青島が取調室から出ると、待ち構えていたように魚住が寄ってきた。
「どうだった?」
「自白しましたよ」
調書を魚住に手渡し、首を回す。
長時間被疑者と向き合っていたから肩が凝っていた。
魚住は渡された調書を見て、ほっとした顔をした。
「いやあ、助かったよ」
当初、取り調べを担当していたのは魚住だったのだが、頑なに黙秘する被疑者に根負けし、青島にバトンタッチしていた。
「どうやって落としたの?」
何か上手い手があるなら教えてよと魚住が情けない顔ですり寄ってくるから、青島は苦笑した。
元々魚住は取り調べが苦手だった。
口八丁手八丁で、人の心を掴むことも人を乗せることも得意な青島のやり方を教えたところで、同じようにできるとはとても思えない。
何事も向き不向きがある。
「んなもん、気合いっすよオてないから、そうむきになるな。いいから、風呂に入れ」
必死に弁解する青島に小さく笑い、室井はバスルームに向かって行った。
青島もそれを笑みで見送って、着替えるために寝室に向かった。
スーツを脱ぎながら、最近の自身の浮かれように苦笑した。
記憶を無くしたままの室井と恋人関係に戻って二週間ほど経つが、我ながら驚くほど甘やかな毎日だった。
それこそ、室井に受け入れてもらった直後は箍が外れたように室井を求め、彼が自分のモノだと納得するまで欲しがった。
男の青島が室井を欲しがるなんて想像もしていなかっただろう室井にひかれないか不安もあったが、幸い室井は嫌悪を示すこともなく青島の望むまま与えてくれた。
記憶が戻らないまでも、もしかしたら身体が青島を愛したことを覚えていたのかもしれない。
室井が応えてくれたことが、青島にちゃんと身体でも反応してくれたことが、青島にとっては嬉しかった。
時間が経ってさすがに衝動は落ち着いたが、未だに過剰なスキンシップが収まらないのは、室井の存在を確かに感じていたいからかもしれない。
今の室井を信じられないわけではなかった。
記憶を無くしたままでも、室井がちゃんと好意を寄せてくれているのは分かっている。
彼の言葉は今でもちゃんと信じられるし、胸に響く。
欲望の絡んだ愛情も受け入れられて、身体も重ねた。
おかげで室井と他人になってしまったという心許なさは消えたが、室井が記憶をなくしていることに対する漠然とした不安は消えていなかった。
恋人に戻れればそれでいいというわけではないから、それで当然だ。
記憶がないままでは、室井という男は、世間にとってどういう存在になるのだろうか。
警察官には戻れない。
警察官としての彼の熱い信念や意志、希望はどこに消えてしまうのか。
警察官としてだけではなく、これまで室井が築いてきた室井慎次という男の人生はどこに行ってしまうのか。
室井の魂は、一体どこにー。
ぼんやりと着替えを終えた青島は、ゆる緩く首をふり、気持ちを切り替えた。
それでも、今傍らにいる男は、確かに青島が愛した男だ。
それだけは、間違い無かった。
「室井さん、レパートリー増えましたね」
裸でベッドに寝そべったまま、青島は煙を吐いた。
寝煙草は止めろと言われているが、事の後だけは文句を言われたことは無い。
隣に座ってペットボトルから直接水を飲んでいた室井が、首を傾げた。
「料理のか?」
「そう。美味かったですよ、ビーフシチュー」
熱の残る倦怠感の中、青島は機嫌良さげに笑った。
青島の機嫌がいいのは食事が美味かったせいではなく、初めて室井に誘われたからだ。
新しく恋人関係になってからは、ベッドに誘うのは青島からだった。
今夜は、青島が誘わなくても、室井が抱き締めて離そうとしなかった。
以前は、欲しければ欲しい方が行動を起こすことなど極当たり前のことであり、室井から誘われることなど何も特別なことでは無かった。
それが、今は室井に能動的に求められるというだけで、ただただ嬉しかった。
「料理をする時間ならたくさんあるからな」
室井がぽつりと呟いた。
それしかすることがないと嘆いているのか、不甲斐ないと思っているのか。
声に力は無かった。
先日、新城に連れられ登庁した室井だが、自身の慣れ親しんだ仕事場を目にしても、何ら思い出すことは無かったようだ。
登庁した室井が会ったのは数える程度の幹部だけだったらしいが、誰の顔も見覚えが無かったという。
進展しているのは青島との仲だけで、室井の日々は停滞している。
それを青島ですらもどかしく思っているのだから、室井の苦痛は計り知れない。
青島は煙草を灰皿に捨てると、室井に手を伸ばした。
その手を、室井が戸惑うことなく握ってくれる。
「焦らないでください」
「分かってはいるが」
「俺は美味い飯が食えて嬉しいですよ」
笑って言った言葉はもちろん冗談だったが、嬉しいと思う気持ちがあること自体は嘘ではない。
ただ嬉しいと思うだけで、こんな日々を望んでいるわけではなかった。
そんなことをわざわざ室井に伝えるつもりはないが、伝えるまでもなく、室井は何かを感じていた。
「君だって」
「え?」
「本当は、飯を作るより、俺にして欲しいことがあるんじゃないのか」
青島を見下ろす室井の眼差しは穏やかで、嘆いているというほど切羽詰まったものは無かったが、どこか申し訳なさそうな色をしていた。
申し訳なく思うのは、恋人としてなのか警察官としてなのか。
自分たちがどんな繋がりを持って一緒にいたのかを全く覚えていなくても、自身を求める青島の想いの強さに何かを感じているのかもしれない。
青島は握った手を軽く引っ張った。
室井が素直に覆い被さってくる。
唇が触れそうな至近距離で、青島は囁いた。
「無いですよ、今は何も」
「しかし、俺は」
「傍にいて、俺を好きでいてくれたら、今はそれで十分です」
本当は食事だってなくてもいい。
家事なんかしてくれなくてもいいのだ。
ただ、青島を好きでいてくれたら。
それが、何も変わらないという証になるから。
室井が室井であるという証に。
だから、今の青島が室井に望むのはただ一つだ。
「俺を好きでいてください」
室井が僅かに眉尻を下げた。
「そんなことは、頼まれるまでもない」
触れる唇に、青島は笑いながら目を閉じた。
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