■ 期間限定の恋人(10)


「リーダーが優秀なら、組織も悪くない」

そう言葉にした時、青島の頭にあったのは、室井のことだけだった。
納得のいかない捜査に協力させられ、挙句仲間が負傷し、組織に対する憤りも不満も大いにあったが、やっぱり室井は青島の信じた男だった。
室井の元でなら、信じてやって行ける。
現場の刑事たちは、きっと皆そう思っている。
優秀なリーダーになら、人はちゃんとついていくのだ。
だからこそ、室井はもっと上に行かなければならない。
室井の成すべき事のためにも、青島たち所轄刑事のためにも、何より正しい事をするために、室井にはいつかトップに立ってもらわなければならなかった。
管理官なんかで終わっていい男ではないのだ。
室井の元で再び捜査をする機会を得て、青島は心からそう思った。
そして、一つの決心をした。
室井は男の青島とのん気に未来のない恋愛をしている場合ではなかった。
いつかどこかで誰かに青島との関係がバレれば、青島はまた室井の足を引っ張ることになる。
そんなことは、一つも望んでいない。
本人から直接聞いたことはなかったが、将来を期待された室井のことだから良い縁談がなかったとは思えなかった。
青島の存在がなければ、もっと早くに結婚していたかもしれない。
ただでさえ、室井は青島のせいで遠回りしているのだ。
いつか室井が警視総監になってくれることを誰よりも望んでいたのは青島だった。
その自分が室井の足枷になっていていいわけがない。

室井とのこれまでに、後悔はなかった。
同性同士であり、常識やリスクを考えれば正しい関係ではなかったかもしれないが、青島にとっても室井にとっても無駄な6年間ではなかったはずだ。
少なくとも青島は、好きになったことも恋人になったことも、後悔していなかった。
会えない時も多かったし擦れ違いで切ない思いをしたこともあったが、幸せだと感じていた時の方が圧倒的に多かった。
思えば、自分の人生の中で一番長く情を交わした相手だ。
精一杯愛せたと思う。
そういう意味でも、後悔はなかった。
だが、これ以上続けるべきではない。
室井は上に立つべき男だ。
そうでなければならないと、今回の事件で強く思った。
他の誰でもなく、室井だけがきっと警察という組織を変えてくれる。
青島はどこかの現場で身体を張り、駆けずりまわって、必死に頑張りながらその時を迎えるのだ。
室井とはそういう約束だ。
二人には恋心よりも大事なものがあったことを、青島は思い出した。
思い出したら、もう続けられなかった。
警視総監賞の授賞式の後、青島は決意が萎えないうちに早々と室井を呼びだした。



「別れましょう」
青島が切り出したら、室井は目を剥いた。
無理もないと思う。
室井にしてみれば、突然の別れ話だ。
だが、話があると言って二人で良く行った居酒屋に呼び出し、珍しく個室を予約していたから何かあるとは気付いていたのだろう。
会った時から室井の表情は硬かったが、今は更に暗かった。
「…俺が一緒に暮らさないかと言ったからか」
青島が別れを決意した理由を、室井はそう捉えたようだった。
それも間違いではなかった。
青島に室井との付き合いを改めて考えさせる一言だったからだ。
「室井さんのことは、今も好きですよ」
室井の質問には答えず、青島はちょっと笑った。
ならば何故と問うように青島を見つめる室井の眉が切なく寄せられた。
「だけど、俺たちに将来はありません」
「将来…?」
「結婚はできないし、子供も生まれない、どうやっても家族にはなれないんだ」
室井が息を飲んだ。
青島や室井の力ではどうにもならない根本的な話だった。
今更な話だが、こればかりは天地が逆さまになってもどうにもならない。
青島も室井も男で子供はもちろん、今の日本の法律では結婚すらできない。
厳密にいえば養子縁組することで家族になることは可能だが、互いの立場を考えればとてもではないが現実的とは思えなかった。
そんなことをできるわけがないと思っているから、青島は家族にはなれないと言い切った。
「一緒に暮らせば家族の真似ごとができるかもしれないけど、それだけです」
一緒に暮らしたいと言ってくれた室井に、酷いことを言ってるなと思った。
だが、これは本音だった。
別れを決意した直接の理由はこれではなかったが、一緒に暮らすことに抵抗があったのは事実だった。
「俺たちも、もういい歳です。いつまでも一緒にいちゃいけないって思います」
「…そうか」
沈んだ声、暗い目、そんな顔をさせたくはなかったのにとは思うが、青島の心にあるのは今も一つだ。
室井は上に立つ男だ。
和久だって、言っていた。
上に立ったらやる男だと。
視線をテーブルに落としている室井を見つめながら、青島は「自分は間違っていない」と自身に言い聞かせた。
沈んでいた室井が顔を上げた。
「俺を嫌いになったわけじゃないんだな?」
青島が室井を見やると、室井は真剣な目で青島を見ていた。
「口も聞きたくない、顔も見たくない…そういうことではないんだな?」
青島は慌てて頷いた。
そんなことは全く思っていないし、そんなことになれば青島も寂しいし辛い。
厳しい立場で闘う室井の一番の味方でいたいから、別れるのだ。
だからこそ、室井と決別したいわけがない。
勝手な願いだと分かってはいるが、室井とはちゃんと繋がっていたかった。
恋人としてではなく、警察官として。
「室井さんのことは、大事に想ってます。これからも、ずっと」
あまり未練たらしくならないように言葉を選び、出来るだけ素直な気持ちを伝えた。
室井はじっと青島を見つめていたが、やがて小さく頷き、静かに言った。
「俺は未来の君に何かを望んでいるわけじゃないが、君に未来をやれないことも確かだ」
青島が欲しい未来は結婚でも子供でもなかったが、それを伝えるわけにはいかなかった。
「俺は……」
室井は言いかけて言葉を切った。
何かを伝えようとして躊躇っている。
そう思ったから、青島はただ待った。
室井の言いたいことは全てちゃんと聞くつもりだった。
だが、その先は言葉にはされなかった。
「了解した」
重苦しい室井の声。
これで別れたことになる。
ホッとしたが、それを上回る喪失感。
自分で決めたことだから後悔はないが、室井はもう青島の恋人ではなかった。
それがただ悲しかった。
今だけのことだと、やり過ごすしかなかった。
俯いた青島が何も言えずにいると、沈黙が下りる。
それは、長くは続かなかった。
「だが、想い続けるのは、俺の自由だ」
思いもよらない室井の言葉に、青島は弾かれたように顔を上げた。
室井の潔さを知っているだけに、そんなことを言い出すとは思ってもみなかった。
確かに、想うだけなら室井の勝手だ。
誰に知られることもないだろうし、人の心の中にまで文句をつけてくる人もいない。
片想いなど口に出さなければ滅多にばれることはない。
だが、室井にいつまでも想われるのは困る。
迷惑だからではなく、室井にそんな真似をさせたくなかったからだ。
青島を引きずる分だけ、室井は幸せから遠ざかることになるだろう。
そんなことは青島は望んでいない。
自分のことなど早く忘れてもらいたかった。
「室井さん、よしましょうよ、きっぱり忘れた方がお互いのためです」
慌てて説得する青島に、室井は暗い笑みを見せた。
「最初に言わなかったか?」
「え?」
「君を忘れる努力なら、付き合う前に十分した」
室井が告白してくれた時のことを思い出した。
忘れようとしたけど、できなかった。
そう言ってくれていた。
「今やっても、同じことだ。俺にはどうせ君を忘れることなんてできない」
重く吐き出される言葉に、胸が苦しくなる。
室井の想いの深さは十分知っているつもりだった。
それなのに、まだ思い知らされるのか。
青島は自身に揺らぐなと言い聞かせた。
なんのために心を決めたか思い出せと叱責するが、叱責する後から忘れてしまいそうだった。
室井は真っ直ぐ青島を見つめて、はっきりと言った。
「俺の人生から、君を奪わないでくれないか」
青島は絶句した。
言葉など出るはずがない。
彼の中に占める自分の存在の大きさに驚くだけである。
呆然としている青島に、室井は淡々と続けた。
「君に迷惑をかけるつもりはない。君がいつか結婚する時には…ちゃんと、祝福もしよう」
一瞬躊躇った言葉に、室井の本音が見えた気がした。
「だが、俺が君と生きることだけは、許してくれ」
室井はそれだけ言って立ち上がった。
襖を開けようとする背中に向かって、テーブル越しに手を伸ばす。
グラスが倒れた気がしたが、青島は構っていられなかった。
室井の背広を掴み呻いた。
「もう嫌だ、なんなの室井さん」
室井の顔を見ることができなくて顔を伏せていたから室井がどんな顔をしていたのか分からなかったが、返って来た声は深く沈んでいた。
「…それは、俺が嫌いになったという意味か?」
嫌いになれたらどんなにいいだろうと思う。
嫌いになればば、室井に何を言われても「さようなら」で済んだのに。
胸が疼くことも、泣きたくなることも、その背に抱きつきたくなることもなかった。
きつく背広を掴んだまま黙った青島に、室井は困惑したようだった。
「青島…?言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれ。君を困らせたいわけではない」
嫌いだ。
俺を忘れて。
その言葉が、青島にはどうしても言えない。
自分の決意は一体なんだったのだろうかと思って、いっそ嗤えてくる。
青島は歪む視界に映るテーブルの木目を見つめながら言った。
「室井さん、男の恋人がいるって本庁に知れたらどうするつもりですか。結婚しないってだけで出世に響くのに。ばれたら、どう考えても問題にされるでしょ。そしたら、どうやって警視総監になるつもりだよ」
少しの間の後、背広を掴んでいた青島の手に室井の手が重なり、引き離された。
その手を強く握られるが、青島は顔を上げられなかった。
「どうやってでもだ。俺は諦めないぞ」
青島の手を握るその手と同じように、力強い声だった。
室井が諦めないことなど、青島だって分かっていた。
分かっていながら、別れるべきだと思った。
それが室井のためだと思った。
つまり、室井を信じていなかったということだろうか。
そうではない。
ただ、青島は、室井の重荷になりたくなかっただけだ。
自分たちの希望を一心に背負う彼の重荷になりたくなかっただけなのだ。
別れは室井のためだと言いながら、結局は自分のために過ぎない。
室井は逃げ出さずに覚悟を決めていたのに。
きっと、青島と付き合いだしたその時から、室井は覚悟を決めていたのだ。
絶対に警視総監になってみせると。
青島を愛したまま。
青島が別れを意識したまま室井に愛を囁いていた間にも、彼はきっと―。
「結婚をしなければ出世できないわけでもない」
室井が繋いだ手の指を絡ませてくるから、青島は無意識のうちに強く握り返していた。
まだ顔は上げられない。
「…そんな問題じゃないでしょ」
「同性愛は犯罪じゃないだろ」
「でも、世間には認められない」
「なら、青島とは大親友なんだとでも言い張るか」
「何言って…」
青島は思わず笑ってしまった。
笑ったせいで呼吸が乱れる。
視界が一層歪み、何も見えなくなる前に目を閉じた。
「青島」
手を握ったまま、室井が傍に寄る。
室井の手が頬にかかるが、顔を見られたくなくてそれを払った。
代わりに、室井に身を寄せ胸に額を押しあてる。
片手を握りしめたまま、室井が空いた手できつく抱きしめてきた。
「好きだ」
知ってるよ、俺も大好きだよ、震える唇は到底開けず胸中で答える。
「青島、別れたくない」
さっきはきっと飲み込んでくれた言葉だが、間違いなくこれが室井の本音だ。
そして、青島の本音でもある。
「青島」
耳元で、室井が催促するように名を呼んだ。
青島はそれにも答えることができなかったが、縋るように室井の手を握り、顔を上げて、何かを言おうとした室井の唇を勝手に塞いだ。
言葉にせずとも、青島の気持ちが室井に伝わらないわけがなかった。
「青島…っ」
キスの合間に、室井が切なく青島の名を呼んだ。
泣いているのが自分だけではないことを、青島は悟った。


きっと、こんなことはやっぱり間違っている。
いつかこの選択を悔やむ日がくるかもしれない。
それでも、室井とならなんとかなるかもしれない。
少なくても、室井はそう覚悟を決めている。
思い返せば、青島も最初から決めていたことがあった。
この恋は期間限定の恋だった。
室井が青島を振るまでの、期間限定。
別れを決めるのは、室井だ。
だけど、室井がそれを望むことは、未来永劫きっとない。
つまりは、そういうことだ。











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2011.9.5






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