足払いをかけて暴れる被疑者を地面に倒し伸し掛かると、腕を捉えて手錠をかける。
「被疑者、確保っ」
肩で息をしながら青島が叫ぶと、青島に遅れて駆け寄ってきた和久が頷いた。
こちらは声を出すのもしんどいのか、拍手をすることで青島を労った。
「大丈夫っすか?和久さん」
「なぁに……これくらい……」
精一杯の強がりをなんとか口にする和久に、青島は苦笑した。
夕暮れの公園の中、結構な距離を走らされたのだから、無理もなかった。
青島は身体の下にした被疑者を見下ろし溜め息を吐いた。
「手間かけさすんじゃないよ…ほら、立って」
男の上から身体をどけて、引っ張り起こす。
手錠をかけられて観念したのか、男はすっかり大人しくなりうなだれていた。
「じゃあ、署に戻りましょう」
「あーやれやれだ…」
腰を叩く和久を横目に、青島はもう一度溜め息を吐いた。
ちらりと時計を見れば、定時をいくらか過ぎていた。
署に戻ったところで今逮捕した男の取り調べが待っているし、まだまだ帰れない。
今日は室井と会う約束があったが、約束の時間に間に合うかどうか微妙な線だった。
だが、何時になっても会いに行くつもりではいた。
室井とも、そんな約束を交わしていた。
「正月早々、忙しいなぁ」
被疑者を挟んだ向こう側で和久がぼやくから、青島は肩を竦めた。
「全くですよ。正月くらい、ゆっくりしたいです」
「そうだよなぁ。正月ってのは、お節でも食ってのんびりするもんだよなぁ」
「コタツでみかんとかね」
「おめぇの家はコタツなんかあんのか」
意外そうな顔をした和久に危うく、「いや、室井さんちに」と答えそうになり口を噤んだ。
青島が室井と近しいことは和久も知っているが、だからといって青島が室井宅のコタツを当てにしているのはさすがにおかしいし不自然だろう。
青島は笑って「一般論です」とごまかした。
まだ室井宅での「コタツでみかん」を経験したことはなかったが、家に実家から持ってきたコタツがあると室井から聞いていて、楽しみにしていたのだ。
今日行くから出しておいてくれとねだったくらいである。
室井は苦笑していたが了承してくれたから、コタツを用意して待っていてくれるだろう。
「ま、頑張って働かなきゃなぁ」
しみじみと言う和久に視線を向けると、和久は柔らかく笑っていた。
「室井さんが、戻してくれたんだろ?」
青島は少し前に湾岸署に戻ったばかりだった。
湾岸署内で盥回しにされ色々あったが、今はめでたく刑事課強行犯係りに復帰している。
それは、和久の言う通り室井のおかげだった。
「期待に答えなきゃなぁ」
和久がからかうように言うから青島は苦笑したが、すぐに表情をしめた。
「そうっすね、頑張らないと」
青島は薄暗い空を見上げて呟いた。
青島と和久の願いが届いたわけでもないのだろうが、その後事件は起こらず、青島は20時前には湾岸署を出て室井の自宅に向かっていた。
室井は時々青島の自宅に泊まって行くが、青島が室井の自宅を訪れるのは、これで二回目である。
一度、約束をまだ果たしていなかったと言って、きりたんぽ鍋をご馳走になったことがあった。
それも二月くらい前の話で、それ以来初めてだった。
室井の部屋に行きたくないわけではないが、やはり官僚ばかりが住まう室井のマンションには行き辛かった。
青島の気持ちを悟ってか、室井も無理には誘ってこない。
その分、青島の部屋でデートしているから、それで良かった。
だが、今日はなんとなく、室井の部屋で会いたかった。
1月3日、室井の誕生日だった。
お祝いをするのに青島の自宅に来てもらうのも申し訳ない。
少し前にあった青島の誕生日にも、室井がお祝いしに自宅まで来てくれていた。
お返しというわけではないが、もらったものはできるだけ返したい。
だから、今日は青島が会いに行くと伝えてあった。
室井のマンションにつきインターホンを押すと、すぐに室井がドアを開けてくれた。
室井が何をいうより先に、手にしていた小さなケーキの箱を差し出して言った。
「お誕生日おめでとうございますっ」
室井は目を丸くしたが、青島の顔と差し出されたケーキの箱を交互に見やり、苦笑した。
「ありがとう…入ってくれ」
室井に促されて部屋に入る。
久しぶりに来た彼の部屋は相変わらずきれいで、物が少なく殺風景だった。
「わざわざ買ってきてくれたのか」
手にした箱を見下ろして呟く。
閉店間際のケーキ屋に入って、買い求めていた。
室井も青島もさして甘い物は好んで食べないが、折角の誕生日だからたまにはケーキもいいかなと思ってしたことだった。
さすがにホールのケーキでは持て余してしまうから、ショートケーキを二つだけ買ってきていた。
「お祝いって言えば、ケーキでしょ?後で一つずつ食べましょうね」
青島の提案に室井は小さく笑って頷いた。
その穏やかな表情に、青島も笑みを浮かべた。
室井は二人きりでいる時、随分穏やかな顔を見せるようになった。
もちろん眉間に皺を寄せていることも多いし、愛想良くニコニコ笑うわけでもないが、時々柔らかく小さく微笑んでくれたりするようになっていた。
それが少し気恥ずかしく、大分嬉しかった。
「おおー、コタツだ」
リビングの真ん中に、約束通りコタツが出してあり、コタツの上には鍋の準備がしてあった。
青島が嬉々としてコタツに潜り込み「あったけぇ〜」と喜ぶと室井は苦笑した。
「約束だったからな」
「嬉しいっす。俺んち、実家もコタツなかったから」
コタツで過ごした記憶というものが青島にはなかった。
室井は実家が秋田県なだけあって、子供の頃から慣れ親しんでいるのだろう。
「わざわざ持って上京してくるってことは、室井さんコタツ好き?」
「いや、母親に持たされただけだ」
実際ここ数年の冬は出すのも面倒でしまったままだったらしい。
青島のわがままのおかげで久しぶりに日の目を見たというわけだ。
「勿体ない、こんなにあったかいのに」
「君がくるなら、毎年だそう」
室井がさらっと言った言葉が、青島にはさらっとは聞き流せなかった。
毎年とはいつまでだろうか。
出来たら長いといいなと思ってしまって、ひっそりと苦笑した。
「そういう甘いこというと、入り浸りますよ」
冗談で混ぜっ返そうとしたが、
「構わない。好きな時に来い」
そう返事が返って来たから、すぐに返せる言葉が見つからなかった。
室井が青島に向けてくれる好意は、いつも惜しみなくごまかされることもない。
嬉しいが照れもあり、なんと返そうか迷っている青島に、室井が缶ビールを差し出してくれた。
「飲むだろ?」
難しい顔をしているのは、室井も照れているからか。
青島は笑みをこぼすと、受け取ったビールを室井に向かって少し掲げた。
「乾杯しましょ、誕生日のお祝いだもん」
頷いた室井と缶ビールをぶつけて乾杯し、もう一度おめでとうと伝えた。
鍋を食べながら、室井は時計を見た。
「思ったより早かったな」
青島がやってきたのが、である。
約束した時間より少し遅れていたが、それでも予想より早かったらしい。
室井も所轄が忙しいことは良く知っているし、時期が時期だけに帰って来られるか不安だったようだ。
「仕事、大丈夫だったか?」
青島は苦笑した。
「まあ、なんとか。正月くらいね、もっとゆっくりしたいっすよ」
そうは願っても、街に人が溢れる年末年始は警察も忙しかった。
今日も徹夜にならなかっただけついていたかもしれない。
例え恋人の誕生日であろうと、事件が起これば事件を優先しないわけにはいかなかった。
「お疲れ様」
室井の労いに笑顔で応える。
そして、誕生日のお祝いの次に言いたかったことを思い出して、缶ビールをテーブルに置いた。
「室井さん」
「ん?」
「湾岸署に戻してくれて、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げた。
電話でも礼は伝えてあったが、直接会って言いたかった。
無事に刑事課に戻してもらった途端、忙しく慌ただしい毎日に逆戻りだったが、それでもやっぱり湾岸署に戻れて良かったと思う。
捜査に関わっている時が一番ワクワクし、興奮した。
「刑事課に戻れて良かったな」
「ええ」
それも半分は室井のおかげである。
もしかしたら、袴田は室井の言葉がなくても青島を刑事課に戻してくれたかもしれないが、室井が後押ししてくれたのは確かだった。
青島は少し考えて、大きな目を室井に向けた。
窺うような視線に室井が首を傾げた。
「どうした?」
「いや、あのー……違いますよね?」
「何が」
「あの、俺が、恋人だから、じゃないっすよね?」
室井が目を瞬かせて、青島を凝視した。
青島が恋人だから室井のお情けで湾岸署に戻してもらえたのではないという確認だった。
それを理解したのか、室井の眉間に皺が寄る。
「言わなかったか?君に捜査の現場にいて欲しかったから、戻したんだ」
そういえば、偶然会った街中でそんな話をしてくれた。
新城には無駄なことだと言われたが、正しいと信じたことをしようと、電話で確認しあってもいた。
室井のお情けによる復帰だと、青島も本気で疑ったわけではない。
室井の返事に満足そうに頷いた。
「俺、頑張りますね」
信じて戻してもらったのだから、頑張らないわけにはいかない。
青島が俄然やる気を出して張り切ると、室井の表情が和らいだ。
「ああ…俺も頑張ろう」
「はいっ」
室井が上にいるから頑張れる、査問委員会の時に室井に伝えた気持ちは今も変わっていない。
これからもきっと変わらない。
何があっても。
例え恋人として傍にいられない時がきても、室井のことを信じて頑張れる。
「あ…そうだ、誕生日プレゼント」
「…ん?」
「渡してなかった、鞄に入れてあるんです」
「そうか…ありがとう」
礼を言うわりに、室井の眉間に皺が寄っている。
それを下から見上げて、青島は半笑いになった。
今更そんなこと言われても、と室井の顔に書いてある。
こんなことは、きっと、押し倒される前に言うべきだった。
室井とキスしている最中に思い出したのだから仕方がなかった。
「でも、まあ、後でいいっすかね?」
「そうしてもらえると、助かる」
「後で、もらってくださいね」
「必ず」
その前にと言って、室井が青島の首筋に顔を埋めた。
「君をくれ」
青島は笑いながら室井の背中を抱いた。
「室井さんオヤジクサイ」
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