■ crisis(3)


室井は机に肘をつき、組んだ両手を額に押し当てた。
「ナンパされてるな」
スピーカーから聞こえてくる声を聞きながら、一倉が分かりきったことを言った。
室井の眉間には深い溝が出来ている。
実のところ、この三日間ずっとこの表情だ。
それも無理はない。
何が悲しくて毎日毎日恋人がナンパされているのを、実況生中継で聞かねばならないのだ。
これが仕事でなければとっくにスピーカーを壊している。
そして出来ることなら、青島を捕まえて家に閉じ込めてしまいたい。
実際に出来るわけもないが、気分としてはそんな感じだ。
「どうやら、餌としては優秀らしいな」
楽しげな一倉を、睨み付ける。
それに一倉は肩を竦めてみせた。
「褒めてんだぞ?」
「いらん」
「荒れてるねぇ」
「…お前のせいだぞ」
我慢できずに、文句を零す。
一倉は大袈裟に心外だと言わんばかりの表情を浮かべた。
「あいつがモテるのは、俺のせいじゃねーぞ」
「そうじゃなくて!お前のせいで、あいつがナンパされ放題だと言ってるっ」
「青島が自分でやるって言ったんだろうが」
「あいつが断るわけないだろう!捜査が大好きなんだっ。むしろイキイキしてるっ」
―俺がこんなにナーバスなのに!
とにかく被疑者にナンパされないことにはどうにもならない作戦なのだ。
青島もナンパ自体には辟易しているようだったが、本庁の捜査に加われるとあって相変わらず張り切っている。
こうなってしまっては、室井としては一日でも早く犯人にヒットしてもらうことを祈るより他にない。
室井が深い溜息を吐くと、一倉が苦笑を浮かべた。
「ほら、上手にあしらってるじゃないか。心配いらないって」
スピーカーから青島が『ごめんね』と言っているのが聞こえた。
「…殺人犯と接触させようとしているのに、安心していられるわけがないだろう」
室井だって闇雲に嫉妬しているだけじゃない。
危険な捜査であることも、心配の種であった。
室井は青島を優秀な警察官だと思っているし、大きな信頼も寄せているのだ。
だが、それと身の安全の心配は別問題だ。
それには一倉もいくらか真面目に応える。
「青島だって刑事だし、うちの連中もついているんだ。大丈夫だろう」
自分の部下を信じていないわけでは、もちろんない。
室井は頷いた。
「…そうだな」
その時スピーカーから新しい声がした。
『なぁ』
室井も一倉もすぐに表情を引き締めた。





ナンパが去ると、青島は煙草を取り出した。
「やれやれ…」
本日二人目のナンパだったが、どちらも被疑者ではなかった。
青島はどこかの店の軒先を借りて、植え込みの縁に腰を下ろしていた。
同じ場所にずっといるわけにもいかないので、そろそろ場所を変えようかと考え始めた頃。
青島は自分をジッと見つめる男の存在に気が付いた。
青島と同年代くらいの男で、崩れたスーツの着方を見る限り会社勤めのようには見えない。
持ち物は大きくは無い黒い鞄一つだけ。
ただのナンパか被疑者か分からないが注視していると、男が近づいてくる。
傍に立った男は青島よりも更に5センチくらいは大きそうだった。
茶髪に色白で、あまり健康そうには見えない。
青島は何食わぬ顔で煙草を味わう。
「なぁ」
声を掛けてきた男をじっと見つめた。
値踏みをするような視線は、ナンパに乗ろうかと思案しているように見えただろう。
実際は被疑者かどうか計っていたのだが。
―今までのよりは、ずっと怪しいな…。
確かめるまであしらわない方が良さそうだと判断すると、青島は笑みを作った。
「なに?」
「暇してんの?」
青島に言われたくないだろうが、軽そうな男である。
耳にいくつもピアスがぶら下がっている。
「人を待ってるんだけど、すっぽかされたかも」
肩を竦めて見せると、男の目が一瞬輝く。
「じゃあ、暇なんだ?」
「どうかな。退屈はしてるけど」
意味ありげに見上げると、男は薄く笑った。
「楽しませてやるから、遊ばないか?」
楽しませてやる、に薬のプレゼントまで入っているのかいないのか。
青島は曖昧に笑った。
「う〜ん…どうしようかな」
脈アリと感じたのか、男が身を乗り出してくる。
腰を下ろしている青島の顔を覗きこむように、近づいてくる。
「退屈はさせないぜ?」
青島はメガネ越しに上目使いで男を見ると、口元に笑みを浮かべた。
「どうやって?」
男は完全に脈アリと受け取ったらしい。
「気持ち良くしてやるよ」
「凄い自信だね」
青島が声を漏らして笑うと、男が何気なく青島の肩に触れた。
―ああ…何かちょっと嫌かも。
セクハラ上司に触られてむかつきながら必死で笑顔を作っている女性の気持ちが分かるなぁなどと、場違いなことを一瞬考える。
そんなことを考えている場合じゃない。
今はお仕事中なのだ。
被疑者にナンパされるという、お仕事。
青島は上目使いで誘うように男を見上げた。
「……俺、少しくらいじゃ、満足しないけど?」
明らかに喉を上下させた男を見ながら、心の中で自分と室井に言い聞かせた。
―これはお仕事これはお仕事これはお仕事。
青島の切実な想いが通じたのか。
男が言った。
「大丈夫、イイもの持ってるから」
青島の目が鋭くなる。
男の目には、青島が期待したように映ったらしく、ニヤリと笑った。
期待したことには間違いないが、間違えても男との行為ではない。
「イイもの?」
「ああ、凄く気持ち良くなる」
「…気持ち良くなる…薬?」
「そう、飛ぶ薬だ」
―ビンゴ!





青島が男の誘いに乗った。
尾行している刑事から、本庁にいる室井たちに逐一状況が伝えられる。
二人はホテル街に向かって歩いているらしい。
正直に言えば面白くないのだが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
殺人犯と接触しているかもしれないのだ。
自然と表情が強張る。
「青島が乗ったとこをみると、被疑者の可能性がある。見失うな」
室井が刑事たちに指示を出す。
一倉がその背後で意地悪く笑った。
「ただ単に好みなだけだったりしてな」
「阿呆なことを言ってると、ここから追い出すぞ」
碌に相手にせずにスピーカーに集中している室井に、一倉は肩を竦めた。
「捜査で燃えてんのか?嫉妬で燃えてんのか?」
「両方だ」
素直に答えると、一倉は少し驚いた顔をした。
「何だ、思ったより冷静だな」
室井が怒鳴り散らすとでも思っていたのか。
静かに返事をした室井が、意外だったらしい。
背後に立っている一倉に、視線だけを向ける。
「冷静に見えるか?」
「違うのか?」
「腸が煮え繰り返ってる」
「そりゃあ…まあ…そうだろうなぁ」
「しかもこの怒りを誰にぶつけたらいいのか分からない」
青島にぶつけるのはお門違いだ。
青島は本庁の頼まれ仕事をこなしているだけのこと。
ミスをしたのならいざ知らず、上手く誘われて被疑者かも知れない男について行くことに成功したのだ。
褒めることはあっても、怒るわけにはいかない。
ならば犯人にぶつければいいのかというと、そういうわけにもいかない。
刑事である室井が被疑者に暴力や暴言をはくわけにはいかないし、そもそも生真面目な室井がそんなことをできるわけもないのだ。
一倉は苦笑した。
「そうなると、諸悪の根源は俺か?」
確かに一倉が言い出さなければ、青島がこの作戦に加わることは無かっただろう。
この事件ばかりは、室井も進んで青島を拘らせたいとは思わなかったからだ。
そうなると一倉は確かに諸悪の根源だ。
しかし一倉の言う通り、青島がやると言った以上一倉を責めても意味はない。
癪だが、室井もそう思う。
だからといって、一倉に対して遺恨がないわけもないのだが。
苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべて、一倉に恨めしそうな視線を向けた。
室井の胸中はかなり複雑らしい。
一倉は喉の奥で笑った。
「なんだ、やっぱり俺が悪いんだな」
どこまでも他人事な一倉に、室井はさすがに呆れる。
「自覚があるのかないのか、どっちだ」
「最良の選択だろ?」
「…青島をかってくれていると受けとればいいのか?」
「おう」
この男の口から褒め言葉が出てくるのは、気持ちが悪い。
室井は胡散臭そうに一倉を見た。
「捜査の腕もかってるが」
「?」
「男をタラシ込む腕もかってるんだ」
「…何だと?」
「えらい堅物をあっさりと落とした腕をな」
ニヤリと笑われて、室井は渋面になる。
苦言を申し立てようとした瞬間。
『室井管理官!』
切羽詰まった刑事の声に、室井も一倉もハッとする。
すぐにマイクに向かう。
「どうした」
『青島刑事を見失いました!』
室井の顔から血の気が引く。
「…ほんじなすっ」
刑事に言ったというより、殆ど無意識に口をついた。
「俺も現場に行く」
椅子から立ち上がると、コートを掴んだ。
「おい、室井!」
さすがに厳しい表情を浮かべている一倉を振り返る。
「お前はここで青島の声を拾って、部下に指示を入れてくれ。俺には携帯で。青島の口から場所を特定出来るような発言があれば、すぐに知らせてくれ」
青島は刑事たちが見失なったことを知らない。
またそれを知らせる手段が、こちらには無いのだ。
―自力で逃げ出してくれればいいが。
ホテルまで行って、青島が刑事たちが乗り込んでくるのを待っていたら、一大事である。
―冗談じゃないっ、そんなことさせるかっ。
廊下を走りながら、心の中で叫んだ。










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2005.3.9

あとがき


相変わらず一倉さんが好き勝手なことを…(笑)
室井さんがちょっと可哀想ですね;
八方塞な感じでしょうか。
ストレスの溜まる捜査でしょうね…。



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