■ こんにちは、赤ちゃん(5)


赤ちゃんが湾岸署に置き去りにされて10日が過ぎた頃だった。
若い女性が夫と思しき男性に付き添われて、泣きながら湾岸署にやってきた。
女性は青島が抱いている赤ちゃんを見て、更に泣いた。
それだけで二人が両親なのだと、すぐに分かる。
すみれが泣いている母親を宥めながら夫から事情を聞いたところ、育児ノイローゼ気味だった女性が、夫の出張中に突発的にやってしまったのだという。
「理解が足りなかった私のせいでもあるんです。これからはちゃんと話をして……」
母親の背中を支えながら大変すまなそうに話をする夫を見る限り、悪い夫婦ではなさそうである。
はっきりと後悔が見て取れる二人に、青島はホッとした。
同じ過ちは繰り返さないだろう。
「この人が、お子さんの面倒を見ていたんですよ」
すみれが赤ちゃんを抱っこした青島を指して言った。
二人は感謝と謝罪を述べながら、青島に頭を下げた。
青島は泣いている母親の腕に赤ちゃんを帰してやる。
「もうこんなことしちゃ、ダメですよ?」
そっと言うと、母親は謝りながら何度も頷いた。
そして愛しそうに赤ちゃんを抱きしめた。
赤ちゃんを母親に返す瞬間、言いようのない寂しさに襲われたがこれで良かったのである。
穏やかに笑う赤ちゃんの表情を見て、青島は思った。
そして、ふと思い立つ。
「あ…お二人とも、少し待っててもらえます?」
「え?」
「貴方方のお子さんを、愛情を持って世話してくれた人がいるんです」
もちろん室井のことである。
忙しい人だから来られないかもしれないが、もし来られるならお別れくらいさせてあげたかった。
青島と同じように、この10日間赤ちゃんと一緒に暮らしたのだから。
青島は携帯で室井を呼び出した。


室井は柔らかい表情で赤ちゃんを抱っこしている。
電話で事情を説明すると「すぐに行く」と言ってくれて、どこにいたのか10分程度で駆けつけてくれたのだ。
赤ちゃんは、室井が何度か揺すってやると嬉しそうに笑った。
それに微笑すると、母親に赤ちゃんを差し出した。
「今後は、こんなことが無いように」
青島と同じ事を言った室井に、母親はやっぱり何度も頷いた。
「じゃあ、行きましょうか」
すみれが両親を促して、刑事課を出て行った。
最後まで、両親は青島と室井にお礼と謝罪を繰り返していた。
「大丈夫…そうだな」
少し寂しそうな室井の声に、青島は頷いた。
「そうですね」
ちらりと青島を伺うように、室井が視線をくれる。
青島は首を傾げた。
「君は?」
「え?」
「大丈夫か」
青島は少しの間の後、苦笑した。
「死ぬほど寂しいです」
ふざけて本音を零すと、室井も苦笑する。
「そうか。実は俺もだ」
「室井さん」
「ん?」
「今日も来ませんか?」
寂しいから、だけではないが。
出来れば今夜も一緒にいたかった。
甘えついでだから、あと一日、付き合ってもらいたかった。
室井はふっと微笑すると頷いてくれた。





「…ん…室井さん、煙草取ってくれます…?」
事の後、ベッドでうつ伏せになりながら、隣でやっぱり寝そべっている室井に頼む。
赤ちゃんがいたこの10日間は、青島の自宅は禁煙だった。
煙草を吸う時はベランダに出て吸っていたのだ。
「ほら」
煙草を受け取って仰向けになると、腹の上に灰皿を置かれた。
一本引き抜いて口に咥えると、室井が火をつけてくれる。
「どうもです」
「いや…少しは寂しくなくなったか?」
上半身を起こした室井が、青島を見下ろしている。
青島は煙草を咥えたまま笑った。
「室井さんがいて、寂しいわけないでしょ」
室井は青島の口元に手を伸ばしながら、微笑した。
「そうか」
吸いかけの煙草を奪って青島から視線を逸らすと、俯きがちに深く吸う。
静かに吐き出してから、少しの沈黙の後。
もう一度、視線を青島に向けた。
「青島」
「はい?」
「一緒に暮らすか?」
目を丸くした青島に、室井は苦笑する。
一度青島の腹の上の灰皿に灰を落とすと、呆然としている青島の口に煙草を戻してくれる。
青島は灰皿を手に取って、身体を起こした。
「室井さん?」
「勢いで言ってるみたいであれなんだが…寂しいから一緒に暮らそうと思ったわけではないんだ」
ずっと考えていた、とポツリと言った。
「言い出す機会が中々無くて、な。今がいいチャンスだと思った」
言ってから苦笑する。
「君が寂しがっている所に、つけこんでるみたいだな。これじゃあ」
青島はすぐには言葉が出てこない。
口から煙草を離すと、灰皿に押し付けて消してしまう。
「…嫌か?」
伺うような室井の視線に青島は慌てて首を振る。
「いや、そんなことはっ……無いんですけど」
「けど?」
「…本庁にバレると、まずくないですか?」
青島が心配していたのは、それだった。
室井の申し出は嬉しい。
青島だって、それを望んでいないわけではなかったからだ。
赤ちゃんがいたからではない。
赤ちゃんがいなくなってしまったからではない。
寂しいと思う瞬間なら、室井と会えない時はいつだって感じている。
一緒に暮らせるのであれば、そうしたい。
だが本庁にそれが知れた時、青島と室井の関係が知れた時に、室井に迷惑がかかるのではないのだろうか。
青島はそう思っていたのだ。
だから、青島からは「一緒に暮らそう」などとは言い出せなかった。
室井は肩を竦めた。
「生き別れた、腹違いの兄弟だとでも主張してみるか」
らしくない冗談に、青島は目を剥く。
その反応に苦笑しながら、室井は静かに言った。
「その時は、その時だと思っている」
「……ヤケになってる?」
「いや。開き直ってる」
そう言って、真っ直ぐに青島を見た。
「本庁で上に行くことは絶対に諦めないし、君のとのことも誰にも文句は言わせない」
その力強い眼差しに、青島は息を飲んだ。
何となくいつかの事件を思い出して、室井が本気だと気付く。
リスクのより大きな室井が覚悟をしているというのなら、青島だって腹を括るべきだろう。
灰皿をベッドの上に放り出すと、室井に向かって手を差し出す。
「宜しくお願いしますね、室井さん」
それが室井の提案に対する返事だった。
少しの間の後、室井がその手を握り返してくれる。
「こちらこそ」
嬉しそうに微笑する室井に、青島は照れくさそうに微笑んだ。
「俺、室井さんに世話をかけるかもしれませんよ?」
「赤ん坊より手間はかからないだろう」
すぐに返って来た返事、思わず唇を尖らす。
「赤ちゃんと比べないでくださいよ……でも、まあ、いいっか」
―幸せだから。
口の中で呟いて、青島は室井に唇を寄せた。


赤ちゃんはやっぱり生涯望めないけど。
「家族にはなれると思うが?」
そう言った室井の言葉は、きっと間違いじゃない。
形の上では他人でも、二人が「家族」だと思えるのなら。
それだけで、きっと。










END

2005.2.11

あとがき


こんな収拾の仕方で申し訳ありません(^^;

でも子供引き取るなんていうことは、簡単に決めていいことではないし、
ましてや青島君と室井さんは男同士。
子供のことを考えたら、引き取るなんて言い出さないだろうなぁなんて考えてしまいまして。
そしたら、両親が見つかって引き取りに来るというのが一番だろうなぁと思いました。

赤ちゃんがいなくなって寂しいかもしれませんが、それが切欠で同棲に踏み切れたわけですから
二人とも幸せではないでしょうかね。



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