without end(3)


揺り起こされて、青島は目を覚ました。
どこか安堵した雰囲気の室井が見下ろしていた。
「やっと起きたか」
やっとと言うからには、青島を起こすのに手間取ったということだろう。
青島がようやく目を覚ましたから、安堵したらしい。
「うあ…もう、朝ですか…」
青島は起き上がりつつ、欠伸交じりに呟いた。
昨夜は夜中まで残業だったため、明らかな睡眠不足だった。
記憶喪失の室井の世話を任されているとはいえ、そうそう一人だけ早く帰宅も出来ない。
事件が立て込み、強行犯係の手が足りなくなれば、青島も残業せざるを得なかった。
室井の記憶は相変わらず戻らないが、日常生活に支障はなくなっていたし、体調不良を訴えることもないから、青島が意識して傍にいなければならない理由も特にない。
青島が傍にいたいと望む以外の理由がなかった。
それでも新城からは室井を任されたままである。
まさか新城に感謝する時が来るとは、青島も思っていなかった。
「青島?本当に起きたか?」
まさか目を開けたまま寝てるんじゃないだろうなと疑っている室井に、青島は苦笑した。
「起きてますよ、大丈夫です」
「ならいいが。飯できてるから、顔を洗ってこい」
「はーい」
先に部屋を出た室井に続いて、青島も布団から出て洗面所に向かった。

毎朝、室井が作ってくれる朝食を、室井と二人で食べている。
昨日のように帰宅が遅くならなければ、夕飯もそうだった。
皮肉なもので、記憶を無くしてからの方がずっと、室井と一緒にいる時間が長い。
一緒にいられることは素直に嬉しく思っているが、さすがに手放しでは喜んでいなかった。
記憶を無くしたからといって室井が全くの別人になってしまったわけではなく、室井はあくまで室井だった。
生真面目で融通がきかず、誠実で優しい、青島が好きになった室井のままだった。
それでも青島にとって、警察官であることを忘れてしまっている室井は、どこか物足りなかった。
当然、恋人ではない彼の存在もである。

「忙しいんだな」
差し向かいで食事をしていた室井が言うから、青島は視線を向けた。
「俺ですか?」
「君というか、警察官がなんだろうが」
「ああ…俺たちの仕事なんか、暇に越したことないんですけどね」
残念ながら中々そうもいかないのだと苦笑すれば、室井は眉を顰めた。
「大変な仕事だな」
貴方も大変な仕事をしているんですよと思ったが、記憶を思い出せずにいる室井にわざわざプレッシャーをかけることはない。
青島は肩を竦めて、大袈裟に溜め息を吐いた。
「そうなんすよ、もう毎日毎日こき使われて」
書類仕事は多いは、変な電話はかかってくるは、本庁は無理言ってくるはと、適当に軽い愚痴を並べたてる。
黙って聞いていた室井が、首を傾げた。
「大変そうだが、仕事は好きなんだな」
「え?」
「いや、楽しそうに語るから」
違ったかと聞かれて、青島は苦笑した。
青島がどんな思いや信念で警察官を続けているかなど、室井ならよく知っていることだが、今の室井にとっては知るよしもないことでもある。
そんな室井から見ても、青島は警察官という職業を楽しんでいるようだ。
室井にそう見られることは、嬉しかった。
「そう、楽しんでますよ。なんだかんだでね」
不満もいっぱいあるし、愚痴を溢すこともしょっちゅうだが、本質的には警察官という職業にやり甲斐と誇りを持っている。
端的に言えば、やはりこの仕事が好きなのだ。
思えば、室井と警察官という職業について、好きか嫌いかで論じたことなどなかった気がする。
二人とも、警察官としてのキャリアの中で、叶えたい夢があった。
警察官として大きすぎる理想を抱えているためか、自身の仕事を好きか嫌いかという感情で見つめることがあまりなかったのかもしれない。
「仕事を好きだと言えることは、きっと良いことだな」
室井が僅かに微笑んで言った。
柔らかな笑みは嬉しいが、室井さんはと聞き返せないのが少し寂しかった。
それが表情に表れたのか、どうかしたのかと室井は怪訝そうな顔をした。
青島は笑って首を振った。
「まあ、大変な仕事は警察官だけじゃないですしね」
「それはそうだな。楽な仕事などそうないかもしれない」
「クビにならないように頑張りますよ」
軽く言えば、室井が苦笑した。
「無理はするなよ」
青島は笑って頷いた。
無茶もしますよ、それが誰かのためなら。
それが、室井さんのためになるなら、尚更。
やはり言葉にはできなかった。




取調室で被疑者とにらめっこしていた青島は、ドアがノックされてそっと一息吐いた。
小一時間膠着していたから、空気を変えるのに丁度良かった。
「ちょっと休息ね」
ゆっくりしててと、そっぽを向いている被疑者に言い残し、青島は取調室を出た。
ドアの外には袴田が待っていた。
「青島君、新城さんがお待ちだ」
応接室を指しながら袴田が言うから、青島は眉をひそめた。
新城の来訪で良いことなどまずなかったが、今は事情が事情だから用件は分かっていた。
室井のことだろう。
様子でも見に来たのかもしれない。
青島は近くにいた緒方に取調室を任せて、応接室に向かった。
失礼しますとドアを開けたら、新城が上座に座っていた。
「お待たせしました」
ペコリと頭を下げれば、僅かに頷くような仕草をした。
新城なりの挨拶と解釈し、青島は向かいに腰を下ろした。
「室井さんはどうだ」
なんの前置きもないのが新城らしく、取り立てて愛想がないとは思わなかった。
そもそも愛想のある新城の方が気持ちが悪いというものだ。
「変わりないですよ、記憶もまだ」
首を横に振れば、新城はそうかと頷いた。
落胆した様子はないから、予想はしていたのだろう。
もっとも、心中を見せない男だから、何を考えているのかまでは青島には分からなかった。
「体調には問題ないみたいですけど、近いうちにまた病院に連れて行きます」
室井自身が感じている不調はなさそうだったが、定期的に通院するように言われていた。「甲斐甲斐しいな」
新城が鼻で笑うから、青島はムッとした。
「面倒みろって言ったの、新城さんでしょ」
「嫌なのか?」
「…嫌なわけじゃないですけど」
むしろ有り難いとは思っているが、そんなことは言えない。
だが、嫌だなんて言って、お役御免にされてしまっては困る。
できる限り、今は室井の傍にいたかった。
「嫌じゃないなら、文句を言うな」
ふんと鼻で笑って新城が言うから、青島は憮然と口をつぐんだ。
納得はいかないが、それは室井の面倒をみることに対してではなく、新城の言い種に対してである。
しかし、新城と低次元な口げんかをしていても仕方がない。
室井の非常時なのだから、俺が大人にならなければと自分に言い聞かせた。
「代わり映えがしないなら、一度本庁に来て頂くか」
新城が呟くから、青島は首を傾げた。
「登庁しても、今の室井さんじゃ、仕事にならないと思いますけど」
「そんなことはわかってる。別に仕事をしてもらうわけではない」
そんなことも分からないのかというような口調が腹立たしいが、こういうものの言い方しかできないコミュニケーション下手な可哀想な人なんだと思い込み、大分失礼な方法で自分を慰め聞き流した。
「自分の職場に身を置けば、自分のことを思い出すかもしれないだろう」
脳のどこかを刺激されて、そういう可能性もあるかもしれない。
室井にとって、警察官という仕事は、それだけ重要な意味を持っていたはずだ。
人生をかけていた仕事に触れれば、思い出すこともあるかもしれない。
青島もそうは思ったが、素直に頷けなかった。
「いきなり多くの情報を受け取ったら、室井さんが混乱しませんかね」
やっと記憶がない自分を受け入れ、やっと青島に慣れてきたところだ。
警察官であったことは知識として知っていても、自分がどんな場所でどんな人間に囲まれどんな仕事をしていたのか、室井にはさっぱり分からないはずだ。
時々青島が室井の記憶を探るように話しを振れば、室井は難しい顔で考え込み何も思い出せない自分に落胆していた。
今、半端に情報だけ増やしても、室井が辛い思いをするだけのような気もした。
混乱するくらいなんだと平気な顔で言い出しそうな男だったが、意外にも新城はそうかと頷いただけだった。
「室井さんのことはお前に任せてるんだ。お前がそう言うなら、まだしばらく様子をみよう」
新城が青島の言うことを聞くというのも薄気味悪い状況だが、文句を言われているわけではないのに不満を持つのもおかしな話だ。
とにかく、新城は室井の問題を青島に丸投げしたいだけなのだ。
青島はそう納得した。
「だが、ただ記憶が戻るのを待つのも芸がないからな。少しは頭を使えよ」
偉そうに注文をつけられれば、それはそれで腹が立つから難儀である。
「どうしろって言うんですか。俺は医者じゃないんですよ」
「自分で考えろ、室井さんの面倒をみると言ったのはお前だ」
面倒はみられても治せるわけはないのだが、無茶を承知で無茶苦茶言うのが新城である。
すこぶる腹は立つが、新城だから仕方がないと諦めるしかない。
「はいはい、せいぜいない頭使って考えますよ」
青島が口許だけで笑って投げやりに言い返せば、新城も面白くなさそうに鼻で笑い腰をあげた。
「しっかり尽くせよ」
「言われるまでもないですよ」
「何かあれば、連絡を寄越せ」
それだけ言い残して、新城は応接室を出て行った。
新城なりに室井のことは心配してくれているのかもしれない。
そうでなければ、青島に手を差し伸べるような厚意を見せるような男ではなかった。
青島は限りなく面倒くさい人だなと思って溜め息を吐いたが、顔は笑っていた。




「え?一人で買い物行ったんですか?」
帰宅し、室井と一緒に食事をしながら話しを聞いて、少し驚いた。
記憶を無くしてからというもの、室井は一人で外出することはなかった。
外出する時には、本人にそうと望まれていたわけではないが、青島が一緒に着いて行った。
外に出たからといって怯える様子があるわけではないが、知らない風景に戸惑い、向かう先が分からない不安は感じていたようだったからだ。
青島が勝手に出歩かないようになどと過保護な忠告をしたわけではないが、室井は青島が出勤すると家事や料理をして青島の帰宅を家で待っていてくれた。
それが、この日は初めて一人で外出したらしい。
「スーパーまでの道のりくらいは覚えた」
「そうですか」
「だから、わざわざ付き添ってくれなくていいぞ」
室井は青島が室井を心配して着いて歩いていたことを知っているようだった。
日常生活には困らなくなっているから、青島が変な気を回す必要は無いのだ。
「そうですか」
青島は曖昧に笑った。
室井が不便をしていないのならそれに越したことはない。
そう思うのに、手放しに喜ぶ気にはならない。
何故かといえば、室井が青島を必要としていないようで寂しかったからだ。
さもしい自分の感情に青島は笑うしかなかった。
「仕事も忙しいんだろ?それなのに俺の面倒までみていたら、君が疲れてしまうぞ」
室井がやんわりと言うから、青島は室井を見つめた。
「俺にばかり気を使わないでくれ」
室井に気遣われていることが分かるから、少し気持ちが浮上した。
鬱陶しがられているわけではない。
そのことに安堵し、そんな心配をしている自分に初めて気付いた。
「好きで、してることですから」
青島がにこりと笑うと、室井の眉間に皺が寄った。
そうかと呟く仏頂面の室井が照れているだけなのは分かるのに、安心できない自分が情けなかった。










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2014.8.18

あとがき

どんどこ仲良くなっているけど、青島君は寂しいだろうなあ。
抱きしめられないし、チューもできないし!
室井さんめ!(…)

なんだか、新城さんと青島君を書くのが楽しいです…
新城さんと青島君もなんだかんだで仲良い感じですね。



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