without end(5)


湾岸署に捜査本部が立った。
いくら室井の件で融通をきかせてもらっているとはいえ、捜査本部が立てば、ただでさえ人手不足の刑事課のこととあって、青島も本部の捜査に参加せざるを得なかった。
「先輩」
捜査会議に一緒に参加していた真下が、隣で青島を呼んだ。
青島は事件の概要をメモした手帳を眺めながら、生返事を返した。
「なんか、面倒そうな事件ですね」
「そうね」
「おまけに管理官は新城さんだし」
「…そうね」
「ねえ、先輩」
真下がぐっと顔を近付けてくるから、青島は嫌な顔をしつつようやく手帳から顔をあげた。
「何だよ」
「噂で聞いたんですけど、室井さん重い病気なんですって?」
こそこそと囁く真下に、青島は目を見開いた。
そんな噂になっているのかと驚いたが、長く病欠してるのだから、それも仕方がないかもしれない。
「…そうみたいだね」
「先輩、何か聞いてないんですか?」
「詳しいことは、何も」
この口の軽いキャリアに室井が記憶喪失などとうっかり漏らせば、明日には署内で知らない人はいなくなってしまう。
いらぬ混乱は招きたくないし、室井を好奇の視線に晒したくもない。
青島はだんまりしておくしかなかった。
「先輩も聞いてないんですか」
「うん」
「なんか入院してて、面会謝絶って話しなんですけどね」
「…やめてよ、縁起でもない」
顔をしかめて口の中で呟いた言葉は、幸いなことに真下の耳には届かなかったようだ。
「本当なら、心配ですよねえ」
「そうだね」
そんなのデタラメだよと言うわけにもいかず、青島は曖昧に頷いておいた。
そのせいか、真下は怪訝そうに首を傾げた。
「先輩、あんまり心配そうじゃないですね」
「そんなことないよ」
命の心配はしていないものの、室井のことを心配していないわけではないから嘘ではなかった。
「早く元気になるといいんだけど…」
物思いに耽るような青島の呟きを今度は拾って、真下は疑わしげな視線を寄越した。
「やっぱり、何か知ってるんじゃないですか?先輩」
「知らないってば」
「本当に?」
「しつこいね、お前も」
なおも疑ってかかる真下に、そういえばこの男も警察官なんだよなと大分失礼なことを考えていた。
どうやって真下の追及を逃れようかなと考えた青島だったが、うるさいぞと捜査一課の課長に怒られて真下が大人しくなったからホッとした。

捜査会議が終わり会議室を出たところで、新城に呼び止められた。
隣にいた真下は触らぬ神になんとやらとばかりに、新城に一礼してそそくさと離れて行った。
薄情者と思わなくもないが、新城の用件を考えれば、どっちみち真下には席を外してもらうことになっていただろう。
「室井さんはどうしてる」
廊下の隅に移動すると、新城が口を開いた。
「相変わらずです」
「少しくらい、何かを思い出したりしていないのか」
「ええ、多分」
ふんと鼻で笑う新城は、恐らく役立たずめとでも思っているのだろう。
相変わらず記憶の戻らない室井を見ていれば自分でもそう思うが、新城に思われるのは何だか腹が立つ。
新城相手に腹を立てても仕方がないので、言い返したりはしなかった。
「室井さんはお前の家で何をしてるんだ」
「何って…飯作ったり、掃除したり、洗濯したり」
「お前の世話をさせるために室井さんを預けたわけじゃないぞ」
新城が顔をしかめるから、青島は慌てて言い訳をした。
「いや、別に俺がやらせてるわけじゃないですよ。昼間に一人で家にいてもやることがなくて暇だからって、室井さんが」
最近は青島自身、これではどちらが面倒をみているのか分からないなとは思っているが、青島が室井に頼んで家事をやってもらっているわけではない。
室井が世話になっているのだから家事くらいはと言って、自発的に請け負ってくれているのである。
もちろん有り難いことだとは思っているが、青島がやらせているわけではなかった。
「全く…記憶を無くしても、室井さんは室井さんということか」
忌々しそうに呟く新城に、青島は首を傾げた。
「どういう意味ですか?」
「あの人はどうあっても、お前の世話を焼くのが好きなんだということだ」
面白くもなさそうに吐き捨てられて、青島は返事に困った。
そんなに世話を焼かせているつもりはないと言いたかったが、実際捜査の上ではこれまで随分と室井の世話になってきている。
信念を曲げられずに本庁に楯突く青島を庇ってくれる室井がいなければ、青島はとっくに警察を首になっているかもしれなかった。
記憶をなくした今は今で、何かと生活の上で世話になっている。
朝は寝過ごしても起こしてくれるし、帰宅すれば風呂が沸いている。
ワイシャツにアイロンをかけてくれるし、パンツまで洗ってもらっていた。
そういえば、今夜は青島の好物の唐揚げを作ってくれると言っていた。
まるで、新婚家庭のようだなと思い、その場違いさに内心で苦笑した。
記憶は相変わらず戻らないが、最近の室井はそのことであまり落ち込まなくなったようだった。
僅かにだが笑ってくれることが増えたし、青島の話を聞きたがってくれるようになった。
彼が明らかに好意を持って接してくれることが、青島にはただ嬉しかった。
「一緒に暮らせて助かっているのは、お前の方か」
新城が鼻で笑うから、青島はむっとした。
実際色々と助かっていることは否定しないが、こんな形での同居を喜べるはずがない。
「何言ってんすか」
「このまま記憶が戻らなければいいと思ってるんじゃないだろうな」
新城の嫌味は聞き流すに限ると分かっている青島も、この言葉は無視できなかった。
「そんなわけないだろ」
新城を睨み付けて噛みつくように歯を剥き声を荒げた青島に、新城は僅かに驚いたようだった。
青島も自分で驚いた。
カチンとはきたが怒鳴るつもりはなかったのに、思ったよりも刺々しい声が口をついた。
しまったと思いつつ、青島は愛想笑いを浮かべて言い直した。
「そんなわけないじゃないですか」
新城は黙って青島を見詰めていたが、どうでもいいとばかりに言い捨てた。
「記憶が戻らなければ、仕事も続けられないしな」
それはお前も困るだろうという口調だった。
そんなことはすこぶる困る。
室井がこのまま警察官でなくなるなど、想像するだけでゾッとした。
「室井さんは俺と約束してくれました。だから、このままなんてあり得ません」
出世して警察を変えてみせると約束してくれた男が、記憶を無くしたまま退職するなんてあり得ない。
なんの根拠もないが、青島はそう信じている。
「俺の信じた男っすよ、絶対大丈夫です」
自信満々に言い切るわりには、そう自分に言い聞かせているような不安も隠しきれていなかった。
それに気付いているのかいないのか、新城は相変わらず淡々としていた。
「信じるのはお前の勝手だが、現実はちゃんとみておけ」
「分かってますよ」
現実に、今の室井は記憶がない。
一番近くにいる青島だからこそ、それはいやというほど理解していた。
だって、どんなに近くにいても、抱き締めることすらできないのだから。
「ふん…まあ、諦めの悪い人だ、これで終わることはないだろうがな」
新城はそれだけ言うと、青島に背を向けて歩き去った。
つまり新城も室井が元に戻ると信じているのだろう。
だったら、普通にそう言えばいいのにと思い少し呆れたが、素直ではない方が新城らしい。
近況を気にする程度には室井を心配してもいる男の後ろ姿を見送り、青島はひっそりと溜め息を吐いた。


その日の夕飯は、約束通りに唐揚げだった。
「美味いです」
唐揚げを頬張ったまま、不明瞭な発音でそう言えば、室井は苦笑した。
「そうか、それなら良かったが、もう少し落ち着いて食え」
むせそうになる青島には、いささか呆れ顔だった。
青島は唐揚げをビールで喉に押し込んだ。
「ああ、美味い。唐揚げにビール、最高ですね」
捜査本部でこき使われて走り回って疲れた身体が、美味しい食事と冷たいビールに喜んでいた。
しかも室井がいる。
青島にとっては幸せな環境と言えたが、無意味と知りながらも、これで記憶喪失なんかでなければなと思わざるを得なかった。
「忙しそうだな」
室井がグラスにビールを注いでくれた。
「ええ、まあ。捜査本部立っちゃたんでね」
詳細は室井に話していないが、殺人事件が起こったため帰りが遅くなる旨は伝えてあった。
夕飯は待たなくていいと言ってあったが、室井は余程青島が遅くならない限り帰りを待っていてくれていた。
気を遣わせてしまうのは申し訳ないが、待っていてくれること自体は単純に嬉しかった。
こうして少しでも長く、室井と接していたかったからだ。
ただ話すだけ、ただ一緒に食事をするだけだ。
それだけのことだが、今の青島には大事な時間だった。
目に見え言葉にできるような確かな繋がりがない以上、すがれるのはこんな小さなことばかりだ。
「俺も、君と同じように働いていたのか…」
室井が呟くから、青島は空腹に誘われるまま忙しなく動かしていた箸を止めた。
室井が自分の仕事に興味を見せたのは初めてかもしれない。
「同じ事件を追ったことはありますよ。全く同じ仕事ってわけではないですけどね」
「そうなのか」
足で捜査をする現場の刑事と、捜査の指揮をとり責任を負う室井たち官僚の立場の違いを簡単に説明するが、どれくらい理解したかは分からなかった。
それでも、自分が何者であるかを、室井は探ろうとしているようだった。
「まあ、室井さんの場合は、俺と一緒に現場出ちゃったこともありますけどね」
「それは、普通はないことなのか」
「ええ…特別なことでしたね」
ふっと青島の顔に笑みが浮かんだ。
室井は、自身のキャリアを賭け、全てを投げ出してでも事件を解決しようと、青島と共に現場に立ったことのある官僚だ。
青島が警察官になり出会った心震える出来事のうちの一つだった。
生涯、忘れられない出来事。
今の室井は、それすら覚えていない。
浮かんだ笑みから力がなくなる。
一瞬、堪らなく寂しい気持ちになった。
じっと見詰めてくる室井の視線に気付いて、青島は慌てて笑みを作った。
「室井さんには色々苦労もかけちゃったんですけどね」
「…君のせいではないだろう」
「え?」
「俺が望んでしたことだ」
言いきってから、眉間に皺を寄せて付け足した。
「覚えてないけど、きっとそうだ」
記憶が戻ったわけでもないのにそう断言する室井が嬉しくて、青島は破顔した。
その青島を、室井は少し複雑な表情でみつめていた。










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2014.9.20

あとがき

すっかり新妻な室井さん(違う)
新妻なら、新妻らしく、旦那様といちゃいちゃしないと!(笑)
てか、いちゃいちゃが書きたーい!
すぐです、すぐ。
目指せいちゃいちゃです(?)


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