■ 期間限定の恋人(1)


自転車を降りた青島は、空を見上げた。
昨夜遅くに降りだした雨が今朝まで残っていたが、今は雲一つなく晴れ渡っていた。
4月に入りすっかり暖かくなり、自転車を漕いでいたせいもあって身体がじんわりと汗ばんでいた。
日陰を求めて、いそいそと交番の中に入る。
椅子に座り一息ついていると、小さい男の子を連れた若い女性が入ってきた。
「すみません、道を教えてもらいたいんですが…」
青島は笑顔で立ち上がった。
机に地図を広げて、行き先を聞き、道順を教える。
礼を言って交番を出て行く親子を外まで見送り、母親に手を引かれながら青島を振り返る子供に手を振った。
おずおずと振り返してきた子供に、青島は笑みを浮かべた。
こういう時は、交番勤務も悪くないと思った。
「元気そうだな」
遠ざかる親子を見送っていると、背後から声をかけられた。
振り返り、目を丸くする。
「室井さん!」
青島から少し離れたところに室井が立っていて、その突然の登場に青島は驚いた。
室井と会うのは査問委員会以来だった。
「何してんですか、こんなとこで」
呆気に取られた青島が聞くと、室井は眉間に皺を寄せた。
「近くまで来たから寄った」
それが嘘か本当か分からないが、桜交番に寄った理由は青島がいるからに違いない。
青島に会いに来てくれたのだ。
それだけで青島の気分が高揚した。
「時間あるんすか?寄っていきません?」
青島が背後の交番を指差すと、室井は黙って頷いた。

交番に入ると、室井に応接用の椅子を進め、冷蔵庫から缶コーヒーを二本取り出した。
「缶コーヒーしかないっすけど」
室井に一本手渡し、青島も室井の向かいに腰を下ろした。
「いや、ありがとう」
礼を言ったが、室井はコーヒーを開けなかった。
目の前の室井をちらりと見やり、青島は自分の分のコーヒーを開けて飲んだ。
久しぶりに会う室井は相変わらず眉間に皺が寄っていてらしいなとは思ったが、いくらか顔色が悪い気がした。
疲れているように見えて少し気になる。
わざわざ青島に会いに来るくらいだから、それほど切羽詰まって忙しいとは思えない。
何かあったのだろうかと思ったが、なんとなく聞けなかった。
室井の変化に敏感な自分を知られたくなかったからかもしれない。
「大分暑くなりましたね」
青島が話しかけると、室井は頷いた。
「そうだな」
「さっきまで巡回に出てたから、汗掻いちゃいましたよ」
襟首を摘んでパタパタと手で仰ぎ風を送っていると、室井がじっと青島を見つめてくる。
不思議に思って手を止めると、室井は思い出したように視線を逸らした。
「室井さん?」
「仕事、楽しいか」
唐突に聞かれて面を食らったが、青島は頷いた。
「ええ、結構ね、楽しいっすよ」
交番勤務とはいえ、毎日色んなことが起こり、色んな人に出会う。
昨日は10万円も入った財布が落とし物で届いてびっくりした。
そんな大金を落とす人にも驚いたが、ネコババせずに届け出てくれた拾い主にも少し驚いた。
世の中まだまだ捨てたものではない。
幸い落とし主はすぐに現れ、当たり前だが随分と喜んでいた。
それを思い出して語ると、室井は頷きながら聞いてくれた。
「そうか…楽しんで働けているなら、良かったな」
そう呟くから、室井が青島を気にかけていてくれたことが分かる。
青島一人が降格人事を受けたことを、室井は気にしてくれていた。
本音をいえば、交番勤務は青島には少し物足りない。
日々の出来事は楽しんでいるが、刺激はなかった。
だが、それを室井に伝えるつもりはなかった。
腐らずに頑張っている姿を知っていてもらえたらそれで良かった。
青島は微笑んで頷いた。
「交番勤務は結構性に合ってるみたいです」
室井は少し視線を落としたが、やがて真剣な眼差しを青島に向けた。
「もうしばらく、我慢してくれ」
「え?」
「いずれ所轄に、湾岸署に戻れる時がくる」
青島は少し驚いた。
室井が戻してくれるという意味だろうか。
それは嬉しいが、室井に迷惑がかからないかが気になった。
だが、やっぱりできたら湾岸署に戻りたい。
その気持ちは口に出さずとも、室井に伝わっていたようだった。
青島ははにかむように笑って、頭を掻いた。
「じゃあ、頑張って働きながら、待ってようかな」
「そうしてくれ」
室井が力強く頷くのを見ながら、青島は思った。
それを伝えたくて、室井は青島に会いに来てくれたのかもしれない。
室井が気にかけてくれていることが素直に嬉しかった。
「ありがとうございます、室井さん」
「俺は何もしていない」
「会いに来てくれたでしょ」
青島が微笑むと、室井の顔が強張った。
元々表情の硬い男だから、青島は気にしていなかった。
気にせず続ける。
「嬉しかったです、ありがとうございました」
室井はじっと青島を見ていたが、また視線を落とした。
組んだ手に力がこもるのが、青島にも分かる。
何かを耐えているような表情に見えて、青島は首を傾げた。
「室井さん?どうかしました?」
「…なんでもない」
低く抑えたような声を聞く分には、何でもないようにはとても見えない。
もしかしたら、青島に会いに来た理由が他にもあるのかもしれない。
そう思ったら、無性に気になった。
「室井さん、何かありました?」
「何でもないと言ってる」
「でも、そうは見えないっすよ」
「…放っておいてくれ」
冷たくあしらわれても、めげない図太さが青島にはあった。
それが仇になる時ももちろんある。
「室井さん、なんか変だ」
室井が目を見開いて青島を見た。
眉間に深い皺がより、表情はみるみる険しくなる。
怖い顔をしていたが、ただ辛そうにも見えた。
「室井さん?」
青島の呼びかけに、室井の肩が微かに震える。
室井は頭痛でもするかのように額を押えて俯き、深い溜め息を吐いた。
「俺は変なんだ」
抑えたような声で吐き出した。
まさか同意が返ってくるとは思わなかったので驚いたが、室井が青島に何かを吐露しようとしていることを悟った。
青島は前屈みになった。
「どうしたんすか?俺に話せることなら、何でも話してください」
室井はゆっくりと顔を上げた。
見つめられて、息を飲む。
青島に向けられた切ない眼差し。
胸を鷲掴みにされた気がして、青島は息苦しさを覚えた。
「君のことばかり考えてる」
ちょっと待ったと思ったが、口から言葉が出てこない。
「もうずっとだ。特に査問委員会の後からひどすぎる。仕事にならない」
青島は唖然とした。
自分のことを考えているせいで仕事にならないと室井は言っているのだ。
それではまるで、室井が青島に恋でもしているようではないか。
そう思ったが、そんなわけはない、ありえない。
青島は乾いた笑い声を上げた。
「やだなぁ、室井さん。そんなに心配かけました?大丈夫、俺、交番勤務でもちゃんとやってますよ」
青島の言葉を聞いているのかいないのか、室井が苦しそうに言った。
「君が好きだ」
青島は目を見開き固まった。
ありえないと思ったことが、現実に起こった。
室井が青島を好きだという。
信じられなかった。
室井の言う好きが、例えば友人に対するそれではないことは、青島にも分かった。
苦しそうな室井を見ればよく分かる。
だからこそ、信じられなかった。
青島のことを好きになって苦しんでいるのだ、この男は。
言葉もない青島に、室井は俯きながら呻くように言った。
「自分でも変なのは分かっている。君は男で、こんなふうに想うのは間違っている」
その通りだと思った。
青島も室井も男で、相手に恋愛感情を持つなど間違っているに決まっている。
それでも、と室井は続けた。
「それでも、どうしようもない。どうしても、君のことばかり考えてしまうんだ。忘れたいのに、どうしても」
苦しそうに吐き出される告白は、とても聞いていられなかった。
青島は頭に血が上るのを感じながらも、何かを言わなければと思い口を開いたが、結局言葉が出ずにそのまま閉じた。
何を言うべきか迷った。
伝えたい気持ちがないわけではないが、伝えていいのか迷った。
「すまない…こんなことを言われても迷惑だろう」
自嘲ぎみに言って、室井は顔を上げた。
ひどい顔色で、室井が思い詰めていることを知る。
青島のことで、思い詰めているのだ。
青島にはそのことが堪らなかった。
「でも、我慢できなかった。顔を見たら、言わずにいられなかった。君が好きだ」
切なげに見つめられて、顔が熱くなり胸がつまる。
視線が絡んだのは一瞬で、すぐに室井は立ち上がり、憂鬱そうな声で言った。
「できたら、忘れてくれ」
青島から視線を逸らし、交番を出て行く。
真っ直ぐに伸びた背中は変わらないのに、別人の後ろ姿を見ているようだった。
心の中で、声がする。
黙って見送るべきだと、そうするべきだと声がする。
だけど、どうしても黙っていられなかった。
立ち上がり、室井を呼び止める。
「室井さん」
室井の背中がびくりと震え足は止まったが、振り返らない。
その背中に向かって、青島は言った。
「俺と、付き合ってみますか?」
一瞬の間の後、室井が振り返った。
何を言われたのか理解しきれていない表情だった。
奇異なものを見るような目で見つめられ、青島は苦笑した。
「ま、俺と付き合っても、室井さんが楽しいかどうかは、分かりませんけどね」
青島の言葉が理解できたのか、見開かれた室井の目が信じられないと語っている。
青島は少し照れ笑いを浮かべた。
「室井さんが俺でいいなら、俺も室井さんでいいですよ」
「本気か…?」
聞き返した室井の声は掠れていた。
青島はもちろん本気だったから、一つ頷いた。
室井がいいなら、青島もそれで良かった。
室井はなおも信じられないのか、青島を凝視していた。
「本当に?」
くどい室井に青島は小さく声を漏らして笑ったが、室井の問いには答えず小首を傾げる。
「どうします?」
「付き合ってくれ」
間髪入れずに返事が返ってきた。
室井の表情から思い詰めた色が消え、青島を見つめる眼差しには抑えきれない喜びが見える。
室井は本当に青島のことが好きなのだ。
それを嬉しく思う自分に、青島は内心で苦笑した。
「じゃあ、ええと…よろしくお願いします」
青島が頭を下げると、室井もそれに倣った。
顔を上げ、視線が合うと、室井は眉間に皺を寄せていた。
それがおかしくて、青島は笑みを零した。
こういう時は普通もっと嬉しそうな顔をするものだが、益々恐い顔になっている室井がおかしかった。
笑われたと分かったのか、室井は更に皺を深くして言った。
「…連絡する」
それだけ言って、今度こそ交番を出て行く。
もう少し何かあってもいい気がしたが、青島は引き止めなかった。
室井が動揺しているのがなんとなく分かったし、青島自身動揺していないわけでもなかった。
離れて行く背中を眺め、一言だけ叫んだ。
「待ってますねーっ」
振り返った室井に大きく手をふる。
室井は何故か眩しそうに青島を見つめ、頷くように小さく頭を下げて、再び歩き出した。
青島は室井の姿が見えなくなるまで見送り、交番の中に戻った。
椅子に座り、背もたれに寄り掛かり、天井を見上げた。


室井が青島を好きだと言った。
今あったことなのにちょっと信じがたいが、あんなに思い詰めた室井を見れば、室井が本気であることはよく分かった。
室井の気持ちは嬉しかった。
凄く嬉しかった。
青島も室井が好きだったからだ。
いつからだったのかは、それこそ覚えていない。
第一印象は決して良くなかった。
だが、信頼できる男だと気付くのに、それほど時間もかからなかった。
いい意味でキャリアらしくない室井のやり方は、いつだって青島に希望をなくさせない。
室井がいるから、憤りを感じることの多い所轄と本庁の壁にも、腐らずに頑張ろうと思えた。
青島は室井を信頼していたし、尊敬していた。
その気持ちがどこではみ出したのか、覚えていなかった。
気付けば、上司としてではない室井を望んでいる自分がいた。
相手は自分より4つ年上の上司で男だ。
そんな対象として室井を見ている自分が信じられなかったが、青島は思い切りはいい方だった。
惚れてしまったものは仕方がない。
そう割り切ってしまえば、あれだけ真っ直ぐで熱い男を近くで見続けていれば、惚れてしまうのも無理はないだろうと開き直れた。
ただ、室井に気持ちを伝えるつもりは全くなかった。
受け入れられることはまずあり得ないと思っていたからだ。
万が一、仮に受け入れられたとしても、それが良いことではないことも知っている。
警察官僚の室井にとって、男の恋人の存在など、邪魔になっても助けにはならない。
スキャンダルになれば室井の立場が悪くなるし、結婚の妨げになれば出世に響くかもしれない。
青島は室井の邪魔をする気は毛頭なかった。
室井に告白などされなければ、青島から想いを告げることは絶対になかった。


だから、これは期間限定の恋だ。
期間はいつまでかは分からない。
男同士は、当然だが結婚できない。
つまり、それがどんな大恋愛でも、いつかは終わりが来るということだ。
今始まったばかりの青島と室井の恋も、必ず終わりがくると青島は思っている。
室井が青島に飽きるまでの、他に好きな人が出来るまでの、結婚をするまでの、それまでの恋である。
その時がきたら、青島は笑顔で別れてやるだけだ。
その覚悟をした上で、青島は室井の告白を受け入れた。
本当はふってしまうのが一番良かったのだろうけれど。
自分を好きだと言って苦しむ室井を、とてもではないが見ていられなかった。
室井が青島を好きな以上、青島が苦しんでいる室井のためにしてやれることがあると思った。
決して同情したわけではない。
その証拠に、室井の傍にいられることが嬉しかった。
一年でも二年でも、室井の青島への興味が尽きるまで、傍にいられれば良いと思った。
青島は堪え切れずに小さく笑みをもらし、口元に手を当てた。
それでも隠しきれない喜び。
青島は、室井が好きだった。


これは、期間限定の恋だ。
終わりは室井が決めればいい。
その時まで、青島は室井の恋人だ。










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2010.8.22

あとがき


久しぶりの続きものですね〜。
今回はくっついたところからスタート。
砂を吐きそうな展開になるような気がしています。
先に謝っておきましょう!すみません!

青島君視点のお話になりますが、
室井さんが寸分たがわぬ青島馬鹿なお話になる予定です。
いつもいつもすみませんとしか言いようが…(苦笑)

最後までお付き合い頂けたら幸いです。


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