■ 同じ未来に(前編)


久しぶりに訪れた青島の部屋の前。
室井はポケットに落としていた合い鍵を使うことはせず、インターホンを押した。
中からバタバタとした足音が聞こえてくる。
何かがぶつかるような大きな音がして、ついで小さな悲鳴まで聞こえてくるから、室井は眉を顰めた。
一瞬静かになり、少しの間の後ドアが開いて脛を押さえた青島が現れたから、広島から帰ってきたばかりの室井の第一声は思わぬ一言になった。
「大丈夫か?」
青島が涙目なのは、室井との再会を喜んでということではなさそうだった。
「だ、大丈夫です、ちょっとそこでコケちゃって」
苦笑する青島に、室井もつられる。
「相変わらずだな…」
「それってどういう意味っすか」
もちろん「相変わらず落ち着きがない」という意味だったが、再会早々わざわざ伝える言葉でもない。
唇を尖らせている青島の機嫌をこれ以上損ねるのも本意ではなかった。
だから、室井は一番言いたかった言葉を口にすることにした。
「ただいま」
青島は脛を摩ったままの態勢で室井を見上げた。
じっと見つめて、一度視線を落とすと、曲げていた腰を戻した。
室井よりも少し高い位置にある青島の顔がふっと綻ぶ。
「おかえりなさい」
青島の笑顔と、招かれるように大きく開かれたドアに、帰って来たことを実感した。


異動の辞令に合わせて、室井は東京に帰って来ていた。
まっすぐ青島の自宅にやって来たのは、荷受けが明日のため自身の自宅にはベッドどころか家具が一切ないからという理由もあったが、何より青島に会いたかったからだ。
広島に行っている間に全く会わなかったわけではないが、室井も青島も仕事が忙しく、数えるほどしか行き来が出来なかった。
青島に会うのは実に3カ月ぶりだった。
「迎えに行けなくてすみませんでした」
ソファに並んで座り缶ビールで乾杯した後に、青島が言った。
本当は空港まで迎えに来てくれることになっていたが、残業で来られなくなってしまったのだ。
聞けば、青島が帰宅したのも、室井が来る少し前とのことだった。
「気にしなくていい、君の部屋なら通い慣れてる」
青島はちょっと笑うと、頷くような仕草を見せた。
「室井さん、家は?前と同じ官舎ですか?」
新しい入居先については、青島にまだ話していなかった。
故意に避けていたわけではないが、なんとなく話し辛くて言い出せていなかった。
「いや、マンションを借りた」
「あれ?そうなんですか?」
意外そうにしているから、官舎に入居するものだと思っていたのだろう。
「自宅にいてまで官僚に囲まれて生活するのも、いい加減窮屈だからな」
「ああ…なるほど。そりゃあ、俺でもごめんだな」
青島が同意してクスクス笑っている。
青島に言った理由は嘘ではないが、それだけが理由でもなかった。
今夜はその話をするつもりだった。
だが、切り出すのには少しの勇気がいる。
室井が言い淀んでいるうちに、青島が話を変えた。
「どうですか?久しぶりの東京は」
「帰ってきたばかりだぞ」
「それもそうか」
「だが、ここに来ると、帰って来たという気がするな」
正確に言うと、青島に会ってそう感じたのかもしれないが、久しぶりに見る見慣れた街並みよりも、青島の部屋に居る方がずっと帰って来たと実感できた。
青島は少し照れくさそうにビールの缶を弄んでいたが、真面目な顔で室井を見た。
「お疲れ様でした」
その目にはずっと室井が東京に帰ってくるのを待っていてくれた青島の喜びと労わりが見えた。
信じているからと言って室井を笑って送り出してくれた青島は、一度は警察組織と戦うことを諦めた室井のことを、それでも諦めないでいてくれた。
決して青島のためだけに上を目指しているわけではないが、青島がいるから今も諦めずにいられていることだけは確かだ。
青島は間違いなく、室井が警察官であり続ける理由の一つだった。
「いや…これからだ」
決意も新たに室井が呟くと、青島は一瞬目を瞠り、すぐに破顔した。
「そうでしたね」
嬉しそうに笑いながら、青島は缶ビールをテーブルに置くと、室井の顔を覗き込むように顔を寄せてきた。
室井はその時をただ待たずに、自らも顔を寄せ迎えに行った。
軽く触れた唇は少し冷たかったが、何度か重ねているうちに温度が分からなくなった。
「室井さん…」
キスの合間に名前を呼ばれて視線を合わせれば、少し困ったような目で見つめ返された。
「ええと…疲れてます?」
その質問の意図は、こういうことに鋭いとは言えない室井にもすぐに分かった。
室井の身体に久しぶりの期待が走る。
それに逆らうようなことはせず、室井は「全く」と応えた。
嬉しそうに微笑んだ青島が、室井の頬を両手で包み本格的に唇を合わせて来た。
室井は腕を伸ばして缶ビールをテーブルに置き、片手で青島の腰を抱いた。
唇を開き青島の舌を誘いいれながら、圧し掛かってこようとする青島の身体を逆にソファに押し倒した。
見上げてくる青島の瞳も唇も濡れていて、ぞくりとする。
誘われるまま唇を重ねようとして、室井はふと話そうと思っていたことがあることを思い出した。
今更ではあったが、大事な話だった。
「青島」
名を呼ぶと、青島が焦れたように室井を引き寄せた。
「なんですか?」
ちゅっと軽くキスをされ、もどかしげに首や背中を撫ぜられる。
「いや…」
熱い掌を感じては、どうしたって思考が乱れる。
話したいことは大事なことではあれど単純な内容だったが、言葉が思うように口から出てこない。
働かない頭の代わりに、身体だけがどんどん熱くなり、忙しなく活動を始めている。
室井の首筋に吸いついた青島が不思議そうな眼を向けてくるから、室井は話しを諦めて久しぶりの欲望に忠実になり青島のシャツのボタンに手をかけた。
「ん…どうしたの?室井さん…」
「なんでもない」
「本当に?」
「今はいいんだ」
大事な話がしたかったが、目の前の青島に夢中になることも室井にとっては大事なことだ。
言葉もなく唇を重ね深く求めると、青島の両腕が首に回された。
もう青島の口から疑問の声は上がらなかった。


バスルームから出て来た青島は、ベッドに腰をかけて待っていた室井に小さく笑った。
「先に寝ててくれて良かったのに」
青島よりも先にシャワーを使わせてもらった室井だったが、律儀に青島がバスルームから出て来るのを待っていた。
移動疲れを心配してか先に寝ていていいとは言われていたが、眠気は差さないし、まだ寝るわけにもいかなかった。
「青島、少し話があるんだが、いいか?」
青島こそ疲れて眠いのではないだろうかと思ったが、室井の微かな緊張を感じ取ってか、青島は明日にしてくれとは言わなかった。
室井の隣に腰をおろし、覗きこむように室井の顔を見る。
「さっきも何か言いたそうでしたね、なんです?」
事の始まる前のことを思い出したのか、青島は真面目な顔で室井を見ていた。
室井は黙って青島の肩にかかっていたバスタオルを手に取った。
それで青島の濡れた髪を拭く。
「ちゃんと乾かせと、いつも言ってるだろう」
「ドライヤーって面倒なんですよ」
「風邪をひいたらもっと面倒なことになるぞ」
「大丈夫ですって、俺あんまり風邪引かないし……って、室井さん」
そんなことを話したかったのかと言わんばかりの怪訝そうな青島の視線にさらされ、室井はようやく青島のバスタオルから手を離した。
真っ直ぐに青島を見つめる。
青島が緊張したのが、室井にも伝わった。
その理由が室井の顔が恐かったからだとは気付かなかったが。
「青島」
「はい」
「一緒に暮さないか?」
青島は何を言われたのか理解できないというふうに呆然としていたが、
「一緒に暮らしたい」
室井が言葉を重ねると、ようやく理解したようで、目を見開いた。
室井は見開かれた目から視線を逸らさなかった。
「嫌か?」
「い、嫌ってわけじゃないけど…」
呟いた青島が、困惑したように視線を揺らした。
そのまま逸らされた瞳に、室井は良い返事が返ってはこないことを悟った。
少なからずショックではあったが、こうなる可能性を全く考えていなかったわけではない。
確率で言えば二分の一だったし、そもそも青島の性格からして喜んで頷いてくれる可能性の方が低かった。
そう思いながらも、室井は言いださずにはいられなかった。

広島にいた数年間で、離れて暮らす苦痛は十分に味わった。
会いたい時にはまず会えず、時によっては電話で話すこともままならなかった。
広島県警での室井の活躍は、早々の警察庁への異動からも伺えるように目覚ましいものがあった。
それだけ精力的に働いたということだった。
もちろん、その間、青島だって暇なわけがない。
湾岸署が暇だったことなど、室井が知る限りなかった。
常に会いたいとは思っていたが、そんな理由で仕事の手を緩められる二人ではない。
互いに忙しい毎日を過ごし、少しの時間で距離や時間を埋める努力をして過ごした数年間だった。
夜中に掛けられない携帯電話を見つめて過ごした夜もあったし、留守番電話に残された短いメッセージに胸を締め付けられた夜もあった。
そんな夜を何度も繰り返しているうちに、離れて暮らすことに限界を感じるようになっていた。
だからといって、青島を広島に呼ぶことはできなかった。
警察官をやめて欲しいと思ったことは一度もなかった。
どんなに会えない日が続いても、声すら聞けない毎日でも、そんなことは望んだことはない。
もし仮に室井が望んだとしても、青島が警察官を辞めるわけがなかった。
むしろ、そんなことを言い出せば、室井が振られて仕舞いだろう。
室井の愛した人はそういう人だ。
だからこそ、室井は東京に戻ったら、という思いでいたのだ。
戻ったら、青島に同居を持ちかけようと心に決めていた。
東京にいたって、二人とも仕事優先の生活は変わらないし、変えるつもりもない。
広島に居るよりは格段に会える機会は増えるが、それでも足りないと思った。
今まで通りでは満足できない。
広島に行く前よりも、室井は青島とずっと一緒にいたいと願っている。
そしたら同居という選択肢しか、室井には残っていなかった。
だが、心のどこかで、青島は頷いてくれないかもしれないとは思っていた。
青島にそこまで好かれていないと思っているわけではなく、自分よりも青島の方が二人の関係が公になることを恐れていることを知っていたからだ。
自由奔放に見え、実際そういう面もある男だったが、室井とのことは大事にしてくれていた。
室井が彼を真剣に愛せば愛すほど、青島なりに誠実な愛情を返してくれていた。
きっと青島が気にしてくれているのは、室井の立場であり将来である。

どこか途方に暮れているように見える青島に、室井は微苦笑した。
「今すぐ返事をくれとは言わない、考えてみてくれないか」
青島は困ったように眉尻を下げたが、結局頷いてくれた。
とりあえず、いきなりNOと言われなかっただけでも上出来である。
多少の切なさに目をつぶり、室井はそう思うことにした。
「もう寝よう」
「はい…あ、先寝ててください。髪乾かしてきます」
「待ってる」
なんとなく漂う気まずい空気の中で先に一人で寝てしまうのが嫌でそう言うと、青島は浮かせた腰をベッドに戻した。
小さく笑うと軽く唇を合わせてくる。
至近距離で見つめ合うと、青島は何か言いたげに口を開いた。
室井はじっと青島の言葉を待ったが、青島は何も言わずにもう一度キスをして、寝室を出て行った。
青島の姿が見えなくなると、室井の力が抜ける。
知らず知らずのうちに緊張が高まり、身体に力をいれていたらしい。
ホッと吐息を漏らして、ベッドに寝そべった。
出来たら良い返事が欲しかった。
勝手だと分かっているが、同じ気持ちでいてくれたら、と願わずにいられなかったからだ。
同居は室井一人の意志ではどうにもならない。
青島には言わなかったが、室井が越したマンションには、ちゃんと青島の分の部屋もあった。
本庁にも湾岸署にも通いやすい立地も選んだ。
いっそのこと分譲マンションを買ってしまおうかとも考えたが、一緒に暮らすつもりの青島に無断で一生ものの買い物をするのもどうかと思い止めにした。
マンションを買う時には、ちゃんと青島の許可をもらって、青島と二人で決めたかった。
結局、青島がそれを望んでくれると仮定した人生設計に我ながら笑えてきてしまう。
だが、それでも、仕方がないと思った。
青島のいない自分の未来がどうしても想像できない。
室井の人生に青島の存在は既に不可欠なものとなっていた。


室井がぼんやりと天井を見上げていると、青島が戻って来た。
寝そべる室井を見下ろし、いそいそと狭いシングルベッドに入ってくる。
室井が抱き寄せようとする前に、青島が抱きついてきた。
思いの外強い力で抱きつかれたのが、妙に嬉しかった。










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2011.11.20

あとがき


40万HITリクで頂いた「同居にいたる室青」です。
リクエストありがとうございましたーv

リクエスト頂いた時に、
「広島から戻った室井さんが思い余って青島君と住むための家を借りちゃう…」
という萌えネタを頂きまして、そのまま拝借でございます(笑)

手探りな室井さんと戸惑う青島君な感じでしょうか。
青島君も嫌なわけではないのですが、
そんなことして本当にいいんだろうかって思っているようなイメージです…。



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