「君なら、断らないと思ったんだ」
事の後、ベッドの上で一本の煙草を回し飲みしながら、昼間の話の続きをしていた。
「だから一倉には散々反対したんだ」
そう室井は零す。
湾岸署に乗り込んでくるまで、かなり一倉とは揉めたらしい。
「あはは…どうもすみません」
「君が謝ることじゃない。君は君の仕事をするだけだからな」
室井が紫煙を吐き出しながら、少しだけ苦く笑った。
「捜査に私情を挟むなと言われた」
重たい口調の室井に、青島は首を伸ばしてキスを贈る。
軽く音を立てて触れると、室井は微笑を浮かべた。
煙草を青島の唇に差し込んでくれる。
「一倉の言うことは尤もだが…一倉の提案だぞ?君をこの捜査に使おうというのは」
溜息混じりに呟くから、青島は小さく声を立てて笑った。
「俺は嬉しかったですけどね。捜査で期待されてるっていうのが」
一倉がどんなに破天荒な性格でも一応は責任ある立場の男だから、青島を使えないと思えば面白がって捜査に起用したりはしない。
度胸が据わっていて器用な青島だからこそ、今回の捜査に向いていると思ってくれたのだ。
……室井をからかう気持ちが無かったとは思わないが。
青島の唇から煙草を取り上げると、今度は室井がキスをくれる。
「そんなの、俺だってしてる」
真顔で言われて、青島は破顔する。
「知ってますって」
「…なら、いいが」
煙草を咥えた室井の横顔を盗み見る。
諦めてはいるようだが、不安が見て取れる。
青島なら上手くやると思ってくれているはずだ。
だから諦めてくれている。
そうじゃなければ、未だに猛反対しているだろう。
だけどやはり恋人が危険に飛び込んでいくのを、快く見送れるわけもない。
しかも立場上、室井が青島を危険に追いやることになる。
青島は手を伸ばして室井の口から煙草を奪うと、灰皿に押し付けて消してしまう。
「…あお…?」
身を乗り上げて室井に覆い被さり、少し濃厚なキスをする。
舌を差し込んで室井のそれと絡めると、室井は目を閉じて青島の好きにさせてくれる。
少しだけ甘噛して離れると、微笑んだ。
「俺たちの仕事は、大抵危険と隣り合わせですよ」
「…分かってはいるんだが」
「大丈夫、一人で乗り込むわけじゃない」
当然だが、本庁の刑事が尾行についてくれることになっている。
室井は小さく溜息を吐いて、青島の身体を抱きしめた。
「すまない」
「何がです?」
「駄々をこねてるな、俺」
青島は身体を揺らした。
笑いが込上げてくる。
「俺を心配して、でしょ?」
「……困らせてないか?」
室井たちが青島に捜査の協力を依頼したというのに、本人が了承したにも関わらず依頼した側が未だに躊躇っている。
青島を困らせている自覚はあるらしい。
青島は笑いながら、室井の胸に顔を埋めた。
「ちょっと、困ってます」
「すまない…」
「室井さん、可愛いなぁ」
可愛くて困ってると零したら。
「……この、ほんじなすっ」
突然起き上がった室井に、ひっくり返される。
それでも青島は笑いが止まらなかった。
「あはははっ」
「笑うな」
そういう室井の顔にも、笑みが浮かんでいる。
だから青島も、笑いが止まらない。
笑い続ける青島の首筋に、室井が顔を埋める。
耳たぶを甘噛されて、少しだけ青島の背が反った。
「笑えなくしてやる」
耳元で囁かれて、青島は室井の首に腕を回した。
「望むところです」
***
ダークグレーのスーツに、青のチェックのネクタイ。
サラリーマンらしからぬいつもの緑のコートは、もちろん脱いでいる。
「どこから見ても、サラリーマンだな」
「はぁ…それはいいんですけど…」
頷いている一倉を、青島は不思議顔で見上げた。
「眼鏡も、そいつの好みに入ってるんですか?」
背広やネクタイは自前だが、青島が手にしている銀縁眼鏡は本庁で用意したものだった。
一倉に「掛けろ」と言われて手渡されたのだが、必要性がいまいち分からない。
―眼鏡フェチとかなのかなぁ…。
青島が首を捻っていると、一倉が言ってのけた。
「メガネは萌えポイントだろう」
「……ハイ?」
「いいから、掛けとけ。色気2割増しだ」
ピースサインを作って見せる一倉に、青島は何も言わずにメガネを掛けた。
被疑者の好みというよりは、一倉の個人的見解らしい。
―まあ、何でもいいや。
上司の言うことは素直に聞いておこうと、珍しく殊勝なことを考える。
要するに、投げやりになっているだけだ。
一倉の言うことを一々考えていては疲れるだけである。
「私と一倉は本部にいるが、本庁の刑事が君を尾行するから」
「安心してホテルまで着いて行ってくれ」
一倉が言うと、室井が凄い形相で睨んだ。
青島は肩を竦める。
「薬の存在を仄めかしてナンパして来た男に、ついて行けばいいんですよね?」
酷く複雑な表情で、室井が頷く。
「好みの男だからって、関係ないのについて行くなよ」
好みの男ってなんだ、と思いながら一倉の戯言に呆れ顔をする。
「行くわけないでしょ」
「もう黙ってろ、一倉」
室井は青島の心配と一倉の存在で、頭痛が酷いようだった。
「公認で浮気が出来る最大のチャンスだぞ」
「一倉っ」
「まあ、公認の浮気なんて、面白かないけどな」
経験あるのか!と、青島も室井も胸中で突っ込んだ。
これ以上の脱線は避けるため、言葉にはしなかったが。
「いい加減にしろ、仕事中だぞ」
「ハイハイ。まあ、いきなり今日ヒットするとも思えないから、気負わずにやってくれ」
気の抜けた一倉の指示に、青島は苦笑した。
対称的に室井は眉間に皺を寄せている。
「本部で声を拾うから、薬を持ち出したら突入させる」
「りょーかいです」
「……無茶はしないでくれ」
相変わらず苦悩している室井に、青島は微笑を返した。
「ハイ」
室井に指示された場所の付近まで行くと、青島は足を止めてガードレールに寄りかかった。
「ぼうっと突っ立ってて、ナンパされて来い」
という、一倉の素敵な命令に従うより他にない。
とはいえ、男の自分がそう簡単にナンパされるとは思い難い。
また一倉の言う通り、初日にいきなりヒットするともとても思えない。
大体の出没場所と時間帯が分かっているだけである。
後は、相手の好みに近い青島が餌として浮いているだけ。
―本当に、釣れるのかね。
青島は目的の男が現れるのかどうか、半信半疑でそこにいた。
しかし今の青島の仕事は、「被疑者にナンパされること」である。
―それなら、全力を尽くしてナンパされてやろうじゃないの。
青島のやる気は、こんな捜査でも萎えないらしい。
ナンパ待ちなどしたことがないからどうしたら良いのか分からないので、青島は青島なりに考える。
―時計を見たり、人を探したりしたら、待ち合わせしてるみたいに見えるかな。
それでは、ナンパしてこないかもしれない。
―でもナンパ待ちなら、それっぽい人を探したりするかもしれないな。
ぼうっと突っ立っていては掛かるものも掛からないかもしれない。
―何かを探しているような…モノ欲しそうな感じで…?
意識して、視線を泳がせる。
と、眼鏡越しに、視線がぶつかった。
青島をずっと見ていたらしく、目があった途端に近づいてくる。
「君…」
青島は、酒臭い息に身を引いた。
「……いくら?」
―このハゲオヤジが!
脳内で青島は叫んだ。
明らかに被疑者じゃないから蹴り返しても良かったのだが、大きな騒ぎは起こせない。
「そういうんじゃないんで」
「え〜?さっきから、ここにいるよね〜?」
「待ち合わせしてるんで」
冷たく言って、視線を合わせない。
何事かブツブツ言っていたが、しばらくしてハゲオヤジは離れて言った。
青島は少しショックを受けた。
―そ…そんなふうに、見えるのか…。
そして、室井に同情する。
青島のスーツの襟にマイクが仕込んである。
会話は皆、本部に筒抜けなのである。
こんな会話を聞かされている室井は、気が気じゃないだろう。
眉間に皺を寄せながらマイクの声に集中している室井を想像して、少しだけ笑った。
ナンパされること、三回。
売春夫と間違われること、二回。
酔っ払った女性に絡まれること、一回。
この日の青島の成果である。
被疑者にはその日会えなかった。
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