■ 同じ未来に(後編)
居酒屋を出たところで酔っ払った湾岸署の面々に万歳三唱で見送られ、室井はこれ以上ないくらい渋面になった。
いくら繁華街で周囲にも似たような酔っ払いしかいないとはいえ、目立つことは避けたい。
室井の心の声が聞こえるのか、青島が両手を叩いて、万歳三唱を止めた。
「はいはい、室井さんも困ってるでしょ。今日はこれまでね」
青島に言われ、不承不承といった感じではあれど、拍手が止む。
なんだかんだ言いつつ、青島は刑事課のまとめ役みたいな立場にいる。
問題を起こすこともしばしばだが、湾岸署が一致団結する時にその中心にいるのはいつも青島だった。
頼りにされているのが分かる。
その青島がタクシーに促してくれるから、室井は万歳三唱を止めた彼らにきっちりと礼を述べてからタクシーに乗り込んだ。
「じゃあ、室井さん送って帰るから」
次いで、青島も乗り込んでくる。
ドアが閉まると、再び始まった万歳三唱に、室井は眉間の皺を深くした。
青島は笑いながら、運転手にとりあえず出してください、と告げた。
いつまでもここにいては、万歳三唱が鳴りやまない。
青島を介してお断りしたはずの、湾岸署刑事課主催の室井の栄転祝いと称した宴会の帰りだった。
青島にもし少しでも時間があればと遠慮がちに誘われたのは今日の夕方だった。
所轄が忙しいのはいつものことで、一か月前から予定していたところで当日宴会が中止になることなどしょっちゅうだと青島から聞いていた。
だから、飲み会の予定等は、大抵当日決まるらしい。
曲がりなりにも室井のお祝いだというのに主賓の都合も聞かず宴会の日程を決めるのはいかがなものかと思うが、恐らく室井が来ても来なくても彼らにはあまり関係がないのだ。
少なからずお祝いの気持ちがあるからわざわざ室井に声をかけてくれているのだろうが、彼らの好きなお祭り騒ぎにただ巻き込まれただけである。
室井も特に気にしていない。
本当に時間があったから参加してみようかという気になったのだし、何より青島から連絡があったことが嬉しかった。
最後に会った時には、少し気まずい別れ方をした。
会う切欠が出来たことが単純に嬉しかった。
仕事帰りに少しだけと思って顔を出せば、盛大に酔っ払った馴染みの面々に「おかえりなさい」だとか「待ってました」などと声をかけられ、その想定された騒々しさには辟易したものの、寄せられた好意自体はありがたいものだと思ったし、励みにもなった。
「すみません、うるさかったでしょ」
運転手に自宅の住所を告げた青島が謝ってくる。
「宴会とはそういうものだろう、気にするな」
「そう言ってもらえるとありがたいんですけどね」
「こちらこそ、気持ちはありがたいと思ってる」
青島がちらりと室井を見た。
「声掛けたの俺だから。しんどい思いさせてたら嫌だなーと」
「ある程度の騒々しさは覚悟の上だったから、そうでもない」
しんどくなかったとも言い切れない当たり、室井は素直だった。
だが、不愉快に思っていないことも事実である。
それは伝わっているのか、青島は嬉しそうに笑って頷いた。
「うちの連中がどんな連中かは、室井さんも良く知ってるもんね」
湾岸所との付き合いは随分と古い。
青島からも時折話しを聞いているから、メンバーが多少入れ替わってはいるものの、室井にとっては知らない連中ではなかった。
「とにかく、お疲れ様でした」
ぺこりと頭を下げられて、なんとなくつられて室井も頭を下げる。
その仕草が可笑しかったのか、青島はまた笑った。
青島の機嫌が良さそうに見えるのは、酒のせいだろうか。
それでも、気まずい空気がないことに安心した。
「あ、俺の家に行くことにしちゃいましたけど、大丈夫ですか?」
思い出したように青島が言った。
タクシーは青島の自宅に向けて走っていた。
青島が勝手に決めたことではあるが、別に青島の自宅に行くこと自体は構わなかった。
だけど、選べるなら、青島と行きたい場所がある。
「俺の家に来ないか」
つい口をついた誘い文句に、青島は少し驚いた顔をした。
すぐに返事が返ってこないことに、青島の躊躇を感じる。
室井は視線を落とした。
「嫌なら、いい」
言ってしまってから、しまったと思った。
冷たい口調になってしまった気がした。
勝手に誘い、応じてもらえなかったからといって、青島に当たるのはお門違いだ。
自宅に連れて行きたいと思うのは、一方的な室井の都合に過ぎない。
「本当にいいんだ」
落とした視線を青島に戻し言い直すと、青島は困ったような笑みを見せた。
そして、少し身を乗り出し、運転手に声をかける。
「すいません、行き先変更します」
目を剥いた室井を振り返り、青島が「住所教えてください」と言った。
自分で言い出したことだが、受け入れられるとそれはそれで落ち着かない。
同居のことも含め、無理強いしたいわけではなかった。
「いいのか?」
つい聞き返すが、青島は何も言わずにただ肩を竦めて見せただけだった。
顔を見る限り特別迷惑そうでも、仕方なくというふうでもない。
青島の心境は良く分からなかったが、青島は行ってもいいと言ってくれているのだ。
そう解釈し、室井は運転手に住所を告げた。
玄関に入ると、青島は物珍しそうに視線を彷徨わせた。
「なんか…新しい家の匂いがしますね」
「新築なんだそうだ」
辞令が出て物件を探した頃に丁度完成したマンションで、運良く入居することが出来た。
「上がってくれ」
室井が促すと、青島は「お邪魔しまーす」と遠慮がちに呟き靴を脱いだ。
青島をリビングに通すと、ここでもキョロキョロと辺りを見回している。
落ち着かない様子だったが、初めて来たのだからその反応も当たり前かもしれない。
「リビング広いっすね。家具は前の家と変わらないんだ…あ、ベランダがある」
独り言のように呟いている青島に苦笑し、室井はスーツを脱いだ。
「適当にしていてくれ、コーヒーでも淹れてくる」
礼を寄越す青島を残して、室井はキッチンに向かった。
ドリップ式のコーヒーを落としながら、室井は少しホッとしていた。
一緒に住むために借りた部屋だとは、青島には伝えていなかった。
だが、きっと青島は知っている。
官舎に入らなかった理由が青島と暮らしたいからだと気付けば、この部屋の意味も分かるだろう。
だからこそ、青島はここに来たがらなかったのだ。
それを室井も分かっていたから、この部屋にいて特に気まずそうでも不愉快そうでもない青島にいくらか安心した。
二人分のコーヒーを手にリビングに戻ろうとしたが、ふと気付けば青島の姿はリビングになかった。
「青島…?」
まさか帰ってしまったのだろうか。
一瞬そう思ったが、青島が勝手に帰ってしまうとは思えない。
見れば廊下に繋がるドアが開いていた。
室井はテーブルにマグカップを置き、廊下に出た。
青島はすぐに見つかった。
二つある部屋のドアの一つを開けて、戸口に突っ立っていた。
室井が背後に立つと、青島は振り返りもせずに呟いた。
「ここって、俺の部屋?」
家具が何一つ置かれていない、カーテンすら掛かっていない部屋。
室井の自宅で使用していない部屋はここだけだった。
「そうだ」
室井が答えると、青島が小さく溜め息を吐いた。
「…だから、来たくなかったんだよ」
そっと吐き出された言葉に、室井は息を詰めた。
青島の意思を無視して室井が勝手に用意した部屋だ。
青島が喜ばない可能性ももちろん考えていたが、目の当たりにするとやっぱりショックだった。
室井が何も言えずにいると、青島が肩越しに振り返った。
その目が笑っていて驚く。
「こんなの見ちゃったら、益々一緒に暮らしたくなるじゃない」
言われた言葉に更に驚いた。
目を剥いている室井に構わず、青島はまた薄暗い部屋の中を眺めた。
「だから、来たくなかったんだけどな…」
どこか切なげに吐き出された言葉には、今度は胸も痛まない。
青島は室井の部屋に来たくなかったわけではない。
室井の生活に自分のためのスペースがあることを知るのが、嫌だっただけなのだ。
室井は青島を背中から抱き締めた。
「一緒に暮らそう、青島」
すぐに返事は無かったが、前に回した室井の手に青島の手が重なった。
部屋を眺めている青島が口を開くのを、室井は黙ってただ待った。
しばらくして、青島がまた小さく息を吐く。
「俺も室井さんも、カミングアウトなんかできないでしょ?」
青島はやっぱり誰かに二人の関係を知られることを恐れているようだった。
室井も悪戯にカミングアウトするつもりはなかった。
青島さえいれば他には何もいらない、そんなふうには決して思えなかった。
室井には警察官としてやらなければならないことがある。
青島にも、もちろんある。
どうしても夢を諦められないから、相手のためだけには生きられない。
だけど、夢のために、心を犠牲にするつもりもない。
青島に出会う前にはそんなことを考えたことはなかった。
本庁で少しでも早く昇進するために色んなことを犠牲にしてきた。
納得のいかない捜査には納得した振りで、理不尽にも随分目を瞑っていた。
心がすり減り、痛みを痛みとして認識できない毎日。
何のために上に行くのかも忘れてしまい、何が正しくて間違えているのかすら分からなくなっていた室井の目を覚ましたのが青島だった。
青島は室井にとって、警察官としての自分のあるべき姿を思い出させてくれた男であり、口にしたことはないが生涯最後と心に決めている唯一無二の恋人だった。
今の室井の世界を作っているのは間違いなく青島であり、どんな形であっても彼を失うことは考えられなかった。
「公言するつもりはないが、例え誰に知られたとしても君と別れるつもりもない」
気持ちが伝わればいいという思いを込めて、抱き締める腕に力を込める。
「そんなの、俺だって、できるなら…」
らしくもなく言い淀み、濁される言葉に、青島の葛藤を感じた。
出来ることなら、青島だって室井とずっと別れたくないのだ。
ずっと一緒にいたいからこそ、青島は同居を躊躇っている。
結局は同じことを願っているのだと思うと、嬉しさがこみ上げてくる。
だが、喜ぶのはまだ早い。
青島に頷いてもらえていない。
「男同士の同居がありえないわけではないだろう」
「それはそうかもしれないけど…」
「同居しているからといって、恋人同士とも限らない」
「だけど、俺と室井さんが一緒に暮らしてるのは、やっぱりおかしいでしょ」
「おかしくても、俺たちが言い張れば、それが事実だ」
開き直って言ったら、青島が小さく笑った。
「…なんか、ちょっと、昔のこと思い出した」
「昔?」
「安西追っかけてた時のこと…」
和久の後輩だった刑事を殺害し、真下に大怪我を負わせた男を逮捕する際、室井は青島と揃って現場に出た。
あの時のことは全く後悔していないが、今思えば確かに暴走してしまった感がある。
安西を待ち伏せたなんとかというバーを警視庁で買い取るとまで言ってしまった。
結局は捜査協力してもらうということで落ち着いたが、あの時は使える権力は何でも使ってでも安西を確保しようと思っていたのだ。
「いざって時、ちょっと強引なの、変わんないっすね」
青島が少し室井に背中を預けるように体重をかけてきた。
甘えるような仕草だと感じて堪らなくなり、青島の肩に額を押しつけた。
今が、室井のいざという時だ。
室井が願っているのは、青島にずっと一緒にいてほしいということだ。
つまり室井にとってはプロポーズと同じことである。
今頑張らずに、どこで頑張るというのか。
「また一緒に査問委員会を受けてくれ」
「ええ?」
「今度は俺が上手に嘘を吐いてみせるから」
あの時、室井を罵ることで、青島は室井の立場を守ってくれた。
その時がきたら、室井がどんな手を使ってでも、青島を守ってみせる。
そのためなら、下手な嘘も言い訳も吐き通せる自信があった。
「…室井さんに凄いこと誓わせちゃったな」
俯いた青島が、強く室井の手を掴んだ。
痛いくらい掴まれた手が振りほどかれて、青島がくるりと身体の向きを変えた。
俯いたまますぐに抱きついてくるから表情は見えなかった。
抱き返すと、耳元に微かに震えた声が届く。
「期待、してますからね」
室井さんの嘘に、と囁かれて、室井は目を剥いた。
「青島、それは…」
むくりと顔を上げた青島は嬉しそうに笑っていたが、少しだけ目が潤んで見えた。
「一緒に暮らそう、室井さん」
室井は言葉もなく力いっぱい青島を抱きしめた。
何か言わなければと思うのに、言葉が出てこない。
ずっと聞きたかった言葉を、やっと聞けた。
感動しているのか興奮しているのか自分でもはっきりと分からない乱れた感情に、思考がついていかない。
せめてありがとうと伝えたかったが、それすらままならなかった。
「ごめんね、室井さん」
不意に青島が謝る。
「俺の居場所を作って待っててくれたのに、一人にしてごめん」
何もないこの部屋は、引っ越してきた初日にドアを開けて以来、一度も開けていなかった。
青島の姿をどうしても探してしまうからだ。
ここにいる彼を想像して虚しくなるからだ。
本当は、二人で住むためのこの家に、一人で帰るのが寂しくて堪らない夜もあった。
それを青島は感じとってくれたのだろう。
「…俺が勝手にしたことだ」
青島を抱きしめたまま、顔もあげられないまま、それだけ伝える。
髪に柔らかく触れたものは、青島の手だった。
「それでも嬉しいですよ」
室井がただ青島と一緒に暮らしたくて用意した部屋を、青島は嬉しいと言ってくれている。
その言葉が室井には凄く嬉しかった。
「待っててくれてありがとう、室井さん」
「礼など…こちらの台詞だ」
室井はようやく顔をあげると、青島を真摯に見つめた。
「決心してくれて、ありがとう」
室井が同居したかった理由と同じで、青島が室井とずっと一緒にいたかったから同居を躊躇っていたのだとしたら、きっとかなりの決心をさせたことになる。
後悔だけは絶対にさせない。
それを胸中で誓った室井に気付くこともなく、青島は照れたように笑った。
「10年後も、一緒にいたいっすね」
今度は言葉にして誓った。
「20年後も30年後も一緒にいるぞ」
青島が「死んでなかったらね」と笑った。
END
2011.11.26
あとがき
室井さんの苦悩っぷりが足らなかったかもしれませんが、
書き切れていない部分でお辛かったんじゃないでしょうか…(おい)
青島君の部屋があるのに本人不在で、一人で家にいるのは凄く寂しい気がします。
ところで、広島から警察庁に異動になった室井さんは
「栄転」扱いでいいんですよね…?
このお話はこれにて終了です。
リクエストありがとうございましたー!
室井さんの苦悩っぷりが足らなかったらすみませんっ(笑)
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