特捜本部の事件も解決し、湾岸署から引き上げることになったその日。
室井は刑事課に顔を出した。
袴田に挨拶に来たのだが、視線はどうしてか青島を探している。
青島は席にいなかった。
密かにがっかりしている自分に、室井は驚く。
会いたかったのだろうか。
一瞬思って、室井は首を振った。
会いたいと思う理由がないはずだ。
室井が青島に会いたいと思う理由。
「…あるわけがない」
室井は思わずぽつりと漏らした。
「室井さん、お疲れ様です」
声をかけてきたのは、キャリアの真下警部補だ。
彼もまた室井とは別に、毛色の違うキャリアだった。
権力には滅法弱いが、所轄に愛情がある。
言動が軽いタイプで得意ではなかったが、嫌いな男ではなった。
「お疲れ様」
「先輩なら、すみれさんと出てますよ」
真下が先輩と呼ぶのは青島しかいない。
「…別に青島君に用事があったわけじゃないのだが」
室井=青島に繋がるのが面白くなくて、あえて室井は言ってみた。
実際、青島に用事などないのだ。
「あ、あれ?そうなんですか?室井さんといえば先輩ってイメージがあって」
つい、と言われて、室井は眉間に皺を寄せた。
そんなにつるんでいる覚えはないのだが。
真下は笑いながら謝罪をすると、何故だが世間話を始める。
「先輩とすみれさん、どこ行っちゃったんだろう。よく一緒に消えるんですよ。強行犯と窃盗で係りも違うのに」
あの二人が仲が良いのは、室井も知っている。
いいコンビだとも思う。
しかし、そんな話を室井にされても困る。
お喋り好きな真下に捕まったのが、不運だった。
「知ってます?」
回れ右をしようとした室井に、真下が話しかけてくる。
室井は仕方なく、「何が?」とだけ返事を返した。
「あの二人、付き合ってるんですよ」
室井は思わず硬直した。
それに気付かない真下は、そのまま続ける。
「友達同士みたいで色っぽくはないですけど、なんだかんだ言ってお似合いですよね〜」
今日も一体二人でどこに行っているんだか。
真下がそういうのを、室井はどこか遠くで聞いていた。
「…本庁に戻らねばならないので、失礼する」
真下が背後で何か言っていたが、もう室井の耳には入ってこない。
足早に刑事課を後にした。
あの二人が付き合っている?
すると、俺はからかわれていたということか。
青島の言葉を真に受けて、動揺したり悩んだり。
それは腹立たしいが。
別にいいじゃないか。
お似合いだろう。
俺には関係のないことだ。
では、何故イライラする?
何故こんなに・・・。
足早に歩きながら。
室井は視界が暗くなるのを感じた。
恋人がいるんじゃないか。
あんなに俺を好きだと言ったのに。
「室井管理官?」
後ろから追ってくる部下に気付いて、室井は足を止める。
「車を回してきます。少々お待ちください」
部下がそう言うと、室井を置いて外に出て行った。
その背を、ぼんやりと見送る。
走り去るその背中に、一瞬似ても似つかない人の影を見た。
単純な理由だったのだ。
その時になって、初めて室井は気がついた。
真下から青島とすみれの交際を聞いて。
青島にからかわれていただけだと知って。
ショックを受けて、初めて気が付いた。
室井が青島に会いたいと思う理由。
単純で、それ以外に必要がない理由。
好きだったのだ。
青島が。
だから、会いたかったのだ。
「…気付いたって、どうしようもない」
ぽつりとつぶやき、室井は湾岸署を出た。
気付くのと同時に、終わっていた。
いや、始まりすらなかったのだから、終わっているとも言えない。
青島が始めたのは室井をからかうことで、恋ではなかったはずだから。
歩き出した室井の目はひどく暗かった。
***
その夜、室井の携帯が鳴った。
ディスプレイには青島の名前。
室井は、無表情に通話ボタンを押した。
「はい」
『あ、こんばんは。青島です』
いつもと変わらない明るい声。
今思えば、青島から電話を貰って迷惑だと思ったことは一度も無かった。
今をのぞけば。
「何か用か?」
必要最低限しか話さない室井に、青島が動揺しているのが電話越しに伝わる。
『え、えと……室井さん?』
困惑している青島の声が聞こえる。
その声を聞いているのが、室井には苦痛だった。
「もういい加減にしてくれないか。迷惑なんだ」
青島が電話の向こうで絶句するのが分かった。
告白されたときでさえ、こんな態度に出たりはしなかった。
それだけショックだったのだ。
室井にとって。
青島がすみれと交際していたのが。
青島にからかわれたことが。
互いに無言になる。
室井がそろそろ切ろうかと思った矢先に、電話の向こうから小さな声がした。
『……これで、最後にしようと思ってました』
からかうことをだろうか、と室井は思った。
『事件も解決したし、室井さんともしばらく会えなくなるし……だから、今日もう一度伝えて今度は返事を貰おうと思ってました』
室井は何も言わない。
言えなかった。
これもからかわれているのだろうか。
だけど、電話の向こうの青島の声はどこまでも真剣だった。
『もう一回言う前に、返事貰っちゃいましたけどね』
苦笑する声が聞こえる。
震えた語尾を誤魔化すために笑ったように聞こえたのは、室井の気のせいだろうか。
『室井さん』
やっぱり声の出ない室井。
それに構わず、青島は続けた。
『気持ち、知ってて欲しかったけど』
『好きになって欲しかったけど』
『迷惑かけたかったわけじゃないんです』
何を言っているのだ?
室井は混乱する頭の中で思った。
『室井さん』
今度は隠しきれずに震えた声だった。
『ちゃんと返事をしてくれて、ありがとうございました』
切れた携帯電話を手にしたまま、室井は呆然とする。
頭の中はぐちゃぐちゃだ。
青島には恩田すみれがいるのではないのだろうか?
自分はからかわれたのではなかったのか?
青島が、俺を?
室井は放り投げてあったコートを掴むと、急いで家を出た。
ちゃんと返事なんて、していない。
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