「室井さん、好きな人います?」
青島の突然の質問に、室井は飲みかけていたビールを噴き出しそうになった。
慌てて堪えたせいで、ビールが器官に入ってしまい、盛大に咳込む。
「だ、大丈夫ですか?」
青島は室井のリアクションの大きさに驚いたようだったが、驚いたのは室井も一緒である。
いきなりそんなことを聞かれれば、大抵の人は驚くだろう。
しかも聞いた相手がその質問の答えだったりするから、余計だ。
だからと言ってまさか「君だ」と言うわけにもいかない。
室井は口元をおしぼりで拭って、渋い表情を浮かべた。
「……何故、そんなことを聞く」
質問の理由である。
何故今そんな話題を振られたのかが分からない。
青島の好きな人の話をしていたわけでもなく、恋人が欲しいなどと言ったわけでもない。
二人きりで酒を飲むようになってから色んな話をするようにはなったが、そこまでプライベートに突っ込んだ話を聞かれたのは初めてだった。
青島は肩を竦めて見せた。
「いえ、ただ、ちょっと気になって」
『気になる』というのは、どういう意味か。
室井が青島に惚れているだけあって、深読したくなっても無理はなかった。
―青島は自分のことをどう思っているのか。
室井はずっとそれが気になっていた。
だけど聞けるわけもない。
それでは青島が好きだと告白しているようなものである。
だが告白なんかできるわけがないとずっと思っていたが、このままでいたかったわけでもない。
できるならちゃんと気持ちを伝えて、青島の気持ちを知りたかった。
ならばこれはチャンスかもしれない。
折角青島から話題を振ってくれたのだ。
自分の気持ちを伝えて、青島の気持ちを知るチャンスかもしれない。
酒の勢いもあったかもしれないが室井はそう思うと、眉間に皺を寄せた。
不機嫌になったわけではなく、力が入り過ぎているだけだった。
「……いる」
短い返事を返すと、余程驚いたのか、青島の顔から一瞬表情が抜け落ちる。
だがすぐに笑った。
「へぇ、そうっすか〜、室井さんにもねぇ」
「俺にもとはどういう意味だ」
「ね、どんな人ですか」
室井はやはり酔いが回っていたのかもしれない。
「目が大きくて口も大きくて。良く笑って良く怒って」
意地になって見たままを羅列したら、青島が目を丸くした。
室井は開き直って、ムッツリとしたまま続けた。
「お人よしだが意思が強くて、案外頑固で。いつだって真っ直ぐで。落ち着きが無くて階段はいつも一段飛ばしで、……背が高くて、重度のヘビースモーカー」
じっと青島を見つめた。
青島はらしくもなく多弁な室井を見つめて少し呆然としていたが、やがて微笑んだ。
「その人のこと、凄く好きなんですね」
伝わらなかったのか、単にはぐらかされたのか。
室井には判断が付かなかった。
「告白はしないんですか?大丈夫。室井さんなら大抵の人はOKですよ」
朗らかに言われて、室井は確信した。
室井の想い人が誰か、今の説明では伝わらなかったらしい。
伝わっていたら、そんな悠長なことは言ってられないだろう。
室井に好きだと言われたら、青島だって困るはずだ。
室井はそれなりに勇気を出して告白したつもりでいたのだが、徒労に終わってしまった。
ひっそりと肩を落とす。
青島は励ましてさえくれた。
―脈はないていうことか。
今更なことだが、室井は余計に落ち込む。
それを見た青島が何を勘違いしたのか、応援してくれる。
「大丈夫っすよ!俺が保証しますから」
何をどう保証してくれるというのか。
青島に振られたら、責任を取って青島が付き合ってくれるというのか。
意味の通らないことを考えている室井に、青島は微笑んだ。
「俺だったら、喜びますもん」
室井が硬直すると、青島は苦笑した。
「女だったらね〜」
「あ…ああ」
そういうことかと、すぐに納得した。
危なく、それなら付き合ってくれと、言いそうになった。
どうしても都合が良い方に受け取りたくなる自分に、室井は失笑する。
「……そろそろ行きましょうか」
青島が時計を見て席を立つ。
いつもより少し早い時間だったが明日の朝が早いのだろうと思い、室井は気にせず青島に続いた。
「ご馳走様」
店を出て、室井は青島に礼を言った。
どういうわけか、今日は自分が奢ると言ってきかなかったのだ。
割り勘の時が多いのだが、奢ったり奢られたりすることがないわけじゃないので、次に会う時は室井がご馳走すれば良いだろうと思っていた。
青島は笑いながら首を振る。
「いいえ〜いつもお世話になってるから」
「次は俺が出そう」
そう言ったら、青島は曖昧に微笑んだ。
その笑顔が不自然だった気がして、室井は首を傾げた。
青島、と声をかけようとしたのだが、青島の声に遮られる。
「俺こっちですから」
「…ああ」
「じゃあ、お休みなさい」
室井がお休みと言う前に、青島は室井に背を向けて歩き出していた。
何か引っ掛かるものがあるが、何がどう不自然なのかも分からない。
漠然としすぎていて、青島を呼び止めることも出来なかった。
室井は少しの間青島の背中を見送っていたが、やがて青島とは反対方向に歩き出した。
数歩歩くと、背後から声をかけられる。
「室井さーん」
振り返ると少し遠くに体ごと振り返って立っている青島がいた。
「どうかしたか?」
少し大きな声で問いかけると、青島が室井に向かって手を振った。
室井は小首を傾げながら、小さく手を振り返す。
―このためだけに呼び止めたのだろうか。
青島が何をしたいのか良く分からなかったが、やはり少し様子がおかしい気がした。
「青島?」
「室井さん」
室井の声にかぶせるように、青島が室井を呼んだ。
振っていた手を止めて何かを言いたげに唇を開いたから、室井は大人しく青島の言葉を待つ。
珍しく言いよどみ、言葉を探しているように見えた。
考えて迷って躊躇って、諦めた。
ように、室井には見えた。
青島が口にしたのは、結局一言だけ。
「さようなら」
大きくは無い声だったが、室井の耳にちゃんと届いた。
だけど、意味を正確には捉えられない。
青島が伝えようとしていた気持ちに気付かない。
室井は訳が分からないまま頷いた。
「ああ…さようなら」
そう答えると、青島は一瞬だけ寂しそうに目を伏せたが、すぐに笑ってもう一度手を振った。
そして、そのまま歩き去る。
今度こそ振り返らなかった。
その後姿が見えなくなるまで見送って、室井も歩き出す。
その晩、青島の「さようなら」が室井の頭から離れなかった。
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