「一週間後?」
青島は携帯電話で話ながらカレンダーを見た。
『ああ、昼頃の便で帰る』
室井の言葉にいよいよかと、青島は笑みを零した。
肩で携帯電話を支えながら、ボールペンを手にした。
カレンダーの一週間後のその日を丸で囲む。
室井の本庁復帰の話を聞いたのは一月ほど前の内示の時で、その時から室井の帰京を楽しみにしていた。
「またいつか、一緒に捜査できますかね」
室井は本庁に戻ってくるが、捜査一課の管理官として戻ってくるわけではない。
室井の進んできた道は紆余曲折していて、今後どんな道筋を辿るかも分からない。
だが、上を目指すという意志だけは、きっとずっと変わらない。
その途中で、またどこかで一緒に捜査ができたらいいなと、青島は思っている。
自分たちを信じてくれる上司の元、自分の正義を信じて捜査をする。
あんなに胸が熱くなるようなことは、警察官として生きているうちに何度も経験できることではない。
室井となら、またそんな時がくるのではないかと思った。
「また一緒にやりたいっすね」
『そうだな』
青島の願望に、室井から同意が返ってくる。
少し力がこもった声に、嬉しくなる。
気持ちが重なっていることが嬉しかった。
「あーでも、迎えには行けないなー」
カレンダーを眺めながら、残念そうに呟く。
室井が帰ってくる日は仕事だった。
『君は仕事だろ?勝手に帰ってくるから、気にしないでくれ』
東京は室井にとって数ヵ月前まで暮らしていた住み慣れた街である。
迎えなどそもそも必要ない。
ただ、青島の心情として、可能であれば迎えに行きたいと思っただけだ。
早く会いたかっただけである。
『…夜、会いに行ってもいいか』
早く会いたいのは室井も同じだったようだ。
時々電話をしたりはしていたが、直接会えたのは青島が美幌まで突然押しかけたあの日が最後だった。
あれからは、宣言通り会いに行かなかった。
復職した青島は、以前と同じように忙しく働いている。
休暇をとって北海道へ遊びに行く余裕はなかった。
「室井さん、部屋の片付けとかもあるでしょ?俺手伝いに行きますよ」
『有り難いが、片付けは急がないからいいんだ』
「そうっすか?でも、人手があった方が早く終わりますよ?」
本庁に帰ってきた室井はこれから忙しくなるだろう。
片付けはできる時にやってしまった方がいいのではないかと思ったのだが、室井は頷かなかった。
遠慮してんのかなと思ったが、そうではないようだった。
『久しぶりに君の部屋に行きたい』
照れ隠しかぶっきらぼうに言われて、青島は目を丸くした。
「いいっすけど、俺の部屋、何にも変わってませんよ?」
来たいと言ってくれるのは嬉しいが、わざわざ来てもらっても青島の部屋は代わり映えはしていない。
随分前に室井が来てくれた時と大差はないだろう。
『君の部屋で会いたい』
室井が繰り返すから、青島も室井さんがいいならそれでいいかと思った。
「じゃあ、来てください。なるべく早く帰りますから……あー、あの、合鍵、まだ持ってます?」
前に渡した合鍵の存在を思い出し、遠慮がちに聞いてみる。
ずっと前に、青島が風邪をひき、室井が見舞いに来てくれたことがあった。
帰る室井に合鍵を渡して鍵を閉めて帰ってもらったのだが、物のついでのようにそのまま持っていてくれと言ったら、室井は驚いていたが受け取ってくれた。
その時の嬉しそうな室井の顔は忘れていない。
だが、二人には一時離れていた時間がある。
その間に処分されていないかが気になったのだが、そんな心配はいらなかった。
『ちゃんと持ってる』
当たり前だとばかりに言われて、青島は小さく笑った。
「なら、適当に来てください」
『ああ、そうさせてもらう』
「気をつけて帰ってきてくださいね」
『ありがとう。君も気をつけろよ』
「何にっすか」
思わず笑ったが、室井からは真面目な声が返ってきた。
『被疑者との接触とか、交通事故とか、風邪とかだ』
青島は意味もなく携帯電話にちらりと視線をやり、むうっと膨れた。
そんなに心配をかけるほど無茶はしていない。
多分、していない。
警察官としては室井に信頼されていると思っているが、無茶をしていないかどうかという点ではあまり信用がないようだった。
「元気にやってますよ、やってますからさっさと帰って来てください」
離れているから、見えない相手のことで不安になるのだ。
心配ならさっさと帰ってきて、青島が元気でいることを確かめればいい。
室井の満足する方法で。
『もうすぐ帰る』
後一週間、本当にもうすぐだ。
それはやっぱり嬉しくて、青島の膨れっ面も長くはもたなかった。
「待ってます」
『ああ…早く会いたい』
言わずもがなな事を口にして、室井は電話を切った。
青島はカレンダーを眺めて、丸の付いた日を眺めた。
手にしたままだったボールペンで、何の気なしに書き足しその丸を花丸にした。
他には何も書き込まれていないカレンダー。
そこだけ浮かれていて、青島は苦笑した。
アパートの一室を見上げていた青島はちらりと腕時計を見た。
時刻はもうすぐ20時になる。
室井はもう青島の部屋に来ているだろうか。
青島は窃盗犯係りの応援で、張り込みに借り出されていた。
今日ばかりは遠慮したかったが、別件でどうしても窃盗犯係りの手が離せず、張り込みに行くすみれに頼み込まれて、仕方なく引き受けていた。
すみれ一人、張り込みをさせるわけにはいかなかった。
別件が片付き次第、窃盗犯係りの刑事が交代に来てくれるはずだった。
今のところ対象は帰宅していないし、窃盗犯係りも来ていない。
「青島君、なんか用事あった?」
隣にいたすみれが青島を見上げて首を傾げていた。
「時計ばっかり見てる」
自分でも気付いていたことを改めて指摘されて、青島は苦笑した。
「ちょっと、人と会う約束がね」
「あー、デートだ」
すみれがからかうような笑みを見せた。
何故ばれると思いながら、青島は首を振った。
「そんなんじゃないよ」
「でも、青島君、なんかそわそわしてる」
そのせいでばれたのかと思って、青島は内心で失笑した。
数ヵ月ぶりの再会なのだから青島が多少浮かれていても仕方がなかったが、はたで見ていても分かるほどなら、さすがに自分自身で呆れてしまう。
今はまだ仕事中だった。
青島は再びアパートを見上げ、何気ない雰囲気を装った。
「そんな色っぽいもんじゃないよ、会うの男だし」
「男の恋人とか」
ドキリとするが、精一杯呆れた顔ですみれを見たら、すみれは悪びれずに笑った。
「こりゃ、失敬。青島君女の子好きだもんね」
「そうだよ」
変な間が空かないように気をつけて頷く。
「そのわりに、最近縁遠いんじゃない?」
青島に浮いた話しがないせいか、すみれは首を傾げた。
「忙しいから、中々ね…」
「そうなのよね、デートもままならないもん」
すみれ自身、身に覚えがあるようだった。
「忙し過ぎる恋人って、普通は喜ばれないよね」
「いっそ同業者ならどうかしら」
「すみれさんなら、キャリアがいいんじゃないのー」
「玉の輿なら、文句ないわね」
にやっと笑うすみれに、青島は肩を竦めた。
「でも、キャリアって鼻持ちならないの多いからねー」
偏見もあるだろうが、青島の素直な感想だった。
自分でふっといてなんだが、キャリアとすみれが似合うかと言ったら首を傾げてしまう。
「確かにそうだけど。でもほら、そうでもない人もいるわよ、室井さんとか」
そこで名前が上がり、青島は驚いた。
目を丸くしてすみれを見下ろす。
「すみれさんってさ、室井さんのこと好きなの?」
聞いてみてなお驚いた。
自分の言葉が胸に刺さり、妙に痛い。
幸いなことに、すみれはそれを笑い飛ばした。
「やーねぇ、誰があんな唐変木」
酷い言い草だが、すみれなりの照れ隠しのような気がした。
そこには確かに恋愛感情はないかもしれないが、今のすみれは室井を嫌っていなかった。
「室井さんと恋愛するのは大変そうだわ」
「そう、かな?」
「だって、鈍そうだし、愛とか語りそうにないし」
「ははは…」
青島には笑うしかなかった。
実際は大変なことはそうないし、たまには愛を語ったりもするが、そんなことをすみれに言えるわけがなかった。
「でも、結婚には向いてそうよね、室井さんて」
真面目だし誠実でしょと室井を評価するすみれを見下ろし、青島は複雑な表情を浮かべた。
その通りだと思ったが、楽しい気分にはならなかった。
青島は口元にだけ笑みを浮かべてすみれを見た。
「室井さんと結婚したい?」
すみれが嫌そうな顔をした。
「だーかーらー、誰があんな唐変木と」
例えばだが、すみれと室井なら、似合わないこともない気がした。
同業者だし、室井の目指す場所を知っているすみれは、室井の良い理解者になり支えになってくれるだろう。
二人が仲睦まじく並んだ絵はそれほど想像が難しくなく、悪くないと思った。
当然伴侶という意味では、青島が隣にいるよりもすみれがいる方が圧倒的に自然だ。
そんなことをふと考えて、少し寂しい気持ちになった。
青島はすみれになりたいわけでも女性になりたいわけでもない。
ただ、自分よりも当たり前に室井の傍にいられる存在を少しだけ羨ましく思った。
もちろん、こんなことはすみれにも室井にも言えない。
「室井さん本庁に帰ってきたら、誰か紹介してくれないかしら」
すみれが顎に手を当てて真剣な顔で言うから、青島は声を漏らして笑った。
青島が玄関のドアを開けると、玄関に自分のものではない紳士物の革靴を見つけた。
室井がいる。
そう思ったら自然と笑みが浮かんだ。
慌ただしく靴を脱いでいると、物音で青島の帰宅を悟ったのか室井が姿を見せた。
視線が合い、思わず見つめ合う。
「おかえり」
久しぶりに見る室井は少し穏やかな顔をしていた。
青島はだらしなく廊下に鞄を放り投げると、室井にぎゅっと抱き付いた。
「ただいま、おかえりなさい」
室井も抱き返してくれる。
「ただいま」
一度強く抱き締めすぐに離れた。
いつまでも玄関でしがみついていては、話したいことも話せない。
離れていた分、話したいことは色々あった。
室井を促してリビングに入る。
「遅くなってすいません。結構待ちました?」
「気にしないでいい。それより、急がせたんじゃないか?」
「そりゃあ、急ぎましたよ、室井さん帰ってくんだもん」
急がないわけないでしょと笑うと、室井も小さな笑みを見せた。
「ありがとう」
青島は首を振った。
青島が早く室井に会いたかっただけだから、礼など言われる筋合いではなかった。
「青島」
名前を呼ばれて室井を見ると、室井の手が青島の頬に触れた。
ただ頬に触れただけなのに、久しぶりの感触に身体が熱くなる。
撫ぜられる頬も熱かった。
室井が顔を寄せてくる。
近付いてくる室井の顔を見つめながら、青島ははにかむような笑みを浮かべた。
「なんか、緊張する…」
触れる直前に囁いたら、室井が止まった。
「なんでだ?」
「さあ…久しぶりだからかな」
頬に触れる室井の手に自分の手を重ねると、室井の手に力がこもった。
「ええと、いつぶりだ?半年ぶり?」
「そうだな」
「うわ、超久しぶり」
「ああ…」
「なんか照れますねー」
「…青島」
室井が痺れを切らしたように名前を呼ぶ。
青島が上目遣いに室井を見ると、室井は眉間に皺を寄せていた。
「ちょっと黙らないか」
「久しぶりに会ったのに酷い言い草っすね」
「じゃなくて」
室井が焦れているのが分かり、青島は声を上げて笑った。
「かわいい、室井さん」
「…怒るぞ」
いい雰囲気のはずが、室井の声のトーンが低くなる。
青島も室井をからかいたかったわけではないし、焦らしたかったわけではない。
ただ本当に久しぶり過ぎる接触に照れて、気恥ずかしかっただけだ。
それが室井には伝わっていないことをいいことに、青島は笑って誤魔化した。
「強引に黙らせてくれていいのに」
笑ったまま、目を剥いた室井の唇を奪う。
室井が硬直していたのは一瞬で、すぐに動き出した。
後頭部に手が回され、キスが激しくなる。
口内に進入してきた舌が青島の舌に絡み付いてきた。
青島はすぐにそれに応えたが、息付く間もなく求められて眉をひそめた。
「ん…ん…っ」
鼻にかかった声をもらし、室井の背中を叩く。
室井がゆっくりと離れた。
ぼんやりした目で室井を見たら、室井の喉が上下した。
室井の欲望に気付き、青島はひっそりと笑った。
「おかえりなさいのキスにしては、やりすぎじゃない?」
「黙らせていいと言ったのは君だぞ」
「まあ、そうっすけど」
青島は苦笑し、室井の唇の端に唇を押し付けた。
「おかえり、室井さん」
今度は少し真面目な声で言う。
気持ちが伝わったのか、室井も真顔になった。
「待たせたな」
青島は緩く首を振った。
「思ったより、ずっと早かったっすよ」
美幌署に異動になって7ヶ月で本庁に復帰になっている。
早く帰ってきて欲しいとは望んでいたが、想像以上に早い復帰だった。
室井は青島の言葉に頷いた。
「副総監が尽力してくださったと聞いた」
「そうだったんですか…」
それだけ副総監も室井に期待をかけてくれているということだろう。
室井に期待しているのは青島ばかりではない。
辛い立場に立たされることの多い室井だが、少なからず味方はいるのだ。
室井の努力は、何かの形では実っている。
それが、自分のことのように嬉しかった。
「室井さんの努力の賜っすね」
青島は室井の頬や唇に、音を立ててキスを贈った。
触れるだけのキスにくすぐったそうに目を細めていたが、耳元に唇を押し付けたら室井の身体が強張った。
ちらりと室井の目を見たら、室井もじっと青島を見ていた。
腰を抱く室井の手にも力がこもっていて、離すまいとしているようだった。
「青島」
「なんすか?」
「再会したばかりで、帰ってきたばかりでなんなんだが」
遠慮がちに聞いてくる室井が面白くて、青島は笑みをこぼした。
室井の目を覗き込みながら、白々しく聞き返す。
「何がっすかー?」
「…分かってるだろ、お前」
室井の眉間に皺が寄っている。
「さて、何のことかな」
「強引に黙らせて良かったんだったな」
室井が青島を寝室に引っ張っていく。
仏頂面でベッドに押し倒してくるから、青島は笑い声を上げた。
「まだまだ若いね、室井さん」
会ってすぐ押し倒したくなるほど欲しがってもらえることは嬉しかった。
青島だって欲しくないわけではない。
半年ぶりの室井だ。
キスだけで我慢できるほど老成はしていない。
青島のネクタイを外し襟首を開きながら、室井は青島をじっと見下ろしていた。
あんまり真剣に見つめるものだから、青島は笑みをひっこめた。
「室井さん?」
「本物の君を抱くのは、久しぶりだな」
「本物のって…」
どういう意味だと尋ねようとして、途中でやめた。
初めて室井と身体を重ねた時のことを、青島は忘れていない。
「頭の中で、何度も君を抱いた」
あの時、室井はそう言っていた。
つまりそういうことだろう。
離れていた間も、室井の頭の中には青島の姿があったということだ。
付き合いだした頃となんら変わりなく、青島は室井の中にいた。
そんなことをしみじみと言われて、青島は言葉に詰まった。
顔がやけに熱くて、室井の視線が痛い。
「…そういうことは、口に出さなくていいです」
赤くなった顔を隠すように両腕を室井の首に回し引き寄せると、室井はすぐに青島の首筋に顔を埋めた。
室井の変わらない愛情を知るたびに嬉しくて、喜ぶ自分にいたたまれない気持ちになった。
いつかは離れなければならないと思うのに、それは今ではないと思い続けている。
いつまで、どこまで、このままでいられるだろう。
できることなら、少しでも長く―。
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