呼び出し音が留守電に変わると、室井は溜め息を吐いて電話を切った。
掛けた相手は青島だった。
ここのところ、青島に電話をして繋がったことはなかった。
仕事柄もあって青島が室井の電話に応じない、折り返しかけてもこないということは、今までにないことだった。
会いたいというメールに対しても、一日半をかけて忙しいという返信があっただけだ。
それからは、メールを送っても返信は来なかった。
明らかに避けられていた。
理由はわかっているが、納得はしていない。
だから、連絡を取ろうと試みてはいるが、電話やメールはするだけ無駄かもしれない。
別の手段を考えなければならない。
そんなことを考えながら、室井は捜査本部となっている会議室に向かった。
本当は湾岸署に乗り込み青島を捕まえたかったが、生憎と捜査本部が立て込んでいてそれもままならない。
会議室に戻った室井を部下が待っていた。
部下が捜査の進捗状況を説明するのを聞きながら、室井は沈んだ気持ちを切り替えるのに、少し苦労した。
室井は青島にフラれていた。
好きだから付き合って欲しいと言った室井に青島は随分驚いていたが、驚きから立ち直ると笑った。
冗談がへたくそだと、笑っていた。
室井は真剣な告白を笑い飛ばされ呆気に取られたが、青島が室井の告白を本気で冗談だと受け止めたわけではなかったことは、室井にもすぐに分かった。
生真面目な室井がそんな冗談を言うわけがないことくらい青島なら知っているだろうし、何より笑った顔が引き攣っていた。
何度も、そうではない本気なのだと伝えようとした室井の言葉をまともに聞かず、青島は強張った笑みで聞き流してしまった。
室井の言葉を聞きたがっていないことは、青島の笑顔の拒絶で察しがついた。
結局その日の朝は、それ以上気持ちを伝えることが室井には出来なかった。
心が折れたというよりは、どうしてという戸惑いが大きかった。
青島は室井に確かにキスをした。
目は瞑っていたが、あの時唇に触れたのは確かに誰かの唇であり、あの時室井の部屋には青島しかいなかった。
どう考えても、あの時室井にキスをしたのは青島しかいない。
青島にキスの意味を問い質してみれば良かったのかもしれないが、青島の気持ちを知って告白をした自分の行動を後ろめたく思っていたから、それも出来なかった。
青島にキスをされたからといって、その事実は到底信じられなかったし自惚れて浮かれているわけではないつもりだが、キスをする理由など一つしかないように思えた。
想いを告げるつもりなどまるでなかったくせに、青島の気持ちを確信して告白するのはやはりずるい気がしたが、両想いと知りながら何もしない方が馬鹿げていた。
だから、翌朝早々に告白したのだが、 まともに取り合って貰えなかったばかりか、あの日からずっと避けられている始末。
突然室井を避けるようになった理由は、おそらく室井が告白したせいだ。
どうしてと青島に問えば、室井がフラれるはずがないと高を括り自惚れているようだったが、キスをしてくれたにも関わらず、告白に応えてもらえない意味が分からない。
室井はともかく青島と話しがしたかった。
あくまでも告白をしたのは室井の勝手だから全てが青島のせいだとは言わないが、告白をしないことで守ろうとした青島との穏やかな関係を室井は手放してしまったことになる。
告白を無かったことにできないのであれば、青島と新たな関係を築くしかなかった。
もう後には引けなかった。
青島と、とにかく話しがしたい。
そう思いながらも、室井が行動に移せたのは、青島と気まずく別れて二週間以上が過ぎていた。
繋がらない携帯電話に頼るのは止めた。
湾岸署に電話して捕まえてやろうかとも考えたが、湾岸署の電話なら上司の手前青島が逃げ出せないにしても、込み入った話しができない。
職場の電話で交際を迫るなど、どう考えても非常識だ。
そしたら、後は自宅まで押し掛けるしか、青島と話しをする手段がない。
それはそれでいよいよストーカー染みていて気が引けたが、青島と向き合うにはまず直接会って話すしかなかった。
「室井さん…?」
青島の部屋の前で突っ立っていた室井を見て、青島は目を丸くしていた。
とりあえず、夜中になる前に帰って来てくれて、室井はホッとした。
連絡がつかないから今夜自宅に帰るかどうかも分からず、帰って来なければ出直してくるしかなかった。
呆気に取られている青島に、室井は何を言おうか迷ったが、室井より先に青島が口を開いた。
「いつからいたんですか?」
咎めるような口調ではなかったが、もちろん嬉しそうでもなく、どちらかと言えば困っているように見えた。
「少し前だ」
二時間程待っていたとは言わなかった。
勝手に来たのだから青島に気を遣わせるのも気が引けたからだが、微かに眉をひそめた青島は室井が事実を語っていないことに気付いていたのかもしれない。
「何やってんすか、風邪引きますよ」
「お前が電話に出ないからだろ」
思わすムキになって答えてしまい、すぐに後悔した。
電話をしたのも押し掛けたのも室井の都合に過ぎない。
電話にでない青島にも非はあると思うが、これで例え室井が風邪を引いたとしても、青島のせいではなかった。
「いや、どうしても話したいことがあったから勝手に来た。夜分に済まない」
青島は一瞬呆れたような顔をしたが、苦笑気味に笑うと部屋のドアを開けた。
「とりあえず、上がってください」
追い返される可能性も考えていたから、室井は密かに安堵した。
青島の部屋に来るのは久しぶりだった。
泊めてもらったことも、少ないがあった。
雑然としたリビングは、青島の生活の様子を生々しく伝えてきた。
脱いだままのパジャマがソファに散らばっていたし、テーブルには飲みかけらしくコーヒーが残ったマグカップが置いてあった。
その隣には吸殻が山盛りになった灰皿があり、ビールの空き缶までそのままにされてあった。
「散らかっててすいません」
テーブルの上のゴミを片付けながら、青島は最近忙しくてと言い訳をした。
それが、本当か嘘か分からないが、一つだけわかったことがある。
青島の部屋に訪れて、これほど部屋が散らかっていたことはなかった。
そして、青島の職場は慢性的に忙しい。
つまり、室井が青島の部屋に訪れた時には、室井のために片付けておいてくれたのだろうと察しがついた。
そこに青島の好意を見いだすのは、馬鹿げているだろう。
来客があれば、誰だって部屋くらい片付ける。
それでも、青島が室井のためにしたことならば、それだけで嬉しかった。
空き缶を片手に抱えたままパジャマを拾いあげている青島を眺め、そんなことを考えている室井に気付くこともなく、青島は顎でソファを差した。
「適当に座っててください」
言い残して台所に向かう青島は、一度も室井を見なかった。
勧められたままソファで待っていると、少ししてから青島は戻って来た。
手にしていたマグカップを一つ室井の前のテーブルに置き、青島は室井から離れた床に座った。
「それで、突然どうしたんすか?」
煙草を咥えながら尋ねてくる青島はいつも通りで、不自然な態度ではなかった。
不自然ではないことが、むしろ室井には不自然に見えた。
「俺が来た理由が、分からないわけじゃないだろう」
青島は室井に視線を向けたが、すぐに下げて苦笑を浮かべた。
「分からない…ことにして、このまま帰ってくれませんか?」
それは室井が青島に告白してから初めての、はっきりとした拒絶だった。
さすがに胸が痛む。
青島の拒絶に納得はしていないが、それは青島にキスをされたという事実があるからであって、青島に恋愛感情でもって好かれている自信があるわけではない。
キスされるまで、そんなことは一度も考えたことがなかった。
しかも、はっきり拒絶されてしまうと、あのキスは室井の気のせいだったような気にすらなってくる。
青島に恋焦がれるあまりに見た、都合の良過ぎる夢。
それが事実だとしたら、その方が室井自身も納得がいく。
だが、それだけは認められない。
認めてしまったら、青島を口説ける自信がなかった。
「青島、俺は」
「室井さんはさ」
言いかけた室井を、わざとかたまたまか青島の声が遮る。
「ゲイなわけじゃないですよね?」
室井の眉間が寄った。
当然だと言いかけたが、青島を好きになった時点でそうとは言い切れなくなった。
過去には異性の恋人しかいなかったし青島以外の同性を相手に恋愛感情を抱いた覚えはなかったが、青島を好きになったということは同性を愛せる性癖があったということかもしれない。
そう思うと不愉快だった。
青島以外欲しいとは思わないし、冗談ではないとすら思う。
「君だけだ」
思わずそれだけ答えれば、青島は一瞬眉を顰め、笑みを作った。
「ねえ、室井さん」
「なんだ」
「それって、本当に恋ですかね?」
「何?」
「ゲイなわけじゃないなら、勘違いだと思いませんか」
勘違いなら分からなくはないと、青島が分からないことを言う。
「俺と室井さんってタイプが全然違うでしょ?異性とだって、違うところに惹かれたりすることはよくあることだし」
確かに、室井が青島に憧れたのは自分に無い魅力を持っているからだ。
だが、それだけで恋心と勘違いしたわけではない。
いっそ抱きたいと言ってやろうかと思ったが、自分を拒んでいる青島に一方的な欲望を押しつけるのは躊躇われたし、必ずしも欲望が恋心の証にならないことくらい室井にも分かっていた。
では、何をもって恋心と判断しているのか、口下手な室井にはそれをうまく説明できない。
室井にできるのは、正直に気持ちを言葉にすることだけだ。
「勘違いで、君に好きだなんて言えると思うか」
「自覚してないからこその、勘違いなんじゃないですか?」
「会いたい、声が聞きたい、触りたい、そう思う気持ちが仮に勘違いだとしたら、勘違いとそうではない気持ちの境目などないんじゃないのか」
暗に、そういうふうに青島に恋焦がれているのだと伝えれば、青島は目を見開いた。
そして、はっきりと顔を顰めた。
不愉快が浮かんだ表情を見れば、どうしたって胸が痛む。
青島が室井を拒んでいることは間違いないようだ。
室井は無意識に膝の上に置いてあった手を強く握りしめた。
どうしてという困惑を、痛みが勝る。
だけど、まだ諦められない。
あの夜のキスに意味がなかったとは思えなかったし、思いたくもなかった。
「室井さんとは、付き合えません」
青島がはっきりと言った。
「俺が嫌いか」
「嫌いじゃないけど、男だ。無理ですよ」
女なら考えたけどと笑った顔は皮肉っぽくて、あまり室井に向かって見せない表情だった。
「それがそんなに重要か」
「男とは付き合えないですよ。室井さんだってゲイじゃないでしょ」
「ゲイだと言えば、納得するのか」
男を愛せる人間だと言えば、室井の気持ちを認める気になるのかと思い聞き返せば、青島は僅かに怯んだように返事に詰まった。
「俺は本気だぞ、青島」
青島は迷惑だという感情を表情にはっきりと露わし、煙草を揉み消した。
「帰ってください」
「青島」
「俺は返事をしましたよ、貴方とは付き合えない」
それでこの話は終わりだというふうに、青島は笑った。
温かみのない笑みは彼らしくなく、室井はフラれたということに納得がいかなかった。
あの夜のキスもそうだが、それよりも今の青島の頑なな態度の方が気になった。
本当に室井をそういうふうに思えないのだとしても、青島なりに室井に好意を寄せてくれていたはずである。
いくら不愉快な告白を聞かされたのだとしても、普段の青島ならこれほどはっきりと迷惑な顔をするとは思えない。
ましてや要領の良い男だ、その後の関係も考えた対応をするだろう。
それがあからさまに不機嫌な顔をして、室井を拒絶している。
今の青島は、室井との一切の交流を断っても良いと考えているのではないかと思われた。
そんなことは室井の方が困る。
だけど、今はこれ以上室井に語れることもなかった。
好きだと伝えて、付き合って欲しいと願った。
本気であるということは、青島も理解しているのだろう。
理解した上での拒絶だから、これ以上は何も言えなかった。
少しの間、二人とも無言だった。
「泊めるわけにもいかないから、終電出る前に帰ってください」
寝込みを襲われたら困ると皮肉に笑う青島は、淡々とした声とは反して著しく冷静さを失っているように見えた。
ここまでだと、室井は判断した。
これ以上青島を追い詰めても良いことは無いだろう。
どこまで本気で語っているのか室井には分からないが、全てが青島の本音とは到底思えない。
皮肉な言葉や態度は、室井よりもむしろ青島を傷つけているように見えた。
そのせいか、室井は冷静でいられた。
もちろん諦めるわけではない。
「今日は帰ろう」
「もう来ないでください」
「君が電話に出ない限り、また押し掛けてくる」
「ストーカーで訴えますよ」
「好きにしろ」
黙った青島はそっぽを向いていて、視線すら室井に寄越さなかった。
「君が好きだ。おやすみ」
言い捨てて、室井は青島の部屋を後にした。
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