自分はもしかして流されやすいんだろうか。
背後に寄り添う室井の寝息を聞きながら、青島は思った。
夕べは結局、室井に導かれるまま二度も果てて、室井も青島の手を同じだけ汚した。
男同士で自慰の延長のような行為だったが、信じられないことに、青島自身は随分と興奮した自覚があった。
正直、ショックだった。
室井と関係したことではなく、室井に反応した自分の身体がショックだった。
流されるように始まったのに、気付けば自ら室井に口付けて、快感を共有したくて夢中で愛撫した。
らしくもなく欲望を露にし、何度もキスをして青島を求めてくる室井は可愛く思えた。
青島は男と寝るような趣味はないはずだったが、いつもとはまるで違う室井に対して間違いなく興奮を覚えていた。
ただ単に久しぶりの行為で箍が外れたというわけではない。
もしかして俺はゲイだったんだろうかと、初めての焦燥に駆られてふと思った。
それこそ、室井はゲイだったのだろうか。
青島とこうできるのだから、そうであってもおかしくはない。
青島と出会う前には、違う男と愛し合っていたのかもしれない。
そう思うと、何故か少し不愉快だった。
青島は男の室井に反応する自身の身体に驚いたものだが、もし室井がゲイであれば室井にとっては不自然な出来事ではないはずだ。
こうして誰かとキスをし、身体を合わせたことがあるのだ。
だからなんだというわけではない。
いい歳なのだから、過去に恋愛があって当然なのだ。
だけど、何かが面白くない。
相手が女性であれば当然のことだと思えるのに、室井と他の男がこうしていたのかと考えると、何故か腹が立った。
嫌悪というよりは嫉妬に近い感情だと気付いて、青島は驚いた。
室井の一番近くにいる男は、自分だと思いこんでいたのかもしれない。
室井を一番理解し、一番共感して、一番近くにいられるのは自分だと、図々しく考えていたのかもしれない。
こうして一線を超えるまで、室井とは頻繁に会っていたわけではなかった。
プライベートを共にする機会は少なかったし、用事がなければ互いに連絡をすることもなく、事件でも起こらないと会うこともない。
それでも室井とは確かに深く繋がっていた。
それは自惚れではないはずだ。
誰よりも理解し合い、信頼し合っていると自負している。
深い繋がりは他人には到底理解されるものではなく、二人だけのものだった。
だが、室井の内側に入った男は、青島以外にもいるのだ。
もちろん警察官の青島とは立場が違い、それは「恋人」として括られるものだろう。
それでも、室井にとって自分以外にも内側にいれた男がいたのだろうと思うと妬けた。
子ども染みた嫉妬と独占欲。
室井にとって、自身が特別な存在であると自惚れていたのだ。
それに気付いて、青島は酷く驚いた。
自分は一体室井のなんであるつもりだったのか。
上司であり、男である室井に、一体何を求めていたのか―。
青島は背後から抱き込むように腹に回された室井の腕にそっと手を置いて触れてみた。
狭いシングルベッドに男二人で寝るのだから、くっつかずには寝られない。
だが眠りに落ちた時にはこの体勢ではなかったから、青島が寝てしまった後に室井が抱き締めてくれたのだろう。
青島は室井の腕を無意味に撫ぜながら、室井の過去の男に嫉妬する理由を考えた。
「…いや、まさか…そんな…ええー…?」
小さな声でぶつぶつと呟き、考える後からその考えを否定する。
青島にとって室井は信頼できる唯一の官僚で、希望を託したただ一人の男だ。
共に歩いて行くと決めた男だ。
何があっても、絶対にと。
それが、まさか、そんな―。
「眠れないのか?」
背後から室井の声がして、ぐるぐると思考を揺らしていた青島は驚いてびくりと小さく震えた。
「あ…すいません、起こしちゃいました?」
「いや、気にしなくていい…」
腕に触れていた青島の手を室井が軽く握った。
恋人にするような甘やかな仕草だった。
顔に血が上る。
なんだかさっきまでの熱い触れ合いよりも気恥かしい。
何故だろうか。
考えるが、思考が追いつかない。
手を握られただけで、どうして息が苦しくなるのか。
これではまるで、室井に恋をしているようだ。
そう思って、青島は思わず室井の手を強く握り返してしまった。
「青島?」
握り返す手の強さに驚いたのか、室井が困惑げに名前を呼んだ。
「室井さん」
動揺がそのまま声に出て裏返ってしまったが、それを気にする余裕が青島にはなかった。
「なんだ?」
「俺のこと、好き?」
少しの間の後、室井も握る手に力を込めた。
「あの日、言ったろ…」
やっぱりあの夜聞いていたのかと思いつつ、青島は確認せずにいられなかった。
「もう一度聞きたいです」
「好きだ」
高ぶることのない静かな声に反応して、胸が熱くなった。
そうか室井さん、俺のこと好きなのか。
そう納得しながらも動揺する青島の肩に、室井は顔を埋めたまま囁いた。
「君が誘ってくれて嬉しかった、俺を受け入れてもらえて嬉しかった」
らしくもなく嬉しそうな声に、青島はとうとう耐えられなくなって、叫んだ。
「室井さんっ、あの、俺…っ」
室井の手を振りほどくようにして振り返った青島は、薄暗がりの中で青島の勢いに驚いている室井と視線を合わせた。
「すいません、俺、その夜のこと」
全く覚えてないんですと声を絞り出して伝えたら、室井が目を剥いた。
それは驚くだろう。
関係した翌朝から室井のキスを拒みもせずに受け入れていたのだから、その青島が大事な一夜を全く覚えていないとは思ってもみなかったはずだ。
「飲み過ぎちゃったみたいで、その、肝心のところが全く…」
しどろもどろになりながら、誘ったこともその後のことも、室井が告白してくれたことさえも、何一つ記憶にないのだと伝えた。
室井はしばし呆然としていたが、ぐっと眉間に皺を寄せると、半身を起した。
「なんでもっと早く言わない」
吐き捨てるような言葉に、胸が痛む。
室井を傷つけたことに痛んだのか、室井に嫌われることが恐くて痛んだのか。
その両方だったのかもしれない。
ベッドから出ようとする室井の腕を、青島は慌てて掴んだ。
「室井さん、待って」
「離してくれ」
拒まれて泣きたい気持ちになったが、自業自得だった。
それでも手を離せずにいると、室井が振り返った。
眉間に皺を寄せていたが、青島を見る目に怒りはなかった。
ただ悲しげで、痛ましかった。
「俺は君に無理を強いたんじゃないのか」
青島は目を丸くして、慌てて首を振った。
室井は青島の意思を無視して事に及んだと後悔しているようだった。
「いやっ、そんなことは」
「しかし、本意じゃなかったんだろ」
「そう、なのかもしれないけど、あの、だって、俺、抵抗なんかしなかったですよね?」
自分で言うのもなんだが、キスも嫌がらなければ、それ以上のことにも抵抗しなかった。
そう考えれば本意ではなかったとも言い切れない。
「てか…嫌じゃなかったんですけど…」
青島は眉を顰め心底困った顔で室井を見つめた。
「俺、室井さんが好きなの?」
室井がまた目を剥いた。
「それを俺に聞くなっ」
怒られて、ですよねー、と思う。
思いはするが、青島自身、室井をどう思っているのか分からなくなっていた。
今まで室井と恋人になりたいと思ったことはないが、キスもセックスも嫌じゃなくて、挙句室井の過去の男が気になったりするというのはどういうわけか。
戸惑っている青島に、室井も戸惑っているようだった。
「お前は…」
呟いて、深い溜め息を吐いた。
青島と向き合って座り直してくれるから、もう引き止める必要はない。
掴んでいた手を離すと、逆にその手を握られた。
握られた掌がどんどん熱くなってくる。
それは掌だけではなく、身体が熱くて息苦しささえ覚えた。
「この間の夜、君は俺を好きだと言ったぞ」
ぶっきらぼうに室井が言った。
室井がそんな嘘を吐くとは思えないから、それは事実なのだろう。
確かに室井のことは好きだった。
大事な人だと思っている。
だけど、そこに恋愛感情があるのかどうかが分からない。
何も言えずにいる青島に、室井がとどめを刺した。
「好きだと言って、キスしてくれたのは君の方だぞ」
「…マジですか」
顔が赤くなった。
青島の記憶がないのをいいことに、室井が勝手にでっち上げている。
そんなふうには考えもしなかった。
そんなことが出来る男ではない。
自分の行動に責任をとれない男ではない。
酔いに任せて無責任にも己の諸行を何もかも忘れている青島とは違うのだ。
「君が酔っ払っていたのは分かっていたが、惚れた相手に好きだと言われて馬乗りになってキスなんかされたら、我慢出来なかった」
自分の諸行が大体明らかになり、青島は悶絶した。
「そ、その節は、どうもご迷惑を…」
赤面し、もごもごと微妙な謝罪を口にした青島に呆れた視線を寄越し、室井はまた深い溜め息を吐いた。
「まさか全く覚えていなかったとは…」
「あははははは…ねえ?」
ぎろりと睨まれて、青島は笑みを引っ込めた。
青島も室井と飲んでいて記憶を無くすほど酔うとは思っていなかった。
酒には強い方で、陽気に酔っ払うことはままあるが、泥酔することは滅多になかった。
では、何故あの晩、記憶が無くなるほど飲んだのか。
落ち着いて思い返せば、原因は分からなくもない。
室井のせいだ。
「あの日、室井さんがきりたんぽ鍋食わせてくれて…俺、凄い嬉しかったんですよね」
青島がぽつりと呟くと、室井が驚いた顔をした。
青島が降格人事を受けた査問委員会の後に、きりたんぽ鍋をご馳走してくれると室井が約束してくれた。
実現することはないだろうとなんとなく思っていたが、あの時の何気ない約束が何故か酷く嬉しくて、ずっと心に残っていた。
それが、何年か経って実現したことも、室井が約束を忘れずにいてくれたのだということも、凄く嬉しかった。
「凄い嬉しくて、バカみたいに楽しくて…ちょっとはしゃぎ過ぎたみたいです」
それで飲み過ぎたのだと苦笑し、青島はまた真顔になった。
ただの口約束で終わって当然の約束が叶って嬉しくて、飲み過ぎて酔い潰れ正体をなくし室井に迫ってキスまでしたのは、それが青島の意思だったからではないだろうか。
心の底に室井を想う気持ちは無かっただろうか。
そうでなければ、今室井と向き合って手を繋ぎ、心臓が痛む理由が見当たらないのではないか―。
不意に室井が青島を抱き寄せた。
ぎこちなく、そっと抱き締められる。
「嫌じゃないか」
室井が躊躇いがちに聞いてくるから、青島は素直に頷いた。
「嫌じゃないです」
背中に回った室井の腕の力が強くなる。
きつく抱き締められ、耳元に吐息がかかってぞくりとした。
「平気か?」
今更な確認作業を、室井は青島のためにしてくれている。
青島に無理を強いていないか、確認しているのだ。
青島は室井の背中を抱いた。
「はい」
「…これは?」
室井の唇が首筋に触れた。
ただ肌に触れただけだが、青島は息を詰めた。
だけど、嫌だからではない。
「大丈夫」
青島がそう答えると室井は顔をあげた。
至近距離で見つめあったのはほんの一瞬で、すぐに距離を詰めたのは室井だけではなかった。
ゆっくりと唇を重ね、静かに離れた。
目の前に室井がいる。
青島は眉尻を下げ半笑いになった。
「どうしよう、室井さん」
「嫌だったか?」
「全然、全く、ちっとも嫌じゃないんだけど」
目を剥いた室井に苦笑いして、青島は胸を押えた。
「なんでか心臓痛いです」
室井はぐっと眉間に深い皺を作ると、青島をきつく抱き締めた。
「そういう感情を、普通は恋というんじゃないのか」
怒っているのか呆れているのか困っているのか、室井の声はどこか投げやりだった。
だけど、抱き締める腕は離すまいと青島を拘束する。
青島は室井の肩に熱くなった顔を隠すように埋め、室井をしっかりと抱き締めた。
「俺も、室井さんが好きみたいです」
大層今更な告白をすると、室井に後頭部を叩かれた。
「いたっ」
「遅い」
「はは…すいません、今更」
「全くだ」
むっつりと言い捨てた室井だが、溜め息混じりにぽつりと呟いた。
「この間の君は、好きだと言って何度もキスしてくれたものだがな」
かあっと頭に血が上り、青島は益々顔をあげられなくなった。
室井の肩に額を押し付ける。
「言わないでくださいよ…てか、あの…俺本当に何したんですか?」
「中々情熱的だったぞ」
「…忘れてください」
何がどうと言われない分、青島には気恥ずかしかった。
室井の手が青島の頬に触れ、顔をあげさせる。
思ったよりも真剣な眼差しを向けられ、青島は目を逸らせなかった。
「忘れるもんか」
そう呟き、室井が唇を重ねてくる。
青島は目を閉じて唇を開いた。
深く唇を合わせ、舌を絡ませながら、青島は実感した。
室井が好きだ。
でなければ、キスがこんなに気持ちがいいはずもないし、引いたばかりの熱がこんなに簡単に戻るはずがない。
男相手なのに―と考えて、青島は目を開いた。
丁度室井が青島を押し倒し見下ろしてくるとこだった。
「あ、あのー、室井さん、一つ聞きたいことが…」
「ん…なんだ…?」
シャツの裾から入ってくる手の感触に吐息を乱しながら、青島は必死に室井を見上げた。
「お、俺には関係ないことだって分かってるし、過去は過去だし、どうでもいいっちゃいいんだけど、やっぱりなんか気になるし、でもそうだったからってどうしたってわけじゃないんですけどでも、やっぱり知りたいし」
一つ聞きたいと言ったわりにやけに長い前置きしか話さない青島を訝しんだか、さすがに室井も手を止め、身体を少し起こした。
「なんだ、一体」
面を食らい、青島の言葉を待つ室井に、青島は口を開けたり閉じたりして、躊躇って躊躇ってようやく疑問を声にした。
「室井さんて、ゲイだったんですか?」
室井が目を剥き、ついで眉間に深い皺を寄せた。
直感で怒らせたと感じ、青島は慌てて言葉を付け足した。
「本当、だからどうだってわけじゃ」
「男なら誰でもいいと思われているということか?」
「ええ?いや、違いますって!そうじゃなくて、俺はただ…」
その先が、どうしても口に出せない。
気恥かしくて仕方がないのだ。
口に出さないものだから本意が伝わるはずもなく、室井は青島を睨むように見下ろした。
「君こそ、酔うたび男に迫ってるんじゃないだろうな」
「はあ?んなわけないじゃないっすかっ」
良く考えたら疑われても仕方がないことだったが、そんなことは考えたこともなかった青島は冗談じゃないと膨れっ面になった。
そんな青島をじっと見下ろし、室井はむっつりと言い放った。
「腕」
「はい?」
「万歳」
訳が分からないのに、言われるがまま素直に万歳すると、室井が青島のシャツを引っ張って脱がした。
室井の前で肌を晒していると気付き、青島の膨れっ面が崩れる。
頬に熱が上るのが分かり、身の置き場に困る。
その頬に、室井がそっと手で触れた。
仏頂面のままなのに、触れる手は優しかった。
「お前じゃなかったら、誰がこんなこと」
言い捨てられた言葉は、口調に反して甘い。
そして、青島が無意識に望んだ言葉だった。
青島だけ。
室井にとって愛した男は青島だけ。
それは青島の望んだ事実だった。
「…君は違うのか」
眉を寄せて問う室井が望む言葉がなにか、気付けない青島ではない。
青島と同じである。
室井は欲しい言葉をくれたというのに、気恥かしいという理由で黙っているわけにはいかない。
「俺も一緒ですよ…室井さんと、一緒」
青島は小さく笑って室井の首に腕を回した。
肩に顔を埋めて、せめて表情だけ隠して。
「すいません、ちょっと妬きました」
それ以上細かい説明はできなかったが、室井は青島の言いたいことを察してくれたようだった。
「君だけだ」
もう一度耳に届いた声は優しかった。
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