
苦笑した青島に、室井は眉間に皺を寄せた。
「くどく言わせてるのは、誰のせいだ」
大体お前が…とぶつぶつとまた零し始める。
愛されてるなぁとのん気に嬉しく思ったが、さすがに言葉にしない。
お小言が増えるに決まっている。
代わりに、ぎゅーっと抱きしめる腕に力を込めた。
「俺だって、もう二度とごめんです」
拍子抜けするような誘拐事件だったと言っていいが、当然気分の良いものではなかったし、怖い思いを全くしなかったわけでもない。
挙句、仲間や大事な人に、大きな心配もかけた。
青島だって二度とごめんだ。
警察官のプライドをかけたって、二度とごめんだった。
「こんなヘマは二度としません」
真剣な言葉であれば、室井はいつだって真剣に受け止めてくれる。
青島が本当にそう思っていることが伝わったのか、少しだけ表情を柔らかくした。
一つ頷くと、ゆっくり顔を寄せてくる。
近付いてくる唇に瞼を落としながら、室井の声を聞いた。
「…無事で本当に良かった」
***
退院後暫くの間、青島は室井の部屋にやっかいになることになる。
一応「病み上がりだから」という理由になっているが、実際のところ「目を離すと心配だから」の間違いに違いないと青島は思っていた。
―そんなに信用無いか、俺?
と思わなくもないが、あっさりと拉致された男が言える台詞でもない。
青島は室井の気の済むまで、室井のいくらかの我がままと大きな優しさに、甘えることにした。
END
2006.5.21
あとがき
こ、これにて、終了です!
長々とお付き合い頂いて、有難う御座いましたっ。
失速どころか、初めから最後まで安全運転で、おいおいちょっとは飛ばそうぜ!
みたいなお話になってしまった気がします…(どんな話)
どこか少しでも楽しんで頂けたところがあれば、凄く嬉しいです;
のらねこ様。
お待たせした挙句、こんなデキで申し訳ありませんでした!
少しでも楽しんで頂けていることを、お祈りしております。
リクエストを有難う御座いました。
今後とも宜しくお願い致します!
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