■ A ray of hope(前編)


「テレビ、見ましたよ。例の事件、解決したんですってね」
『ああ、ようやくな』
「お疲れ様でした。よかったですねっ」
『ありがとう。捜査員が頑張ってくれたおかげだな』
「そりゃあ、だって、室井さんの下にいたら、頑張らなきゃって思いますもん」
『…そっか?』
「期待に応えなきゃー、って、皆思うと思いますよ?上が頑張ってるのに、下が頑張らないわけないっしょ」
『俺も期待を裏切らないように、もっと頑張らないとな』
「はいっ……あー、いや、でも、一人で頑張り過ぎないでくださいね」
『分かってる』
「手を抜かないの、室井さんのイイトコだけど」
『……』
「心配だし」
『ちゃんと、気をつける』
「本当ですよ?」
『ああ…ありがとう』
「ん」
『君も、張り切り過ぎるなよ?』
「うわっ、なんか微妙な心配だなぁ」
『やる気を出すのはいいことだと思うが、無茶しないか少し心配だ』
「最近は大人しいもんですよ?」
『先日、本庁刑事にタンカを切ったと聞いたが?』
「げ……なんで知ってんですか」
『新城と電話で話す機会があったんだ』
「あ…そっすか……新城さんって、何でも知ってるなぁ」
『…で?大丈夫なのか?』
「はい、大丈夫です。もう、大丈夫」
『ならいいが…』
「ああ、もう、こんな時間だ」
『ん?ああ、本当だな。そろそろ寝ないと明日に響くか』
「ですね。じゃあ、そろそろお開きにしますか」
『そうだな…明日、遅刻するなよ?』
「分かってますよ〜。室井さんこそ」
『ああ』
「大分寒くなってますから、風邪引かないようにしてくださいね」
『気をつける。君も、腹出して寝るなよ』
「俺はガキですか」
『出して寝てたこと、あったからな』
「う……気をつけますよーだ」
『そうしてくれ』
「はぁい」
『……』
「……」
『……』
「……え、と」
『青島』
「あ、はい?」
『頑張ろうな』


室井が「頑張ろう」と言ってくれるたび、頑張れる気になるから不思議だ。
―俺の声も、そう届いてると良いなぁ。
そんなことを思いながら、「頑張りましょうね」と明るく返事を返して、別れの挨拶をすると電話を切った。
切れた携帯電話をベッドに放りだし、横になる。
寝る間際に、室井の声が聞きたくなって電話をした。
室井が大きな事件を抱えていたため、中々連絡が取れなかったのだ。
間でメールをしたり短い電話をしたりはしたが、やはりゆっくり話しができると嬉しいし、室井の元気そうな声を聞いて安心した。
事件は全国ネットのニュースで大々的に流れていたので、青島も良く知っている。
捜査の進展具合をニュースでチェックしては、室井を思う日々が続いていた。
―室井さんだから、大丈夫。
青島の根底にある室井への信頼は、離れていたって変わらない。
ずっと、強く、信じているのだ。
ただ少しだけ、行き詰っていないかと心配にも思う。
また事件とは直接関係の無いところで、傷ついていないだろうかと心配だった。
だから事件解決の報を聞いて、青島もホッとした。
声を聞いて、余計に安堵した。
『俺も電話しようと思っていた』
そう言ってくれた室井の声が穏やかだったから。
辛い思いをしていないとだと思うと、酷く安堵した。
「…さ、もう寝ないとね」
室井に遅刻するなと釘を刺されている。
刺されたからって、常に守れるわけでもないのだが、その翌日になるべく遅刻はしたくない。
嬉しい声も聞けて、今日は青島も気持ち良く寝られそうだった。
電気を消すと、布団の中に潜り込む。
目を閉じると、瞼の裏に室井がいた。
単純な自分に思わず笑みがこぼれる。
「声…聞いたせいかな」
耳の中には、室井の声が残っていた。



広島に行くまでの数日間を、室井は青島の部屋で過ごしていった。
その間に、室井は色々と語って聞かせてくれた。
事件のこと。
灰島弁護士のこと。
新城や沖田のこと。
それから、彼女のこと。
ゆっくり時間をかけて、ポツリポツリと話してくれた。
その間中、青島はほとんど黙って聞いていた。
ずっと心に溜め込んでいたことを、残らず話せるように。
室井が言葉を飲み込んでしまわないように。
青島が遮ってしまわないように。
ただ黙って聞いた。
室井の痛みや辛さ、それから悲しみを、少しでも自分のものにできるように精一杯努力した。
時には、向かい合い視線を合わせて。
時には、隣併せに座り手を繋ぎ。
時には、抱き合って一番近くで。
室井の声を聞いた。
室井にしてやれることは、そんなことくらいしかなかったのだ。
自分にどれだけのことができたか分からない。
だが、別れの朝には、室井は前を向いていた。
真っ直ぐな瞳は、既に広島の向こうを見据えていた。
裏切られたとしても、信じられる正義は室井の中にももちろん青島の中にも、まだちゃんと存在しているのだ。


―頑張れる、理由になれればいい。
離れるまでの短い間にいっぱい抱き合いながら、青島は思った。
室井が頑張る理由は、警察の未来のため。
頑張れる理由は、青島がいるから。
そうであれば良いと思った。





***





「室井さん、良かったね」
翌朝、出勤すると、すみれが開口一番に言った。
青島は笑みを零す。
「だね。肩の荷がおりたみたいだったよ」
「そうよね…大きな事件だったものね」
新聞を見ながら、すみれはちょっと眉を寄せた。
一所轄でも話題に上るくらい大きな事件ではあったが、当然一所轄に遠く離れた場所での事件の詳細な情報が降りてくるわけがない。
関わっている事件の詳細すら降りてこないのだから、無理もないが。
だから青島たちも、室井が関わった広島の事件のほとんどの情報は、ニュースや新聞で得ていた。
青島は室井の口から聞いたこともあったが、何でもかんでもベラベラ喋る男ではない。
青島も無理に室井から聞きだすことはしなかったし、そんな必要もまたなかった。
事件のことは青島に手伝えることはなにもないし、室井は聞いて欲しいことはちゃんと話してくれる。
だから無理に聞き出すつもりはなかった。
「室井さんの名前、出てるわよ」
すみれが新聞を差し出してくるから、青島は思わず身を乗り出す。
「え?マジで?」
今朝は遅刻はしなかったものの、悠長に朝刊を呼んでいる時間がなかったのだ。
「どれどれ…」
「あ、青島君。」
ふいに袴田が刑事課に姿を現した。
青島を見て「良かった良かった」と笑う。
青島は首を傾げながら、とりあえず朝の挨拶をした。
「おはようございます……あ、新城さん」
袴田の後に続いて入ってきたのは、新城だった。
朝っぱらから湾岸署に来ていたらしい。
「新城補佐管がお帰りになるから、お車お出しして」
袴田に言われて、青島は素直に頷く。
「あ、はい。分かりました」
新城と視線を合わせると、ペコリと頭を下げた。
もちろん特別なリアクションはない。
が、青島も新城にそんなことは期待していなかったので、気にしない。
「じゃあ、行きますか?」
無駄話をせずに促すと、新城は頷いた。
「ああ…」
行ってきますと袴田とすみれに軽く挨拶をして、新城を連れて刑事課を後にした。


「久しぶりっすね」
並んで歩きながら、声をかける。
新城からの返事など、やっぱり期待してはいない。
沈黙が好きではないので、勝手に喋っているだけだ。
「朝早くから、大変ですねぇ」
「室井さんほどじゃない」
青島の足がピタリと止まる。
隣に並んだ新城も足を止めて、いつものように冷めた視線を寄越す。
呆然としたまま、青島は口を開いた。
「室井さん、何かあったんですか?」
「聞いていないのか?室井さんから」
新城がわざとらしく目を見開いた。
そんなことよりも、答えて貰えなかった質問の答えの方がずっと気になる。
「何かあったんですか?」
「もう、お前は知っているもんだと思っていたんだがな」
「新城さんっ」
思わず新城の腕を掴む。
必死とも言える表情の青島とは対象的に、新城は平然とした顔で青島に掴まれた腕を見下ろした。
「何故、私がお前に教えないといけない」
「言い出したのはアンタでしょう。教えてくださいよっ」
「本人に聞け」
「新城さん…っ」
新城の腕を掴んだ手に力を込める。
噛み付くように尋ねる青島を、新城は変わらずに冷めた目で見ていた。
「本人に聞けないのか?室井さんが話さなければしらんぶりか」
突き放すように言われて、青島は目を剥く。
「なに…っ」
「室井さんがどうなろうと、お前には関係ないのか」
青島は新城の腕を解放すると、変わりに胸倉を掴む。
睨む青島の視線を、新城は静かに受け止めた。
「違うというなら、黙って見ているな」
新城に言われるまでもなく、黙って見ていたいわけじゃない。
青島にできることがあるなら。
室井が望んでくれるなら。
なんだってする。
だけど、室井が青島に言わないことは言いたくないこと、見せない姿は見せたくない姿のはずだった。
だから、全てが終わった後に、全てを語ってくれたのだと、青島は思っている。
青島にできることは、自分のできることを精一杯頑張ることしかない。
室井は室井の場所で、常に精一杯戦っている。
その時には、青島も現場で精一杯に戦っているべきだと思っている。
それしか、室井の気持ちに応える方法がなかった。
「俺は室井さんを信じてるんだ」
「だから、放っておくのか?」
「違う。待ってるんだ」
「なら、待っていればいい。室井さんがどうなるのか、じっと待っていればいい」
青島は手が白くなるほどキツク、拳を握り締めた。
青島だって、もどかしさを感じていないわけじゃない。
新城みたいに、室井のために権力を使うこともできない。
傍にいて、室井の下で捜査に協力してやることもできない。
誰よりも大事な男だ。
青島が警察官である上で、無くてはならない存在。
青島が幸せになるために、欠かせない存在だった。
その室井のピンチにただ待つしかできない現実を、歯痒く思っていないわけがなかった。
―気にならないわけがない。
―どうでも良いわけがない。
―他の誰でもない、室井さんのことだ。
唇を噛んだ青島に、新城は軽く鼻で笑った。
「心配しなくても、お前に何ができるわけでもないことは、室井さんだって分かってる」
「…っ」
返す言葉も無い。
悔しくて悲しくて仕方が無いのに、反論の仕様もない。
先の事件で室井のために尽力してくれた新城に対して、返せるだけの説得力を持った言葉など、何もなかった。
自分が無力なことなど、青島が一番良く知っていた。
青ざめるように立ち尽くした青島を見つめながら、新城は胸倉を掴んでいた青島の手を払った。
「だから、そんなことは、今更気にする必要はないと言ってるんだ」
「…え?」
「誰も、お前にそんなことは期待して無い」
襟首を正しながら、ピシリと言い放つ。
「あの男を変えたのはお前だろ。だったら、責任を取れ」
上を目指すことは端から室井の意志だった。
警視総監になって警察を変えたいという願いは、青島と出会う前から持っていたのだろうと思う。
だけど室井に揺るぎ無い信念を与えたのは、他ならぬ青島だ。
同じ希望を持って頑張る青島がいたから、室井は信念を貫き通すことに意味を見出した。
新城はだからこそ、青島に「責任を取れ」と言ったのだ。
だがそうは言われても、新城が青島に何をさせたがっているのか、分からない。
青島はちょっと困惑したように新城を見た。
「室井さんを奮い立たせるのは、お前の役目だろ」
射抜くような強し眼差しで言われて、ハッとする。
切欠になったのが青島だったら、起爆剤になるのも青島の役目だ。
それができるのは青島しかいないと、新城も思っているのだろう。
室井に期待しているのは何も青島だけじゃない。
室井を窮地から救ったのは、他ならぬこの男だ。
新城が室井に期待していないわけがない。
言いたいことは言い切ったのか、新城はもう青島には目もくれずスタスタと歩いて行ってしまう。
呆然としていた青島は、すぐに後を追った。
「し、新城さんっ」
「私は用事があるから一人で帰る。送迎はいらない」
振り返らずに言う新城に、青島はまた足を止める。
「新城さんっ」
大きな声で呼び止めると、少しの間の後、新城も足を止めて振り返ってくれた。
青島はぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございましたっ」
あんな捻くれた言い方で新城が伝えたかったことは、単なる励ましだったじゃないかと思う。
「…別に、お前のためじゃない」
言い訳をするような口調に、青島は苦笑しながら顔をあげた。
新城はそれ以上何も言わずに、湾岸署を出て行った。
その後姿を見送って、青島は刑事課に戻る。
目を丸くしている袴田に詰め寄ると、短く言った。
「休み、ください」










NEXT

2006.1.6




template : A Moveable Feast