青島が拉致されるところを目撃した人が、すぐに公園の中にいた交通課の刑事に伝えてくれたらしく、その知らせが湾岸署に入った。
正確には青島に良く似た警察官が何者かに車で拉致された、とのことだった。
目撃した男性はすぐに湾岸署に連れて来られて、室井も直接話しを聞いたが、聞けたのは青島らしき警察官が男に連れ去られたという事実だけだった。
男がぐったりしている青島を担いで車に乗せて走り去るところを目撃したらしい。
咄嗟のことで車のナンバーは分からず、車種と色くらいしか判明していない。
分かっていることは、大して無かった。
それでもすぐ傍の公園に青島がいたことやその後青島が姿を見せないことから、連れ去られたのはほぼ間違いなく青島だと思われた。
「こりゃ…うちの事件追ってる場合じゃないな」
一倉が軽い口調とは裏腹に、真顔で言った。
実際湾岸署内部では青島拉致の話で持ち切りで、まともに機能しているとは言い難い状況だった。
先程から刑事課には万引きで捕まったおばさんや、ケンカで補導された少年が所在なげに立ち尽くしている。
刑事課の連中はみんなそれどころじゃなくなってしまったのだ。
室井が袴田に声をかけると、袴田は弱り顔で近付いてきた。
「何とも困ったことになりまして…」
青島君は本当に問題児だと零しながらもどこか心配そうだった。
普段はそうは見えないが、案外部下思いなのだ。
だが、室井は難しい顔のまま言った。
「お願いした通り、本庁の捜査にご協力願います」
室井の申し出が意外だったのか、袴田が目を丸くした。
周囲の湾岸署署員からは非難の視線が向けられる。
室井が青島の捜査は後回しにしろと言ったと思われたらしい。
「ちょっと、室井さん」
咎めたのはすみれである。
すみれの心配が、嫌な形で現実になってしまった。
「青島君、放っておけっていうの?」
睨みつけてくる彼女の視線を受け止めて、室井は険しい表情で首を振った。
「青島君の捜査には本庁からも人を出す。そちらの指揮も私がとる」
断言すると辺りが一瞬静まり返り、少しだけ空気が和らぐ。
室井が青島を見捨てるわけは無かった。
「宜しいですか?」
一応袴田に尋ねたが、確認の必要は無かった。
「よろしくお願いします」
袴田が頭を下げた。
「勝手なことして、また降格されるぞ」
捜査用に借りた会議室で、一倉が呆れているのか楽しんでいるのか分からない口調で言った。
室井は大してとりあわず、捜査資料に目を通しながら返事を返す。
「今は青島の身の安全の方が大事だ」
それ以上に大事なことは、今はない。
本当は捜査なんか投げ出して捜しに行きたかった。
じっと座っているのはどうにも落ち着かない。
だけど室井は警察官、捜査一課の管理官だ。
やみくもに捜して見つかるものではないことは、警察官である室井に分からないはずがない。
警察官の自分だからこそ、青島を救い出してやれるのだ。
「車種だけでどこまで調べられるか…」
「聴き込みするしかないだろうな」
既に手の空いている湾岸署署員はみんな聴き込みに出ていた。
「青島、誰かに恨まれたりしてたか?」
一倉の質問に眉を寄せ、顎に手をあてる。
「警察官だし、どこで恨みをかってるかはわからないが、暴力に出るほどとなると…」
「湾岸署で思いあたる節がないか、聞いてみるか」
「そうだな」
これからの捜査方法について話し合っていると、唐突に会議室のドアが開いた。
姿を見せたのは、新城だった。
「新城…?何故ここに」
目を丸くした室井をよそに、一倉は苦笑した。
「相変わらず耳が早いな」
「どこかの暴走刑事が、迂闊にも誘拐されたと聞きまして」
棘のある言い草に室井は眉を寄せた。
が、新城の素直じゃない物言いは今更である。
気にしても仕方がない。
「警察官のくせに隙があるからこんなことになるんだ」
「わざわざ嫌みを言いにきたのか?新城」
「そんなに暇じゃないです。警察官拉致だなんて醜聞ですからね。早く解決してもらいたいだけですよ」
つまり青島が心配だから来たというわけだ。
素直じゃないが、分かりやすい男である。
室井は眉を寄せたが、新城が協力してくれるのなら、本音を言えば有り難い。
新城は、今は肩書上室井よりも上にいる。
融通も利きやすいだろう。
「SATはいつでも動かせます」
平然と言われて、室井も一倉も目を丸くした。
「どこに突入させる気だ?」
思わず一倉が突っ込みをいれるが、新城はやっぱり平然と答えた。
「どこにでも」
もしかしたら、新城は大分動揺しているのかもしれない。
「……必要ができたら、宜しく頼む」
室井はそう言うに留めた。
今は突入すべき場所がないからSATを呼んでも仕方がないが、いずれ役に立ってくれるかもしれない。
そんなことにならない方がずっと良いが。
「それよりも、まずは…」
今後の捜査について室井が話そうとすると、また唐突にドアが開いた。
現れたのは真下だった。
「先輩、死んじゃったんですか!?」
泣きそうな顔で、むしろ半ベソで、真下が叫ぶ。
眉間に皺を寄せた室井の横で、一倉が訂正した。
「まだ死んでないぞ」
「まだとか言うなっ」
思わず室井が叫ぶと、意外にも新城が同意する。
「全くです。真下君も一倉さんも不謹慎だ」
「あ、じゃあまだ、無事なんですね」
「だから、まだとか言うな」
「実際無事かどうかも分かってないんだがな」
「僕に交渉させてくださいっ」
「…誰と交渉する気だ?」
「犯人はまだ目星もついてないし、向こうからの接触もないんだぞ」
「ええ?じゃあ、僕に出来ること、ないじゃないですかっ」
自ら交渉しか能がないと明かすキャリアもいかがなものか。
室井は脱力した。
新城といい真下といい、真面目に考えているのかいないのか。
いや、真下はともかく、新城はふざけて青島の捜査に加わったりはしないだろう。
少しズレてはいるが、二人とも真剣なのだろう。
「…とりあえず、手を貸してくれるんだな?」
二人に確認をしたら、
「身内の恥をさらすわけにいきませんから」
「交渉なら任せてください」
という返事が返ってきた。
何にせよ、味方は多い方がいい。
室井は「感謝する」と呟いて、額を押さえた。
―無事でいてくれ。
願うのはそればかりだった。
***
青島は深いところからゆっくりと覚醒した。
一瞬自分が起きているのかいないのか分からなかったのは、目を開けた状態でも辺りが真っ暗だったからだ。
夜の暗さじゃない。
明かりは何一つ見えない。
目隠しをされているのだと実感したのは、手首を後ろ手で固定されているのに気付いたからだ。
足首も同様だ。
その状態で、どこか柔らかいモノの上に寝かされているらしい。
―落ち着け…落ち着け、俺。
自分に言い聞かせながら青島は自分の身に何が起こったのか、起こっているのかを必死に考える。
思考はドアが開く音に途切れ、青島は身を硬くした。
「あ、起きました?」
酷くのん気な声をかけられるが、さすがの青島も「おはようございます」と返事を返す気にはならなかった。
当然だが。
「…誰だ?アンタ」
抑えた声になったのは、相手を威嚇するためじゃない。
恐怖を表にださないためだった。
警察官としてのプライドもあったし、何より恐怖心を自分で認めてしまったら負けてしまう気がしたのだ。
相手が誰だか分からない。
今いる場所すら分からない。
目的も分からない。
これで恐怖を感じないほど、そこまで鈍感ではなかった。
青島の緊張を知っているのかいないのか、おそらく男と思われる人物が近付いてくる気配を感じて、青島は更に身を硬くした。
「あ、大丈夫大丈夫。お兄さんに酷いことをする気はないですから」
高くもなく低くも無い声。
歳は青島よりも若そうだった。
わざとかもしれないが敬語を使っているし、青島のことをお兄さんと呼んだ。
青島は耳だけを頼りに情報を得ようとしていた。
「…酷いこともなにも、いきなり殴りつけたくせに」
鈍く痛む後頭部を思いながら言う。
男と話しているうちに思い出した。
青島は公園を出たところで、背後から殴られて気絶したのだ。
そして、ここ―どこだか分からないが、に運び込まれたのだろう。
俗に言う拉致ではないだろうか…と、青島の冷静なのかそうじゃないのか分からない脳みそは答えを出した。
「それはすいません…」
男は意外なことに申し訳無さそうな声になった。
「他に手がなかったから…」
―何をするために、だろうか。
青島はいつになく真剣に頭を使っていた。
―俺を拉致するために他の手段がなかった?
―そうだとしたら、なぜ俺を拉致しなければならなかったんだ?
「俺攫って、どうする気?」
静かに尋ねたが、すぐには返事が返ってこない。
青島は恐怖心を紛らわすために、軽口を叩いた。
「親は普通のサラリーマンだし、身代金は期待できないよ?警察の中じゃペーペーだし、攫ってくる価値ないと思うけど」
言いながら、身代金目当てではないことは分かっていた。
金目当てなら何もわざわざ警察官など狙う必要がない。
リスクが大きくなるだけである。
むしろ青島を拉致した理由は、警察官であることに思えた。
「お金なんか興味ないですよー。いや、ないと困りますけどね」
またのん気な声を掛けられる。
声のトーンには特別変化はなく、興奮した様子も無い。
「お恥ずかしいことにフリーターで…と、あんまり刑事さんにお話しちゃまずいですよね」
あははと、軽やかに笑われて、青島は場違いかもしれないが少し脱力した。
なんだかとっても犯人と話している気がしない。
そう演技しているだけかもしれないので気は抜けないが、青島は今すぐどうこうされるような気はしなくなった。
―じゃあ、一体何が目的なんだ?
思っていると、男が溜息を吐いた。
それも気が重たくて出たそれではなくて、万感の想いが篭ったような熱い溜息。
目隠しの下で青島が眉を顰めると、男は言った。
「やっぱり惚れ惚れするなぁ」
「…はぁ?」
「本物はやっぱり違う」
意味が分からず返答に困っていると、ふいに空気が振動した。
男の手が青島の肩に触れる。
青島がビクリと反応すると、男の妙に優しい声が響いた。
「怖がらないでください、酷いことは本当にしませんから」
「…て、あ、あんた、一体何する気…」
青島は言葉を飲んだ。
男の手が青島の身体の上で動く。
青島の服を剥いでいるのだ。
それに気付いて一瞬絶句し、そして固まっている場合じゃないと気付く。
青島は色んな身の危険を感じながら、身を捩った。
「ちょ、待て、触んなっ」
「大丈夫ですから、怖くないですって」
目隠しした状態で、拉致した犯人に服を脱がされている状況が怖くない人間などいるものか。
男の呼吸が心なしか荒い気がして、青島は鳥肌を立てた。
心の底から冗談ではないと思う。
思うが、男の方も冗談ではないらしく、青島の制服を脱がしていく。
手と足を拘束されているから、満足な抵抗もできない。
どうしてこんなことになったのか、青島には全く分からなかった。
絶望的な気分だった。
それでも強く思う。
例えヤられたとしても、絶対にただではすまさない。
噛み付いてでも蹴りつぶしてでも一矢報いてやる。
などと物騒なことを心に誓いながらも脳裏に室井の姿が浮かぶと、目の奥が熱くなった。
―室井さん…。
室井のことを思い出しながら、精一杯抵抗しようと心に決めた。
青島の悲壮な決意は、モノの五分と経たずに肩透かしを食らうことになる。
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