湾岸署に設置されていた特捜本部は、無事に犯人が逮捕されて解散になった。
強行班ではないすみれたちまで、人手不足により会議室の後片付けを手伝わされ煩わしかったが、本部が解散になれば刑事課は通常業務に戻れるから、すみれにとっても喜ばしかった。
あらかた本庁の刑事たちも引き上げ、どこかすっきりした気分で刑事課に戻ろうとしたすみれは、喫煙室の前で足を止めた。
いつぞや目撃したように、喫煙室には青島と室井の姿があった。
あの時と違って、見つめ合っていちゃいちゃしてはいなかった。
だが、どうにも空気がおかしい。
立ったまま向き合ってはいるが、二人とも口を閉ざして会話がない。
(何よこの雰囲気は…)
険悪なわけではないが、妙にどんよりした空気だ。
「ちょっと、青島君またなんかやらかしたの?」
すみれの背後で囁いたのは、同じく通りすがりの袴田だった。
袴田の目には、室井が青島を叱っているように見えたようだ。
確かに、室井は眉間に皺を寄せているし、青島はどこか困った顔をしていた。
だけど、すみれには室井が青島に対して怒っているようには見えなかった。
二人とも目を伏せがちにしており、視線が合っていない。
この二人が揉める時には、睨み合っている印象があった。
それがないせいか、二人から憤りは感じられなかった。
では何故二人で向き合ったまま黙りこんでいるのか。
ただならぬ雰囲気の理由は、袴田には説明できない。
すみれにだって理由は言及できないが、ある種の予感はあるから、袴田に騒がれたくはなかった。
「青島君のことだから、また室井さん困らせてるのかも」
「ええ?それは困るよ、本店怒らせてもいいことないんだから」
「適当に仲裁しておきますから」
すみれが言うと、元より関わり合いになりたくない袴田は、すみれによろしく頼むよと言い残し、そそくさと逃げて言った。
すみれは溜息混じりにそれを見送り、喫煙室に入った。
これ以上、ただならない二人を目撃されるのも面倒である。
「込み入った話なら、余所でしなさいよ」
無遠慮に声をかけたら、二人はハッとしたようにすみれを振り返った。
突然の乱入に二人とも驚いたようだったが、何故か安堵したようにも見えた。
「別に込み入った話なんかしてないよ。ですよねえ?」
「ああ、特には」
「事件解決して良かったですねって、話してただけだよ」
「協力に感謝していただけだ」
「ああ、そうですか」
(分かった分かった何でもいいから私に言い訳しないでいいから)
とも言えないので、すみれは適当に相槌を打った。
それで会話が終わり、二人がまた黙る。
「…では、これで」
室井が踵を返すから、青島は慌ててペコリと頭を下げた。
「あ、あの、お疲れ様でした」
「君たちも」
短く労い、室井は喫煙室を出て行った。
本庁に帰るのであろう。
それを見送り、室井の姿が見えなくなると、すみれは青島を振り返った。
青島はまだ消えた室井の背中を見つめていた。
「ねえ、青島君」
「…ん?」
すみれが呼ぶと、青島は何食わぬ顔で煙草を咥えた。
「室井さんと何かあった?」
火を点けようとしていた青島の手が止まった。
「何かって?」
「知らないわよ、でも何か変よアンタたち」
「変、かな」
「変ていうか…不自然ていうか、落ち着かないっていうか」
もどかしいというかくすぐったいというかなんというか…。
とにかく、なんとなく尻の座りが悪いのだ。
いい加減はっきりしろと言いたいが、すみれが勝手にヤキモキしているだけだからそうとは言い辛かった。
そんなすみれの苛立ちと葛藤に気付いているのかいないのか、青島はすみれに困った目を向けた。
「やっぱり、変だよね?俺たち」
すみれは心の中でガッツポーズをした。
青島がようやく自白する気になったようだ。
これでヤキモキさせられたすみれの苛立ちも納まることだろう。
「何があったのよ、室井さんと」
全て吐いて楽になりなさい、という気持ちをこめて暖かい眼差しを向けると、青島は益々困った顔をした。
「あったって言うほどのことがあったわけじゃないんだけど」
「うんうん」
「でも、何もないとも言えないって言うか」
「うん」
「だからって、大したことじゃないから、深く考えない方がいいような気もするし」
「……」
「でも、やっぱりなんか引っ掛かるっていうか」
「何よもう煮えきらないわね、さっさと吐きなさいよっ」
しどろもどろに同じような言葉を繰り返す往生際の悪さにすみれが怒ると、猫背な青島の背筋がピシリと伸びた。
「抱きしめられたんだけど、どういう意味だと思う?」
青島が早口に言った言葉に、すみれは目を丸くした。
「は?」
「だ、だから…俺が怪我して病院に運ばれた時あったでしょ?あの時に病室で、室井さんに、その、抱きしめられたんだけど…」
気まずいのか気恥ずかしいのか、青島の声はどんどんと小さく濁っていったが、ようやく二人の間に何があったかすみれにも見えてきた。
「病室で、室井さんに?」
「うん、すみれさんが帰った後だったけど」
「抱きしめられたの?」
「う、うん…いや、抱きしめられたってほどじゃないけど、無事で良かったって…」
「良かったって?背中に腕回して?ぎゅーって?」
「いや、あの、うん、そんなにぎゅーってことは、なかったかも、多分、そんなには」
照れているのか困惑しているのか知らないが、青島はこの期に及んで言葉を二転三転させた。
「いや、やっぱり抱きしめられた感じじゃなかったかも、励まされたっていうか、しっかりしろっていう激励だったかも」
すみれは心底呆れた顔で青島を見上げた。
「あの男が激励のために抱き付いたりするわけないでしょ」
時には熱い男だが、そんな体育会系のノリのある男ではない。
「室井さんが意味もなく青島君を抱きしめたりするわけないじゃない」
室井の性格を考えてみれば、簡単に分かることだ。
室井が喜びや安堵を「抱きしめる」という表現で露にしたということは、そこに意味があると考えて当然だった。
それに青島が抱きしめられたことに違和感を覚えたのは、室井の青島に接する態度が上司としての態度とは大分違うと気付いたからに違いない。
それは、先日から続いている二人の間の妙な空気を鑑みれば、想像がついた。
青島は途方に暮れた顔ですみれを見た。
「そうなのかな、やっぱり…」
青島自身、現実逃避していただけで、その考えがなかったわけではないようだ。
そこまで鈍感な男ではなかった。
ひとまず、すみれはそのことに安堵した。
肝心の二人が気持ちを認めない限り、一生先にも後にも進まない。
それだと、すみれも困る。
本来すみれは何一つ関係ないのだが、とにかく困る。
(何で私が青島君と室井さんのことでイライラしないといけないのよ)
腹の中でそう思いつつ、すみれは青島を見上げた。
「そういうことなんだと思うわよ」
「そういうことって…」
「どういうことなんだとか聞いたら殴るわよ」
「……」
青島は苦笑気味に笑って、すみれから顔を背けて煙草に火を点けた。
その横顔が少し寂しそうに見えて、いい加減はっきりしろと叱りつけたい気持ちが萎む。
室井の気持ちが自分にあるかもしれないという事実を、歓迎している雰囲気ではなかった。
では、青島は室井のことが好きではないのか。
そんなふうには、すみれには思えなかった。
室井を好きではないのなら、室井の気持ちに気づかなかったフリをすれば済むことである。
無視もできないくせに喜ぶこともできずにいる、その理由はなんだろうか。
すみれの疑問に気付いたわけでもないのだろうが、青島が重たい口を開いた。
「まずいよね?」
「何がよ」
「男同士だ」
短い理由に、そういえばそうだったと思ったすみれは、随分と二人の恋を応援していたようだ。
同性同士、普通に考えればどう考えても、手放しで喜べる恋ではない。
最初はすみれだって「まさか」と思ったし、「そうでない方がきっといい」と思っていたが、いつの間にやらすっかり見方が変わっていた。
大事な仲間には幸せでいて欲しいと思う気持ちも確かにあるが、それよりなにより青島と室井が一緒に生きるということに違和感がないからかもしれない。
警察を変えようなどと大それた夢を仲良く胸に抱えて生きているくらいだから、そこにもう一つ苦難が加わったところでそれほど問題ではないだろう。
本当はそれなりに問題な気もするが、すみれはそう思っておくことにした。
すみれだって、いつだって自分の味方でいてくれる男の味方でありたかった。
「それが何よ」
すみれがわざとらしく乱暴に言う。
「好きになっちゃったら仕方ないでしょ」
「…簡単に言うなあ」
「簡単なことだもん」
呆れ顔の青島にすみれは自信を持ってはっきりと言った。
「葛藤するのは分かるけど、逃げてもいいことないわよ」
「そうかな…こんなこと認めない方が、室井さんのためになる気がしない?」
青島が認められないのは、自分の気持ちよりも室井の気持ちなのかもしれない。
当たり前に恋をして結婚して幸せな家庭を築く。
それが室井のためだという青島の気持ちは分からなくはないが、それを決めるのは青島でもすみれでもない。
ただ、すみれには一つだけ言えた。
「そうかしらね。でも、好きでもない人と付き合うより、同性でも好きな人と一緒に居る方がずっと有意義だと思うけど」
いつぞや青島が合コンに逃げたことを知っているんだぞと、言外に含めて言ってやれば、青島が苦笑して頭を掻いた。
「ごもっとも」
ジリジリと灰に変わっていく青島の煙草を見つめながら、すみれは肩を竦めた。
「好きになった人が自分を好きになってくれることって、結構凄いことだと思うわよ」
同性にしろ異性にしろ、想いが通じるということは凄い確率だ。
それは、縁だとか運命だとか少々大袈裟な言葉で呼ばれることが多いくらい、特別なことだ。
それなら、例え相手が同性であっても、明るい未来を模索してみるのも悪くないのではないかと思った。
青島は天井に向かって煙を吐き、しばらくそのままの体勢でいたが、視線をすみれに戻した時には笑っていた。
「ありがとう、すみれさん」
明るい笑みは、青島が前向きになっている証拠だ。
「室井さんと、ちゃんと話してみるよ」
青島自身の答えが出たわけではないようだが、室井と話しあってみるのならきっと良い答えが出るだろう。
二人にとって、きっと。
満足げに頷くすみれに、青島は屈託なく笑っていた。
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