「悪いわね。室井さんにまで、付き合ってもらっちゃって」
すみれがワイン片手に、いつになく愛想良く室井に笑いかけてくる。
「いや…怪我はもういいのか?」
「いつまでも寝てられないのよ。うちの署の連中、皆頼りなくて」
何処かで聞いた台詞に思わず青島を見ると、青島は苦笑していた。
青島から電話を貰ってから一月が経っていたが、約束通りに三人でキャビアを食べに来ていた。
すみれがリサーチしてきたフレンチで、それなりにいいお値段である。
すみれはいつもは着ない黒のワンピースで多少ドレスアップしていたが、室井と青島はいつも通りにスーツである。
違うといえば、青島が緑のコートを着ていなかったことくらいだ。
珍しくも黒の皮のコートを着て来ていた。
付き合っていた当時には持っていなかったから、最近買ったのかもしれない。
ちょっとした青島の違いが、室井にはいちいち気になった。
離れていた5年間の青島を、室井はほとんど知らない。
それが悲しかったのかもしれない。
「青島君、珍しいコート着てたでしょ」
すみれに言われて、室井は驚いた。
室井が青島のコートを気にしていることに気が付いたわけではないのだろうが、それにしてもすごいタイミングだった。
あまり表情を変えないように気をつけながら、室井は頷く。
「あのコート以外に、コートを持っていたんだな」
青島が苦笑する。
「いや、あれ、目撃者だった彼女に貰ったんですよ。お礼に、って」
彼女のところの製品らしいですと言われて、そういえばそういう会社だったと思い出す。
どうやらガードのお礼ということらしい。
それにしても…何故青島に。
そんなことを思って、室井は自己嫌悪する。
今の自分には関係ないことだし、一々女々しいことを考えてしまう自分が腹立たしかった。
「彼女、青島君のボロボロのコート気にしてたみたいなのよ。あんなコートじゃ気になるわよねー、誰でも」
すみれがまるで室井の考えを読んでいるようにそんなことを教えてくれるから、室井はまたも驚いた。
もしかしたらすみれは何か気付いているのだろうか。
室井がそんなことを考えていると、青島がぼやいた。
「ボロボロって…酷いなぁ」
「間違いないでしょ」
すみれがきっぱりと言うものだから、青島はちぇっと膨れっ面になる。
それに肩を竦めて、すみれは室井を見た。
「室井さん、こういうところでご飯食べたりします?」
「いや、まず来ないな」
「あら。何だ。キャリアっていっても地味なのね」
本気で思ったらしく、嫌味でもないようだ。
食に関する話題になると、すみれの食いつきが違ってくる。
これは5年前とちっとも変りがない。
室井は苦笑した。
「俺は居酒屋とか定食屋とかばかりだな」
「ふ〜ん。全体的に和食な感じ?」
「そうだな…」
「お寿司とかなら食べる?」
「ああ」
うっかり素直に頷くと、青島がまずいという顔をした。
それに首を傾げた室井に、すみれはニッコリ笑った。
「じゃあ、次はお寿司ね」
何がじゃあなのか良く分からないが、室井は自分が失言をしたことだけは良く分かった。
青島は呆れたように溜息を吐く。
「すみれさん。今回は全快祝いだからご馳走するけど、次って何さ」
「男でしょ?けちけちしない」
「男とか関係ないでしょ」
言い合う青島とすみれを見ながら、室井はひっそりと溜息を吐いた。
青島はともかく、すみれは室井のことを本当に財布だと思っているのかもしれない。
タクシーですみれを自宅まで送ると、すみれは「じゃあ、次も宜しく!」と最後まで言って降りていった。
それを呆れた顔で見送る青島。
「本気で奢らせる気ですよ」
ぽつりと呟いたので、室井は肩を竦めた。
「俺より君の方が困るだろう」
「ここは連帯責任ということにしましょうね。次も必ず付き合ってくださいよ」
当てにされているのが財布だったとしても、青島がまた室井と会おうと思ってくれていることが、室井には情けない程嬉しかった。
この5年間、それくらい青島との接点が無かったのだ。
今回の事件が起こるまでは。
喜ぶべきことじゃないのだが、最後のチャンスをくれたのは、間違いなく湾岸署の管轄で起きた今回の事件だった。
―気持ちを伝えたら誘ってはくれないかもしれない。
そう思うと、自然と自嘲的な笑みが浮かんだ。
例えそうだとしても、室井はもう後には引けなかった。
5年待った。
5年経ってしまった。
「室井さん」
室井が思わず暗いことを考えていると、ふいに青島に名前を呼ばれた。
「…なんだ?」
視線を青島に向けて尋ねると、青島は室井から視線を逸らした。
また、心臓が痛くなる。
どうしても考えが悪い方に行ってしまう。
青島は躊躇ってからもう一度室井を見た。
そして、室井が想像もしていなかった一言を言った。
「俺の家で、飲みなおしません?」
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