『きりたんぽ鍋を食いに来ないか?』
室井からそう電話を貰った時、青島は心底驚いた。
社交辞令が言えるタイプだとは思っていなかったが、それでも果たされることの無い約束だと思っていたからだ。
室井と青島では立場が大きく違う。
片やキャリア組のエリートで、片や一所轄刑事、いや今は交番勤務のお巡りさんだ。
私的な交際が出来るような間柄ではない。
ただ、青島は室井のことは好きだった。
尊敬していると言っていい。
短い間だったが、室井の下で働けたことは青島にとっては大きなことだ。
室井が今も上にいてくれるから、交番勤務に回されても投げ出さずに頑張れているのだ。
湾岸署にいた頃と比べてどうしても感じてしまう物足りなさに目をつぶってしまえば、人と一番近くで接することのできる交番勤務は、青島にとっては決して悪い職場では無い。
困っている人を助けたいという青島の尤も単純な願いの叶う場所だ。
やる気もやり甲斐も、ちゃんとある。
所轄に、湾岸署に戻りたいと思いながらでも、青島らしく毎日一生懸命に仕事と向き合っていた。
そんなある日だった。
室井からのお誘いがあったのは。
交番にいた青島は、携帯のディスプレイに表示された室井の名前を見て、慌てて電話に出た。
室井とは査問委員会で顔を合わせて以来だった。
『きりたんぽ鍋を食いに来ないか』
室井の第一声に目を丸くする。
「元気か?」でも「久しぶりだな」でもない。
いきなりのお誘いに、青島は思わず返答に詰まった。
『あの日、約束したろ』
続けた室井の気まずそうな声に、青島ははっとした。
呆けている場合じゃない。
「え、ええ、はい」
『迷惑か?』
「いやっ、まさかっ」
慌てて否定する。
本当に誘われるとは思ってもいなかったので驚いたが、迷惑なわけでは無かった。
嬉しいとも思う。
だけど、気になることもあった。
「あのぉ…」
『何だ?』
「もしかして、気ぃ遣ってくれてます?」
青島が交番勤務に回されたことを、まだ気にしているのかと思ったのだ。
それで青島にご馳走しようとしてくれているのなら、申し訳ない。
あれは室井のせいではないのだ。
室井には感謝している。
和久と真下の事件を解決出来たのは、室井が力を貸してくれたからだ。
処分を覚悟で、青島と一緒に捜査をしてくれた。
警察官として働く間にあんな経験をすることはもう二度とないだろう。
青島は幸運だったのだと思う。
室井のようなキャリアに出会えて。
短い沈黙の後、室井は硬い声で呟いた。
『気を遣っているわけじゃない。約束、したからだ』
本当に律義な人だなぁと思って、青島は苦笑した。
だけど、だからこそ室井との約束には意味がある。
青島が現場で頑張り、室井は上に行く。
いつかきっと、室井が警察を変えてくれる。
今もそう信じている。
青島は明るく笑った。
「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔します」
『…そうか』
いくらか安心したような室井の声。
自分なんかを誘うのに緊張していたのだろうかと思うと、何だか可笑しかった。
室井の住む官舎を教えて貰い、時間の約束をして電話を切った。
インターホンを押す瞬間はさすがに緊張した。
初めて訪れる、しかも室井の自宅である。
いくら神経の太い青島でも、いくらか緊張する。
ドアが開いて、室井が出迎えてくれた。
当たり前だが私服姿で、少し新鮮だった。
「図々しく、本当に来ちゃいました〜」
言いながら手土産に買って来たビールの入った袋を差し出すと、室井は苦笑しながら受け取ってくれた。
「気を遣わなくて良かったのに…ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
室井に促されるまま、お邪魔する。
部屋の中は室井らしくシンプルで、きれいに片付けられていた。
テーブルの上には既に鍋の用意がされてあった。
ちょっとしたつまみなども用意されていて、結構豪勢な食卓である。
「これ全部、室井さんが作ったんですか?」
「そうだが」
「凄いっすねー!」
素直に驚くと、室井は苦笑を浮かべた。
「味は保証できないが…掛けてくれ」
青島が腰を下ろすと、室井がビールを注いでくれる。
お返しに青島が室井のグラスを満たすと、特に意味は無いが乾杯をした。
「好き嫌いは無かったか?」
「あ、全然無いです。何でも食えます」
「そうか、なら良かった」
室井が鍋を取り分けてくれる。
良い匂いのするソレを眺めながら、青島は思い出したように言った。
「俺、きりたんぽ食べるの、初めてかも。米で出来てるんですよね?」
食べたことは無いが、それくらいは青島でも知ってる。
「ああ、ご飯を潰して作るんだ」
差し出されたお椀に礼を言って受け取った。
「頂きます」
「どうぞ」
きりたんぽはやはり食した覚えのない食感だったが、美味いと思った。
外食ばかりの青島は、何となく家庭の味を思い出した。
「……美味いれす」
くぐもった声で伝えると、室井の表情が少しだけ緩む。
「そうか」
「もしかして、きりたんぽも室井さんの手作りですか?」
室井が頷いたから、青島は大袈裟に驚いた。
わざとではなく、本当に驚いたのだ。
「凄い!料理上手なんだ、室井さん」
「きりたんぽは簡単に作れる」
「そう言えちゃうんだから、料理上手なんですよ」
まず作ろうと思える時点で尊敬してしまう。
青島はあまり自炊はしないし、たまにやっても焼くだけ煮るだけの料理しかしない。
それでもするだけマシな方で、外食やお弁当が殆どだった。
それを言うと、室井は苦笑を漏らした。
「俺だっていつも作っているわけじゃない」
「ああ…室井さんも忙しいですもんね」
でもやっぱり普段料理しない人がきりたんぽを作ったりはしない。
「料理するのは、好きなんですね」
「嫌いじゃない。…可笑しいか?」
室井が少し眉を潜めたから、青島は笑った。
「意外でしたけど、可笑しくはないです。むしろ、カッコイイと思いますよ〜」
料理の出来る男は何となくカッコ良く見えるものだ。
それがしなさそうに見える人ならば、尚更だ。
青島の一言に、どういうわけか室井の表情が強張った。
―誉め言葉だったわけだから、不愉快にはさせてないよなぁ。
「室井さん?どうかしました?」
青島が少し不安に思いながら室井の様子を伺っていると、室井は一つ息をついて首を緩く振った。
「いや、何でもない」
小さく微笑むと、「食おう」と促してくれる。
首を傾げつつ、ご馳走を目の前にしていると、思考能力も低下する。
青島は遠慮無く箸を進めた。
「すまなかった」
鍋もあらかた片付いた頃、室井が不意に呟いた。
「何がです?」
青島は室井のグラスに日本酒を注ぎながら尋ねた。
何のことだか、不覚にも全く気が付かなかった。
美味しい食事と酒、それから室井と楽しく話をしているうちに、何故室井の自宅にお呼ばれすることになったのかを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「…君だけ、交番勤務に回されたことだ」
室井が急に重たくなった口調で呟くから、青島も漸く思い出す。
「ああ…止めてくださいよ。室井さんのせいじゃないでしょ」
「しかし、やはり君だけと言うのは」
真面目な性格の室井が納得いかないのは当然かもしれない。
またそういう性格の室井だからこそ、青島はついて行こうと決めたのだ。
「あの時、言ったでしょ。室井さんには上にいて貰わないと、俺達が困るんです」
青島は笑いながら続ける。
「所轄の希望ですから」
臭い台詞に自分で照れて、はにかんだ。
室井は一瞬目を細めて、それから真顔になった。
「精一杯、頑張ろう」
室井がそう言うのなら、間違いはない。
嘘偽り無く精一杯頑張ってくれるだろう。
「なら俺も頑張れます」
青島は微笑んだ。
「交番勤務、楽しいですよ。前にいた所だから、俺のことを覚えていてくれる人もいるしね」
「…そっか」
青島につられてか、室井の表情も少し緩んだ。
ほんのり酔っ払いながら、青島は上機嫌で言った。
「いつかまた、一緒に捜査したいです」
一瞬驚いた顔をした室井だったが、すぐに頷いてくれる。
「俺も、そう思う」
そんな日はもう二度とこないかもしれない。
だけど室井が同じ気持ちでいてくれるなら、それで充分だ。
―一緒に酒が飲めて良かったなぁ。
青島は心の底からそう思った。
「青島」
「はい?」
「……また誘ってもいいか?」
難しい表情なのは照れ臭いからなのか、それとも断られるかも知れないと不安に思っているからなのか。
青島は深く考えずに、室井からの嬉しい提案に大きく笑った。
「いいっすね!また飲みましょう」
一瞬室井が酷く嬉しそうな顔をしていたのだが、青島は気が付かなかった。
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