青島は宴会の席で、忙しなく働いていた。
接待なのだから、仕方が無い。
湾岸署の特捜本部が解散して、その打ち上げと称した接待飲み会である。
幸いというか何と言うか、青島は元が営業マンなので接待には慣れている。
自分の仕事は弁えていた。
空いた皿やグラスを下げたり、酒や料理の追加注文をしたりしながら、当然のようにお酌をして回る。
「室井さんもどーぞっ」
室井の隣に膝を付くと、ビール瓶を差し出した。
ちらりと青島を見た室井が、些か硬い表情でグラスを差し出してくる。
「ありがとう」
律義な礼はキャリアらしくないが、室井らしい。
青島は何となく嬉しくなって、ニコリと微笑みを返した。
「青島、こっちも頼む」
室井の向こうから一倉に、遠慮することなく呼ばれる。
「はいはい」
苦笑しながら腰を上げようとした青島の腕を、室井が掴んだ。
きょとんとした顔で室井を見ると、何故か眉間に皺を寄せていた。
「室井さん…?」
「君も少し座って飲め」
「え?」
「…さっきから、ちっとも座ってないだろ」
少し強く腕を引かれて、ストンと腰を下ろす。
「ん」
キレイなグラスを差し出してくれる。
驚いているともう一度促されて、青島はグラスを受け取った。
青島の手からビール瓶を取り上げると、室井がお酌をしてくれる。
「あ、ありがとうございます」
青島は慌てて礼を言った。
「いや…」
「お前なぁ、青島独り占めすんなよ」
一倉のからかう声に、室井は目を剥き、青島はきょとんとする。
「一倉っ」
「ダメだぞ?アイドル独り占めしちゃあ」
「だっ、誰がっ」
赤い顔で悶絶している室井を他所に、青島は呆れた顔をした。
「何、ばかなこと言ってんですか」
誰がアイドルだと心中で突っ込みつつ、一倉のいつもの戯れ事と聞き流す。
隣の室井に小さく断りを入れて少し身を乗り出すと、一倉のグラスも満たしてやった。
「室井さんたちの接待してれば他に呼ばれることはないだろうし、お言葉に甘えて、少しここに居させてもらおうっと」
ヘラッと笑いながらのん気に言ったら、室井は少し表情を緩めた。
「そうした方がいい」
室井に気遣われているのは、何となく伝わっていた。
―俺みたいなノンキャリにも、優しいんだよなぁ。
キャリアだろうとノンキャリだろうと本庁であろうと所轄であろうと、差別しない室井を尊敬していたし、不器用な優しさが好きだった。
室井を公平な人間だと思っているからか、青島は気が付いていなかった。
自分が室井にとって特別であるということに。
「室井さん、酒強いっすねぇ」
顔色一つ変えずに酒を煽る室井に、青島は感心を通り越して半ば呆れていた。
だが、室井はやっぱり表情を変えずに、小首を傾げる。
「そうか?」
「そうですよ〜」
青島はというと、もうすっかり赤ら顔だ。
酒に自信がある方だったが、室井には勝てないかもしれない。
「おい、室井」
横から一倉が突っ込みを入れてくる。
「飲み過ぎるなよ」
青島は首を傾げた。
こんなに平然としている人間に、わざわざ釘をさす必要はない気がしたのだ。
反論するかと思った室井だが、気まずそうな表情を浮かべただけだった。
「室井さん、まだまだ平気そうですよ?」
一応代わりに進言してみるが、一倉は肩を竦めてみせた。
「いや、確かにコイツ強いんだけどさ」
「一倉」
室井が咎めると、一倉は苦笑して黙ってしまった。
気になって室井を見ると、室井は難しい表情をしている。
やっぱり気になったが、室井が言いたくないことを聞きだせるような立場にはない。
余計なお世話だろうと気にしないことにして、室井のグラスに酒を注いだ。
「まだ大丈夫ですよねぇ?」
室井は一瞬だけ困った顔をしたが、青島がニコリと微笑むと微笑を返してくれた。
そして、酒を飲む。
―やっぱり平気そうじゃん。
一倉は意外と心配性なのかもしれないなどと思った瞬間、室井がいきなりテーブルに頭を打ち付けた。
大きな音に青島はぎょっとする。
わざとに打ち付けたわけではなくて、おそらく不可抗力だろう。
「え、えええ?室井さん、潰れた?」
青島は呆然と呟いた。
急に力の抜けた室井の身体は、眠ってしまったように見える。
さっきまで平然としていたといういのに、あまりに急で、青島は思考がついていかない。
だけどピクリともしない室井を見る限り、潰れてしまったのだとみて間違いないだろう。
「青島…」
声を掛けられて一倉を見ると、何故かしまったという顔をしていた。
「室井から離れた方がいいぞ」
「は?」
酔い潰れた室井を放っておけということかと思い、青島は眉を顰める。
「このままにしておくわけにいかないでしょ」
風邪でも引いては大変だから起こそうと思ったのだが、その前に室井ががばりと起き上がった。
またぎょっとした青島を他所に、室井はどこかぼうっとした視線を青島に寄こした。
「あ、室井さん、起きたんですね」
青島はいくらかホッとして席を立とうとする。
「今、タクシー呼びますから、もう帰った方が…」
行きかけた青島の腕を、室井がまた掴んだ。
青島を見つめる目が妙に座っている。
青島は恐る恐る、室井の様子を窺った。
「室井さん?」
声を掛けると、室井の両手が青島の肩に掛かる。
力いっぱい掴まれて、青島は訝しげに室井を見た。
「むろ……?」
少しずつズームされていく室井の顔。
真っ直ぐなきれいな黒目に自分の姿が見えた。
それも徐々にぼやけていく。
近すぎて焦点が合わないのだ。
―え、近すぎる?
青島がそう思ったときには、時既に遅しである。
そのまま唇を塞がれて、目を見開いた。
一瞬、自分の身に何が起こっているのか、理解できなかった。
室井にキスされているのだと認識するまでに、少しだけ時間が掛かる。
認識すると、慌てて室井の身体を押し返した。
が、身体も唇も離れてはくれない。
抵抗されたのが気に入らないのか、室井の眉間に皺が寄る。
構わずに青島は、バシバシとその胸を叩いた。
その手をガシっと掴まれて、目を白黒させていると、いきなり舌が侵入してきた。
「ん…っ」
酔っているせいなのかやけに熱い舌の感触に、青島はカッと頬を染める。
―これは、さすがにまずいだろっ。
そう思いながら、抵抗しようにも両手を室井に押さえられているし、身体を逃そうにも背後は壁で、上手くいかない。
舌でも噛んでやれば良いのだろうが、こんな時だというのに室井の舌を噛むことは躊躇われる。
どうしたら良いのか分からずに呆然と受け入れていた青島だったが、歯の裏を舐められて身体を硬くした。
ゾクリとするような感覚に、思わずキツク目を閉じる。
逃げる舌を絡め取られて、意識せずに声が漏れた。
「んっ…ん…っ」
また顔に熱が昇る。
息苦しいせいもあったが、それよりも羞恥の方が圧倒的に強い。
公衆の面前だということは、青島の頭の中には既にない。
既にそれどころではなくなっていた。
青島を追い詰めたのは、室井に翻弄されている事実だった。
―なんで、こんなことにっ。
そう思いながらも、熱い室井の舌と唇に、思考は簡単に乱される。
―てか、この人…上手くないか!?
ズレた思考回路も致し方ないかもしれない。
酒の影響じゃなくて熱くなり始めた身体に、青島は呆然としていた。
このままでは絶対まずいと思っていると、不意に唇が開放される。
「ストップ。そこまで」
「…はっ……ぁ?」
浅い呼吸を繰り返しながら目を開けると、室井の首根っこを一倉が押さえていた。
「美味しいシーンが見れたのはいいが、これ以上はさすがにな」
言われて、青島は赤い顔のまま手の甲で唇を拭った。
「も、もっと早く止めてくださいよっ」
青島の憤りは尤もだが、一倉は苦笑して肩を竦める。
「そう言うなよ。後が結構大変なんだぜ?」
「は…?」
訝しげな青島の前で、室井が一倉の顎を掴んだ。
青島に対する先の行動から、室井の座った瞳を見れば何をするつもりか想像に難くない。
青島はぎょっとしたが、一倉は慣れた様子である。
「はいはい。また今度な」
逆に室井の顎に手の平を当てて、力任せに押し返した。
それに不服そうにしながら、尚もキスを迫る室井。
青島は、いや、その場にいた全員がその様を唖然と眺めていた。
室井が一倉にキスを迫るなどありえない。
青島にならありえるのかというとそういうわけではないが、それにしたって一倉だけは絶対にありえないはずだった。
「こいつ、実は酒癖悪くてね」
一倉は苦笑しながら、言った。
「え?え、だって、あんなに強いのに…」
「強いんだけどさ、一定の量を超えちまうと急にクるらしいんだ」
それはまた性質が悪い…と、声に出さずに皆が思っていた。
青島は恐る恐る口を開く。
「キ…キス魔なんですか、室井さん…」
「そういうこった」
物凄く意外である。
意外すぎて、信じられない。
が、今実演されたばかりなので、青島は激しく納得がいった。
そうでもなければ、室井が青島にキスをすることなどないし、こんな場所で誰かに迫ること自体ありえなかった。
「まあ、一定量と言っても相当の量だから、こんなことは滅多に無いんだが…今日はちょっと酔いが回るのが早かったみたいだな」
ん〜〜〜とキスを迫ってくる室井を横目に、さすがにうんざりした表情で言うと、一倉は室井を押さえたまま何とか立ち上がった。
「というわけだ。お騒がせして悪いが、俺たちは先に帰るぞ。犠牲者がこれ以上出ても困るしな」
室井の名誉のためにもその方が良いだろう。
青島は立ち上がると、「タクシー捕まえてきます」と言って座敷を先に下りた。
店の外でタクシーを捕まえて待たせていると、程なくして室井を引きずるように一倉が出て来た。
襟足を引っ張って顔を遠ざけている辺りに、一倉の苦労が窺える。
長い付き合いだと聞くから、慣れてはいるのだろう。
―一倉さんも俺みたいな目にあったのかなぁ…………ん?
苦笑交じりに思ったが、いきなり胸に重たいものを感じる。
胃の辺りをさすって、青島は眉を寄せた。
―俺も、飲みすぎたかな?
「どうかしたのか?」
一倉に言われて、青島は慌てて笑顔を作った。
「いえ、なんでも!気をつけて帰ってくださいね」
「おう……室井に襲われないように気をつけて帰ろう」
軽口を叩くと、一倉は室井を強引にタクシーに押し込み、自分もその後に続いた。
鞄で室井の顔面を押しのけている様を見ていると、さすがに室井が可哀想に思えてくるが、先ほどディープキスをかまされた青島としては何も言えなかった。
窓を開けると、一倉がニヤリと笑った。
「中々いい見世物だったぞ」
何のことかはすぐに分かる。
青島はまた赤面した。
言い返すより先に、一倉が笑いながら運転手を促した。
走り出したタクシーを溜息混じりに見送って、青島は指先で軽く唇に触れた。
―室井さんが、あんな激しいキスするなんてなぁ。
意外な気がしたが、よく考えればいざという時の激しさは、室井にもあった。
誰かを欲している時の室井は、情熱も持ち合わせているのかもしれない。
そんなことを考えて、背筋が震えるような感覚を思い出す。
あれは、確かに「快感」だった。
「俺、何考えて…っ」
青島は真っ赤になりながら、唇に手の甲を押し付けた。
唇に、まだ感触が残っているような気がした。
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