■ crisis(5)


青島はまた餌として街角に浮いていた。
先日ラブホテルまでついて行った男に、ナンパされた辺りだけは避けている。
男と鉢合わせしてしまっては困るからだ。
ホテルまでついて行って何もせずに逃げ出しているから、青島は男に恨まれているだろう。
あんなことくらいでへこたれたりはしていない青島だが、やはり慎重にはなる。
あんなことはもう二度と御免被りたい。
あの日の、室井に縋った自分の姿を思い出して、思わず赤面する。
慌てて首をぶんぶんと振った。
―思い出すな思い出すな。
心の中で、繰り返す。
思い出したらとてもじゃないが仕事にならない。
青島は眼鏡の奥で目を伏せると、そっと溜息をついた。
煙草を取り出すと、口に咥える。
いくらか気が紛れた。





前回尾行に失敗した刑事たちはそのままに、人数だけはもう少し増やした。
尾行の失敗の原因は、引ったくり犯だった。
尾行をしていた刑事の真横で引ったくり事件が起こってしまい、その混乱の最中に青島を見失ってしまったらしい。
謝罪をする刑事に向かって、青島は満面の笑みで応えていた。
「引ったくり犯逮捕したんでしょう?良かったじゃないですか」
「君の身の危険だってあったんだぞ」
手放しに喜んでいる青島に室井が言うと、青島は困ったように笑いながら頭を掻いた。
「あはは…そうなんですけどね。ほら、俺無事だし」
室井には分かる。
青島は嬉しかったのだ。
本庁の刑事が小さな事件を蔑ろにしないでくれたことが。
たがら自分の身が危なかったことなど、二の次にしてしまったのだ。
室井だってそう思う。
結果オーライな捜査は頂けないが、刑事として正しい在り方だと思うのだ。
自分の恋人が危険な目にあったわけだが、危険を承知で現場に送り出した自分も言わば同罪である。
部下だけを責めるのはお門違いだ。
本人も青島も望んだから、失敗をした捜査員はそのままに、人数だけ増やすことにした。
青島は捜査員を増やすことも必要無いと言ったが、室井が譲らなかったのだ。
「ならば俺も現場に行く」
と言い出すと、青島は苦笑して折れた。
「お前は現場にいなくて正解だと思うぜ?」
スピーカーを睨み付けていた室井は、一倉に声を掛けられて視線をうつした。
「黙ってなんか、見てらんねぇだろう」
青島がナンパされているのを、と言いながらスピーカーを指差す。
スピーカーからは酔っ払いに絡まれて失笑している青島の声が聞こえてくる。
「青島の仕事なんだ。我慢する」
「知らない男に口説かれたり、酔っ払いに絡まれたりしてんだぜ?」
「仕事だ」
「肩やら腰やら抱かれて」
「……」
「耳元で囁いたり、唇寄せたり」
「…一倉」
「キスしたり」
「殴るぞ」
これ以上ないくらい渋面になった室井に、一倉は声を立てて笑った。
「いやぁ、あんなにイライラしてたお前が、あの日以来すっかり落ち着いちまったから、ちょっとつまんなくてな」
悪い悪いとちっとも悪びれていない一倉に、室井は深い溜息をついた。
一倉はニヤリと笑う。
「溜まったモン、出させてもらったか?」
「下品な言い方をするなっ」
怒鳴ったが、一倉の言っていることは間違ってはいない。
薬を飲まされた青島に煽られるがままに、溜め込んでいた鬱々とした感情を振り払うような行為に及んだ。
何度も求めてあって、いっぱい触れ合った。
そのお陰か、こうしていてもいくらか落ち着いていられる。
情けないが、青島が自分のものだと再確認したのかもしれない。
「このムッツリ」
不意に言われて、室井の眉間に皺がよる。
「何、思い出してたんだ?」
「何が」
「顔、緩んでるぜ」
室井は思わず頬を押さえた。





煙草の吸い殻を携帯用灰皿に放り込むと、青島は伸びをする。
今日はかかりが悪いなぁと思ってから、俺は漁師かと心の中で突っ込む。
酔っ払いに絡まれた程度で、今のところナンパらしいナンパも無い。
さすがにちょっと暇を持て余す。
元々受け身な作戦なのだ。
かかるものがかからないことには、青島に出来ることは少ない。
今日は少し冷えるようで、小さく身震をいした。
寄り掛かっていた壁から離れると、目と鼻の先の自販機に向かう。
捜査中だが、これくらいのことは許されるだろう。
自販機の前に立ってポケットから財布を取り出そうとすると、不意に横から手が出てくる。
青島じゃない人の手が小銭を入れた。
驚いて振り返ると、サラリーマンふうな容貌の男が立っている。
ブランドものの三つ揃いのスーツを着こなし、ジュラルミンケースを持っている。
きっちりと整えられた髪が清潔感を感じさせるいい男だった。
だが切れ長の瞳が青島に向かって細められると、青島の背中に何故か悪寒が走る。
男は青島に微笑んでみせた。
「どうぞ」
奢ってくれるつもりらしい。
被疑者かどうかは分からないが、ナンパには間違い無さそうだった。
逡巡してから、コーヒーのボタンを押す。
「ありがとう。でも何で?」
ガコンと落ちてきたコーヒーを手に取りながら、青島は男を見上げた。
一倉よりも大きそうだった。
「君にご馳走したくなったから」
「そりゃどうも」
青島はどうしたものかな、と思う。
男はこの捜査中でなければ好感が持てそうなほど、柔らかい笑みを浮かべている。
この男なら女だろうと男だろうと、相手の方が放っておかないだろう。
スーツの着こなしもその仕草もスマートだった。
だが、青島にはその男がどこか崩れて見えた。
最初の悪寒がどうにも引っ掛かる。
「君、最近この辺りにいるよね」
言われて、ぎょっとする。
この辺で捜査員と接触したのは、青島がホテルから逃げ出して来た時だけだから、そこを見られている心配はないと思う。
驚いたのは、ここ数日青島がこの辺にいたことを、男が覚えていたことだった。
通りすがりに見かけた人のことなど、普通は覚えていない。
ましてや、青島は毎日同じ場所にいたわけではないから余計だ。
もしその青島に目を付けて声を掛けてきたのだとしたら、少し変質的だ。
「ちょっと、暇しててね」
青島が首を竦めて見せると、男が薄く笑った。
「遊んでくれる相手、捜してるんだ?」
「そう見える?」
「うん」
男は頷くと青島の耳元に唇を寄せた。
「飢えてるように見えた」
不快感に鳥肌がたつ。
笑顔を作るのに、少し苦労した。
「相手には苦労してないつもりだよ」
「そう?じゃあ、好みにうるさいのかな?」
「普通じゃつまらないだけ」
男の瞳がまた細められる。
「普通のセックスじゃ物足りない?」
ストレートな男の質問に、微笑んでみせた。
「そんなとこ」
「SMとかに興味が?」
「ただただ気持ちイイのが良いね」
天気の話をするように軽く言って、青島は缶コーヒーを開けた。
少し持ち上げて男に礼を言うと、口をつける。
食いつきがいいから、この男も青島を気持ち良くさせるような手段を持っているのかもしれない。
それが何なのか、もう少し探るべきだろう。
合法ドラッグならまだしも、それこそ特殊プレイに並々ならぬ熱意を持っているヤツにでものこのこついて行っていたら、青島の身がいくつあっても足りない。
コーヒーを飲む青島を男がじっと見つめている。
また悪寒が走る。
何かを感じるのか、ただ生理的に受け付けないだけなのかは、まだ分からなかった。
回し飲みなんかしたくはないが、青島は男にコーヒーを差し出してみた。
「飲む?」
「ありがとう」
「いや、アンタが買ってくれたモンだし」
男は素直に受け取った。
顎を引いて缶に口を付けながら、視線だけは青島に寄こす。
さすがに居心地が悪い。
それでも根性で微笑みながら、レンズ越しに男を見つめ返した。
「…薬とか、興味ある?」
不意に男が言った。
その言葉にドキッとしたが、青島は焦らない。
肩を竦めて見せた。
「合法のは結構遊んだけど、ダメだね。慣れちゃったみたいで、最近じゃあんまり効かないんだ」
ああいうものに慣れがあるのか分からない。
適当に喋ってはいるが、合法か違法かだけは聞いておきたかった。
前回の二の舞を踏むことは避けたい。
男が缶を青島に返してくる。
「本物は?」
「え?」
「本物のドラッグ。試したことある?」
青島は少し驚いた顔で男を見上げた。
演技半分素が半分といった感じだ。
「さすがに無いよ。そんな金も無いしね」
「興味はある?」
青島は眼鏡の下で目を細めて、意識して唇を舐めた。
「気持ち良くなるんだ?」
男が薄く笑う。
「最高だよ」
また耳元に唇を寄せて囁いた。
「癖になる」
―そりゃあ、麻薬だもんね。癖にもなるでしょうよ。
思いながら少し思案する振りをした。
男がさりげなく腰を抱いてくる。
「少し付き合ってくれるんなら、ただで君を気持ち良くしてあげるよ」
何だか青島が買春しているような台詞だなと場違いなことを考えながら、青島は頷いた。
もし追っている被疑者じゃないとしても、麻薬取締法違反で逮捕出来るだろう。
それならそれで、無駄なことではない。
青島は男から渡された缶をそのまま自販機の横のごみ箱に放り投げた。
「癖になっちゃったら、どうしよう」
男は青島の腰を抱いたまま、歩くように促した。
そのままそれに従う。
「心配いらないよ。癖になったら、僕が格安で仕入れてきてあげるから」
ナンパして薬使ってセックスして、癖になったヤツに麻薬を売り付ける。
そんな方法で商売をしているのだろうか。
―被害者…というかどうかは分かんないけど、そいつらの口コミで顧客が増えたりするのかね。
―ナンパと商売、趣味と実益を兼ねて、ってとこかな。
男に促されるままホテル街へと向かう。
「名前は?」
男に聞かれた。
「…シュン。アンタは?」
どうせ本名じゃないだろうが、一応聞いてみた。
「シンジ」
「シッ!?」
いきなり立ち止まって目を剥いた青島を、男は不思議そうに見つめた。
「どうかしたかい?」
青島は慌てて首を振って、ずり下がった眼鏡を持ち上げた。
「い、いや、何でもないよ」
「昔のオトコと、同じ名前だったりした?」
当たらずとも遠からず。
言われた瞬間に思わず赤面してしまった。
眼鏡なんかじゃ誤魔化せないその顔を見て、男が少し驚いた顔をした。
それから青島の肩を抱くと、顔を近づけてくる。
「そんな顔もするんだね」
―そ、そんな顔って、どんな顔だ!
心の中で叫ぶ。
一度動揺すると中々戻れない。
―同じ名前だなんて反則だっ。他に名前なんかいっぱいあるのに!
赤い顔を背けた青島に、男は嬉しそうに笑った。
「想像以上に可愛いね」
―嬉しくない嬉しくない嬉しく…。
「楽しめそうだ」
―何を言ってるんだ、この男は……ひっ!
顔を背けていたせいで無防備になっていた首筋に、男が唇を押し付けてきた。
青島は慌てて、手で男の身体を離した。
「こ、ここまだ外!」
もう演技もくそもない。
素のままに言うと、男は薄く笑った。
「照れ屋なんだ」
「うるさいっ」
「ハイハイ。早く行こうね」
何故だか男、シンジの好感度を上げてしまった青島は、そのまま促されるままにホテルに向かった。
―室井さぁ〜ん。
何の意味も無いが、青島は心の中で室井に助けを求めた。










NEXT

2005.3.16

あとがき


シンジさん登場(笑)

いや、合法ドラッグの人と似た展開になりそうだったから何とかしないとと思ったのですが…。
まあ、どうにもなっちゃいません(大笑)

室井さんの名前に反応しちゃう青島君は可愛いなぁと思うのですが、どうでしょう〜。

後二話で終了する予定です。
何だか無駄に長くなってしまって申し訳ありません!



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