without end(2)


車の窓からビルの出入口をぼんやりと眺めながら、青島は欠伸を漏らした。
警官になりたての頃はワクワクした張り込みも、慣れた今となっては新鮮な感動はない。
それどころか、なんとなく勘も働くようになり、今日は張り込んでいても容疑者は現れない予感まであったから、尚更張り込みに力が入らない。
「ちょっと、真面目に張りこんでよー」
やる気の無さそうな青島に文句をつけたのは、買い出しから戻ってきた袴田だった。
他の強行犯係の手が空かなかったため、課長の袴田に張り込みを手伝ってもらっていた。
助手席に座るなり小言を漏らすが、青島は肩を竦めただけで堪えない。
「ちゃんと見てますよ」
「眠そうな顔してるよ」
「そうですか?」
頬を手で撫ぜながら首を傾げる青島に、袴田が缶コーヒーと肉マンを差し出した。
「ほら、眠気覚まし」
「お、ありがとうございます」
嬉しげに受け取り、青島は缶コーヒーを開けて肉マンに齧りついた。
空腹に温かいコーヒーと肉マンが嬉しかった。
「何の動きもないの?」
隣で同じように肉マンを齧りながら、袴田もビルの出入口を睨んだ。
「ご覧の通りですよ」
青島はずっと車の中におり一歩も外に出ていないし、ビルには人影も少なく静かなものだった。
「退屈だねえ」
刑事課長の言う台詞かと思うようなことを呟く袴田に苦笑し、青島は肉マンを完食した。
「ところで、室井さんはどうなのよ」
つまらなそうにビルを眺めながら、袴田が聞いてくる。
室井は病気療養中ということで仕事を休んでいた。
記憶喪失になっていることは一部の関係者を除いて一応伏せられているが、青島が室井の面倒を見ている都合上、湾岸署の幹部は事情を知っていた。
おかげで、最近の青島は夜勤も残業もほとんど免除されている。
新城からきつく口止めされているはずだが、口の軽い神田がいつまで黙っているかは分からなかった。
「特に変わりはないみたいですね」
青島は袴田に断り、煙草を咥えた。
室井が記憶を失って数日が経つが、記憶はまだ戻っていない。
今のところそれ以外の後遺症などが見受けられず元気なことだけが救いだった。
「大きな怪我はなかったんでしょ?」
「ええ」
「それなのに記憶だけなくなっちゃうなんてねえ」
「ねえ…」
何でだろうねえと袴田は首を傾げているが、そんなことは青島の方が知りたかった。
いや、誰よりもどかしい思いをしているのは室井かもしれない。
そう思えば、青島が暗くなっている場合ではなかった。
「ちょっと、頭を叩かせて頂いたらどうだい?」
袴田が丁寧に物騒な提案をしてくる。
青島は呆れた視線を向けた。
「そんな漫画でもあるまいし」
「やってみないと分かんないでしょ」
「頭なんて怖くて殴れないですよ、余計状態が悪くなったらどうすんですか」
「まあ、それもそうだけど…」
少し考えこんだ袴田が更なる物騒な案を持ち出した。
「また君が刺されでもしたら、ショックで思い出さないかな」
「…本気で言ってんじゃないでしょうね」
「冗談だよ」
袴田を軽く睨んだ青島だが、溜め息を吐くとビルに視線を戻した。
死ぬのはもちろん、痛いのだって嫌だ。
でも、少しくらいの傷みなら耐えたっていいんだけどな。
などと、心の中でひっそりと思った。
それで室井の記憶が戻るなら、の話だが。
もっとも、こんなことを考えていたら、記憶が戻った室井に怒られることは間違いなかった。


青島は定時で仕事を上がると、まっすぐに帰宅した。
余程のことがない限り、残業をさせられることはない。
新城がどう説明して神田たちを脅したのかまでは知らないが、とにかく室井に尽くせと神田からも言われている。
すみれたち同僚は今のところ事実を知らないため、連日退社の早い青島に不審や不満が出ないはずがないのだが、内密で本庁の捜査に借り出されていることにしてあったから、とりあえずは文句を言われることもなかった。
帰宅した青島は、玄関のドアを開けてリビングに入る僅かな時間に、微かな期待を寄せるのが日課になっていた。
そして、どこか気まずそうに佇んでいる室井と目が合い、内心でガッカリする。
今日も彼の記憶は戻っていない。
そんな落胆は全く顔には出さずに、青島は笑顔を浮かべた。
「ただいま」
「おかえり」
ぎこちないが、さすがに少しは青島に馴れてくれたのか、挨拶に躊躇いは感じなかった。
もう5日も一緒に暮らしているのだから、それで当然だった。
「体調に変わりはないですか?」
「ああ…何も思い出せない」
「そうじゃなくて、頭が痛いとか首が痛いとか、辛いとこはないですか?」
袴田と話したせいか気になって改めて聞いてみたのが、室井は緩く首を横に振った。
「いや、そういうことは特にない」
「そうですか、なら良かった」
それなら一安心だと笑う青島に、室井は何か物言いたげな視線を寄越した。
何となく室井の思うところが察せられた青島は、軽く肩を竦めた。
「焦っても仕方ないですよ、とりあえず身体が元気ならそれで良しとしましょうよ」
殊更、軽く言った。
二人して深刻になり暗くなっていても仕方がない。
それで室井の記憶が戻るのであればそれもいいが、悩んだって戻るものではないだろう。
「大丈夫大丈夫、そのうちひょっこり思い出しますよ」
聞きようによっては呆れるくらい楽天的な言葉だったが、室井は呆れることも怒ることもなくじっと青島を見つめていた。
青島がにこりと笑えば、室井の肩の力が抜ける。
「そうだといいな」
「大丈夫ですよ」
全くもって根拠のない言葉を繰り返す青島に、室井の顔にも僅かだったが笑みが浮かんだ。
そんなことが青島には嬉しかった。
「飯にしよう」
「あー、腹減りました」
嬉しげに腹を擦る青島には、室井は苦笑していた。

「美味いです、さすが室井さん」
肉汁溢れる柔らかいハンバーグに、青島は満面の笑みになった。
自分のこと、仕事のこと、家族や目の前の恋人のことなどをきれいさっぱり忘れてしまった室井だが、どういう加減なのか分からないが料理の仕方はちゃんと覚えていた。
まだ作ってもらってはいないが、きりたんぽの作り方もちゃんと覚えているという。
脳のどこかを刺激するかもしれないからと、室井は毎日料理をしていた。
掃除や洗濯のやり方は曖昧になっていたから、青島が簡単に指導して家事をこなしている。
それが、今の室井の仕事だった。
料理や洗濯をして室井が待っている家に、青島は帰って来る。
まるで結婚したようだとバカなことを考える瞬間もあるが、その度内心で苦笑した。
室井にいて欲しい場所は家の中なんかではない。
だが、そんなことは今の室井にはとても言えなかった。
今の室井は、自身が警察官であったことすら覚えていない。
新城から詳しく知らされてはいるはずだが、ピンとは来ていないようだった。
「君は何でも美味そうに食べるな」
箸を止めた室井が、青島を眺めて呟いた。
呆れているというよりは、感心しているような雰囲気だった。
青島は微かに苦笑した。
この言葉は、前にも室井に言われたことがあった。
今初めて知ったような室井に、少しだけ寂しい気持ちになった。
「それ、前にも言われたことがあります」
「…俺にか?」
「そうです」
室井は考える顔になったが、すぐに首を横に振った。
思い出すことは何もなかったようだ。
それは仕方のないことだ。
青島はなんでもないことのように話を変えた。
「実際、美味いですからね」
「口に合うなら、何よりだが」
「合わないなんて言ったら、バチが当たりますよ」
「…調子が良いとも、言われたことはないか」
「やだなあ、そんなことは思い出さなくてもいいんですよ」
はっきりと呆れた顔をした室井に愛想笑いを返せば、真面目な顔で「思い出したわけではない」と訂正される。
記憶を失っていても、根本的な性格は変わらない。
ああ室井さんだなあと思うたび、愛しいと思った。
だけど、そんな感情も表には出せない。
今の室井にとって、青島はただの部下だ。
それも、本人の記憶にはない部下である。
余計な感情を知られてしまえば、こんなふうに傍にいることも叶わないかもしれない。
それは、今の青島にとって、耐え難い苦痛だ。
心配だから記憶を失った室井を一人にしたくないという思いが第一にあるのは確かだが、それとは別に自分以外の誰かを彼に寄り添わせることへの抵抗もあった。
事故から時間が経ち、青島と新たな関係を築いている室井を見ていると、その気持ちが強くなってきた。
青島の存在を失っている室井の心のうちに、誰かが入ってこないとも限らない。
青島にはそれが怖かった。
決して自分のためだけに室井の傍にいるわけではないが、半分はやはり自分のためだった。
情けないと思う。
恋人の非常事態に、結局願うことは自分の幸せか。
だけどそれが、室井にとっての幸せでもあると、今は信じたい。
「青島?」
急に黙りこんだ青島に、室井が怪訝そうに声をかけてきた。
ハッとして浮かべた作り笑いに、室井の表情が僅かに硬くなる。
「別に非難したわけではないぞ」
「え?」
「俺は君のように調子良く話すことはできないから、正直助かっている」
室井の思わぬ素直な言葉に、青島は目を丸くした。
気まずいのか、室井の眉が寄っている。
確かに、室井のように青島がもっと口下手で、もっとシャイであれば、二人きりの空間は沈黙が続き、気まずくなったかもしれない。
そういえば、出会った当初は会話など弾むはずがなく、青島が一人で喋っていることが多かった。
それが少しずつ変わっていった関係に比例して、いつしか室井が聞かせてくれる言葉も増えた。
室井と心を通わせ向きあえていた日々が、唐突に大事なものであったことを思い知らされる。
「うるさい時は、言ってくださいね。俺、調子に乗りやすいですから」
寂しさを笑顔で隠してしまえば、室井に本音は伝わらない。
室井は青島の冗談に微かに笑っていた。
「遠慮なく言おう」
その言葉も、室井なりの戯言だ。
それに対して浮かんだ青島の笑みは、作ったものではなかった。
室井が笑ってくれるのが、嬉しかった。










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2014.8.15

あとがき

更新が遅くなって申し訳ないです。
やっとこ、二話目でございます。
スピードアップしたいです。
じゃないと、いつまでも青島君が可哀想だわ!(どこまでも青島君至上主義…)


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