不意に目が覚めた。
室井は意識が浮上するのを感じたが、目は開けなかった。
開けてしまえば、完全に覚醒してしまう。
まだ夜中であると、身体が感じていた。
過ぎた酒のせいで、逆に眠りが浅いようだった。
いつもの時間になればアラームが鳴るため、寝過ごす心配はない。
再び眠りに落ちようと思ったが、衣擦れの音に気付きそれで目を覚ましたのだと知る。
室井自身は身動きをしていないのに聞こえる衣擦れは、別の人が同じ部屋にいるということだ。
寝ぼけていて忘れていたが、今日は青島が泊まっていた。
思い出せば俄かに緊張するが、彼が泊まって行くのはこれが初めてではなかった。
ごそごそと衣擦れの音が響き、青島が起き上がった気配がした。
静かに部屋から出ていくから、おそらくトイレにでも行ったのだろうと思い、室井はそっと息を吐いた。
室井が美幌署から本庁に戻ってからおよそ一年経つが、青島とは時々一緒に酒を飲み交わす仲になっていた。
初めに復帰祝いだと誘ってくれたのは青島だが、その後は誘ったり誘われたりして、定期的に会っていた。
青島からは明確な信頼と、自惚れでなければ好意を寄せられていると感じていた。
彼と距離が縮まったことは単純に嬉しかったが、最近はそれだけでは収まらなくなっており、少し困っていた。
室井が青島への恋心を自覚したのは、査問会議の後に青島ときりたんぽ鍋の約束を交わした時だった。
室井が警察組織の中で出世することに希望を見出し、自分一人あからさまな降格人事を受けたことに納得してみせた青島だが、怒りや悔しさが無かったわけがない。
それでも屈託なく笑った青島を見て、惚れたと気付いた。
とはいえ、だからといって青島にどうにかして近付こうとは考えもしなかった。
自分の気持ちが普通ではないことくらい自覚していたし、気持ちを知られて嫌われるくらいなら遠くから眺めている方が良かった。
その時点では、恋心よりも憧れる気持ちの方が強かったのかもしれない。
自身の中に揺るぎない正義を持ち、納得できなければキャリアにすら噛み付く強さがある男だが、反面では何事にも柔軟に対応できるしなやかな彼の性格は、とかく四角四面で融通の利かない室井にとっては眩しくすら見えた。
青島の生き方は青島にしかできない生き方であり、室井も青島になりたいとは思っていないが、彼の信念や生き様に触れて生きて行けたらという欲求はあった。
青島にも誰にも言えないが、青島に対する憧れは室井の中に確かに存在した。
室井が上を目指して警察官を続ける限り、青島と縁が切れることはおそらくないだろう。
だから、彼の一番近くにいたいなどと大それたことを望まず、同じ場所を目指して歩き紆余曲折しながら、その時々でどこかで交わって生きていけたらいいと願っていた。
だが、本庁に復帰し、青島とプライベートを過ごす機会が増えると、青島に対する感情は憧れから恋心に大きく傾くようになった。
青島とプライベートで会う時は、いつも余人を加えることなく二人きりだった。
当然ながら、二人きりの食事会を重ねるごとに、青島との関係は否応もなく密度を増した。
ただの上司と部下という仲でいた時には到底知り得ないことを知っていく度、室井の中で青島の存在は大きくなる一方だった。
しばらく会えなければ声が聞きたくなり、顔を見れば帰したくなくなった。
傍にいれば触りたいとすら思うし、もっと直截に言えば青島のスーツを脱がしてしまいたいと思ったことも一度や二度ではない。
それでも、彼と二人きりでいて愚かな真似をする気にならなかったのは、想いを告げるつもりが更々無かったからだ。
失うくらいならこのままで良かった。
強がりがないとは言わないが、実ることのない恋心には端から期待を寄せていない。
多くを望まず欲さえ我慢できれば、青島と二人きりで過ごせる時間は、日々ストレスを抱える室井にとってはオアシスのようなものだった。
そっとドアが開く音がして、青島が戻ってきた。
半ば眠っていた室井は目を開け青島の姿を確認することはしなかったが、それでもふわりと煙草の香りを感じたから青島が一服していたことが分かる。
夜中に目を覚まして一服するということは、もしかしてあまり眠れていないのだろうか。
曖昧な意識でそう思いつくと、じわじわと意識がはっきりしてくる。
そういえば酒を過ぎて潰れるように眠った青島が朝を待たずに途中で目覚めることなど、室井が知る範囲では無かったように思う。
どうかしたのだろうかと気にしだすと、途端に心配になった。
起き上がろうかと室井が思案しているうちに、煙草の香りがきつくなった。
何故だか分からないが、室井が眠るベッドの傍らに青島がいるようだった。
そう感じたら、今度は目を開けるのが躊躇われた。
寝た振りをしていたわけではないのだが、声をかけるタイミングを逃した気がする。
室井がどうかしたものかと悩んでいるうちに、頬に何かが触れた。
暖かいそれは、人の手だ。
つまり青島の手だ。
頭が白くなり、身体が硬直する。
それが功を奏した。
唇に何かが触れた瞬間も、室井は固まったままだった。
すぐに温もりは離れて、少ししてから衣擦れの音が耳に届いた。
青島が布団に戻ったようだ。
室井は相変わらず硬直していた。
目だけ見開く。
そのまましばらく、ただ天井を見上げていた。
「二日酔いですね」
室井が提供してやった味噌汁を一口飲んで、青島がぼやいた。
顔をしかめているから、気持ちが悪いのかも知れない。
「辛かったら、無理に食わなくていいぞ」
室井が言えば、青島は緩く首を振った。
「腹は空いてるんで、大丈夫です」
「なら、いいが」
「飲んだ翌朝の味噌汁って美味いですよね」
美味いと感じられるなら、それほど酷い二日酔いではないのだろう。
それなら、室井もひとまず安心だ。
青島には話したいことがあった。
「飲み過ぎましたね」
昨夜を反省している青島には、室井の思惑に気付く様子もなかった。
「俺、ちゃんと金払いました?」
「払ったも何も、今日は俺の奢りですと言い張って、全額君が払ってくれていたぞ」
「あれ?そうでしたっけ。なら、良かった」
「半分払うぞ」
「や、大丈夫です。たまには俺に奢らせてください」
酔った勢いで財布を開いたのなら可哀想だと思ったが、青島は自分が払ったと聞いて安心しているようだった。
ここでしつこく払うと主張する気にもならず、室井は青島の好意に甘えることにした。
そもそも、室井は今はそれどころではなかった。
ただただ、話しを切り出すタイミングを図っていた。
「青島」
食事が終わり腰をあげようとした青島を呼び止めた。
青島は浮かしかけた腰を戻した。
「なんですか?」
「付き合ってくれないか」
唐突な告白に、青島は怪訝な顔をした。
意味が伝わっていない。
そう思った室井は、言葉を重ねた。
「君が好きなんだ」
今度は目を剥いたから、意味は正確に伝わったようだ。
目を剥き絶句している青島に構わず、室井は繰り返した。
「俺と付き合ってくれないか」
青島はしばらく絶句したままだった。
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