青島はインターホンの音に目を輝かせた。
赤ちゃんを抱っこしたまま、玄関に急ぐ。
ドアを開けると、室井が立っていた。
「お疲れ様です。わざわざすいません」
挨拶もそこそこに、室井を中に促す。
「俺が勝手に来たんだ。気にしないでくれ」
「ありがとうございます」
室井の気遣いに感謝しながら微笑むと、室井も小さく笑い返してくれる。
「…どうだ?」
赤ちゃんの顔を覗き込みながら尋ねてくる室井に、青島は赤ちゃんを差し出した。
「丁度良いところに」
「何がだ?」
思わずといった態で赤ちゃんを受け取る室井。
「ミルクを作ろうと思ってたところだったんです」
「作り方、分かるか?」
「俺だって、説明書くらい読めますよ」
無意味に胸を反らして答える。
室井は苦笑しながら頷いて、赤ちゃんをあやしながらリビングに入っていった。
青島は台所に向かうと、ミルクの準備にかかる。
ちゃんと説明書の指示通りの分量を量り、お湯で割る。
「人肌人肌…」
ブツブツ言いながら哺乳瓶に水をかけていると、コートと背広を脱いだ室井が赤ちゃんを抱いてやってきた。
「外側が冷えても中が熱かったりするから、気をつけろよ」
「あ、は〜い」
返事をしつつ、中の温度は哺乳瓶を触っていても分からないなと思う。
じっと哺乳瓶を見つめていた青島は、それを口元に持っていく。
飲んで温度を計ってみることにしたのだ。
「…うぇ…まずぅ…」
顰め面で、舌を出した。
室井がそれを見て苦笑している。
「美味いもんじゃないだろうな」
「こんなもん、良く飲めるなぁ」
半ば感心しながら、青島は室井に哺乳瓶を渡した。
「でも、温度は大丈夫でした」
「ん」
受け取った室井はソファーに腰を降ろして、赤ちゃんの唇に哺乳瓶を当てた。
すると、直ぐに吸い付いてくる。
「腹減ってたのかな」
「みたいだな」
青島は思いの他器用に赤ちゃんを抱く室井を見ながら、隣に腰を下ろす。
「妹さんのお子さんの世話をしたことがあるって言ってましたね」
赤ちゃんが哺乳瓶に食いついているのを穏やかな表情で見つめていた室井は、顔をあげて青島に視線をくれた。
「妹が出産したのは俺が大学生の頃だったんだ。赤ん坊を連れて里帰りしたりしていたから、俺が世話を手伝ったこともあったんだ」
「女の子?男の子?」
「男だ」
「室井さんにも、少し似てたりする?」
「どうかな…少しは似ていたかもな」
少し遠い目をした。
随分会っていないのかもしれない。
自分の子ではないとはいえ妹の子供ならば、さぞ可愛かったのではないだろうか。
見知らぬ他人のこの赤ちゃんであっても、こんなに可愛い。
室井の腕の中で、無心で哺乳瓶に吸い付いている赤ちゃんに目を落とす。
そして気が付いた。
「あ」
「どうした?」
「室井さんも、平気ですね」
「何が」
「赤ちゃん、泣きません」
何故か青島には懐いてくれた赤ちゃんだが、どうやら室井も平気なようだ。
ミルクを貰っているからだというわけではないだろう。
署ですみれから貰っていた時には、泣きながら飲んでいた。
「そういえばそうだな」
事情を聞いていた室井も、不思議そうに赤ちゃんを見た。
青島はわざとらしく、疑わしげな表情を浮かべた。
「あ〜もしかして、室井さんの……」
室井の眉間にシワが寄る。
「バカ言うな」
「分かんないですよ〜。昔の彼女との子とか」
それはすみれに青島が言われた台詞である。
返事はやっぱり青島と一緒だった。
「計算があわない。有り得ない」
「一夜限りの過ちとか」
もちろん本気で言ったわけではなかったのだが、室井の眉間の皺が深くなって溝になった。
「本気で言っているなら」
言いかけた室井の唇を青島は慌てて塞いだ。
自分の唇で。
「嘘。冗談。ごめんなさい」
唇を少しだけ離して至近距離で囁く。
少しの間の後で、室井は苦笑した。
「…なら、いい」
「へへ」
照れ笑いを零しながら、室井の唇をもう一度軽く奪って離れる。
丁度ミルクを飲み終えたらしく、赤ちゃんが澄んだ目で青島と室井を見ていた。
青島はそれに気が付いて、何となく照れくさくなる。
もちろん赤ちゃんにキスの意味が分かるわけもないのだが。
室井もいくらか気になったのか、少し気まずそうに赤ちゃんを抱いて、その背中を軽く叩いた。
「…ミルクを飲んだ後は、げっぷをさせないと戻してしまうんだ」
「え?そうなんですか?」
そんなことは全く知らなかった。
やはり未経験者が預かるには無理があるのだ。
青島は改めて思う。
―室井さん、いてくれて良かったなぁ。
そう思いながら、思ったことをそのまま口にしてみた。
「室井さん、今日泊まって行ってくれません?」
甘えついでだから、とことん甘えようと思ったのだ。
室井は苦笑を浮かべた。
「俺もそうしようかと思っていた」
「あ、マジっすか。やった」
幸い急な泊まりにも対応できるだけの室井の私物が、青島の部屋にはあったりする。
急な泊りが珍しいことではないということだ。
青島が素直に喜んでいると、室井がちらりと横目で青島を見た。
「君に触れられないのは、残念だが」
ポツリと言われて、意味を悟るまで数秒かかった。
青島は軽く赤面する。
「……それは、どうも、すみません」
意味が分からないとはいえ、さすがに赤ちゃんの寝ている傍でナニをどうこうする気はない。
もちろん室井にも無いはず。
だから、「残念だ」と言ってくれているのだ。
「いや、謝ってもらうことじゃない。赤ん坊の世話が目的で泊まるのだから」
それもそうだ、と思う。
思うが、それだけだといわれてしまうと、ほんの少し面白くなかったりする。
赤ちゃんの世話が目的とはいえ、明日の朝まで室井がいてくれること自体が、青島にとっては嬉しかったから。
―俺も、勝手なヤツだなぁ…。
自嘲しながら、青島は赤ちゃんの目の上に手をかざした。
赤ちゃんの視界から青島と室井が消えたはず。
「あお…?」
不思議そうな顔をした室井に唇を寄せた。
驚いている室井の唇を奪うと、先程より濃厚なキスをする。
舌を差し入れて室井のそれと絡めると、硬直していた室井も直ぐに応えてくれる。
両手が赤ちゃんで塞がっているから室井の身体は自由にならない。
だから青島リードでキスをしているつもりだったが、室井がその気になると結局押されるのは青島の方だった。
歯の裏側を舐められて、背中がゾクッとする。
青島の身体がいくらか後に反り返りだしたころ、青島はそっと室井から離れた。
これ以上すれば引っ込みが付かなくなることが分かっているからだ。
青島は、室井の唇を指先で拭った。
熱っぽい目をした室井が、溜息を吐く。
「君は……性質が悪いぞ」
「あはは、すいませ〜ん」
笑って誤魔化すと、室井も仕方が無いというふうに笑ってくれる。
「あ…寝てる」
ふと赤ちゃんに視線を落とすと、室井の腕の中で眠っていた。
室井もそれに気が付いて、そっと呟いた。
「暗くなったのが、良かったのかもしれないな」
「俺、布団敷いてきますね」
青島宅には来客用の布団が一客だけある。
殆ど使われることがないため、新品同様だ。
室井はいつも―ナニをしようとしまいと、青島のベッドで一緒に寝ているし、今日もそうなるだろう。
その来客用の布団を敷いて、赤ちゃんを寝かす。
安心しきった幸せそうな寝顔は、見ているこっちまで幸せにするような寝顔だった。
「…可愛いなぁ、もう」
青島はその寝顔に堪らず表情を崩した。
赤ちゃんの寝顔というのはやはりかなりの効力があるらしく、室井の表情もいくらか崩れている。
「本当だな…」
「さて…じゃあ、俺たちは飯でも食いますか」
赤ちゃんに気を取られていてすっかり忘れていたが、夕飯をまだ食べていなかったのだ。
「そうだな」
「飯食って、大人しく寝ますよ」
要らぬ釘を刺すと、室井が眉間に皺を寄せた。
「分かってる。分かってるから、もう煽るなよ」
むぅっと唸った室井の唇にキスをしてやろうかと思ったが、今度こそキレられたら困るから、青島は笑って頷いた。
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