■ crisis(1)


通報も無ければうるさい課長もいない昼下がり。
青島は机に肘を付いてぼうっとしていた。
やる気がないのではなく、やることがないのだ。
いつも忙しい、というか騒々しい湾岸署にしては珍しく、その日はとても穏やかだった。
「暇そうねぇ〜」
すみれの声に、青島は視線を持ち上げる。
そして苦笑した。
「すみれさんこそ、何してんの」
「ポッキー食べてるの」
見て分からない?と手にしていた箱を差し出された。
要するにすみれも暇しているのだ。
「何でコレ、メンズポッキーって言うの?」
箱に手を伸ばしながら聞くとすみれは首を傾げた。
「さぁ。ちょっとビター系だからじゃない?」
「甘いのが苦手な男でも食えるでしょ、てこと?」
一本頂戴する。
「じゃない?」
「でも、そもそも甘いものが嫌いなら、チョコレート菓子なんて食べようと思わないよねぇ」
「そういえばそうね。それに男だからって甘いものが嫌いとは限んないし」
「だよね〜女性だって甘いもの嫌いな人いるしね」
もそもそとポッキーを咀嚼する。
「赤い箱のポッキーは、レディースポッキーじゃないのにね」
「それだとヤンキーチックじゃない?」
「でも、ポッキー食べてるヤンキーって、ちょっと可愛いくない?」
確かに…と青島は想像して、へらへらと笑った。
「もうちょっと実のある会話してくださいよ」
真下に突っ込まれて、青島とすみれは顔を見合わせる。
「「だって、暇なんだもん」」
見事なユニゾンに真下が苦笑を浮かべた。
「呑気だなぁ、二人とも」
青島もすみれもムッとした表情になる。
警視庁で一二を争うお気楽キャリアに言われる覚えはない。
「お前こそ、こんなところに暇つぶしに来てんじゃん」
自分で自分の職場を『こんなところ』呼ばわりするのは如何なものかと思うが、青島の言うことも尤もである。
ネゴシエーターが事件も無いのに湾岸署にいる意味はない。
すみれが鼻で笑った。
「どうせ、雪乃さんに会いに来たんでしょ〜」
「ち、違いますよ!過去の捜査の資料を見に」
「残念ね、雪乃さん、聞き込みに出ちゃってて」
「違いますって!」
「それよりお前さあ、いい加減雪乃さんに告白しろよ」
真下の言い訳など、二人ともまともに取り合わない。
「……告白なら、しましたよ」
青島とすみれの目が輝く。
「いつ?何て告白したんだよ?」
「返事は?雪乃さん、なんて?」
好奇心剥き出しな二人の反応に、真下は口ごもる。
真下が雪乃にプロポーズをした時には、青島もすみれも現場にいなかったのだ。
「…子供作ろうって言ったら、考えさせてって言われました…」
しょんぼりと呟いた真下に、一瞬の間の後二人は爆笑した。
「こ、子供作ろうって?そんなこと言ったの?」
「ばっか!お前、それ、告白じゃないよ」
「真下君、もう一度アメリカ行って来たら?」
「そうそう。交渉術、もう一度勉強し直して来いよ」
好き勝手なことを言う二人に、真下は情けない顔で泣き付いた。
「ええ〜?やっぱりだめでした?」
「ダメに決まってるだろ」
「私なら、絶対に断るわね」
「すみれさんには言いませんから、安心してください」
「なんですってー!」
すみれに掴みかかられている真下を指差して、青島は腹を抱えて笑った。


結局は暇な刑事が三人揃ってバカ騒ぎしていると、不意に刑事課がざわつく。
「ん?」
「あ」
「室井さんだ」
袴田が室井を連れて入って来たところだった。
室井の他に、一倉もいる。
室井の登場に表情が崩れそうになった青島は、慌てて踏み留まる。
捜査一課の管理官と課長が揃って来ているところを見ると、事件である可能性が高い。
ちらっと青島に視線をくれた室井の表情が、少し強張る。
おや?とは思ったが、どうしたのかと聞くわけにもいかない。
青島たちは何事だろうと三人に注目していると、袴田が青島を呼んだ。
「青島君、ちょっと」
「お、俺?」
「そう、君」
室井たちを応接室に通しながら、袴田は青島を手招きする。
青島は露骨に嫌そうな顔をしながら、腰を上げる。
室井に会えたのは嬉しいが、呼び出しをくらうとなると別問題だ。
横からすみれが脇腹を突いてくる。
「また、なぁにやったのよ」
「し、知らないよ」
「先輩のことだから、無意識に何かしたんじゃないですか?」
「…失敬な」
顎に指を当てて、すみれが考え込む。
「一倉さん、いたわね」
「あ〜先輩と室井さんの交際について問題にでもなってるんじゃないですか?」
「ばか、な、何言って…」
大体それならば、監察官辺りが出てくるだろう。
一倉など、室井と青島の交際を問題視するどころか、それをつまみに酒を飲める男である。
三人がぶつぶつ言い合っていると、袴田に急かされる。
「青島君!」
「はいはいっ、今行きますよ!」
青島は仕方なく、応接室に向かった。
背後ですみれと真下が好き勝手なことを言っているのを聞きながら。


「失礼しま〜す」
室井と一倉に挨拶をしながら、入室する。
視線を合わせると、室井が目礼をくれた。
―なんだろうね、全く…。
久しぶりに恋人に会ったというのに、あまり嬉しくなるような状況ではない。
一倉がいて、袴田までいる。
「あのぉ…何の用でしょう」
青島は愛想笑いを浮かべて室井と一倉を見比べた。
一瞬の間の後、室井が席を勧めてくれる。
「座ってくれ」
「あ…はい」
室井の向かいに腰を下ろすと、横に袴田も腰を下ろす
「それで、どうかしたんですか?」
「俺から話そう」
一倉が切り出した。
「本庁の仕事を、手伝って貰いたい」
言われて目を丸くする。
所轄刑事が本庁の手伝いをすることは、珍しいことでは無い。
だが、湾岸署に特捜も立っていないのに、わざわざ青島に話を持ってくることは珍しかった。
青島は頬を掻いた。
「それは構い…」
「事件の内容を確認してから、返事をしてくれ」
構いませんけど、と返事を返そうとした青島の言葉を遮って、室井が言った。
青島としては袴田が了解していて、本庁が青島をご指名なら、手を貸すことは一向に構わなかった。
本庁は青島にとって居心地の良い場所ではないが、室井や一倉がわざわざ来てくれているのだから引き受けるつもりだったのだ。
無表情だがやはり少し強張った室井の表情を見て、ピンとくる。
室井はこの話に反対なのだ。
青島にこの仕事をさせたくないのだろう。
理由は分からない。
―信頼されてない…わけじゃないよね。
室井が青島では役者不足と思って反対しているわけではないはず。
どこまで応えられているかは分からないが、室井に信頼されている自信はある。
―ということは…事件の内容が特殊なのかな?
室井の進言に逆らわず、一倉に説明を求めることにする。
「それもそうですね。事件の詳細を先に教えてください」
一倉が苦笑を浮かべた。
袴田の手前何も言わなかったが、「このバカップルめ」くらいには思っただろう。
「ラブホテルで殺人事件が起きたのは知ってるか?」
「ああ…ニュース見ましたよ」
ここ何日かニュースで騒いでいるのを青島も見ている。
ラブホテルで男性の他殺死体が発見されたというニュースだ。
「死因は頸部圧迫。行為の最中にバスローブで首を絞められたとみられる」
「うわぁ…犯人は相手の女性の可能性が高いんですか?」
何となく「氷の微笑」を思い出しながら尋ねる。
と、室井も一倉も、袴田までも微妙な顔つきになる。
首を捻った青島に、一倉が続ける。
「犯人はその相手の疑いがあるが、女じゃない。男だ」
「…は?」
「だから、その部屋を利用した二人連れは男同士だったんだ」
青島は口をポカンと開けて、間抜け面をさらした。
「あ……そうですか」
それ以外に言うこともない。
ゲイのカップルならラブホテルを使用することもあるだろう。
「被害者の交友関係を洗ったが、該当するような相手は出てこない」
「男と交際していた形跡はないってことですか」
「行きずりの可能性が高いとみてる」
ナンパしたかされたかした相手とラブホテルに行って、行為の最中に殺害される。
同性同士だと珍しい話だが、事件的にはわりとありふれた事件のように思える。
何らかのトラブルか、金銭目的か。
後は、特殊なプレイに興奮するタイプだったか。
首を絞めながらじゃないと興奮しない男がいる話を、青島は聞いたことがあった。
「薬物を使用した痕もある」
「薬物?」
「麻薬だ。行為の直前に服用したと思われる」
被疑者が麻薬中毒者だったとしたら、錯乱して凶行に及んだなんてこともありえる。
―聞き込みして、目撃者見つけて、犯人捜すしかないんじゃないのか?
青島がそんなことを思っていると、一倉がいよいよ本題に入った。
「実はその前から、薬物対策課と協力して捜査を進めていた件があってな」
薬物対策課と聞いて、納得する。
その事件と今回の殺人事件と何らかの関係があると、本庁では睨んでいるのだろう。
「薬物対策課で追っている売人なんだが、目撃証言や垂れ込みがあってな」
その売人はヤクザのような組織に卸すのではなく、個人に売って歩いているらしい。
ただその男、薬を売るだけではなく自分でも使用している。
その上ナンパした相手にも薬を使用させているという噂があるのだ。
「同一犯の可能性があるんですね?」
その売人と、ラブホテルでの殺人事件の犯人。
本庁がそう見てもおかしくなかった。
案の定、一倉は頷く。
事件の大筋は分かった。
ラブホテルで殺人事件がおきて、薬物を使用した男性が絞殺された。
一緒に泊まった相手も男性で、別件で捜査中の麻薬の売人と同一である可能性がある。
分からないのは、青島にさせたいことだけである。
「それで?俺に、何を?」
尋ねると、一倉がちらりと室井を見てから、口を開いた。
「潜入捜査だ」
「…はい?」
潜入しようにも、まさか売人が麻薬を売ってる店舗を出しているわけもなく、ラブホテルに潜入しようにもいつどこのホテルを使用するかなど判るはずもない。
首を捻った青島に、一倉が細かく説明してくれる。
「目撃証言から、大体どの辺りに現れるかは分かってる。お前はそこにぼうっと突っ立って、ナンパされてくれれば良い」
青島は目を剥いた。
―潜入じゃなくて、おとりでしょうよ、それ。
「麻薬を持ち歩いているかどうかも分からないから、ホテルまで着いて行ってくれ。現行犯で逮捕したい」
室井は眉間に皺を寄せ、額を押さえた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そんな乱暴なやり方しても、都合よく現れてくれませんよ、きっと」
「健康的で背が高くてスタイルのいい30代中頃、サラリーマン風のスーツの男が好みらしい」
「そ…それだけじゃあ…」
「よく笑って、良く喋って、子供みたいな男で、童顔」
「童顔かどうかなんて、一目見て判るわけないだろう」
堪らず室井が突っ込む。
そりゃあ、そうだ。
年齢を知らなきゃ、童顔かどうかなど判るはずもない。
一倉は一向に意に介さない。
「要するに、青島が適任だってことだ。潜入捜査、得意だろ?」
「ええ、ええ、うちの青島はそれだけが得意で」
余計な押し売りをする袴田。
部下が本庁での覚えが良くなってくれれば、それに越したことはないのだろう。
しかも、問題児の青島である。
面目躍如だとでも思っているのかもしれない。
「袴田さん、部下を危険な目に遭わせてもいいんですか?」
眉間に深い皺を寄せた室井が詰め寄る。
ようやく青島は、室井がこの件に青島を関わらせることに乗り気じゃなかった理由がわかった。
薬中のホモの人殺しを恋人に近づけたいと思う人はまずいない。
「室井は青島じゃ不満なのか?」
「…っ、そうじゃないが、そんな不確かな捜査を行うべきじゃないと言っているんだ」
「それについては散々話し合っただろう。これも早期解決のため、青島に協力して貰うのが一番だろう」
「なら聞くが、何故青島なんだ。他にも捜査員は沢山いるだろう」
「だから、さっきから言ってるだろう。青島が一番適任だからだ」
「一番だと、何故判る!」
「こいつの度胸の良さは、お前が一番良く知ってるだろう」
当事者である青島と袴田をそっちのけに、揉め出す官僚二人組み。
困った袴田に脇腹を突かれる。
「何とかしなさいよ、青島君」
「な、何とかって言われても…」
―どうしたもんかな。
青島は困惑した顔で室井と一倉を見比べる。
確かに、ちょっとゾッとしない事件だ。
室井の心配も良く分かる。
逆の立場なら、青島も室井と同じように反対しただろう。
だが、やりたいかやりたくないかといえば。
好奇心旺盛で、捜査が大好きな青島である。
答えははっきりしていた。
「俺、やりますよ」
ひょいっと片手を挙げた青島に、室井と一倉は言い争いを止めた。
室井が険しい表情で見つめてくるから、少しだけ口角を上げて見返した。
少しの間の後、室井が溜息を吐いて頭を押さえた。
頭痛もするだろう。
申し訳ないと思いつつも、捜査に役立てる仕事ならやりたかった。
「そうか、良く言ってくれた」
一倉がニヤリと笑って、頷いた。
苦渋の表情の室井も、笑顔の一倉も、多分青島が頷くことは分かっていたのだろう。
顔を上げた室井が真剣な表情で言った。
「袴田さん、しばらく青島君をうちで預かります」
「は、好きなようにお使いください」
「…万全の体制で臨みます。青島君にもしものことなどないように、必ず」
力強い室井の言葉に、青島はひっそりと微笑んだ。


本庁に帰るという二人を玄関まで見送りに出た青島に、室井がボソッと呟く。
「……今日、君の家に寄っていいか」
もう眉間に皺を寄せてはいなかった。
諦めたように苦笑している。
青島は笑って頷いた。
「俺が行こうかなと思ってました」
「…そうか」
「待ってます」
「ああ」









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2005.3.2

あとがき


のらねこ様からの48000HITリク「事件物の長編」です。
…に、なる予定です(滝汗)

まだ書き終わってないのにあれなんですが、難産でした(苦笑)
事件物、書けないみたいです、私。バカだから(笑)←笑ってる場合か。
最初で最後の事件物になるかも!
いや、こんなのが事件物と呼べるかどうかも怪しいですが!

ちなみに真下君は青島君とすみれさんに突っ込むためだけに登場しているので、
彼が事件にかかわってくることはありません。
ネゴシエーターが必要な事件など書けません(笑)←だから笑い事じゃ…。

のらねこ様、お待たせした挙句、こんな話で申し訳ありません!
最後までお付き合い頂けると嬉しいです。



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