目の下に明らかな隈を作ってやってきた青島を見て、すみれが目を丸くした。
「おはよう」
欠伸交じりに言う。
「おはよう…って、どうしたの?酷い顔」
「どうしたも、こうしたも」
昨日の今日である。
原因などはっきりしたものだった。
すみれもそれに気が付いたのか、「あ」と呟いた。
「もしかして、夜鳴きした?」
「ビンゴ」
げんなりした表情で、頷く。
数時間ごとに泣いて起こしてくれるのだ。
抱っこしてあやして寝かし付けて、二人が寝付いた頃にまた赤ちゃんが泣き出す。
朝までこの繰り返しである。
明らかな睡眠不足。
室井も欠伸を噛み殺しながら、青島宅から出勤していった。
今頃、濃いコーヒーでも飲んで仕事に励んでいることだろう。
「結局、室井さんが手伝ってくれてるんだ?」
すみれは青島の腕の中ですやすやと眠っている赤ちゃんを見ながら言った。
「うん。手慣れてたよ」
申し訳ないとは思ったが、やっぱり室井に手を貸して貰って良かったと思う。
青島一人では、途方に暮れていただろう。
オムツを換える手つきは様になっていて、青島も室井に教わって何とか覚えた。
何が悲しくて独身なのに赤ちゃんの世話をしなければならないんだと思わないではないが、腕の中の赤ちゃんは無条件で可愛かった。
父性本能というのも、存在するのだろうか。
そんなことを考えていたら、すみれがニヤリと笑った。
「室井さんが慣れてるのも、可笑しな話じゃない?」
青島はまた始まったと思った。
それは夕べ青島が室井をからかったネタと同じであるが、自分が冗談で言ったことでも他人に言われるのは不愉快だったりする。
げんなりしながら、すみれを睨んだ。
「妹さんのお子さんの世話を手伝ったことがあるんだって」
「本当に、妹〜?」
「すみれさん。なんか俺達に恨みでもあるわけ?」
「無いけど」
「じゃあ、一々波風立てようとしないの」
火の無い所に煙を立てようとするすみれを諌めると、すみれが舌を出した。
「だって楽しいんだもん」
青島は溜息をついた。
ミルクをあげ終えると、青島は赤ちゃんを抱っこして背中をポンポンと叩いてやる。
ゲップをすると柔らかいタオルで口の回りを拭いてやった。
機嫌が良いらしく、きゃっきゃっと笑う赤ちゃんにつられて微笑む。
「大分、慣れたな」
台所から出てきた室井が苦笑している。
「さすがに、一週間も経ちましたからね」
青島が赤ちゃんを引き取って。
もとい、預かって一週間が過ぎていた。
両親は未だ見つからない。
このままでは、遠くないうちに施設に送られることになるだろう。
そう思うと胸が痛かった。
「青島、飯にしよう」
「あ、はい」
室井に促されて、赤ちゃんをソファーの上に寝かせる。
「この一週間、室井さんの世話になりっぱなしだなぁ」
テーブルにつきながら零す。
室井は結局この一週間、ずっと青島と赤ちゃんに付き合ってくれていた。
さすがに途中で荷物を取りに自宅に帰ったが、それも一度だけだ。
毎日青島宅から、出勤してくれている。
室井は苦笑した。
「気にするな」
「でもなぁ」
「俺は結構楽しんでいるんだが」
ぽつりと呟いて赤ちゃんを見た。
そして青島に視線をうつして、難しい表情を浮かべた。
「不謹慎だったな」
青島は小さく微笑んで、首を振った。
「気持ち、分かります」
赤ちゃんのいる生活は、とても大変だが悪くはなかった。
どんなに疲れていても、笑顔を見ると気持ちが軽くなる。
両親が早く見つかるにこしたことはないのだが、現状が楽しくもあるという室井の気持ちも良く分かる。
それに。
「…時々、錯覚しませんか?」
「何をだ?」
青島は照れ臭そうに笑った。
「家族になったらこんなかなぁって」
室井が目を剥く。
この一週間、青島は時々感じていた。
青島か室井のどちらかが女性で、結婚出来たとしたら、こんな未来が本当にあったのではないだろうか。
―バカな想像だけどね。
現実は二人とも男で、子供はもとより、結婚さえ出来るはずがない。
言葉を無くしている室井に、青島は苦笑を浮かべた。
「なんてね。ほら、擬似体験が出来たっていうか。半ば、新婚さんごっこ?」
笑いながら言うと、室井が腕を伸ばして抱きしめてくれる。
「結婚、したいか?」
静かに尋ねられて、青島は返答に困る。
室井は結婚がしたいと、子供が欲しいと思っているのだろうか。
それならば、自分では役者不足だ。
青島はそう思いながら室井の肩に顔を埋めた。
「…結婚が、したいわけじゃない」
「ああ」
「室井さんとは、家族になりたいけど」
室井と二人で赤ちゃんの世話をする今の状況に錯覚はするが、それは室井と家族になりたいという気持ちを起こさせるだけで、結婚をしたいと思ったわけではなかった。
「良かった」
安堵したような室井の声に、青島は顔をあげた。
「何がです?」
「結婚したいと言われたら、どうしようかと思った」
額に唇が押し付けられる。
聞きようによっては酷い言い草だが、そういう意味ではないことは、室井の優しい表情を見れば分かる。
「一瞬、同性婚が認められた州はどこだったかと真面目に考えた」
今度は青島が目を剥く番だった。
それに苦笑しながら、室井がこつんと額を合わせてくる。
「君と俺さえ望めば、家族にはなれると思うんだか?」
青島は自然と浮かんでくる笑みに表情を緩めた。
「そうですかね?」
「さすがに子供は産めないがな」
「それ、俺の台詞」
クスクス笑いながら、唇を寄せ合う。
軽く触れ合わせた瞬間に、赤ちゃんが盛大に泣き出した。
二人はビックリしてすぐに離れる。
「凄いタイミング」
「まるで見ていたみたいだな」
苦笑しながら、室井が赤ちゃんを抱っこした。
あやしてやると、ぐずりながらも大人しくなる。
室井の腕の中の赤ちゃんを見ながら、青島は呟いた。
「早く、親を見つけてあげないとなぁ…」
言いながら、何とも言えない寂しさを感じる。
親が見つかっても見つからなくても、この赤ちゃんが青島と室井の元にいるのはそう長くない。
赤ちゃんにとっては両親の元に無事に戻れるのが一番だし、例えそうではないとしても、ちゃんと世話をして貰える場所があるのなら、そちらの方が良いに決まっている。
だけど、やはり寂しかった。
四六時中世話をして、挙句青島にも室井にも良く懐いている。
そうなれば情が移っても仕方が無いだろう。
物思いに耽っていると、不意に室井の視線に気が付いた。
じっと青島を見ている。
「室井さん?」
青島が不思議そうに首を傾げると、頬にキスされる。
目を丸くした青島に室井は小さく笑った。
「…君が寂しそうだったから」
どうやら青島が何を考えていたのか、分かったらしい。
青島は照れくさそうに笑った。
「はは…慰められちゃった」
「君の気持ちは分かる。…俺も一緒だ」
青島が寂しいように、室井だって寂しいのだ。
室井にそう言って貰えるだけで、いくらか気持ちが落ち着く。
「なら、俺も慰めてあげなきゃ」
室井の頬に唇を寄せた。
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