ゼロ(5)


豚肉のしょうが焼き定食を睨み付けたまま、室井は難しい顔をしていた。
昼食をとっている最中だったが、眉間に皺が寄っているせいで、とてもではないが休憩中には見えない。
だが、頭の中は青島のことでいっぱいだったから、ある意味では間違いなく休憩中だった。

青島には、湾岸署で会ったきり会えていない。
職権濫用も辞さないと青島には言ったが、そうそう湾岸署に押し掛けるわけにもいかない。
青島に迷惑を掛けてでも口説き落としてやろうとは思っているが、やはり職場に押し掛けるのは非常識であり、マナー違反である。
室井にとっても、仕事を放り出して青島に会いに行くなど、非常事態だ。
やはり、そうそうあってはならないことだ。
そうなると、青島に会う手段として残されているのは、自宅まで押し掛けることくらいしかない。
電話やメールには相変わらず何のリアクションも無かった。
室井も意地になり、最近は朝と夜に毎日メールを送りつけている。
もう「会いたい」とか「話がしたい」とか、無駄な誘い文句は一切書いていない。
青島の体調や機嫌の様子を伺い、仕事のことや自身の近況を短くメールしていた。
それらのネタですら尽きてしまって天気の良し悪ししか書かなかったことすらあるが、毎日欠かさずメールを送った。
立派なストーカーだなと我ながら呆れるが、青島と繋がっていられるなら、何でもやってみようと思っていた。
しかし、やはり会えないのが、辛い。
膨れっ面でもいいから見たいと願ってしまうのだから、重症だ。
やはり自宅で待ち伏せするしかないだろうかなどと、まさしくストーカー染みていて嫌になることを考えていたら、目の前の席に誰かが腰を下ろした。
自分で言うのもなんだが、強面である上に愛想がないから、社員食堂にいてもあまり同席を望まれることはないが、目の前の男が同期の一倉だったから、それほど意外ではなかった。
「失礼するぞ」
挨拶を寄越す一倉に室井は頷くように返事をした。
一倉とは同期ではあれど目指す理想の違いのせいかしばらく疎遠になっていたが、最近はそうでもなかった。
部下の失態の責任を取る形で降格した一倉は、それで何かが吹っ切れたのかそれとも諦めたのか、肩肘を張るような話し方をしなくなった。
室井に対しても、どちらかといえばフランクな態度で接してくるようになった。
それが一倉にとって良い変化だったのかどうかはわからないが、室井にとっては以前より話しやすい相手にはなっていた。
捜査一課の課長でもあったから、最近は顔を合わせる機会も多かった。
「不景気な面してんな」
一倉が苦笑するから、室井の眉間が更に険しくなった。
「何かあったのか」
「別に何もない」
「また、暴走して上に目をつけられてんじゃないだろうな」
「そんなんじゃない。何もないと言ってるだろう」
仏頂面で応える室井に、一倉は肩を竦めた。
「ならいいが、あまり馬鹿正直に突っ走るなよ。上に煙たがられると、また無駄に責任押し付けられるぞ」
ちらりと一倉を見やれば、一倉はなに食わぬ顔で蕎麦を啜っていた。
降格されたことに思うところはあるのだろうが、それに不満があるという態度でも無かった。
室井に対する忠告も、嫌味ではないように感じられた。
「自分の責任を果たしただけだから無駄とは思っていないが、気をつける」
淡々と応えれば、一倉は僅かに呆れた顔をしたがそれ以上は何も言わず、「まあ、気をつけろ」と笑っただけだった。
「そういえば、相変わらず湾岸署の青島とは仲良しなのか」
一倉の問いに、また室井の眉が寄る。
いい大人を捕まえて仲良しとはどういう言い種だと思いつつも、仲良しだと言えたらどんなにいいかと思ったりもした。
「青島とは変わりはないが、それがどうかしたか」
当たり障りなく答えるしかなかった。
まさか、口説き落としてる最中で、目下のところ避けられているとも言えない。
「ふーん、お前も物好きだな」
「余計な世話だ」
一倉にしろ新城にしろ、何故室井と青島の関係をそれほど気にするのか。
室井が青島に限らず所轄の意思を尊重することが気に入らないのだろうが、一倉や新城にはまるで関係のない話だ。
放っておいて欲しかった。
そんなことを考えていて、ふと嫌なことが頭に浮かぶ。
「一倉」
「なんだよ」
「お前、最近青島に会ったか?」
「最近は会っていないが、どうかしたか?」
「いや、それならいい」
一倉にまで余計なことを吹き込まれたら堪らないと思ったのだが、気を回し過ぎたようだ。
室井は密かに安堵したが、一倉は「青島に会ったのは」と続けた。
「三ヶ月くらい前だったか」
確かに三ヶ月前なら最近とは言わないが、忘れるほど昔でもない。
室井は再び嫌な予感に襲われた。
所用で行った湾岸署で会ったがアイツも相変わらずだなと零す一倉に、室井はもう一度尋ねた。
「その時、青島に余計なことを言わなかったか」
「余計なことってなんだよ」
余計なこととは余計なことだ。
新城のように室井に関わるなというようなことを言っていないかどうかが気になった。
しかし、自分で言うのも気が引ける。
青島に避けられている理由が自分のせいではないと証明したがっているようで、なんだか情けなかった。
「何も言っていないなら、別にいい」
室井はそれで話を打ち切って意識を食事に戻した。
昼休みにも限りがあり、いつまでも休憩しているわけにはいかなかった。
「あー、そういや、あまり室井に甘えんなよとは言ったかな」
箸を動かそうとしていた室井の手が止まる。
一倉をじろりと見れば、悪びれることもなく笑っていた。
「別に青島に嫌みを言ったわけじゃない。室井が出世できなきゃ、お前も困るだろうという話をしただけだ」
本当にそういう話し方をしたのだとしたら、嫌味を言って青島を苛めたわけではないのだろう。
そうは思うが、余計なことには変わりがない。
「青島は俺に甘えているわけではない」
そもそも甘えて貰えるならそんなに嬉しいことはないが、当然ながら一倉にそうとは言えなかった。
「お前なら許してくれる、分かってくれる、助けてくれる、そう思ってるからアイツはお前に無茶を言うんじゃないのか」
それは十分甘えだと思うがねと肩を竦める一倉に、室井は淡々と言った。
「青島は俺を信頼してくれているだけだ」
青島が無理を言い無茶をして見える時にも、大抵はそこに確かな理由があり、決して勝手気ままに我を通しているわけではない。
室井が青島の無茶を容認する時だって、彼の言い分が正しいと感じられるからだ。
青島が信頼を寄せてくれているように、室井も彼の正義を信じている。
ただ、それだけだった。
一倉は苦笑していた。
「その信頼だって、一種の甘えだと思うがね」
「余計な世話だ」
「ま、ごもっともだ」
一倉は確かに俺には関係ないと笑って箸を握り直したが、ああそうだともう一つ付け足した。
「そういや、室井に見合い話がいっぱいきてるから、邪魔すんなとも言ったかな」
室井は目を剥いた。
「何だと?」
「青島がお前とたまに会って飲むと言っていたから、アイツの婚活の邪魔にならない程度にしろよとからかっただけだよ」
何てことをしてくれるんだこの阿呆は。
とは、室井の心の声だった。




寝酒にと開けた缶ビールを飲んでいたら、短く携帯電話が鳴った。
日課になっているから、それが室井からのメールであることは分かっていた。
今日は何だろうか。
携帯電話を手にする青島は微かに笑っていた。
昨夜のメールは、今日は雨だったな、の一言だけだった。
思わず吹き出してしまったが、その意味のない文字を愛しく思った。
書くことがなければ送らなければいいのに、室井は律儀に毎朝毎晩メールを寄越す。
それが嬉しいなどと、青島には伝えることができない。
いつか室井からのメールが途絶える時まで、ただひたすら室井の言葉を受け取るだけのつもりでいた。
青島はメールを開き、顔を強張らせた。
最近は意味のないメールが続いていたが、今夜は違った。

君にふられても、俺は結婚するつもりはない。

それだけだった。
何故こんなメールをと、考える余裕も無かった。
打ち明けるつもりのない自身の想いの全てを、室井に知られているのではないかと不安になる。
自身に執着する室井の言葉を聞くだけで、息苦しくなった。
ぶつけられる彼の気持ちは、青島にとって胸に痛いものばかりだ。
何故そっとしておいてくれないのかと、室井を恨みたくなる。
青島は短くメールを返信すると、携帯電話を床に放り出した。
送信を終えた携帯電話の照明が落ちるのを、見るとはなしに眺めていた。

青島だって、室井のことが好きだった。
正確にいつから室井を想っていたのかは、自分でもよく分からない。
はっきりと気付いたのは本庁に復帰した室井と東京で再会してからだが、今にして思えば顔を合わせることもなく美幌署に異動してしまった室井に無性に会いたいと願っていたあの頃には、既に室井に惚れていたのだろうと思う。
だから、復帰祝いなどと口実をつけて、室井を飲みに誘ったのだ。
幸いなことに室井は青島が近付くことを拒まなかった。
とはいえ、端から近づいたところで好きになってもらえると思っていたわけではない。
相手は最悪なことに同性で、しかも良くも悪くも頭が柔らかい青島とは対照的にとにかく硬い男だった。
青島が室井の事を恋愛感情でもって好いていることなど、仮に告げたところで理解してもらえないと思ったし、受け入れてもらえるわけがないと思っていた。
それでもただ一緒にいたかっただけだといえば奇麗事になるが、室井の傍にいることを望んだ青島の理由としては一番それが正しかった。
惚れている以上、他に望むことがないとは言わない。
室井の特別になりたかったし、もっと即物的な欲求だってあった。
だけど、その感情に身を任せ室井に想いを押しつけることなど、青島にはできなかった。
そうして良い相手ではなかった。
室井は青島にとってただ恋愛感情を寄せるだけの相手ではない。
いつか室井は警察組織の中で登り詰めるだろう。
そして、信じた正義を当たり前に貫ける組織に変えてくれるはずだ。
青島はその日が来るのを誰よりも心待ちにしている。
その日まで、青島は現場で頑張ると室井に約束した。
その青島が、失う覚悟で室井に想いを告げることなどできるはずがなかった。
ただ一緒にいたいという理由だけで室井に近づくのは、虚しい行為であったかもしれない。
恋人になることは叶わなくても、室井を知り、誰よりも室井の支えとなる人間になることができれば、傍にいる意味もあるのではないかと思っていたが、それはただ一緒にいたいという自分の想いを正当化する詭弁でしかなかった。
一倉に室井の邪魔をするなと言われ、新城にも迷惑をかけるなと言われている。
官僚の二人からみても、青島が室井の傍にいることは決して良いことではないのだと気付かされた。
そこに恋愛感情があろうとなかろうと、官僚の室井が問題ばかり起こして本庁に目をつけられているような自分と一緒にいて良いはずがない。
だからといって、これまでの自身の行動を悔いているわけではなかった。
警察官としての自分の行動に、少しも無理や無謀がなかったとは思わないが、守らなければならないものを守って闘っただけであるという自負はある。
青島はこれからだって、クビを賭けてでも同じような行動を取るだろう。
そのことになんら抵抗も疑問もないが、青島の警察官としての在り方は青島だけの問題だ。
室井を巻き込み、迷惑をかけたことも一度や二度ではないし、やはりまた同じような事件が起これば無理を言って室井の力を借りることを躊躇わないだろうが、それはあくまでも警察官としてである。
プライベートでまで室井に迷惑をかけるわけにはいかなかった。
一倉や新城の忠告が嫌味や嫌がらせの一種であることも間違いはないだろうし、青島自身ただ鵜呑みにしたわけではない。
それでも、室井は警察官僚であり、将来を嘱望されている男である。
室井の本庁復帰には副総監が尽力してくれたと、青島も聞いている。
彼に期待を寄せ、警察という組織に必要としているのは、青島ばかりではないのだ。
一倉と新城が口を揃えて「室井の足を引っ張るな」と釘を刺してくるのも当然だ。
恋をするのなら、こんなに不釣り合いな二人もない。
一倉からは、室井には良い縁談もあると聞いている。
潮時だと思った。
傍にいられるだけでもいいという気持ちに嘘はなかったが、一緒にいれば欲が出ることもある。
青島が傍にいることで室井のマイナスにしかならないのなら、道を誤る前に身を引くべきだと思った。
これが最後だと心に決めて室井と会ったのが、室井に告白されたあの日だった。
最後という切なさからか、やけ酒染みた酒の飲み方をしたのが悪かった。
深酒し室井の部屋に泊めてもらったのがそもそもの間違いだ。
いや、最後だからと下手な言い訳をして、眠る室井に馬鹿なことをしたのが、何よりの失敗だった。
そのせいで、きっと室井にまで馬鹿な真似をさせている。
青島があんなことさえしなければ、室井は青島に想いを告げたりはしなかっただろう。
青島はそのことに気付いていたが、室井は何故か青島が犯した馬鹿な罪には触れてこない。
何も聞かれないから、言い訳すらできないままだった。
言い訳できないまま、ただひたすら青島は後悔し続けている。
あの時、あんな真似さえしなければ―。

青島は顔を歪めると、ビールを煽った。
勢いがよすぎてむせる。
咳き込んでいるうちに、苦しくて視界が歪んだ。
その歪みは酷くなる一方で、咳が止まった時には、何も見えなくなっていた。
きつく目を閉じて、感情の波をやり過ごす。
好きだなんて、室井の口から聞きたく無かった。
聞くたび、胸がどうしようもなく痛かった。
そして、その痛みと同じ強さで感じたのは、最悪なことに喜びだった。
本当は嬉しかったのだ。
室井が好きだと言ってくれるたび、俺だってと心の中で思った。
だけど、口には出せない。
出さないと決めている。
それでも思わずにはいられない。
俺だって、本当は。
自己嫌悪しながら、心の中でそう思い続けている。
やり過ごすことができなかった激しい感情の波が溢れ出すと、青島はとうとう床に蹲るようにして身体を震わせた。


さっさと結婚してください。
青島が室井に返したメールはその一言だけだった。











NEXT

2014.5.11

あとがき

室井さんがストーカーに…(しつこい)

少々、青島君サイドの気持ちも書いてみました。
ちょっと後ろ向き青島君。
我慢できずにちゅーしちゃった分、青島君も悪いんですけどね(笑)
好き好き言うなよ!俺だって本当は言いたいのに!って、
お腹の中で思っていることでしょう。

次で終わる予定でございます!
後少しお付き合いくださいませ。


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