■ A ray of hope(後編)
―我ながら、凄まじい行動力だなぁ。
青島は身震いしながら、ぼんやりと思った。
見上げた建物は、官舎である。
何度か遊びに来ているので、官舎の場所も部屋の位置も知っていた。
室井が住んでいる部屋を見上げると、明かりが消えていた。
まだ帰宅していないのだ。
―ここで、待ってるかな…。
ここ、室井の官舎の前で。
つまり、広島に来ているわけだ。
自分の行動力に驚きもするだろう。
さすがに外で待つには寒いが、それ以外の手段がこれと言って思い浮かばなかった。
仕事が終われば、室井はいずれここに戻ってくる。
少し考えて、電話だけは入れておくことにした。
室井だって飲みに行くくらいするだろうし、付き合いだってあるだろう。
さすがに、夜中までここにいるのは厳しいし、怪しい。
携帯を取り出して、青島は室井に電話を掛けた。
数度のコールで繋がる。
『青島?』
少し驚いた室井の声。
夕べも掛けているから、驚いたようだった。
「お疲れ様です、青島です」
『お疲れ様…どうかしたのか?何かあったのか?』
何かあったのはアンタだろうと思いながら、青島は今は聞かないことにした。
顔を合わせてから、話しがしたかった。
「室井さん、今どこです?まだ仕事中でした?」
『いや、今は帰り道だ』
ということは、ここに向かっているということだ。
「そうっすか。後どれくらいで家に帰れそう?」
『え?…ええと、もうすぐ………』
妙な質問に怪訝そうだった室井の声が、途切れた。
おや?と思いながら、青島はなんとなく顔をあげて、周囲を見渡した。
少し先に、呆然と立ち尽くしている室井の姿を見つけて、青島は思わず笑みを零す。
「お帰りなさい」
電話口で言って、本人に手を振って見せたら、室井が珍しく駆け足で近付いてきた。
「あ、青島?本物?」
余程驚かせたのか、寝ぼけたことを言う。
青島は苦笑して、携帯を切った。
「本物ですよ、もちろん」
「なん、なんで、いきなり、どうし」
「落ち着いてくださいよ」
どうどうと、手で押さえるマネをする。
「……やっぱり何かあったのか?」
心配そうに眉を寄せた室井に、青島は少し切なく目を伏せた。
自分が大変な時にでも、青島を心配してくれる室井の優しさが嬉しくて痛ましかった。
「話、したくて来ました。いきなり、すいません」
「それは構わないが……とりあえず、中に入ろう」
室井が鍵を開けて、中に促してくれる。
お邪魔しますと断ってから、室井に続いた。
突然来たって、室井の部屋は綺麗に片付いている。
それは昔から変わらない。
「どれくらい待ってた?寒かっただろ」
「あ、いや、ちょっとです。俺もさっきこっちについたばっかりだから」
「そうか?ならいいが…」
ヒーターを入れて、コートとスーツの上着を脱ぐ。
「コーヒーでも淹れて来るから、座って待っててくれ」
キレイな灰皿をテーブルに一つ置いて、室井は台所に消えていった。
室井は滅多にタバコを吸わないが、時々遊びに来る青島のために、この部屋にも一つだけ置いておいてくれている。
青島もコートを脱ぐと、ソファーに腰を下ろしタバコに火をつけた。
『室井さんを奮い立たせるのは、お前の役目だろ』
新城の言葉が耳に蘇る。
自分に出来ることは、やはり多くない。
共に頑張ること、励ますこと、支えること、慰めること…。
そして、室井のやる気になってやること。
誰よりも近い場所で、彼のエネルギーになってあげること。
距離ではなくて、心の近さだ。
いつだって、室井の一番近くにいるのは、自分でありたい。
また、そうでなければならないはずだ。
室井は青島がいるから頑張れるのだ。
青島がそうであるように。
―俺が、室井さんの頑張れる理由なんだ。
タバコを深く吸ってゆっくりと吐き出すと、灰皿にタバコを押し付けて消した。
「……大丈夫か?」
台所から戻ってきた室井が、心配そうに青島の顔を覗きこむ。
二人分のマグカップはテーブルの上に置かれて、暖かな湯気を立ち上らせている。
青島はそれを見ながら、緩く首を振った。
「室井さんこそ」
「え?」
「新城さんに、聞きました」
室井は一瞬目を瞠ったが、すぐに小さく笑った。
「そうか……耳が早いな」
やはり思い当たる節があるらしい。
頷きながら、青島の隣に腰を下ろす。
「それで、わざわざ来てくれたのか?」
「それりゃあ、アンタのことだもん」
じっとなんかしてられないと伝えると、室井は口元に手を当てた。
照れ臭かったらしく、「そうか」ともごもごと呟いている。
青島は少し苦笑したが、すぐに顔を引き締める。
「詳しい話はまだ聞いてないんです」
話してくれますか?と室井に尋ねると、もちろんと頷いてくれる。
「だが、俺も今朝聞いたばかりなんだ」
「そうだったんですか…」
「実は打診は少し前からあったんだが、はっきりするまでは言うべきじゃないと思ってな」
青島は首を傾げた。
何かのトラブルに巻き込まれているふうではなさそうだ。
―となると、また見せしめ人事か何かか…。
そう思って、聞いてみる。
「次は、どこです?」
室井は少し首を傾げて見せた。
「どこって…」
「異動になったんですよね?」
「ああ」
「どこですか?」
「……東京だが」
青島は目を剥いた。
「ええ!?どこの所轄ですかっ」
声をひっくり返した青島に、室井も目を剥く。
東京に帰ってきてくれるのは嬉しい。
嬉しいがまたどこぞの所轄の署長だろうかと思っている青島をよそに、室井はポカンとした顔で呟いた。
「新城から聞いて来たんじゃないのか?」
「だから、詳しい話は全然聞いてないんだってば」
「一体、何て言われて来たんだ?」
怪訝そうな顔の室井に、青島は少し言い辛そうに言った。
「大変なことになってる、って。室井さんが」
「……それだけ?」
「ええ。だって、新城さん、それ以上のことは室井さんに聞けって」
室井は眉間に皺を寄せてちょっと考え込んで、やがて苦笑した。
「新城め…何を考えているんだか…」
怒っているふうではなくて、呆れているようだった。
「え、と…?」
青島は困惑気味に室井を見た。
想像していた反応と大分違う。
異動になったのは確かなようだが、室井はそれほど大変な目にあっているわけではなさそうに見える。
頭にクエスチョンマークが飛び交っている青島に、室井は苦笑したまま呟いた。
「異動にはなったが、新城の言うような、大変な目にはあってない」
「…そうなんですか?」
「ああ」
それならそれに越したことはないのだが、激しく腑に落ちない。
それでは新城に遊ばれただけだということになる。
それだけで、わざわざ広島まで休暇をムリヤリもぎ取って来たことになる。
いくら室井のためにでも、それが新城のせいかと思うと、腹立たしい。
青島が眉間に皺を寄せていると、ふいに手の平を握られる。
「…室井さん?」
いきなりで少し驚いて室井を見ると、柔らかい笑みを浮かべていた。
「帰ることになった」
「あ、はい、それはもう、嬉しいですけど」
「じゃなくて」
見つめる室井の眼差しに力が篭って、ドキリとする。
力強い眼差しは、何度も見ている。
見るたびに、室井は青島に何かしらのモノを残す。
約束だったり、信頼だったり、希望だったり―。
思わず握られた手を強く握り返すと、室井は静かに言った。
「本庁に、戻ることになった」
「……え?ええ?」
一瞬頭が真っ白になり、室井の言葉が理解できなかった。
単純な言葉だったのに、まるで初めて聞く言葉のように頭に入らない。
呆然としている青島に、室井はもう一度繰り返した。
「本庁に、戻ることになったんだ」
今度は短い沈黙。
「…本当に?」
「ああ、今朝内示が出たんだ。一月後には、本庁だ」
青島は握っていた手を振り解くと、ガバリと室井に抱きついた。
「マジで?マジっすか?」
「ああ…本当だ」
興奮している青島に、堪えられないというように小さな笑い声を零しながら、室井は背中を抱き返してくれる。
「ははっ…マジで…っ」
「また、管理官だけどな」
「充分ですよっ」
嬉しさと興奮からか、身体が微かに震える。
「これから、これからっすよ」
ぎゅっとしがみ付いて、室井の肩に顔を埋めた。
―室井さんが本庁に帰ってくる。
二人の約束を叶えられる場所はそこしかない。
―捜査一課に戻ってくる。
また一緒に捜査ができるかもしれない。
―俺の傍に、帰ってくる。
誰よりも傍にいたい人が。
「泣いてるのか?」
室井は少し驚いたような声で言った。
離れる時にも涙を見せなかった青島が泣いていたから、驚くのも無理はないかもしれない。
「……泣いてない、です」
青島は室井の肩に顔を埋めたまま、鼻を啜る。
「…そうか」
笑いを含んだ声で応じて、室井は青島の頭を撫ぜてくれた。
その素草があんまり優しいから、余計に鼻の奥がつんとしてくる。
室井は片手で頭を撫ぜながら、片手でしっかりと抱きしめてくれた。
「一からのスタートかもしれないが、また、頑張るから」
室井が常に頑張ってくれているのはよく分かっている。
―そんなに頑張らなくてもいい。
―無理しなくてもいいんだ。
そう言ってあげられたら、どんなにいいか。
室井はまた厳しい立場におかれるだろう。
もしかしたら、今まで以上に辛い思いを強いられるかもしれない。
青島は室井が好きだ。
だからこそ、青島だって平気じゃない。
苦境にいる室井を思えば、身を切られるような思いだ。
―もう、充分、頑張ったじゃない。
青島が室井のただの恋人なら、そう言ってあげられただろう。
だけど、言えない。
室井が諦めてしまえば、そこまでなのだ。
二人の想いは絶対に叶わない。
それを望んだのは室井自身だとしても、勝手なことだと自覚しているが、室井には頑張り続けてもらわなければならないのだ。
だが、勝手だと自覚している分、青島は室井を一人で頑張らせるつもりはなかった。
同じ立場で同じようには戦えないが、青島には青島にしかできないことがあるはずだ。
だから、室井も青島の存在を望んでくれたのだ。
「…なら、俺も頑張らなくちゃね」
青島は顔をあげると、室井を見つめた。
いくらか頬が濡れていたが、もう泣いてはいなかった。
「俺も頑張って、そっち行きます」
どこまでも明るい眼差しで言うと、室井は目を瞠った。
そっち、とはつまり、本庁だ。
現場で頑張ると室井に約束した。
本庁の捜査一課にいければ、その約束も果たせる。
一倉の前の捜査一課長だった島津も、ノンキャリのたたき上げだったという。
頑張れば、青島にだって不可能じゃない。
もしかしたら、今より、室井の近くで頑張れるかもしれない。
捜査一課を仕切れるようになれば、所轄をもっと活かして捜査をできるようになるかもしれない。
青島に出来ることは、きっとまだある。
「俺も、頑張りますから」
ニッと笑うと、室井は一瞬だけ切なそうに顔を歪めたが、すぐに力強く頷いた。
「何より、心強い」
何度失敗したって、諦めない限りは何度だってやり直せる。
青島も室井も、長い月日の中で、それを学んだ。
警察官でいる間は、二人は決して諦めないだろう。
希望は常にある―。
***
湾岸署を出た新城は、タクシーに乗っていた。
移動の時間も無駄にはできないので、資料に目を通す。
ふと窓の外に視線をやれば、雪がちらついていた。
新城は少し眉を顰めるが、これくらいなら交通障害も出ないだろう。
この程度なら、キレイだと思えないこともない。
「…らしくないことをしたから、荒れるかもしれないな」
新城は聞き取れないほど小さな声で呟いた。
嘘を吐いたのは、単なる嫌がらせだ。
室井が窮地に立たされている時に、青島がのうのうとしているのが許せない。
青島を誰よりも信じているくせに、青島に縋ろうとしない室井が許せない。
新城には関係ないことだが、室井を救うために、警察に残すために、少なからずとも働いた新城としては、気に入らなかった。
青島が室井を信じて待ち、室井が青島を支えに立っているのが気に入らなかった。
他人には分からないのに、二人の間に確実に横たわる信頼。
―そんなものが、一体なんだというのだ。
―もっとヤキモキして、みっともなく動揺すれば良いんだ。
―青島も、室井さんも。
どうあっても揺るがない信頼関係を苦々しく思う理由は、微かな嫉妬心。
それに、新城は気付かないフリをした。
嘘を吐いたのは単なる嫌がらせだが、青島に言った言葉の全てが嘘だったわけじゃない。
室井が本庁に戻ってくる。
期待しているのは、何も青島ばかりじゃない。
期待していなければ、あの時、広島県警への異動を推したりはしなかった。
室井はまだ警察に必要な人間だ。
そう思うから、未来にかけたのだ。
だから、新城だって、室井に諦めてもらっては困る。
やる気を出してもらわないと困るのだ。
ただ本庁に戻ってくるだけでは意味が無い。
室井にやる気を出させる方法は一つじゃないだろうが、最も効率の良い方法は心得ている。
苦々しく思えるほどの信頼関係だが、それが室井を支えているのは事実。
だから、青島を焚きつけた。
皮肉なやり方しか出来ないのは、新城の性格上致し方ない―本人は決して認めないだろうが、これでも随分丸くなったのである。
新城は窓から空を見上げた。
少し降っただけで止んだ雪に代わって、顔を出した晴天。
雲の隙間から太陽が姿を見せていた。
その眩しさに、目を細める。
『太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く』
昔の詩人の言葉だ。
新城自身、こんな言葉を信じているわけではない。
ただ、あの二人を見ていると、思い出すだけ。
太陽が輝きを失うときは決して訪れない。
新城は太陽に目を細めたまま、苦く笑った。
心のどこかで、ひっそりと思う。
―あの男が輝きを失うことも、ありえないな…。
警察の希望が室井なら、室井の希望は青島だ。
END
2006.1.6
あとがき
リカさんに捧げます。
ええ、もう、個人的、且つ、一方的に(笑)
リカさんとメッセで盛り上がりまして、「室井さんが広島から帰ってくるお話を書きます!」と
また調子にのって豪語した結果、こんなお話が生まれました(^^;
事件とか、何をして本庁にカムバックできたのかとか、本当は書けたら良かったのでしょうが、
相変わらず難しいことはさっぱりで、ぼやけたお話で申し訳ありません。
新城さんが上手く書けなかった…(涙)←新城さん「も」の間違い…(滝涙)
青島君はのうのうとしていたわけじゃないだろうし、
室井さんは青島君に縋らなかったわけじゃないと思うのですが、
新城さんの目から見ればそう見えたというか。
「余裕かましてんじゃねーよ」と(笑)
ちょっと新城さんの心情が微妙になってしまいました。
室井さんよりでも、青島君よりでも、お好みの方で捉えて頂けたらいいかなぁと思います。
容疑者を思えば室井さんよりの方が自然なんですが、
青島君至上主義者としては如何ともし難いですなっ(何が)
最後の詩は、シラーの詩です。
単純だけど、好きです。
そうであればいいなぁと思います。
甘いんだと思うのですけどね。
それでも、室井さんには、どうしても本庁に帰ってきて欲しいのです。
室井さんが警視総監になるときには、青島君も傍で頑張っていて欲しいのです。
私の願望です(^^)
「容疑者」以降の想像は、多分皆様それぞれ違うと思いますが、
私はこんななようです。
不愉快な点がございましたら、申し訳ありませんでした!
そして、そして。
リカさーん(^^;
気を持たせるようなことを言っておいて、こんなデキで申し訳ないです!(汗)
どこかしら、なにかしら、リカさんの思う「容疑者その後」になっているといいなぁと思います。
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