■ 期間限定の恋人(5)


青島が病室に戻ると、すみれが待っていた。
「すみれさん、見舞いに来てくれたの」
皆忙しいから毎日ではないが、刑事課の連中が交替で様子を見に来てくれていた。
今日はすみれの番だったようだ。
顔に喜色を浮かべた青島に、すみれがずいっと袋を差し出してきた。
「メロン、高かった」
それは見舞いの品なのだろうが、一言多い気がする。
青島は苦笑し、松葉杖を壁に立て掛けた。
空いた手で袋を受け取り、ベッドに腰掛ける。
「ありがと」
「どう?調子は」
「大分いいよ、リハビリも順調だし」
今もリハビリをしてきたところで、首筋にじんわりと汗が滲んでいた。
首から下げていたタオルで汗を拭う。
「署の方は?皆ちゃんとやってる?」
俺いなくて大丈夫かなと言ったら、すみれは意地悪く笑った。
「問題児がいなくなって、皆ホッとしてる」
「ひでぇなぁ」
膨れっ面を作った青島に、すみれは冗談よと笑い、素っ気なく言った。
「人手足んなくて困ってる。早く帰ってきなさいよね」
すみれらしい励ましに小さく微笑んで、青島は頷いた。
青島もそのつもりでいる。
まだ早いと止める医者に無理をいって、早々にリハビリを始めたのもそのせいだ。
のんびりベッドで休んでいるわけにはいかない。
早く現場に復帰して、捜査に走り回りたかった。
「聞いた?室井さん」
室井の名が出て、青島は上目遣いですみれを見た。
「美幌署署長だってね」
「ん、らしいね」
前に見舞いに来た真下から聞いて知っていた。
室井とは、入院してから話していなかった。
室井が車で病院まで運んでくれたが、会ったのはそれが最後だった。
一度見舞いに来てくれたらしいが、蹴り帰すという青島の暴言を真に受けて本当に帰ってしまったと、後から和久に聞いていた。
「あれから室井さんと何か話した?」
「いや、会ってないしね」
「そう…」
すみれも思うところがあるのか、複雑な表情をしていた。
「ばかね、青島君」
すみれがいきなり罵倒してくるから、青島はきょとんとした。
「室井さんなんかに気を遣うから、刺されたりするのよ」
室井さんなんかと言う辺りに、すみれの小さなわだかまりを感じた。
それでも、表情は柔らかく本気で憤っている様子ではない。
すみれの中にあった室井への不信感や堪え難い溝は、きっとそれなりに埋まっている。
秋に起こったあの事件からすれ違っていたが、室井は結局所轄を、青島を信じてくれた。
すみれもそれを知っているはずだった。
結果、降格させられてしまったが、青島は室井を誇りに思っている。
偉くなっても、室井は室井だった。
青島が信じたままの室井だった。
「室井さんにはさ、所轄信じてくれたことを、後悔してもらいたくないよね」
青島が頭を掻きながら言うと、すみれは苦笑したが小さく頷いた。
「大丈夫でしょ。あの人、後悔するくらいなら、青島君なんか信じないわよ」
「ちょっと、すみれさん。なんかってどういうこと」
思わず憮然とした青島に、すみれは可愛らしく笑った。
「青島君も室井さんも、ばかってことよ」
酷い言われようだが、腹は立たない。
本気の罵倒でないことはすみれの顔を見ていれば分かる。
青島は苦笑して肩を竦めた。
室井がくしゃみでもしているのではないだろうかと思った。


夜中に目が覚めた。
入院してからというもの、眠りが浅かった。
自宅ではないせいか、傷が疼くからか、色々考えてしまうからか。
それのどのせいでもないことは、目を開けてすぐに気が付いた。
薄暗い部屋の中に室井がいる。
ベッドの脇に立ち、青島を見下ろしていた。
「室井さん?」
驚いて目を丸くした青島に、室井は眉間に皺を寄せた。
「すまない、起こしたな」
視線が合い室井が謝った。
夜中に会いに来ておいて起こさないでどうするつもりだったのかと思い、青島は笑みを浮かべた。
「随分遅い見舞いっすね」
「片付けなきゃならない仕事があってな」
「面会時間、とっくに過ぎてますよ?」
「警察手帳使っていれてもらった」
職権乱用したと自覚しているのか、室井の表情は硬かった。
何にせよ、会いに来てもらえて良かった。
入院中の青島から室井に会いに行くことは叶わず、退院を待っていれば室井は北海道に行ってしまうだろう。
その前にどうしても会いたかった。
だが、会いに来てとも言えないまま、時間だけが過ぎていた。
蹴り帰すと言ったのを聞かれたからではなく、室井に会いに来てと言える立場に自分がまだいるのかどうか分からなかったからだ。
相良純子の事件以来、室井との関係は途切れていた。
青島はあのまま離れるつもりはなかったが、離れることになったとしてもおかしくはない状況だった。
室井に会って、室井の中の自分の存在を確認したかったのだが、実際に会うと中々言葉にするのは難しかった。
「美幌署、行くんですってね」
「ああ、明日には経つ」
「明日…」
さすがに急で驚いたが、だからこそ室井はこんな夜中になっても、用事を済ませて青島に会いにきてくれたのだ。
そして、最後に会いに来てくれたのは、話したいことがあるからに他ならない。
青島が何かを問いかけなくても、室井は黙ってはいなかった。
「…失望させたか」
室井を見上げると、室井は辛そうに眉をひそめていた。
「失望?何でですか?」
青島がベッドの上に半身を起こした分だけ、室井が近くなった。
「室井さんは俺を、現場を信じてくれた。そのせいで、降格させちゃったのは申し訳ないけど…失望なんかするわけないでしょ」
相変わらず、室井は青島の希望だった。
室井には上にいてもらわなければならない。
美幌署に飛ばされても、いずれまた本庁に戻ってきてくれると信じている。
上を目指してくれると信じていた。
「前にも言ったでしょ?俺たち現場は、室井さんに期待してるんです」
青島が力強く笑うと、室井は青島を静かに見つめて深く頷いた。
それから、頭を下げた。
「すまない」
「何がっすか?」
今度は何だと目を丸くしたら、室井は気まずそうに目を伏せた。
「…相良純子の事件のことだ」
「ああ…」
そのことか、と納得する。
「君達を信じきれなかった」
苦しげな呟きに、室井の後悔が見える。
正直、あの時はきつかった。
青島は室井と別れる覚悟をしている。
それは、付き合いだした始めからしていることだった。
願う別れは、室井の青島に対する情熱が薄れた時に、穏やかに離れることだった。
青島が室井に固執しなければ、それは可能なことではないかと思っていた。
室井との別れは、決別であってはならない。
信頼を失い、理想を違え、袂を分かつような、そんな別れは一つも望んでいない。
あの事件の時、室井に自分の言葉が届かず、拒絶され、確かにあったはずの信頼関係が見えなくなった。
そんな日が来るとは夢にも思っていなかった。
らしくもなく強引な手段を取った室井に憤りがなかったわけではないが、青島は完全に室井を諦められなかった。
あの時室井は応えてくれなかったが、「もう信じてやっていけない」とは、とても思えなかった。
思いたくなかったのかもしれない。
誤解やすれ違いがあるなら、話せば分かってもらえる。
自分の声が室井に届かないわけがないと、頑なに信じていた。
実際、青島の声はちゃんと室井に届いていた。
だから、室井はここにいてくれている。
青島も室井にペコリと頭を下げた。
「裏切ったのは、俺も一緒です。そんなつもりはなかったけど」
すみれを庇い室井を裏切った意識はなかったが、結果としてそうなったのなら青島にも非がある。
「分かってる。君が俺を裏切るわけがなかった」
室井の眼差しが柔らかくなった。
「君が仲間を守りたいと思うのは、当然のことだったのにな…」
室井は青島が仲間のために本気で怒り、身体を張って守ろうとする姿を何度も見ていた。
その度、室井は青島にどこかで共感し、できる範囲で力になってくれていた。
「俺たち、ちゃんと話し合うべきでしたよね?」
「そうだな…」
青島がすみれのことをちゃんと室井に相談していれば室井は事情を考慮してくれたかもしれないし、室井が盗聴なんかで仕入れた事実だけを鵜呑みにせず青島の言葉を聞き入れていればこんなにすれ違わずに済んだかもしれない。
互いに少なからず後悔があった。
互いにあるのは、後悔の念だけではないと思いたい。
青島は室井を見上げて言った。
「俺は今もアンタを信じてます」
室井からは力強い眼差しが返ってくる。
「俺もだ、青島」
力強い眼差しも言葉も、青島に向けられる信頼の証に思えて、青島は満足そうに微笑んだ。
室井は未だに青島を信じてくれているし、青島も室井を信頼していた。
それは副総監誘拐事件ではっきりとしたことだ。
例えその結果、青島が刺され室井が降格になっても、切れかかっていた二人の絆が深く繋がったように思えた。
まだ青島は室井と同じ未来を信じ共に歩いて行ける、それが確認できて嬉しかった。
青島には何より大事なことだった。
青島の顔を見下ろしたまま、室井は何か言おうと唇を開いたが、言葉を飲み込んだ。
物言いたげなのに躊躇う室井に、青島は催促した。
「言いたいこと、皆話してください」
明日から室井は北海道に行ってしまう。
もう誤解もすれ違いも沢山だったから、話せることは皆話して欲しかった。
青島の催促に、室井は困ったように眉を顰めたが、意を決したように口を開いた。
「俺を嫌いに、なってないか?」
幾分不安そうに聞かれて、青島は目を丸くした。
今度のは警察官としてではない、恋人としての意思の確認のようだった。
室井は青島の返事を待たずに言った。
「俺は君が好きだ」
何度か耳にした告白なのに、何度耳にしても胸が熱くなる。
室井との別れは覚悟している。
だけど、今ではない。
室井と別れるのは、室井の興味が青島になくなる時だ。
室井が今も青島が好きなのであれば、別れる時は今ではない。
それが正しい判断なのか分からなかったが、青島はそう自分に言い聞かせた。
―今はまだ、もう少し。
そんなことを思いながら、室井に手を差し出した。
室井は無言でその手を取ってくれる。
「嫌いになんか、なるわけないっしょ」
室井の表情がふっと崩れる。
嬉しそうな笑みが口元に浮かんだ。
「そうか」
青島の気持ちがまだ自分にあることを確認して、喜んでいるのだ。
安堵したような穏やかな眼差しに照れくさくなり、青島は茶化した。
「浮気しないでくださいよ」
「するわけないだろ」
室井の眉間に皺が寄り、青島は笑った。
もちろん本気で心配したわけではない。
楽しげに笑う青島にそれを理解したのか、室井の表情も柔らかくなる。
青島の手を強く握って、顔を寄せてきた。
「君こそ、するなよ」
青島は微笑みながら、室井が近付いてくるのを待って目を閉じた。
唇を軽く合わせて離れる。
目を開けても、室井は目の前にいた。
青島の笑みが深くなる。
「どうしよっかな〜」
「…おい」
冗談とは分かっているのだろうが、室井の眉間にまた皺が寄った。
青島は笑いながら空いた手で室井の頬に触れた。
唇を近付けて、触れる瞬間に笑みを消した。
「室井さん以外、いらないよ」
離れたと思ったら、すぐに再び唇を押しつけられる。
何度も重ね合わせて、それでも足りないというように、室井の唇が頬や瞼、耳元に触れた。
仕舞いには首筋に軽く吸いつかれて、青島は微かに震えた。
「ん…室井さん…気持ちいいけど、困る…」
素直な苦情に、室井は小さく笑って身体を離した。
「そろそろ行く」
名残惜しげに一度強く手を握り合って、互いに離した。
「無茶するなよ」
釘を刺されて、笑みを漏らす。
「分かってますよ」
「命がいくつあっても足りない」
「…俺の?」
そうそう死にかけませんよと言ったら、室井が真面目な顔で言った。
「いや、俺のだ」
青島が怪我をすれば室井の寿命が縮むようだ。
青島だって好き好んで怪我をしようとは思わないが、だったら尚更気をつけなければいけない。
そう思って、青島は頷いておいた。
「本当だからな」
真剣に念を押されたら、笑うしかなかった。
過保護だとは思わない。
血まみれの自分を見た時の室井の顔をなんとなく覚えているからだ。
辛い思いをさせたことは容易に想像がついた。
室井の心配は素直に嬉しかったし、「命がいくつあっても足りない」というのが大袈裟な表現ではないことも理解できた。
「分かってます、気をつけます」
笑みをひっこめて真面目な顔で頷くと、室井も安心したように頷き返した。
視線を絡めたまま、無言で見つめ合う。
別れがたいのはお互い様だった。
「…それじゃ」
室井が踵を返した。
真っ直ぐに伸びた背中が遠ざかる。
青島は無意識に室井を呼びとめた。
「室井さん」
当然、室井は足を止め、振り返ってくれる。
「どうした?」
呼びとめたくせに黙っている青島を見て、室井は不思議そうな顔をしていた。
言いたいことがあるわけではなかった。
全くないこともなかったが、帰らないでくれなんて、言えるわけがなかった。
代わりに、青島はもう一度室井に手を伸ばした。
「もう一回」
「なにがだ?」
「キス、もっかい、してください」
離れた室井に手を伸ばしキスをねだると、室井は目を剥いた。
今更そんなに驚くことか?と思ったが、単に驚いただけではなかったようだった。
怒ったような怖い顔で青島の元に戻ってくると、強く手を握り空いた手で抱きしめられる。
「人がどんな思いで離れたと思ってる」
それだけ離れがたかったということか。
むっつりしている室井とは対照的に、青島は嬉しそうに笑った。
「ごめん、でも、少しだけ」
甘えるように室井の顔に唇を寄せると、室井から距離を縮めて唇を重ねた。
先ほどよりも少し濃厚なキスをして、室井は帰って行った。


一人になった青島は布団に潜り込んだ。
傷のある腰をかばうようにして、横向きに丸まる。
目を閉じたが、口元が緩む。
室井と確かに繋がっている、それを確認できて嬉しかったからだ。
交わした約束はまだ生きている。
それだけで、室井を信じて頑張れる。
室井の隣で、頑張れる。










NEXT

2010.9.19

あとがき


こんなお話をどこかで書いたかもしれません…
お話の流れ上、どうしてもいれたかったのです。
似たようなお話を読んだなーと思われましたら、申し訳ないです(^^;

次は遠距離恋愛中の二人です〜


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