■ 同じ未来に(中編)


重苦しい会議から解放された室井は、会議室を出るとすぐに携帯電話を取り出した。
会議中に受診していたメールは、青島からのものだった。
今夜会えたら会おうという約束をしていた。
その件だろうと思ってメールを開いたら、仕事が終わったら自宅に来ないかという誘いだった。
室井は了解の旨をメールし、携帯電話をしまった。
それと同時漏れた無意識の溜息に気付いて、眉間に皺を寄せる。
恋人の誘いに若干とはいえ不満を抱いた自身を恥じた。

青島の自宅に行くことが嫌なわけではない。
それこそ、広島にいる時にはどれほど行きたいと願った場所か分からない。
青島の居る部屋である。
今だって、行けるものなら毎日でも行きたいと思う。
だが、素直にその誘いを喜べないのは、青島と青島の部屋でしか会えていないことが原因だった。
室井が東京に戻ってから一月くらい経つが、その間青島は一度も室井の部屋に来ていない。
青島の性格からして、室井が新しく越した部屋に一度も来たがらないのは不自然なような気がした。
新居がどんなところか見たがる気がするし、官舎と違って遊びに来るたび他人の目を気にする必要もない。
東京で官舎住まいをしていた時だって時々は遊びに来てくれていたというのに、何故か再会してからの青島は室井の自宅に来たがらなかった。
一度だけ室井から誘ってみたが、その時は都合が悪いと断られた。
それが本当だったのか嘘だったのか分からない。
青島のことを疑うつもりはなかったが、青島が意図的に室井の部屋に来ようとしていないようにも感じられた。
青島が会いたいと言ってくれる時は、必ず青島の自宅に招かれていたからだ。
同居を持ち掛けたせいだろうか。
そう思うと暗い気持ちになった。
恐らく青島も、室井が青島と同居したいがために官舎に入居しなかったのだということを理解しているだろう。
青島と暮らすために室井が借りた部屋。
そこに足を踏み入れることを躊躇しているのかもしれない。
だとしたら切ないが、デートをすることは拒まれていないし、青島から会いたがってもくれることが救いだった。
離れていた距離を埋めるように、時間の許す限りの逢瀬を重ねている日々だった。
それなのに不満があると言ったら、贅沢過ぎるだろうか。
だが、室井は自宅に来ようとしない青島のことが、どうしても気になっていた。


「…で、またすみれさんに飯奢らされましたよ」
夕飯を食べながら溜息交じりに呟く青島に、室井は苦笑した。
珍しく早く帰れたと言って、青島が夕飯を用意して待っていてくれた。
有り難く頂きながら、湾岸署での出来事を聞いていると、本当に東京に帰って来たのだなと実感する。
「彼女も相変わらずだな」
「ええ…いや、パワーアップしてるかも?」
今度会う機会があったら室井さんも苛められないように気を付けてくださいね、と釘を刺される。
警察官僚が所轄刑事に苛められるというのも不思議な話だが、すみれなら分からないでもなかった。
室井が官僚であることなど、すみれにとって大した問題ではないだろう。
東京に戻った室井だが、今は事件と離れた仕事をしているから、湾岸所を訪れる機会もなくすみれに会う機会もなかった。
「皆元気なようで、何よりだ」
室井がしみじみと言うと、青島が微笑んだ。
「室井さんが戻って来たことを知って、おめでとうございますって言ってましたよ」
二人が恋人同士であるとは思ってもいないだろうが、青島と室井の間にプライベートでも交流があることをすみれたちも知っていた。
プライベートで全く付き合いがないことにしておいて隠れてコソコソ会うよりは自然だからと、青島はすみれたちには当たり障りのない範囲で室井と会っていることを告げてあると言っていた。
確かに、もしどこかで誰かに二人でいるところを目撃されても、日頃から交流があると知っていれば驚かれもしない。
外でキスしたり抱き合ったりするわけではないのだから、他人から見れば気が合う者同士で食事にでも出かけているようにしか見えないだろう。
室井と青島はそんなふうに世間を誤魔化している関係だ。
同居に青島が喜んで頷かないのも当然なのかもしれない。
他言できない関係と理解しながら、それが理由で一緒に暮らすこともままならないのかと思うと、切なかった。
「室井さん?」
黙ってしまった室井に、青島が不思議そうな視線を寄越した。
室井は何でもないと首を振りつつ、よろしく伝えてくれと応えた。
「栄転祝いを『だるま』でするから来てください、とも言ってましたよ」
「…くれぐれも、気持ちだけで十分だと伝えてくれ」
騒々しい湾岸署の連中の姿を思い出し若干げんなりした室井に、青島は弾かれたように笑った。
「本当にやりかねない勢いでしたよ」
「勘弁してくれ」
「一応、室井さんも忙しいから無理だと思うよ、とは言ってありますけどね」
彼らを嫌いではないし、自分の警察庁への異動を喜んでくれているという気持ちは嬉しく思うが、社交性に欠ける室井には自分が主賓の宴会など開かれても対処に困る。
それを分かっているから、青島は回避しようとしてくれたようだった。
「室井さん、愛されてますね」
室井は眉間に皺を寄せたが、からかわれているわけではないことが分かるので、文句は言わなかった。
青島は自分のことのように、嬉しそうに笑っていた。


終電に間に合うように腰を上げると、青島は玄関までに見送りに来てくれた。
「本当に帰っちゃうんですか?」
出来ることなら室井ももう少し一緒にいたかったし泊まって行きたかったが、明日は出張のため朝が早かった。
それを告げると、青島は少し申し訳なさそうな顔を見せた。
「そうだったんですか?なんだ…それなら、先に言ってくれたら良かったのに」
先に言ったら、どうしてくれたのだろうか。
青島が室井の部屋に来てくれたのだろうか。
それとも、今夜は会えず仕舞いだったのだろうか。
ふとそんなことを考えてしまった。
「気にしないでくれ」
「でも、忙しかったんなら、無理しなくても」
「会いたかったから来ただけだ、だから気にしないでくれ」
室井がはっきりと言うと、青島は目を瞠り、一瞬戸惑った顔をしたが、曖昧な笑みを浮かべた。
「そりゃあ、俺だって会いたかったから誘ったんですけど…」
青島も、会いたいと、一緒に居たいと思ってくれている。
だが、それは室井の気持ちと全く同じには重ならない。
違う人間なのだからそれで当然だが、一緒に暮らしたいと願っている分、室井には辛かった。
「俺はもっと一緒にいたいと思ってる」
室井が静かに言うと、青島は視線を泳がせた。
困った顔は同居の話を持ち出した時と同じで、彼の中で答えが出ていないことが窺えた。
催促するような真似はしたくなかった。
青島に対する気遣いというよりも、今度こそNOと言われることが恐かっただけだ。
だけど、言葉にしなければ、相手に何も伝わらない。
「出来ることなら、毎日顔を見て生活したい。もう離れて暮らしたくない」
前は耐えられたはずのこの距離が今は耐えられなかった。
また今度、といつになるのか分からない約束を交わすことが苦痛だった。
それよりも、「おはよう」や「おやすみ」というありきたりな挨拶を交わせる毎日が欲しかった。
当たり前に、隣に居て欲しかった。
それを告げると、青島はどこか呆けたように室井の言葉を聞いていた。
「青島」
名を呼ぶとピクリと反応し、室井を見つめてくる。
視線を合わせ、答えを求めた。
「同じ生活を送ることは、考えられないか?」
少しの間の後、青島は重そうな口を開いた。
「…現実的じゃないです」
「一緒に暮らすことがか?」
「嫌なわけじゃない、俺だって一緒に暮らしたいって思ったことくらいありますよ」
憂鬱そうに響く低い声音ではあったが、青島の本音は室井を喜ばせた。
だが、それは了承の返事ではない。
「でも、俺と室井さんが一緒に暮らすのは不自然だ」
男同士の同居が必ずしも世間的に見て不自然なわけではない。
ルームシェアをしている男性も世の中にはいるだろう。
だが、室井と青島が一緒に暮らすのは、傍から見ればやっぱり不自然だった。
傍からみれば、二人の関係はただの警察官僚と一所轄刑事に過ぎない。
「本庁や警察庁にバレて困るようなことは、出来るだけしたくないです」
青島も室井をいい大人で、分別もある。
好きという気持ちだけでどうにかなると思っているわけではない。
室井は誰に知られたところで青島と別れるつもりはさらさらなかったが、誰にも知られない方がいい関係であることは十分理解していた。
知られれば、仕事に支障が出ることも、人間関係にひびが入ることもあるだろう。
その結果として、青島との間に溝が出来るようなことがないとも言えない。
であれば、わざわざ更なるリスクを犯すこともなく、今のままの関係を続ける方がきっと賢いのだ。
会いたい時にいつでも会えるわけではないが、二人が努力をすれば会うことができるし、心も身体も重ねていける。
今に不満があるわけではなかった。
ただ、今よりもっとと願っているだけだ。
室井は諦めるつもりはなかった。
「それでも、一緒に暮らしたい」
青島が眉をひそめてしまうから、困らせているなと思う。
だが、困っていてくれているうちは、まだ考える余地があるということだ。
「終電がなくなってしまうから、今日はこれで失礼する」
「室井さん…」
「なんだ?」
声をかけたが、青島は何も言わない。
帰ろうとした室井を、ただ引き止めただけだった。
途方に暮れたような顔をしている青島に、室井も後ろ髪を引かれる思いだった。
想いのまま、青島に近づき軽く唇を合わせる。
触れるだけで離れると、小さく囁いた。
「本当は朝まで一緒にいたかった」
青島が言葉を発する前に、室井は「ではまた」と言って玄関を出た。










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2011.11.26





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