会議室を出た室井は内ポケットから携帯電話を取りだした。
会議の最中にメールを受信していた。
滅多に受信しないメールは相手が限られている。
開いてみれば、案の定青島からだった。
『お疲れ様です。今夜は早く帰れそうですけど、家には来ないでください。電話には出ますから』
昨夜送信した今夜の都合を確認したメールに対する青島の返信だった。
室井は小さく溜め息を吐いた。
家には来るなと青島が釘を刺してくるのは、毎度のことだ。
先日、性懲りもなくまた青島の自宅前で勝手に彼の帰宅を待っていたら、呆れ果てた青島が電話には出るようにするから自宅に来るのは止めてくれと言って折れた。
メールにも電話にも応答しようとしない青島が譲歩した形だが、別にそれで何が変わったわけではない。
室井の気持ちに応えてくれるつもりは相変わらず無いようだったし、電話に出てくれたところで会う約束一つできるわけではないから、勝手に押し掛けた二度目の夜以来顔すら見ることができずにいた。
青島に迷惑をかけることが本意のわけではない、それでも簡単には諦められない。
結果、室井は青島に定期的に連絡を取り電話で話す約束をとり付けている。
そうすることだけが、今現在、青島と唯一繋がっていられる方法だった。
今夜電話をする旨を返信し、室井はもう一度溜息を吐いた。
『室井さんも暇ですね』
帰宅して、スーツも脱がないまま青島に電話をしたら、そんな声が返ってきた。
眉間に皺を寄せたが、青島に見えるわけもない。
それでも、室井の表情を読んだか、電話の向こうで青島が笑った。
『冗談ですよ、忙しいんでしょ?捜査本部』
大丈夫ですかと気遣う声は、いつもの青島の声だった。
青島に自宅には来ないでくれと言われてから、こうして電話で話すのは三度目だった。
『テレビで見ましたけど。あの会社役員の事件、担当してんの室井さんなんでしょ?』
捜査は順調なのかと気にしてくれる。
こういう会話をしている限り、青島は室井に冷たくなかった。
「なかなか難しいな」
『行き詰まってる感じ?てか、俺と電話してていいんすか?』
「帰れる時には早く帰らないと、部下が気を遣うようだ」
『あー、室井さん、ワーカホリックっぽいですもんね』
「そんなことはない、やらなくてはいけないことをしてるだけだ」
『だから、それがワーカホリックっぽいんですけど…まあ、室井さんらしいや』
「どういう意味だ」
『やだな、誉めてんですよ。真面目だなーと』
「誉められてる気がしないが」
『そんなことないってば』
電話の向こうから聞こえる声は笑みを含んでおり、室井の脳裏に浮かぶ青島の顔も笑っていた。
室井が告白する前の関係に戻ったようだったが、そうではない。
青島は頑なに室井と会おうとしなかった。
会って話しがしたいと何度も伝えているが、その度「嫌です」と青島の返事はにべもない。
唯一、電話でだけまともに相手をしてくれるが、それで室井が満足しているわけでも、諦めたわけでもない。
ただ、電話という手段だけでも室井に繋がりを残してくれている青島の真意を、室井は探していた。
自宅まで押し掛けてくる室井の行動を抑えるための手段であることは間違いないだろうが、それだけではない気がした。
青島も室井と縁が切れてしまうことは本意ではないのではないだろうか。
室井がフラれたことは事実だが、あの夜のキスの意味もまだ確認していない。
しつこく電話をしているくせに、肝心なことは何も聞けていなかった。
室井が繰り返し告白することで、青島との関係においてはっきりとした終わりが来る可能性もあり、それが怖いという気持ちもあるが、それより何より青島がまた頑なになって会話が成り立たなくなってしまうのが怖かった。
『室井さん、飯食いました?』
「いや、これからだ」
『まだなんすか?腹空いたでしょう。電話切ってもいいんですよ』
「平気だ」
青島との電話を切ってまで腹を満たしたいとは思わない。
そんな室井の気持ちを知っているのかいないのか、青島はそれ以上勧めては来なかった。
『ふーん、ならいいんですけど』
「君は?」
『俺は食べましたよ。今、ビール飲んでますけど』
「飲み過ぎるなよ」
『大丈夫大丈夫、一人でそんなに飲みませんから』
また青島と二人で酒を飲む。
そんな日が来るだろうか。
つまみが足りないとぼやく青島の声を聞きながら、室井はそんなことを考えていた。
その夜は、結局一時間近くも話したが、肝心なことは何一つ聞けないままだった。
被疑者が無事に逮捕されて、捜査本部が一つ解散した。
他にも捜査中の事件があるから仕事がなくなるわけではないが、やはり事件解決はホッとするものがあった。
ホッとすると青島に会いたくなるのが室井の日常だが、青島に会うことは叶わない。
自宅に押し掛けて帰宅を待つというストーカー染みた手段は何度も使えなかった。
青島に本当に嫌われる可能性もあるし、そもそも室井はそれほど暇ではない。
何時間も帰ってくるか分からない男をひたすら待つのはなかなか難しい。
忍耐力には自信はあるが、仕事がそれを許さなかった。
それでも、時間を作っては青島に連絡を取っているが、青島は相変わらず電話越しにしか対応しようとしない。
いっそ、湾岸署に捜査本部が立たないものかと思う。
そうすれば少なくとも青島に会うことだけはできる。
我ながら情けない願望が浮かぶのは、本部が解散して気が抜けているせいかもしれない。
反省し気を引き締めながら本庁に戻った室井は、エントランスで新城に会った。
「久しぶりですね」
新城が軽く頭を下げた。
新城は室井が美幌署勤務等遠回りしている間にも順調に出世し、現在は室井よりも階級が上である。
それでも、新城なりに事件を通じて思うところがあるのか、昔ほど室井に対する態度に棘がない。
性格が変わったわけではないので、天の邪鬼で皮肉屋なのは相変わらずだが。
室井は頷くように挨拶を返し通り過ぎようと思ったが、新城が距離を詰めてくるから足を止めざるを得ない。
室井は一緒にいた部下を先に行かせ、足を止めた。
「事件解決したそうですね、お疲れ様でした」
皮肉なのか本当に労う気持ちがあるのか分からないが、室井は聞き流しておいた。
「ありがとう」
「恙無かったようで。やはり、どこかの所轄じゃないと捜査も順調ですか」
今度ははっきりとした皮肉だった。
室井が眉を寄せれば、新城は鼻で笑った。
「その顔なら、覚えのある所轄がありそうですね」
「湾岸署の管轄で大きな事件が起こるのは、署員のせいではないだろう」
事件の全てが必ずしもそうとも言えないが、殺人や誘拐事件が起こること自体は、署員に非があるわけではない。
ましてや、新城が目の敵にしている青島が、こと捜査においては足を引っ張るようなこともない。
室井は警察官としての青島を贔屓目ではなく、評価していた。
「事件が起こるのは署員のせいではなくても、余計な騒動を起こすのはあそこの署員が原因だと思いますがね」
新城が涼しい顔で言うが、それだって本庁が余計な口を挟むせいでもあると思った。
いつだったか一倉にも言ったが、その辺りはお互い様のように思える。
とはいえ、それを新城に伝えたところで意味は無い。
昔ほど話の分からない男だという印象はないが、新城とこんなところで所轄に対する意見の違いで対立しても仕方がなかった。
「捜査員の協力なくして、事件の早期解決はないと私は思うがな」
穏やかにそれだけ言えば、新城は曖昧に笑った。
「まあ、貴方らしい」
同意ではなかったが否定をする気もないのか、口調はきつくなかった。
話しは終わったのかと室井はその場を去ろうと思ったが、「話は変わりますが」と新城が続けるからそういうわけにもいかなくなった。
「なんだ」
「最近も、青島と会ってるんですか」
話が変わってないじゃないかと思ったが、そこには触れず室井は首を横に振った。
実際、最後に会ったのは一月近く前だから、嘘ではない。
「会っていないが」
「そうですか、釘を刺したのが効いたかな」
後半は独り言のようだったが、耳に届けば聞き捨てならないことこの上ない。
「どういうことだ」
感情を剥き出しにしないように気をつけたが、どこまで成功したかは分からない。
新城は肩を竦めたが、相変わらず涼しい顔をしていた。
「この間、湾岸署で会ったので、室井さんの足を引っ張るなと忠告してやっただけですよ」
「何?」
「随分前ですが、新橋で青島と飲んでいたでしょう。偶然見かけた部下がいましてね」
「それがなんだ。プライベートなことだ」
室井が誰と飲みに行こうと食事に行こうと、それが非社会的勢力が相手でもない限り、新城にも他の誰にも関係のない話だ。
余計な口を出すなという言葉が、喉まで出かかった。
新城は室井を冷めた目で見つめていた。
「ええ、まあそうですが。ただ、貴方は警察官僚だ、問題児との付き合い方は考えた方がいい」
捜査どころか私生活でまで足を引っ張られますよと、ご丁寧に室井にまで忠告をしてくれるが、大きなお世話だ。
はっきりと不愉快に思ったが、新城と言い争いをするつもりはない。
きっと何を言っても、新城には分からないだろう。
室井にとって青島の存在がどんなものかは、どう言葉にしても伝わりはしないだろうし、分かって欲しいとも思わない。
だが、新城の言葉に、気になることはあった。
「青島と話をしたのはいつ頃のことだ」
「なんだ、青島にフラれましたか」
室井が目を剥くと、新城は冗談だと意地悪く笑った。
「まあ、あの男が遠慮する程度には身の程を弁えているなら、良かったですよ」
「新城」
室井の低く咎める口調に新城は肩を竦め、その時期を教えてくれた。
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